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写真家 井上青龍の時代 [著]太田順一 大阪・釜ケ崎は日本有数のドヤ街として知られる。昭和30年代、... 写真家 井上青龍の時代 [著]太田順一 大阪・釜ケ崎は日本有数のドヤ街として知られる。昭和30年代、幾度か暴動も起きた。当地の写真を撮ったことで名を馳(は)せた井上青龍の評伝である。周辺の人々への丁寧な取材と相まって、社会派カメラマンが生きた時代の匂いが濃厚に立ち上ってくる。 井上は高知の人。関西写真界のボス、岩宮武二に師事し、ドヤ街に住みつきながら写真を撮った。個展では「人間そのものが泣きたくなるほど好きになり、死んでしまいたいほど嫌いになる場所」という言葉を寄せている。「結局、釜ケ崎を変えることはできなかった」という言葉も残している。 「狼(おおかみ)が抜き身で歩いているような」男であったが、シャイで俳句に親しむ文学青年でもあった。釜ケ崎以降、テーマに行き詰まる。人間にレンズを向けるとはきつい行為である。とりわけドヤ街においては。長い空白はその“受傷”故でもあったのか。 旧式のボロカメ
2013/05/04 リンク