『エルデンリング』レビュー。ついに導き出された、フロム・ソフトウェアの理念の最適解かつ集大成

『エルデンリング』はたしかに万人受けを目指して制作された作品ではなく、ゲームというキャンバスの上に、まだ見ぬ世界を描いた作品でもない。ただただ、今回も同じように、ファンの愛に応え、期待を越えた作品である。


「思ってたより変わっていないな」というのが本作に対する私の第一印象だった。死にゲーというコンセプトにソウルシリーズをベースにしたシステムデザイン。「探索とボス戦」という強み。制作チームがユーザーに提供したい体験。より良いものを作り続けるという姿勢。『エルデンリング』はたしかに万人受けを目指して制作された作品ではなく、ゲームというキャンバスの上に、まだ見ぬ世界を描いた作品でもない。ただただ、今回も同じように、ファンの愛に応え、期待を越えた作品である。

※本稿はフロム・ソフトウェア提供レビュー用コード(PS5版)でのプレイにもとづき執筆。ストーリーや特定のボス戦に関するネタバレはなし

『エルデンリング』はフロム・ソフトウェアより2022年2月25日に発売された三人称視点の3DアクションRPG。「狭間の地」と呼ばれるファンタジー世界を舞台に、エルデンリングと、玉座を巡る旅路を描く。いわゆる「死にゲー」と呼ばれる、リトライを繰り返して攻略を進展させていく方式や、同開発会社が手掛けたソウルシリーズや『ブラッドボーン』(以下、両者をまとめてソウルシリーズ表記)における「あやしい場所を探索するとほぼ必ず報酬が手に入る」「秀逸なボス戦」という2つの強み、理念を継承した作品であることに大きな特徴がある。また作品名はまったく異なっているが、ゲームシステムのベースはソウルシリーズよりほとんど変化していない。


理念の最適な表現方法として登場した「オープンフィールド」


『エルデンリング』という作品を語る上で、まず触れなければいけないのは、フロム・ソフトウェアが手掛けたARPG作品において初の試みとなる「オープンフィールド」の導入についてだろう。

過去、オープンフィールドや、それに近しいシステムを組み込んだ作品は数多く存在する。たとえば、『デス・ストランディング』は2足歩行を遊びに落とし込む「独自のゲームデザインを成立させる」ため、広大なアメリカ大陸を用意した。オープンワールドゲームである『サイバーパンク2077』や『ゴースト・オブ・ツシマ』は、それぞれの「物語を表現する」ために美しい世界を構築している。

ならば『エルデンリング』の場合はどうか。それはフロム・ソフトウェアがこれまでのARPG作品にて積み上げた「あやしい場所を探索するとほぼ必ず報酬が手に入る」「秀逸なボス戦」という強みをシンプルに増強するため。端的に言えば既存作品からより一層の「ボリュームアップを図るため」が大きな理由として挙げられる。入り口から出口へ、オープニングからエンディングへ1方向に向かう構造ではなく、起点から派生、拡散していく構造への変化を通じ、単純に探索場所を増やし、ボスの数を盛りつつ、既存の諸問題を解決するためである。

例に挙げたゲームたちのように、作品独自の体験を成立させるために用意されているわけではない。ともすれば安直とも見られる発想ではあるが、オープンフィールドを導入した『エルデンリング』のレベルデザインは素晴らしいものだ。いや、「しっくりくる」という表現が似合う。強みを増強するためではなく、強みを表現する上でそもそも「本来あるべき姿」がコレだったのだ。今までの作品はあくまで『エルデンリング』完成に至るまでの布石に過ぎず、オープンフィールドを導入したことで、フロム・ソフトウェアはついに理念の最適な表現方法にたどり着いたのである。


ソウルシリーズで課題だったのは、あくまでRPG作品であり、「探索とボス戦」を強みにしているにも関わらず、リニア型に近しい、ストーリー主導のゲームデザインを行っている点にあった。探索とは、プレイヤーによって異なるベクトルを内包した行動であり、その様相はたびたび「自由度」という基準で表されることが多い。上に行ってもいいし、下に行ってもいい。右に行っても、左に行っても良い。気の赴くままに、両の足で歩き回る行動である。しかし、既存作品は連続する「ダンジョン」――入り口から出口に向かって進み続ける建造物――をメインの遊び場として採用していたため、プレイヤーを出口に誘導させる、単一のベクトルをもったレベルデザインを施さなければならなかった。

