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九相図を見たような気持ちだ。 鬼ころとこれでもかという小銭が捧げられた弁財天のすぐ隣でコンビニが死... 九相図を見たような気持ちだ。 鬼ころとこれでもかという小銭が捧げられた弁財天のすぐ隣でコンビニが死を迎えている。 商品は棚の半分もない。 買い溜めの時をふと思い出す。 店員は一人しかおらず後片付けをしているのか陳列をしているのかも分からない。 ああ、死ぬんだな。 コンビニに入った途端に分かる。 100円のコーヒーを買いに来た客を笑顔で迎えて小さなファンファーレで見送るあの喧しさがない。 ただ静かに残り少ない商品を客に見せてくるだけだ。 田舎のよろず屋のように、閑静なリサイクルショップのように、ただそこにある。 死を受け入れたコンビニとはこんなに静かなのか。 コンビニの長くて短い放課後だ。 そうか、こんな姿で消えていくんだなお前らは。 俺はただ「デュフフここがぼっちちゃんの歩いた道かぁ」してるオタクでもいないかとふと普段降りないこの駅に立ち寄っただけだったが、いい人生の無駄遣いをした。 聖地
2023/01/03 リンク