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日本の近代黎明期、明治政府の新政策への反対一揆が多発する。1873年岡山県で被差別部落民18人が... 日本の近代黎明期、明治政府の新政策への反対一揆が多発する。1873年岡山県で被差別部落民18人が殺され襲った15人が死刑という美作騒擾が勃発。なぜ政府反対運動が部落民を襲うのか。襲った百姓の子孫が真相究明に乗り出した。 《ベクトルは逆方向》 殺されたのは被差別部落民ばかり18人、襲った側は死刑が15人、処罰者数が2万7千人。 1873(明治6)年、岡山県北部美作(みまさか)地方でおきた騒擾事件は明治の同種の事件の中でも大規模なのに、正史ではほとんど扱われない不思議な事件である。正史には政治指導者の動きや制度などが記述され、民衆の運動は記録されないのが普通といってしまえばそれまでかもしれないが、一番の謎は、明治政府への反対運動がなぜ下層の民を襲ったのか。沈黙が140年覆う。 永き沈黙に抗い、岡山の地元で真相解明が始まった。 やっかいなことに事件の名称が定まっていない。実は先行する少数をのぞけ