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日記 長く病むと、病まないからだと病んでいないからだの区別がつかなくなる。 そもそも、病まないから... 日記 長く病むと、病まないからだと病んでいないからだの区別がつかなくなる。 そもそも、病まないからだを忘れる。病んでいようと病まないでいようと、このからだをオートマティックに動かして、いろいろと処理しなければならない。そういうものなのだ。 長い病には休息なぞない。常態が病んでいる。生きていることが病んでいる。病んでいることが前提。 電車に乗るだとか、パソコンで文章を整理するとか、歩くだとか、食事をするとか。 病んでいるからだで生きる作業をこなすことが当たり前なので、すべでの作業に苦労していても、「苦労している」ことを話すことがなくなる。 苦しいとか苦しくないとかはどうでもいいことなのだ。自分のからだの感覚にどんどん鈍感になる。その作業をこなせるかこなせないかがデッドラインだ。苦しくともこなせるのならば、OKである。無理がきくなら無理をするのだ。無理をしないと、動かないのだから。 最低限、立
2010/10/21 リンク