前回の記事『小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ』では、弁護士の小倉秀夫さんとブロガーのekken(えっけん)さんが繰り広げている論争を紹介した。
後編に当たる今回は前回に引き続き、ネットコミュニケーションで傷つく人をなくすための対策をポジティブに探りたい。そこで今回はフレーミングに巻き込まれた人の心理や、対策としてのスルーがなぜ有効なのか? またそれはどんなケースなのか? について考えてみる。
では攻撃する側とされる側に分け、ポジショントークをしてみよう。あなたは、まず攻撃する立場になる。次は被害を受けた側だ。それぞれの役割を仮想的に演じることで、両者の気持ちになってみよう。一種のサイコドラマ(心理劇)である。その上でスルーが有効なケースを整理・分析していく。
スルーが役立つ場合の例
1 自分が先に仕掛けそうになったケース
ちょっとしたことにカッとし、相手を口汚く非難するコメントやエントリを書きそうになることはよくある。そんなときには書いた文章をすぐに投稿せず、とりあえずひと晩寝かせてもう一度読んでみよう。
すると「なぜ昨日、自分はあんなにキレていたんだろう?」「あやうくこんなひどい文章を公にするところだったなあ」などと、事態を正しく客観的に認知(情報処理)し直せることがある。自分の突発的な激情を、自分自身でスルーするわけだ。
心理学には認知心理学と呼ばれる領域がある。またストレスなどのせいで否定的にゆがんでしまった認知の仕方を修正することで、精神的な問題を解決しようとするのが認知療法だ。
認知療法の治療者は、クライエント(患者)に自分の感情・思考を文章化させる。文章にして読めば、自分を客観的に見つめ直すことができるのだ。またその思考がわき上がった時点から時間を置けば、ものごとに対する認知の仕方が変わる可能性がある。自分の偏った考え方を客観視することで、ものの見方や思考のクセが修正されるからだ。
では認知の仕方とは何なのか? たとえばあなたが励ます意味で、Aさんの肩をポンポンと叩いたとしよう。するとAさんはあなたの意図を読み取り、「うれしい」「力づけられた」と好意的に感じる。
だがBさんが同じことをされると、「ウザい」「暑苦しいやつだ」「オレをほうっておいてくれ」と感じてしまう。肩を叩くという行為に対し、AさんとBさんでは認知の仕方がちがうのだ。
だけどそれから1週間もたつと、いったんは拒否したBさんが案外こう思い直す。
「心配してくれていたんだな。なのに自分は相手の意図を考える精神的な余裕がなく、反射的に拒絶してしまった。明日、あやまろう」
ものごとに対する認知の仕方は、人によって異なる。また時間を置くと、ゆがんだ認知を修正できる。つまり読んだばかりのブログの記事やコメントに脊髄反射せず、いったんスルーすれば、攻撃的になった認知の仕方を変えるのに役立つのである。
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