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今年の「#文学」
finalvent.hatenadiary.org
一昨日放映された『ざらざんまい』がかなり強烈なしろものだった。想像していた以上のもので、脳幹にしびれるような感覚すらあった。 そのことについて何か語ることがあるかといえば、ある、といえばある。ただ、それを公開で語るかというとまた別のことだ。 それ以前に、なにかをネットのような公開の場所で語ることが、おっくうになってきたというか、嫌になってきた。というわけで、この『finalventの日記』も滅びるままにして、最低、Twitterのログという置き場のようにして放置していたのだが、①ログ置き場の機能はなくなった、②「はてな日記」もなくなった、そして③……それはあとで。 今日、はてな側から過去の『finalventの日記』がはてなブログに移行されたという連絡があった。まあ、放置していて滅ぶにまかせていたのだから、文句をいう類のものではないが、さすがに最低限のデータの移行であったので、多少デザイン
At night we're waking up the neighbors While we sing away the blues Making sure that we're remembered yeah cause we all matter too If the truth has been forbidden then we're breaking all the rules So come on, come on 夜に私たちは隣人を起こすの ずっとブルースを歌い続けて 私たちは忘れてないよってね だってみんなが大切なのよ もし真実が禁じられたら 私たちはみんなで法律を破るの さあ、やりましょう
好きなようにやっていこうよ Find your light Don’t hide from what you are And rise before you fall And hope for something more Live if you really want to 自分の光を見つけて 本当の自分を隠さないで くじける前に起き上がって もっと希望をもとうよ なりたいようにやっていこうよ All my life I’ve been looking for something amazing It’s almost like I’ve been stargazing The sky is right above me 素晴らしいものがあると思ってやってきた 希望の星を見てきたみたい そんな空が私の上に広がっている We were meant for something bigger
Certains sujets dans le blog au Japon sont appelés mien. Abordant les thèmes, comme si elle était a explosé, le harcèlement se ferait de façon concentrée. Certains groupes politiques exercent une pression sur eux. Afin d'éviter les tracas, les blogueurs qui savent que ne touche pas sur ces sujets. Cependant, par là, citoyens bloggers au Japon, sont en train de perdre une partie importante de la li
散人老师去世了。他是在日本博客圈一位领先博客作者。我不知道他的年龄,而是因为他已经退役从企业,年是70近。也是麦金塔的高手。它也能说流利的信息技术。它的笔名是来自文學大師永井荷风得出。也是文学研究的业余,但有一个伟大的知识。他的太太是法國人。我們可以想像愛他年輕時的激情。也有的偉岸的想法。他是既一個運動家又美食家。老师! 是我们不可到达的明星。
Le Japon est notoire pour le taux de suicide élevé parmi les pays développés. Comme ce phénomène est remarquable dans l'étude sociologique, il ya plusieurs hypothèses de raisonner avec cela. Toutefois, certains groupes font de ce problème réduit qu'à économique, et veulent attaquer le gouvernement par ses idées. Pire encore, en dépit de l'accent mis sur la disparité économique, ils ne comprennent
