ツイッターで、1万9000人のフォロワーを集める無職がいる。処之助さんだ。彼が初めに注目を集めたのは、かわいい女の子への愛にあふれすぎたツイート。
「とり肉屋の奥さんかわいいよ!」「とり肉屋の奥さんの顔を見れば雨の日も心が晴れ渡るよ!心の洗濯日和だよ!」と、毎朝欠かさず2か月間、ラブソングを歌うようにえんえん愛を語り、フォロワーたちの心をくすぐりつづけた。
処之助さんの人生が変わったのは昨年の春、東日本大地震が起きたとき。ツイッター、マスコミ、メディアが悲しみのムードにひたっていく中、処之助さんは、「うおー!最高ー!陽気最高ー!助かれー!もっと助かれー!まだまだ助かれー!ひくくらい助かれー!」と、いつものテンションで明るいツイートをつづけた。
その後も変わらず、「バイトの女の子きたー!ぎゃー!かわいいー!死ぬー!」と、心のうちを全力でダダ漏れさせた処之助さんは、1ヵ月後、突如それまで勤めていたWeb制作会社を去ることになる。しかし職を失ってもツイートをやめることはなく、「神様ー!採用ですかー!」「無職っていう肩書き情けないから、無職家って名乗ろう」と、今度は天才的な自虐を始める。
それはまだ日本全体の空気が重く沈んでいたときのこと。職を失い、彼女もいない。にもかかわらず、いつ見ても底抜けに明るく、楽しい処之助さんのツイートは人気を集め、フォロワーを増やしていった。
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仕事と私どっちが大事なのって言ってくれる彼女も仕事もない。わが妄想のツイッター録 |
今年8月には、ツイートをまとめた単行本「仕事と私どっちが大事なのって言ってくれる彼女も仕事もない。」が刊行された。表紙は処之助さんのツイートが好きという漫画家の羽海野チカさん。文芸誌「文學界」(2012年12月号)には、コラム「体を洗おう」を寄稿した。高橋源一郎、松浦寿輝ら錚々たるメンバーと並び、エッセイストとしてデビューを飾っている。
なりゆきとはいえ、いつわりなく自分をさらけ出しつづけたことで、随筆・エッセイの文才が認められた処之助さん。その姿はまるでインターネットの書生のよう。彼のユーモアはいろいろな意味でギリギリなのに、上品なエレガンスを感じさせる。そのセンスの源はどこにあるのか、そして無職になっても明るくいられるタフさはどこで身に着けたのだろうか?
処之助さん本人へのインタビューを通じて、これからはじまる不安の時代を明るく生きる方法を考えてみたい。
日常的なことをセンスよくつぶやきたい
―― 今日は、処之助さんの生き方、考え方を知りたいと思っています。まず、ツイッターを始めようと思ったきっかけを教えてください。
登録は2009年7月ごろにしてたんです。けど何のことかわからず、ページすらいっさい開いてなくて。同じころ、リアルの友だちに誘われてネット大喜利(大喜利PHP)をやってた時期があったんです。お題が出て、3分間で答えて、3分間でみんなが投票して。で、1位の人がまたお題を出して、っていう。いま、10万回くらいお題が出てますね。
―― 10万回!
もっとかな。(大喜利をする部屋に)赤い部屋、緑の部屋ってのがあるんで、10万回×2くらいお題が出てます。その大喜利で「誰が1位とった」「今こんなお題が出てる」っていうアカウントがツイッターにできて。そこからPHPのユーザーがツイッターのアカウントを作り出して、「そういえば俺もなんか持ってたかな」と思って。で、始めたんですね。
―― なるほど。とはいえ、ツイッターでは大喜利の人たちと交流する感じではなかったですよね。かといって、いわゆる「ネタ」を投稿しまくるわけでもなく、どちらかというと淡々とスタートした印象があります。
ツイッターを始めてちょっとした頃、2人くらい、すごい日常的なことをつぶやいてはる人を見つけたんです。自分のことをまったく知らん人に対して、こんなに、ただ単に日常のことをつぶやいてるの、いいなあと思って、自分もそうしたいなあと。
―― いいなあっていうのは?
センスあるなーって。普通、知らない人の日常なんてどうでもいいし、何やったら不愉快じゃないですか、そんなん見せられたら。でも、そう感じさせないのはすごいなって。
―― 短文エッセイみたいなものですかね。
そうですね。こんなことができたらいいなあ、と。