今回のことば
「ソニーファンを創造する拠点として、お客様に愛されるショールーム/ストアにしていく」(ソニーマーケティングの河野弘社長)
ソニーストア銀座が営業を終了
東京・銀座のソニービルに入居していたソニーショールームおよびソニーストア銀座が、2016年8月28日に営業を終了した。
2017年3月31日には、ソニービル全体の営業を終了。それに先駆けて、ひと足先に営業を終了した格好だ。そして、9月24日には、銀座4丁目交差点にオープンする「GINZA PLACE」ビルの4~6階の3フロアを使って、リニューアルオープン。銀座からソニーの「灯」は消えることはない。
銀座の玄関として1966年にオープン
もともとソニービルは、ソニー創業者である盛田昭夫氏の肝入れで建設されたものだ。
いまから50年前の1966年4月29日にオープンしたソニービルは、「世界一地価が高い贅沢な場所に、電機専業メーカーがビルを建てることは、思い上がりも甚だしいと言われるかもしれない」としながらも、「だが、建てると決めた以上は最大の効果をあげるべく全力を尽くす」と決意。「東京・銀座の玄関として、ソニー本来のショールームの役割とともに、より有意義な建物を建設すべきである」とのコンセプトを掲げた。
その結果、「こんな地価が高いところでは、どんな商品を売っても採算があわない」と判断。ソニー製品だけに留まらず、各社の商品が展示できる総合ショールームにすることを決意。自動車メーカーやオートバイメーカー、楽器メーカー、化粧品メーカーなどが、各社のショールームを出店。銀座の玄関を飾るに相応しいビルとしてオープンした。
ソニーのブランド発信基地としてだけでなく、よりすぐった日本の製品を一堂に展示。このとき、すでに海外展開を開始していたソニーが主導し、銀座を国際的なロケーションへ導くためのショールームビルとして、ソニービルは誕生したのだった。
もうひとつソニービルの特徴は、「ソニースクエア」と呼ばれるエリアを設けた点だ。
数寄屋橋交差の角地の建物であるため、本来ならば、角部分に正面入口を設置するのが最適なのだが、ソニービルでは、角部分の33平方メートル(約10坪)に、「ソニースクエア」と呼ぶ屋外公共広場を設けた。
これも盛田氏のこだわりのひとつだ。
銀座の街との一体化を目指し、様々なイベントを開催。1966年のオープン時には、八丈島などから取り寄せた約2000株のあせび(馬酔木)を植えたり、チャリティーイベントを開催。企業や団体などに貸し出すこともあったほか、四季折々の変化に応じたイベントが開催する場として利用されてきた。定番イベントとして固定ファンも多い、大型水槽を使ったソニーアクアリウムや、美ら海水族館との連動イベントも有名だ。銀座を訪れる人たちを楽しませてきた「ソニースクエア」は、電機メーカーの発想を超えた場所であり、多くの人に価値を提供するためのアイデアといえた。
この連載の記事
-
第606回
ビジネス
テプラは販売減、でもチャンスはピンチの中にこそある、キングジム新社長 -
第605回
ビジネス
10周年を迎えたVAIO、この数年に直面した「負のスパイラル」とは? -
第604回
ビジネス
秋葉原の専門店からBTO業界の雄に、サードウェーブこの先の伸びしろは? -
第603回
ビジネス
日本マイクロソフトが掲げた3大目標、そして隠されたもう一つの目標とは? -
第602回
ビジネス
ボッシュに全株式売却後の日立「白くまくん」 -
第601回
ビジネス
シャープらしい経営とは何か、そしてそれは成果につながるものなのか -
第600回
ビジネス
個人主義/利益偏重の時代だから問う「正直者の人生」、日立創業者・小平浪平氏のことば -
第599回
ビジネス
リコーと東芝テックによる合弁会社“エトリア”始動、複合機市場の将来は? -
第598回
ビジネス
GPT-4超え性能を実現した国内スタートアップELYZA、投資額の多寡ではなくチャレンジする姿勢こそ大事 -
第597回
ビジネス
危機感のなさを嘆くパナソニック楠見グループCEO、典型的な大企業病なのか? -
第596回
ビジネス
孫正義が“超AI”に言及、NVIDIAやOpen AIは逃した魚、しかし「準備運動は整った」 - この連載の一覧へ