中国語を勉強しているといろいろ思うことがあるが、その一つの雑話。いやそんなことはどうでもいいから、南シナ海とかウクライナ情勢とかブログに書けというのもあるかもしれないけど(ないかもしれないけど)。 正確に言うと、中国語の話ではなく日本語の話。ごく簡単な日本語。「あなた、子ども、いる?」という文について。 きっかけは、中国語の「你有孩子吗?(Nǐ yǒu háizi ma?)」という文。中国語だと、「有」は「有る」という意味だけど、普通に「持つ」という意味で使う。この用法は、日本語の「ある」と同じなんだろうか? というちょっとした疑問からだ。 日本語の場合は、生物と無生物で「ある」と「いる」を使い分ける。「お金」だと、「あなた、お金、ある?」となる。 「あなた、お金、ある?」 「あなた、子ども、いる?」 構文としては同じ。同じく「持つ」で言い換えられる。 「あなた、お金、持ってる?」」 「あ
死の閃光弾で夜に紛れた 自動車が間近を行き交い、瞳孔は点になる 白黒だけのいくつもの道で私が100年待っていたら 口笛を合図にあなたは来たかしら 死の閃光弾で夜に紛れた 空き缶も行き先のない船も撃たれた 私が愛していて最悪で頭が変だったら 口笛を合図にあなたは来たかしら 死の閃光弾で夜に紛れた 彼は生きていたかったの、過ぎゆくに任せたかったの? 煙かすむ私たち夜。休息もほとんどない。 朝にはあなたの灰 生きる戸惑いに満ちたこの地下の鉄道 愛しのヨーロッパという次の駅 あなたの手で私の心の底まで触れて 死の閃光弾で夜に紛れた 最終コーナーまで手をつないでて 白黒だけのいくつもの道で私は100年待っていたら 口笛を合図にあなたは来たかしら
Voici Zaz. Je ne l'ai pas connu. Je viens de connaître par la leçon de français. Elle a 33 ans. Deux ans de plus que Hikaru Utada. J'ai entendu sa chanson. Wow. formidable! Impressionnant! Offrez moi une suite au Ritz, je n'en veux pas ! Des bijoux de chez CHANEL, je n'en veux pas ! Offrez moi une limousine, j'en ferais quoi ? papalapapapala Offrez moi du personnel, j'en ferais quoi ? Un manoir a
J'aimerais étudier français. Par conséquent, j'essaie beaucoup de choses. Une d'eux est la leçon par radiodiffusion publique. Radiodiffusion publique de Japon aussi bien que BBC de Grande-Bretagne offre la leçon linguistique libre, y compris le français. Et par la leçon, je viens pour connaître Alan Stivell. Alan Stivell est un musicien français qui milite pour la reconnaissance celtique. C'est li
あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします。 Une bonne et heureuse année ! 2014年の世界をちょっと予想する。といっても、フィナンシャルタイムズ(FT)が今年の世界予測をしていて、ふむふむと読んだのでそれの感想をちょっと書くくらいのこと。 今年の欧州議会選挙で反EUの極小政党は議席数を大幅に伸ばすか? FTの予想は、イエス。5月に予定されている欧州の議会選挙で、極右・極左など反EU勢力が劇的に躍進するだろう。特に気になるのが右派政党で、FTはフランスの国民戦線(FN)、英国独立党、ギリシャの急進左翼連合(SYRIZA)、そしてオランダの自由党を挙げている。 このブログでの最近の関連記事は「フランスでロマの女学生が学校で拘束され強制送還された事件の意味」(参照)に書いた。 これをフランスがどのように解消していくのかは注目されるが、現状のオランド政権の対応
はてなが面白くなくなった。個人的な感性の問題であって、はてなの問題でもないと思うが。が、とくに、あれ、増田がなあ。釣りみたいのに、わかっていてほいほい引っかかるみたいなゲームになってきているんだろうけど。それと、すべてが釣りというわけでもないんだろうけど。けど、匿名でそもそも書くことはないんじゃないのというか。 ルサンチマンとか、日本社会バッシングとか、あるいは米国バッシングとか、その手のネタになんかうんざりしている。