これはストーリーを展開する上で理にかなった手法であり、「冒険」という前に進み続ける行為、テーマそのものや、いわゆる初見殺しなど、サプライズ的な演出とも噛み合わせが良かった。だが同時に自由なベクトルを内包することはできず、たとえばNPCイベントやアイテム回収のために、世界が滅びを迎えるなか、一度通過したはずのダンジョンに戻る行為や対人マルチプレイにふける姿は、表現として自然な状態ではなかった。また、ボス戦を強みにしている都合上、倒すことができなければゲームそのものが完全にストップしてしまう危険性を孕んでいた。リニア型に似た構造は、行動で個性を強く演出するRPG要素としてもあまり相性が良くない。つまりソウルシリーズの段階では「探索とボス戦」という強み、理念を十分に表現することが出来ていなかったのだ。


そこで本作は「入口から出口へ」から「起点から派生先を選んで攻略する」という構造にシフトした。結果、多くのダンジョンを突破しボスを倒さなければゲームクリアにならないという根の部分こそ変化していないが、ある程度ならば自由な順番でダンジョンをクリアすることが可能となっている。進行に詰まった際はほかのダンジョンを攻略して経験値を積み、戻って成功体験を得ることが自然な形で成立する。オープンフィールドを起点に、数あるダンジョンから次の目的地を選んで向かう、そしてオープンフィールドに帰ってくるという図式は、開発陣の枷を外し、とにかくシンプルに要素を盛ることを許した。

プレイヤーは次に攻略する場所を任意に選び、望むならば特定の派生先に行かないという選択もできる。そのため開発陣は、思う存分、ダンジョンとそこで待ち受けるボス、毒沼を用意することができている。そして「行かなかった場所」「向かった順番」の存在が、広大な地図に配置したマーカーの数が、プレイヤーひとりひとりの道程を証明し、RPG要素をより強化する。各地を巡る必要のあるNPCイベントやマルチプレイは自然な形でストーリーラインに溶け込んでいる。フロム・ソフトウェアはオープンフィールドを導入したことで体験のボリュームアップだけでなく、長らく解決されていなかった既存の諸問題を解決し、理念の最適な表現方法を獲得したのである。

では本作のフィールドに関して、細かな部分を見ていこう。『エルデンリング』の世界はオープンフィールドを起点に、派生先である大型ダンジョン「レガシーダンジョン」と、小さな規模のダンジョンである「地下墓地」&「坑道」の3種で構成されている。レガシーダンジョンは、探索を促す「先の内容が見づらい広間」と「狭い道」で構成された、その名の通り、ソウルシリーズにおけるダンジョンに近い場所だ。内装は旧作から目立つ変化がなく、ゆえに得られる体験もほぼそのままだが、新規アクションである「ジャンプ」によって、探索箇所は増加。上下の階層がより強調される中身となっている。既に高い評価を得ているこの部分は大きく内容を変える必要性がないと判断したのだろう。あくまで推測ではあるが、もしそう判断したのなら、筆者はそれを支持したい。「地下墓地」&「坑道」については、前者が謎解きギミックを強調し、後者がジャンプアクションを強調する内容となっており、レガシーダンジョンの小規模版の内容に収まっていないのが楽しい。

オープンフィールドそのものに関しては先述したとおり、視界がひらけ、縦横無尽に駆け回ることのできる空間となっている。上下を意識した構造や、丁度よくまとまった敵配置がなされ、ダンジョン発見のヒントをくれる石像や、時間などの条件によりサプライズで登場するボスクラスの敵が存在するなど、レガシーダンジョンを薄く伸ばしたかのような中身になっているのが特徴である。このほか、ボスキャラクターと即座に戦える「封牢」という場所も存在する。

オープンフィールドにおける探索をプレイヤーに促す役割については、システムではなく、『デモンズソウル』のころより連綿と続く、美しくもおぞましいアートワークと断片的に語られるストーリーが担っている。本作はゲームボリュームが増加したことで、不気味なデザインと、意匠に凝った地域ごとのオブジェクトや敵が数多く、探索により内容が徐々に明らかとなるストーリーも相まって、「一刻も早く離れたい」というプレイヤーの不安と、「この文様や地形に意味はあるのか」「コイツと戦ってみたいな」という探究心を同時に強く刺激する。フロム・ソフトウェア作品における背景設定と不確かな物語に魅入られ、重度の妄想癖をこじらせた状態を俗に「フロム脳」と言うが、『エルデンリング』をプレイした者は皆この状態になってしまうこと請け合いである。そして考察という名の幻想を追いかけ、狭間の地を飽きるまで旅する褪せ人となってしまうのだ。

