ケアする対話 この世界を自由にするポリフォニック・ダイアローグ

ケアする対話 この世界を自由にするポリフォニック・ダイアローグ

 対話って奥深いなと思いました。

 

P3

 本書全体は、「ケア」と「当事者性」を総合テーマとしている。ケアの実践を日常の対話の場に持ち込むこと、その際にそれぞれの当事者性を意識することが、本書の対談及び鼎談の参加者それぞれの動機にあった。

 

 こちらは斎藤環さんによるオープンダイアローグ(OD)入門から

P38

 ODには七つの原則があります。・・・

 ・・・

 六つ目の「不確実性に耐える」という原則が一番大事です。・・・つまり、治療のプランを立ててはいけないということです。・・・これは、ケアにとっても治療にとっても革命的で非常にラディカルな原理と言えるでしょう。私の経験でも、うまくいった治療やケアを振り返ると、あらかじめ立てた計画どおりにいっていないものが多い。まったく思いもよらない方向から解決策が飛んできて突然解決したということがほとんどです。横道さん風に言うと、「回復のプロセスもそれぞれに唯一かつ固有のもので、あらかじめプランを立てることができない。だから、プランは立てずに目の前の対話のプロセスに没頭することが大事」となるかもしれませんね。・・・ODにおいて治療とか治癒とか回復というのは全部おまけ、副産物みたいなものですね。対話の目的は対話それ自体なんです。昔から、「治そうとしすぎると治るものも治らない」ということはベテランの治療者がみんな言うことですが、それを体系化したのがODと考えていただければいいんじゃないかと思います。ケアにもある程度通じるところがあって、この人のケアを一所懸命やろうと入れ込みすぎるより、その都度目の前のケアに没頭していくほうがよりよいケアになるということがあるんじゃないでしょうか。

 七つ目の「対話主義」は、対話自体を目的化する―もっと言えば、対話さえ続いていれば何とかなるという、一種の楽観主義のことです。但し、議論、説得、説明、アドバイスなどは対話ではありません。これらはすべて結論ありきで、それを相手に飲みこんでもらうためにするモノローグです。それから、「正しさ」や「客観的事実」も有害な概念です。・・・対話というのは主観と主観の交換ですから、いかに相手の主観をみんなで共有するかということを考えます。よく妄想を持っている人の主観を大事にしたら、その妄想がどんどん育ってしまうのではないかという疑問を持つ方がいますが、幸いなことにそうはなりません。これは不思議なことで、私もなぜなのか、理屈としてはわかりませんが、なぜかそうならない。こちらがいっさい反論もせず、反証も挙げず、ただ妄想的な訴えを丁寧に聞いて、「私はよくわかりませんから、もっと詳しく教えてください」といった応答を返していくと、なぜか「正常」化していくんですよ。妄想や幻聴がそうやって治っていくことを知って私も驚き、もっとこの事実を広めていきたいと思い、ODNJ(Open Dialogue Network Japan)という団体で広報と啓蒙活動を行っています。

 

P68

斎藤 最近、ケアの倫理的な発想が対人援助業界に一気に勃興しつつあり、さまざまな方面から同時多発的にムーブメントが起こってきています。

 まず一つ目に、高齢者のケアの世界で革命的な変化を呼び起こしつつある「ユマニチュード」が挙げられます。これは、やっていることは高齢者の尊厳を大事にしようということに尽きると思いますが、それだけで認知症の高齢者が会話できたり、歩行できたりといった変化が起こっていて、いま、非常に人気がある手法ですね。

 二つ目に、依存症業界におけるハームリダクション。今までこの業界では、依存症者にとって断酒、断薬が唯一の正解のように示されていましたが、どうすれば生きのびられるかということに焦点化することで「やめなくたっていい、生き延びられればいい」という発想の転換が徐々に起こりつつあります。断酒、断薬の悪いところは、あまりにも厳しすぎてケアから脱落する人が増えることです。脱落してしまっては意味がないので、とりあえずやめなくてもいいから一緒にサバイバルしていこう、ということですね。・・・

 三つ目に、ホームレス支援の業界におけるハウジングファースト。施設に入所させて段階的に生活訓練なんてかったるいことを言わず、いきなり住居を与えてしまおうという動きです。そうすることでホームレスの人たちの自立心が涵養されるという発想で、これも非常に重要なムーブメントでしょう。日本でも導入されようとしています。

 こういった動きが同時多発的に起こってきたことには非常に大きな意味がありますし、私はこれらすべての背景に「ケアの倫理」という発想があると思っています。・・・「人間の尊厳、自由や権利を尊重していくことで結果的に回復が起こる」といった発想が根底にあって、メンタルヘルスを考えるときには、もうこれだけで充分なのかもしれません。逆に、今まで精神科の治療現場で行われてきた実践の根底には、・・・倫理よりも治療行為を優先させるという発想が当然でした。そういった発想から決別して、徹底して倫理性を追求したほうが回復が起こりやすくなるということが主張されている。これは非常に大きな価値転換になると考えています。