銀杏並木を歩いていたら、臭い。ぎんなんの臭いである。もう実がなっているのだろうか。ぱっと見た目にはわからなかったが。 筋トレ。今日は、ちょっと違ったマシンを使った。使い慣れてない筋肉は、げっと思うほど弱かった。ということはそれなりに、使っていた筋肉は付いていたということだろうか。ポジティブに考える。 久しぶりに焼き芋機で焼き芋を作る。焼き芋機というのがあるのである。 これである⇒松下電工 いもまるくん 作業の合間のおやつは焼き芋 - オクテック ガレージ ブログ OKU-TEC garage ひとり暮らしで菜食しているころに買った。ちょっと壊れてきているので、買い換えたいが、もはや売っていない。これ、とても便利なんで、松下電工さん、復刻してくださいな、あ、本じゃねーや。 ツイッターで百スキとスロークッカー大の話をした。 百スキはもう売ってない。これで作った目玉焼きは絶品。ただし、ロッジシス
また日記が3日ほど抜けた。昨日は筋トレ。 ひさしぶりに社説にコメントでもしてみるかな。 それでも、消費増税はやむをえないと考える。 借金漬けの財政を少しでも改善し、社会保障を持続可能なものにすることは、待ったなしの課題だからだ。 「社会保障と税の一体改革」という原点に立ち返ろう。 冒頭のこの切り出しからおかしい。今回の消費税増税に反対している人でもマクロ経済が常識程度にわかっている人なら、コアコアCPIの上昇が定着するのを待てということで、時期の問題。これを「待ったなし」とするのが詐術。なので、以下を読む必要もないほどだが。 国債を中心とする国の借金の総額は国内総生産(GDP)の約2倍、1千兆円を突破した。今年度の一般会計では、新たな国債発行が40兆円を超え、予算の半分近くに及ぶ。 最大の原因は、高齢化に伴う社会保障費の伸びだ。医療や年金、介護の財源は、保険料や窓口負担だけでは足りない。国
それでも、消費増税はやむをえないと考える。 借金漬けの財政を少しでも改善し、社会保障を持続可能なものにすることは、待ったなしの課題だからだ。 「社会保障と税の一体改革」という原点に立ち返ろう。 冒頭のこの切り出しからおかしい。今回の消費税増税に反対している人でもマクロ経済が常識程度にわかっている人なら、コアコアCPIの上昇が定着するのを待てということで、時期の問題。これを「待ったなし」とするのが詐術。なので、以下を読む必要もないほどだが。 国債を中心とする国の借金の総額は国内総生産(GDP)の約2倍、1千兆円を突破した。今年度の一般会計では、新たな国債発行が40兆円を超え、予算の半分近くに及ぶ。 最大の原因は、高齢化に伴う社会保障費の伸びだ。医療や年金、介護の財源は、保険料や窓口負担だけでは足りない。国や自治体が多額の予算を投じており、国の社会保障費は年に1兆円ほど膨らみ続ける。 将来の世
問題なのは、ようやく景気が上向いてきた日本経済が来春の消費増税で失速しないかどうか、不透明なことである。 日銀の9月企業短期経済観測調査(短観)で、大企業の景況感は大きく改善し、リーマン・ショック前の水準に戻った。だが、今後はペースが鈍るとみられる。 コアコアCPIが低迷しデフレが継続しているなかで消費税増税をすれば、明白に経済は低迷する。不透明なのは、どこまで落ち込むかということ。 さらに懸念されるのは雇用情勢だ。8月の失業率は3か月ぶりに4%台に上昇し、サラリーマンの給与も減少が続いている。 首相は、「大胆な経済対策を果断に実行し、景気回復のチャンスを確実にする」と述べた。 これは全面的に間違いではないが、雇用情勢の改善の基本はデフレ回復に後続すること。だから、まずデフレの解消が重要だった。 首相の主導で実効税率引き下げに道筋をつけた意味は大きい。 ただし、消費税を増税する一方で、企業
一体、何のための大増税か−。疑問がわく決着である。重い負担を強いるのに、血税は社会保障や財政再建といった本来の目的に充てられる保証はない。公共事業などのばらまきを可能とする付則が消費増税法に加えられたためだ。肝心の社会保障改革は不安が先に立つ内容となり、増税のための巨額の経済対策に至っては財政再建に矛盾する。増税の意義がまったく見えないのである。 安倍さんもその矛盾はわかってはいるのだろうけど。 本来なら「社会保障改革のために財源がこれだけ必要となり、そのために消費税を何%引き上げる必要がある」と国民に理解を求めるのが筋である。財政再建を理由に、先に増税ありきの財務省が描くシナリオに乗るから齟齬(そご)を来すのである。消費税増税の理念は変質し、国民に負担を求める大義も失ってしまったといっていい。 それもそうなのだが、それだと20%くらいの議論になり、その前にデフレ脱却が課題になる。 さらに