本作のオープンフィールドは、ほかの類型作品のそれと比較すると、特徴的なランドマークや、ダンジョン外をただ歩いているだけで手に入る報酬、発生するイベントが少ない。それにも関わらず広い空間の中でプレイヤーを動かし続ける力をもっているのは、ナラティブでもって人間のこころをくすぐる方法を制作チームが熟知しているからなのだろう。事実、エンディングを既に迎えた今でも、狭間の地を眺めるたびに妄想が膨らみ、冒険させろと魂が震えるのが分かる。


ゲームの進め方の一例としては、まずオープンフィールドでその地域の敵の対処や特徴をつかみ、探索を通じて発見した小規模のダンジョンでさらなる探索を行い、出会ったボスとの戦いによって己を鍛える。イケると思ったらレガシーダンジョンを探して挑戦。ボスを倒し終わったら新たに解放されたオープンフィールドのエリアへ向かうという形になっている。オープンフィールド、レガシーダンジョン、小規模ダンジョンの3種は、すべて旧作からの強みである「探索とボス戦」を通じて繋がっている。いくら外見を変えたとしても、ゲームボリュームを増やしたとしても、プレイヤーに提供したい体験が一切ブレていないことがよく分かるデザインである。

ただ「探索」には発見による快楽の前段階として、分からないという状態がつきものだ。そして分からない状態はストレスとなる。本作は3種のエリアすべてで探索が求められるため、プレイヤーがストレスを抱えるリスクは非常に大きい。これを解決しているのが豊富なファストトラベルポイントと復活地点、騎乗することでオープンフィールドを高速かつ柔軟に移動可能な霊馬トレントである。これらの存在によって、ゲームスピードが旧作から格段に速くなり、「分からない」時の散策がしやすくなったほか、気分転換も気軽に行えるようになっている。筆者としてはゲームスピードがこれまで以上に速くなったと感じた。攻略に詰まった場合は、素直に一旦あきらめて存在が判明している別のダンジョンに挑めというのが本作の態度である。実にフロム・ソフトウェア作品らしい姿勢であると言え、旧作から変化していないものでもある。

オープンフィールドの導入は目を引く要素ではあるものの、ゲームシステム上で特に革新的なことをやっているわけではない。「探索とボス戦」というソウルシリーズから続く理念を忠実に継承し、これまで解決されていなかった諸問題をクリアしながら、探索を通じた体験にさらなる厚みをもたせている。先述したように、ボリュームを増やした分、プレイヤーの消化を助けるためのフォローアップも万全だ。

探索要素という観点からするとソウルシリーズからの単純強化、延長線上に有る作品であり、レガシーダンジョンの内容など、大きく変わらない部分も多い。それでも「またこれか」と飽きずに探索したいと思えるのは、制作チームが長年積み重ねてきたゲームデザインの技術、アートを通じたナラティブの力といった、ゲームを作る上での基礎力が抜群に優れていることの証明である。『デモンズソウル』発売のころからユーザーに提供したい体験の芯がまったくブレておらず、だからこそ作品の保持すべき点と新たに挑戦すべき点の押し引きが明確に分かっているのだろう。これまでの作品がすべて布石だと思えるほどに、『エルデンリング』には「集大成」という言葉が似合う。


正当進化を果たした戦闘アクション


ソウルシリーズからの強みである「探索とボス戦」。うち「探索」についてはオープンフィールドの導入によって、大幅なボリュームアップと体験の改善を果たした。では「ボス戦」は如何ようか。『エルデンリング』の戦闘は『ダークソウル3』をベースにしているものの、ソウルシリーズ以上にフレーム回避や、間合い調整を通じた敵のモーション制御の重要性が増加。パターンを見切り、互いのHPを削り合う戦いから、攻防一体の「命のやり取り」へと進化した。キャラクターレベルの暴力だけでは通用しない、ボスや雑魚含め攻略にプレイヤースキルを要する敵が多く、あり方としては対戦格闘ゲームに近い。

ジャンプアクションを通じた新たな回避行動や探索中のステルスアクション、ボス戦でも攻め続けることで致命の一撃を繰り出せる仕様も合わせ、『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』からの影響を多少なりとも感じられる中身となっている。なお、PlayStation.Blogにて掲載された本作のディレクター宮崎英高氏へのインタビューによると、両者の開発は一部並行して行われていたため、直接的な影響は特にないが、間接的に影響を受けた部分はいくつかあるという。しかし、ゲーム側が攻撃の避け方を提示してくれない、言い換えれば、戦闘中でも「探索」する必要があるという点で、変わらず本作はソウルシリーズの系譜にある作品なのだと感じさせられる。

