サイボウズ、さくらのトップが熱血対談!日本のITを斬りまくる 第1回
ブロードバンド前夜に立ち上げた両社の軌跡を振り返る
ネットバブル、受託体質、クラウド……戦い続けた2人の15年
2014年01月14日 07時00分更新
サイボウズ代表取締役社長の青野慶久氏と、さくらインターネット代表取締役社長の田中邦裕氏という日本の次世代ITをリードする2人の対談が実現した。今回はブロードバンド前夜に立ち上げた両社の足跡とクラウド立ち上げに至るまでの背景を語ってもらった。(コーディネーター:TECH.ASCII.jp 大谷イビサ)
サイボウズ株式会社 代表取締役社長 青野慶久(あおの・よしひさ)
松下電工株式会社を経て、1997年、愛媛県松山市でサイボウズ株式会社を設立。取締役副社長に就任し、マーケティング担当として新市場を切り拓く。その後、プロダクト・マネージャー、事業企画室担当、海外事業担当を歴任し、2005年4月に代表取締役社長に就任。2010年、2011年に育児休暇取得。
さくらインターネット株式会社 代表取締役社長 田中邦裕(たなか・くにひろ)
1996年、国立舞鶴高等専門学校在学中にさくらインターネットを創業、レンタルサーバ事業を開始。1999年、さくらインターネット株式会社を設立、代表取締役社長に就任。その後、最高執行責任者などを歴任し、2008年より現職。
「社長会はあると思うけど、はいれてない(笑)」(青野)
大谷:お二方とも初めてという訳ではないんですよね。
青野:2年くらい前に、人づてでお会いしたことはあります。
大谷:IT業界の社長会で、会うとかないんですか?
青野:そういう会はあると思うんですけど、今のところ仲間にはいれていません(笑)。
田中:私は受け身なので、呼ばれたら行くみたいな感じです。
大谷:では、かなり久しぶりということですね。私は、お二方との付き合いもそれなりに長いのですが、改めて会社の歴史とか聞いたことないので、そこらへんあたりから行きましょうか。
青野:さくらさんって創業何年になるんですか?
田中:1996年なので、今年17年目です。
青野:えっ? 意外です。僕らより1年早いんですね。
田中:当時、学生ベンチャーが流行っていて、京都の舞鶴で地元のISPさんにサーバーを貸してもらい、スタートしたのが最初です。もともと私は「サステイナビリティ(持続性)」という言葉が好きで、やはりサーバー運用もお金をもらって継続的にやらないと難しいなあと思っていました。経理はそのプロバイダーに任せて、アルバイト代としてお金をもらって、それを設備投資に充てました。当時、18歳ですかね。
青野:若いですねえ。私は前の会社にいた頃で、もう24か25歳でしたよ。でも、ホスティングってすごく淘汰の激しい世界ですよね。ほかの会社から売ってくれって、言われたんじゃないですか?
田中:確かに。「売ってくれ」って言われた回数は、両手の指の本数じゃ利かないですね(笑)。
大谷:思い返すと、2000年当時はネットバブルで業界中が浮ついてましたよね。アスキーも大変でしたけど(笑)、サイボウズもピンチが何回かありましたよね。
青野:うちの危機は2回かな。1回目は中小企業向けのダウンロード販売が失敗したときで、たぶん2002年に思いっきり減収減益でした。中小企業にライセンスを配りまくるというモデルだったので、要は売り切っちゃったんです。直接販売の限界で、売り切りの限界。そこからパートナービジネスにシフトしていきました。
田中:2回目はなんですか?
青野:これがまさに今回のクラウドに至る所で、4年前にSalesforceが台頭してきたときの漠然とした不安がありました。明確に売り上げが落ち込んだわけではないんですけど、僕たちが戦う相手はもはや「ロータスノーツ」じゃないんだと思いました。
「債務超過で社長を引き継いだ。あのときは大変だった」(田中)
青野:さくらさんはどうでしたか?
田中:うちも危機は2回ですね。最初はネットバブルのとき。けっこうな資金が集まったんで、データセンターを作ったんですが、バブルが去ったとたん、あっという間にお客がいなくなった。
青野:うわあ、それはつらい……。
田中:でも、ストックなので、資産は簡単に減らせない。固定費だけは毎月がんがんかかっている。借金も個人でキャッシングできる金額もはるかに超えていました。そこで、ラック貸しのビジネスは止めて、ベンチャー向けに専用サーバーの価格を仕切り直したんです。
大谷:で、次にWeb 2.0ブームが来ましたよね。
田中:そこで2chの西村さんとか、ホリエモンさんとかが、「お金がないやつは、さくらのレンタルサーバでも使えばいいんだ」みたいなことを言ってくれて、売り上げが一気に伸びた時期がありましたね(笑)。
青野:すごい!
田中:ただ、ネットバブルのあと、私はいったん社長を引いていたんです。その後、やはりインフラだけじゃだめで、自分で需要を掘り起こさなければならないみたいに考えて、オンラインゲームまで始めたんですけど、見事に失敗。2007年に会社が債務超過になって、前の社長が退任して、社長に復帰しました。
青野:確かに、そうでしたね。
田中:債務超過で社長を引き継いだので、あのときは本当に大変でした。でも、あのとき「やはり、私たちはサーバー屋だ」と原点に返ったんです。その原点が石狩データセンターにつながっていくんです。
大谷:さくらに歴史ありですねえ。
田中:でも、私たちも3つ目の危機を迎えていて、クラウド化が進む中で、当社の売り上げが以前のように伸びなくなっているんです。このブレイクスルーをどう解決していくのか? リアルタイムで戦っているところです。5年後に振り返ったら、まさに今が分岐点ですね。
(次ページ、「受託体質の国ってこうなんだと思い、とてもくやしかった」(青野))
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