3日ほど日記が抜けた。 昨日筋トレ。 ツイッターとかはしている。いろいろ本を読んだりとかしている。というか、本を読みながら、いろいろ考えたりしていて、けっこう長時間が過ぎていることがある。昔の自分のようでもある。 体調はぼちぼちに戻る。 筋トレを開始してから4か月が近づくが、風邪を引いてない。先日の小発作を除くと、この数年のような死ぬ騒ぎもなくすごせている。身体の形も40代ころに近いような気がする。夏の前に買った細めのジーンズが難なく着れる。すこしゆるいくらい。 56歳。よく生きてたもんだと思うし、なんとなくこれからも生きているような気もしてくる、というか、なんか年齢のことを忘れていることが多くなってきた。 筋トレのせいか、頭脳の回転も少し昔に戻ってきたような気もする。 なにかと、気もする程度ではあるが。 いろいろ考えている、のだから、その考えを書けばよさそうなものだが、なんとなくしてない
昨日これ拾った⇒処女と結婚した 増田なので、釣りというかフィクションかもしれないなとは思った。 僕の文体に似ているという人もいてちょっと驚いた。そういえば、ブログのほうで、「いつも」こいつはうだうだ書くと批判していた人がいたが、僕の文章は「いつも」そうではないよ。というか、駄文ではない文章とかも読むとよいと思うけど。どれがというなら、cakesのほうはそうではない(たまに無料公開もあるし)。 で、その増田。少し釣られてみると。 「昭和が終わる頃の話だから、今とはいろいろ違うだろうが。」と始まるので、昭和63年とすると1988年。そのころの男の結婚年齢は28歳くらいなので、だいたい、1960年ころの生まれ。僕が1957年なので院にいたころの学部生くらいではないか。そのころの時代だと、結婚相手が処女というのはそうめずらしくもなかっただろうと思う(今でもめずらしくはないとも思うが)。自分もそんな
医学的にマギル博士の言っていることが正しいかというと、現状のスポーツ医学的にはグレー。 こういう反論もある⇒To Crunch or Not to Crunch: An Evidence-Based Examination of... : Strength & Conditioning Journal However, a cause-effect relationship between spinal flexion and injury in these athletes has not been established, and the ballistic nature of such sporting activities has little applicability to controlled dynamic abdominal exercises. Based on cur
ブログに、シットアップやクランチはやめとけの参考を書いたら、ひさびさに嫌な批判をいろいろもらった。まあ、そういうかたがたは、せいぜい背骨を痛めてくださいな。 なので、ブログのほうには書かないけど、気になった、マギル先生の話はもう一つあるので、こっちに載せておきます。 伝統的なヨガでも同じことが言えるというのが、自分では気になっていたので。 以下、意図が通ればいいやくらいの粗い意訳なんで、関心ある人は適当に参考にして、くらい。批判は、俺に言うなよ、です。詳しく知りたい人は、ちゃんと元ネタ見といてね。 元ネタ⇒The man who wants to kill crunches : The man who wants to kill crunches - Health - Macleans.ca スチュアート・マギルは背骨がどのように動くのかを30年間も研究してきた結果、シットアップのような腹
末日。今日も暑かった。 夏休みの宿題をこなしているような状況なので、気晴らしにネットを覗くことはあっても、なかなかブログを書くことができない。 ぼんやりしていると、いろいろ心に思いがうかんでくる。 「あまちゃん」に普通に感動して、青春を回顧しているような部分もある。 が、基本、若いころのことを、よくわすれるようになった。 実は、この夏、56歳になった。昨年、55歳になったときは、かなりがっくり来たし、体調も悪かったことから、もう人生終わりだなあと思ったが、今年の夏は、まあ、おおかた、普通に過ごせた。筋トレがよかったのかもしれない。 筋トレのせいか、身体がしまって若い気分にもなったし、二の腕にわずかに力こぶのようなものもつくようになった。56歳である。あはは。 若くなれるはずもないし、そんなことを期待もしてないが、気分だけは、老いていく、坂をすべり落ちるような感覚は薄らいでいる。いや、そうい
夕方空を見上げると月が美しい。調べると明日が満月。沖縄では明日がウークイ(送り)になる。 暑さが少しは引くとしてもまだま暑い。ちょっと図書館に調べ事に行って返ると汗だくなった。 図書館は相も変わらず、老人が多いのだが、炎天下飛び込んでくるのか、特に男性だが公共の場でそれはないだろというあられもない格好をしている。ソファータイプの椅子にだらしなく座っていたり、靴を脱いで蒸れる靴下を突き出すように足を組んでいたり。ひどいものだった。というわけで、資料調べをしてそそくさと出る。 昨日はステッパーをするほどの気力もなかったが、今日は戻る。 明日未明にかけて東京では大雨になるらしい。夜風を通して寝るというわけにもいかないか。 昼飯にカレーを作る。このところ、さらっとカレーを作ることがある。ルーを使わないカレー作りもだんだん慣れてきた。