この仕様に合わせてRPG要素も強化。ソウルシリーズから魔法の種類が大きく増加したことをはじめ、「戦灰」というアイテムを使った武器ごとの戦技のカスタマイズが可能となり、フィールドの散策経路だけでなく、戦闘アクションの内容でも、プレイヤーひとりひとりの個性をこれまで以上に強く押し出すことが可能となっている。ただ魔法にしろ戦技にしろ、そのすべてがあらゆるボスキャラクターに通用するわけではない。当然、状況に応じてつけ外しをすることになるのだが、魔法の付け外しはもちろんのこと、戦技に関しても、アイテムのコピー機能によって複数の武器に同じ戦技をセットできるよう、ある程度融通がきく仕組みになっているのは、ほどよく頭を悩ませる興味深い仕様だ。これは大型ボスを討伐した際に獲得できる「追憶」(強力な武器・アイテム2種類のうち片方と交換できるアイテム)に関しても同様である。

ここにカスタマイズ可能な瞬間バフアイテム「霊薬」、常在バフである「大ルーン」、NPCを召喚しパーティを組んで戦える「霊体召喚」が組み合わさることで、ソロプレイでも明確な「戦術」を構築できるまでに至っている。たとえば霊薬の中身をステータス上昇効果に配合し、召喚した霊体と共に袋叩きにする。魔法を使うステータスに育てたならば、強力な霊体に前線を任せ、後方支援に徹するのもいいだろう。特大剣を担いでいた筋力特化ビルドな筆者の場合は、一度に複数の霊体が召喚できる遺灰を用い長時間、敵の注意を逸らしながら、背後より強力な溜め攻撃を連発。それによって体勢を崩し、致命の一撃でさらに追撃するという戦術を採用していた。


当然ボス戦はこうした戦術込みの難易度調整がなされているため、各種アイテムを組み合わせたところで、マルチプレイで挑んだところで、戦いが易化するわけではない。最終的に問われるのは、長時間の探索を通じて獲得した装備強化アイテムとレベル、沢山のボス戦を通じて培ってきた基礎的なプレイヤースキルである。本作は旧作からボリュームが増加したことに合わせ、とにかく数をこなすことでプレイヤーの技術向上を狙う方針を採用している。この仕様を難易度に対し粗く厳しいと見るか、ソウルシリーズからの作風を遵守していると見るかは人によるところだ。しかし、直近のアクションゲーム『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』における難易度の上昇が、敵のモーションを一部共通させる仕様を用いるなどして、プレイヤーに技術上達をわかりやすく感じさせる丁寧な内容であったことを踏まえると、筆者としてはもう少し違うやり方があったのではないかと考える。

種類の違う強敵と大量に相対する喜びはあるのだが、霊体召喚によりNPCと協力して戦える機会が多いということもあって、「ゲームが上手くなっている」という手応えを感じる瞬間は、戦術としてできることが少ない序盤と、難易度が急激に上昇し、霊体を通じた搦手がほぼ通用しなくなるゲーム終盤に集中しており、全体としてはあまり多くなかった。よって中盤、強敵に詰まって各地に点在するストーリー外のボスと相対しても、報酬獲得以上の意味を戦いの中で見出すことが難しかった。戦いではなく作業になってしまい、脇道に逸れたところで上手くなっているのか不安になってしまうときがあった。

しかしながら、本作の戦闘アクションが『ダークソウル3』より正当進化を果たしているのは紛れもない事実である。長い鍛錬を経て攻略する、刹那の攻防を伴う殺し合いと、ゲームの主人公が「わたし」であることをより強く意味づけるRPG要素は、速さを増す心拍と、とめどなく噴出する手汗、肩の痛みや心地よい疲労感を伴いながら、『エルデンリング』の物語が、とある褪せ人によって紡がれた叙事詩ではなく、まぎれもなく私達の人生の一部なのだということを伝えてくれる。


結局のところ、『エルデンリング』はたしかに万人受けを目指して制作された作品ではなく、ゲームというキャンバスの上に、まだ見ぬ世界を描いた作品でもない。今回も同じように、ファンの愛に応え、期待を越えた作品である。『デモンズソウル』より12年間、表現したい理念に一貫して正面から向き合い、実現するために何をして、何をしないのか。自分らしさを貫くために、試行錯誤を続ける制作チームの姿勢にはただただ感服する。ならば「集大成」という言葉が似合う『エルデンリング』もまた、通過点の1つに過ぎないのかもしれない。これからも理念を表現する方法を追い求め、我が道を進み続けていくのだろう。そして再び出会うとき、私もまた、「思ってたより変わっていないな」という評価を述べるのだろうか。もちろん、良い意味で。

Takayuki Sawahata
Takayuki Sawahata

娯楽としてだけではなく文化としてのゲームを知り、広めていきたい。ジャンル問わず死にゲー、マゾゲー大好き。

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