IT業界で働く桜子のビジネスリーダーズインタビュー
会社の原点を消費者に語ろうとする小岩井乳業
2009年01月06日 16時30分更新
ライターでもない、記者でもない一介の女子社員が、IT業界を含め、各界の著名人に体当たりインタビューをして話題を呼んだブログ「VIVA!桜子の超気まま日記」。ASCII.jpでは、ブロガー桜子氏に超気まま日記のASCII.jp版インタビューをお願いした。経営戦略の話よりも、もっと身近な、仕事への考え方や生活スタイルについて、桜子氏が聞く連載第9回目。
私が小さい頃、祖父母の家にはお歳暮がたくさん届いていた。小岩井乳業の澤倉 光仁郎社長にお会いする前の晩、小岩井の製品カタログを眺めていたら急に懐かしい気持ちが込み上げた。幼い頃に冷蔵庫でよく見た瓶バターがあったからである。
あとでその話を社長にしたら、この純良バターは小岩井のフラグシップ的存在で、今から100年以上前に商品化され、昭和50年代は贈答(ギフト)用によく用いられたという。
小岩井の歴史は古く、その名の由来は明治24(1891)年、小野義眞氏(日本鉄道会社副社長)、岩崎 彌之助氏(三菱財閥総帥)、井上 勝氏(鉄道庁長官)に起因する。3名の創業者の頭文字をとって小岩井、となった。
岩手県の南麓に広がる緑豊かな小岩井農場は現在、岩手県の観光名所として名高いが、かつては火山灰の湿地帯という荒野だった。なぜそこが小岩井の原点なのか。
小岩井の歴史は償いから始まった
澤倉 鉄道庁長官の井上氏は鉄道敷設のために美しい田畑を潰してしまったことに心を痛めていたそうです。そして東北本線の工事の視察で岩手県を訪れた際に、その埋め合わせのために農場を作ることを決めたのです。
日本の鉄道の父と謳われた井上氏は広大な荒野を見たとき「こういう土地を開墾し、農牧の利用に供し、その埋め合わせをするのが国家公共のためではないか」といって荒野に莫大な投資を行い、防風林の造成と植林をして土地を生き返らせた。
明治32(1899)年、岩崎久彌(岩崎彌之助の兄で三菱財閥創業者の長男、つまり彌之助氏の甥)氏が小岩井農場を継承し場主となる。
小岩井乳業株式会社が誕生したのは昭和51(1976)年のこと。小岩井農場を所有する小岩井農牧株式会社の乳業部門を分離独立させ、キリンビールとの折半出資により設立された。
澤倉 観光地に来る方は、小岩井農場の『まきば園』を見て農場全体だと思われていますが、本当はその100倍近い広さ、山手線内側の半分、東京ドームの約640個分です。
小岩井農場は900万坪ある土地のうち600万坪の山林を管理している。一説によればその林が吸引する二酸化炭素量は数千万~億円単位の価値(排出量取引額に換算)があるんですよ。
小岩井農場は、山林や環境緑化などの社会貢献や種鶏事業など酪農だけに止まらないさまざまな取組みを進めている。
澤倉 素晴らしい取組みを連々とやっている所に小岩井の「乳」を扱うモノづくりの考え方があります。じゃあ、そこを、きちんとお客様へ伝えきれているのかというと、まだまだ語りきれていないなと思いますね。
次ページ「キリンビールから小岩井乳業へ出向して」に続く
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