A good teacher clarifies his own ideas and strengthens them by teaching them. Teacher and pupil are alike in the learning process. これはAcimのけっこう強烈な仕組みで、これによってれいの「マニュアル」ができている。頭ではわかっていても、とても難しい。もっと率直に言うと、私はなんとなく人に知識をよく教えるような人っぽいが、実際には、教師とかにとてもむかない。教える人ではないのだと自覚している。教師たるにはなにかが欠損しているのである。ただ、Acimのいう教師とは、教える教師というのは少し違い、学びを実践するという意味合いがある。つまるところ、Acimの体型というのは、一人の狂気の女性の幻想に過ぎない。そこに真理があるかどうかは、その真理を生きた人によって伝えら
私が死んでも、たぶん、この世界は存続するだろう。そして生きている私が今想像できる範囲でもあるだろう。 私には子供があるのでたぶん数千年くらいは子孫があるんじゃないかと思う。 それでも宇宙の瞬きに地球は滅びる。生命はそれ自体が夢であったかのように、宇宙の暗黒のなかに消えるだろう。そして、ほとんど無限に近い無が支配するだろう。 諸存在は、おそらく、その原子核から崩壊して無に帰すだろう。 無の後にまた時間と存在が始まるかもしれないし、あるいは多元的な宇宙はただ多元的に存在するのかもしれない。生命が物質となんら変わりが無いということは、物質はどこでも偏在的に生命とその知性を生み出すということでもあるのかもしれない。 そういうことは、古代人が考えたように、現代の科学でも実はわからない。 ただ、私は宇宙の瞬きに存在し、ほとんど無に近い。 私は無と言ってもいい。 そもそも私という意識も科学的に考えるなら
猛暑復活だが、これでもまだ先日の猛暑には及ばないので、今週末が怖い。だいぶ身体に影響が出て来た(まあ、つらいですね)。 ツイッターでちょっと呟いたが。 自分からこの人は不幸になってるなと思える人を見ると、なんとなくいたたまれないような気がしたものだが、その選択もその人の自由意志の結果なのだから、尊重して見守ろうと思うようになった。 なんか可哀想だなと思えたり、その愚痴や非難を私などに向けてきても詮無いと思うのだが、私からはなにかとやかく言える権利のようなものが私にはそもそもないように思えてきた。 大病というわけでもなければ、尋常ならざる不幸というのでもないなら、ほんのちょっとの心の持ち方で、人生は変わるものだが、それは本人が自覚するしかなく、私が関われる問題でもない。 もちろん、私自身がそうした側にいたかもしれないし、今なおいるのかもしれないが。 そうして、なんというか、一生、ちょっとした
私事でどたばたとし、夕方は、筋トレ。 くたっとして今日はおしまい。 あ、つけたし。 そういえば、Acimでは執拗に「神は罰しない」というメッセージが語られる。これは、西欧的キリスト教(正教も同じだが)のように、神が究極の正義として世界に向き合うということから必然的に出て来てしまうのかもしれないが、日本人には、少なくとも私には、こうした処罰する神というのは、義の理念では理解できても、恐怖としてはない。なので、Acimのこういうところは日本人にはピント外れだなと思っていた。が、今日、ワークアウト中に、おや、そうでもないかもしれない。と思った。処罰する神ではなくても、自分が過剰に自省して承認を得たいような神観というのは自分のなかにあるな、と。日本人は、とくにイデオロギー的なセクトで顕著なのだが、法=正義の処罰ではなく、自省による自罰として粛清を行うところがある。自分はこの手のセクト思考からは免れ
比較的涼しいこともあるよく歩いたり、また夕涼みに出たりなどした。 書かないでいようと思っていた例の麻生さんの「失言」話題を、今朝少し時間があったのでブログにまとめた。この手の話題は書けば自分に不利益になるばかりだが、多様な意見があってこその市民社会であり、そのためにブログを書いてきたのだから、時代の記録程度には書いておくかなとは思った。批判や揶揄はだいたい予想の範囲だが、まいどならいい気持ちはしない。変な妄想に取り憑かれたような人も出てくることがある。 僕を保守や右派だと思う人は多い。また麻生さんを支持していると見る人も少なくはない。どちらかといえば麻生さんは好きな政治家だが、今回の「失言」は単純に許容範囲ではないし、また消費税の考え方は支持できない。しかし、ネットの世界にはそういう部分は伝わらないものだ。 夕涼み先で、先日から探していたローレルパウダーを見つけた。タイムがあればいいのだけ
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