世界で最も歴史のある現代アートの祭典、ベネチア・ビエンナーレ。1895年に始まり、今年2024年で60回を迎えた。参加アーティストは300人を超える大規模な祭典だけに、数日かけてじっくり回りたいところ。今回はボローニャからの日帰りの日程で訪問。閉幕まで残り1カ月となった会場を、「日本」を切り口に“つまみ食い”鑑賞した。(art NIKKEI 大石信行)
ベネチア・ビエンナーレは、特定のテーマに基づいてキュレーションされた作品が展示される企画展示部門と、各国が独自のパビリオンを持ち、自国アーティストの作品を展示する国別展示部門で構成する。国別パビリオンのエリアは現代アートの「万博」といったイメージだ。
企画展テーマは「どこでも外国人」
まずは企画展。今回のテーマは「どこでも外国人(Foreigners Everywhere)」。
日本に暮らしていてもインバウンドの観光客や外国人労働者に接する機会が急増しているのは誰もが実感しているだろう。世界に目を向ければ、移民がよそ者扱いされ、増え続ける難民も喫緊の課題だ。企画展では、外国人を通じた多様性の影響――例えば異文化の交差が生むアイデンティティー や社会のダイナミックな変化を、アートを通じて表現している。異なる背景を持つ人々の視点や経験に触れ、作品との対話や共感を通じて、私たちが暮らす社会の課題や問題を考えてもらうことを狙っているようだ。
総合ディレクターはブラジル・サンパウロ美術館のアドリアーノ・ペドロサ・アーティスティック・ディレクターが務める。歴史的に欧州出身者が務めてきたベネチア・ビエンナーレの総合ディレクターに南米出身として初めて選ばれた。
ただ、同ディレクターの意図する「外国人」には、もっと深い意味もあるように感じた。その点について会場を回りながら考えてみたい。
ブラジルの巨匠、トミエ・オオタケやアルゼンチン生まれカズヤ・サカイの作品も
国際展の抽象画をテーマにした会場で、目に飛び込んできたのが「身体性を持った大地と空」といったイメージの鮮やかな色彩の作品。トミエ・オオタケ(大竹富江、1913-2015)が1978年に描いた《Untitled》だ。1913年に京都に生まれた後、23歳でブラジルに移住。同国を代表するアーティストの一人となった。2015年、101歳で亡くなった際、ルセフ大統領(当時)が追悼メッセージを発表したほどの巨匠である。
2児の母となった39歳の時、初めて絵画教室に通いアーティストの道に入った。目隠しをしながら描いたことからブラインド・シリーズと名づけられた初期のシリーズは、すぐに高い評価を得たそうだ。
同じ抽象画のコーナーでカズヤ・サカイ(酒井和也、1927-2001)の作品《Pintura No.9》(1969年)に出会った。ビジュアルデザイナー、評論家、翻訳家であり、現代音楽とジャズの専門家でもあり、アルゼンチン、アメリカ、メキシコの大学で教授を務めた多才なアーティストである。
ブエノスアイレスで生まれ、7歳の時、東京に移り住む。23歳でブエノスアイレスに戻り、絵を描き始めた。日本滞在中には、具体派の画家たちと知り合い、影響を受けたという。展示されている作品はメキシコ滞在中に描かれたが、東と西を舞台に縦横無尽に活躍したサカイならではのユニークな言語性に溢(あふ)れていると感じた。
作品から浮かぶ「内なる外国人」
オオタケ、サカイの作品を見て思うのは、「内なる外国人」の姿だ。
二人とも、外国人として異国に暮らす中で、日本人である自分、ブラジル人である自分、アルゼンチン人である自分、メキシコ人である自分、一つには集約しきれないアイデンティティー、複数の「内なる外国人」との対話の中で作品が生まれてきたのではないかという印象だ。誰もが自分の中に外国人の要素を持っている。そんな要素を受け入れ、対話しようーー。ペドロサの意図した「外国人」にはこんなメッセージも込められているのではないだろうか。
さらに進むと、映画館の観客席を撮影した写真作品に出会った。米国の日系アーティスト、ディーン・サメシマ(1971年-)の作品だ。ロサンゼルスでゲイとして育ち、現在はベルリンに在住。ロスとベルリンを行き来しながら活動している。サメシマについては、生まれた土地、先祖の土地といったことに加え、ゲイであるという異質性も加わる。
ベルリンの成人映画館の中で映画を見る人々を密かに撮影した2022年のシリーズ《being alone》。作品を見つめていると、国籍上は外国人ではなくても、孤独という意味で「実質的な外国人」ともいえる彼らの目線に溶け込んでしまうような感覚に襲われる。
国別展、豪州館が金獅子賞
さて、国別展に移動しよう。
国別展でも、「どこでも外国人」を、真っ向から意識した展示が多かった。
例えば、金獅子賞を受賞したオーストラリア館は、先住民アボリジニのアーチ・ムーア(1970-)のインスタレーション《kith and kin(親類縁者)》(2024)を展示した。真っ黒な壁面には、無数の名前がチョークで描かれ、線で結ばれている。6万5千年以上にわたるアーチ・ムーアの親族の系図が観客を包み込む。中央の舞台にはアボリジニたちの死を記録した無数の検視官の報告書が並べられている。先住民にとっては外国人であった白人移住者による先住民への迫害を物語る書類の山だ。
他にも、米国館ではジェフリー・ギブソン(1972-)のインスタレーションが展示された。ギブソンの両親はそれぞれチョクトー族とチェロキー族の出身。先住民アーティストが単独で代表となったのは米国のベネチア・ビエンナーレの歴史上、初めてである。
ちょっとした「衝撃」の日本館
社会的、歴史的なテーマを「シリアス」に扱う各国展をめぐる中で、毛利悠子(1980-)の作品を展示した日本館を訪れると、ちょっとした「衝撃」を受ける。
日本の地下鉄駅でしばしば出くわす水漏れ対策に着想した毛利悠子の「モレモレ」シリーズの一つとなる《Compose》。ホースやじょうろなど日用品でできた即席の水路が天井からぶら下がる。腐敗していく果物の水分量を音に変換する作品も。
日本館のキュレーターは、外国人初となる韓国のイ・スッキョン。水没の危機に直面するベネチアで、水漏れをテーマにした作品を通じて、気候変動という人類の抱える問題を考える趣旨があるものの、独特な「ファンタジー感」満載だ。
米国のアート情報サイト、Artnetも注目パビリオン7選の一つとして日本館を取り上げ、「毛利悠子のチャーミングで繊細な日本館は(パビリオンの中でも)特に新鮮」と評価している。
異彩ゆえの人気
社会・歴史問題とは別次元のようなファンタジーの世界を作り上げている日本館は、国別パビリオンの中でも異彩を放ち、「外国人」的な存在。しかし、その異彩ゆえに日本館は大変な人気ぶりだった。
世界における日本の「外国人」性をもっと大事にしても良いのでは、と思いながら、会場を後にした。