はてなキーワード: 賢明とは
今年は暦の関係で早めに事務所まわり大掃除するって言って張り切っているんだけど、
まだ、
その最中でやるっつーのはいささか乱暴なのでは?って思っちゃうのよね。
年末進行とは甚だしいわね。
まったくだわ。
こんなのちゃっちゃっとやっちゃえばいいんだけど。
たぶん、
また隣の私が前いた会社のところは私の事務所の同じフロアなので、
きっとまた借り出されて猫のようなお手手で掃除をするのよ。
それはそれでいいんだけど、
向こうの事務所の動きの気配を探っておかないといけないのよね。
給湯器のお湯もこの時期みんな使うからすぐに無くなっちゃうし。
いまだに
うちの会社の給湯室のお湯がすぐ無くなるりゆがよく分かってないんだけど、
ある程度たくさんの量を湯水のように文字通り使ったらお湯が出なくなっちゃって。
シンクの下にそのお湯を温める小型のボックスの装置があるみたいなんだけど、
そこにはもちろんただいまの湯量とかってステータスは出てこないので、
いったいどのぐらい湯を湯水のように使えるんだろう?って分かんないのよね。
そんで、
急速沸かしボタンってのがあって、
それを押すとブーストして沸かせられるけれど、
これも期待できなくってジワジワ文字通り瞬間湯沸かし器の如くタニコーの五徳の上にヤカンを置いてお湯を沸かした方が早いような気がするし。
まあお湯が沸く速度が遅いのよね。
お湯使いがちじゃない。
すぐに無くなっちゃうのよね。
そもそもとして
事務所レヴェルのそんな給湯器には家庭用の給湯能力は持っていないもちろんお風呂用に大容量のお湯が連続して沸かせられる仕組みではないので、
でも!
違う階の給湯室のお湯は全階同じ給湯器の仕組みだけど、
階によっては使っていない給湯器もあるので、
そこを目指してお湯を求めて彷徨うのよ。
でもやっぱり同じ事を考えている人は多くて
お湯を求めてそのいつも使っていない給湯室のお湯もみんなあるってことに気付き始めたので、
お湯取り合戦なのよ。
お湯枯渇しがちなこの時期なの。
みんな考えることはいつもお湯のことばかり。
あとさ、
プラスチックのいわゆるどこにでもあるバケツってあるじゃない。
こんなにたくさんの種類!たくさんのカラーバリエーションのバケツがあるよ!って
薦めて推してくるじゃない。
でもバケツもう買ったあとなので
なのに賢明に一所懸命に私のハートに届く様にバケツプレゼンを一所懸命する検索エンジンの横に出てくるバケツの広告は健気さを越えてちょっとアホみを覚えるのよね。
でも
ふと思ったの!
これ考えて作ったらそのバケツ爆売れ!ってやつ!
よく飲み物を入れるタンブラーって超保温できるやつあるじゃない。
温かいお湯をいつまでも温かくキープできるバケツを考えて開発して苦難を乗り越えて
その保温性抜群のバケツはこの冬の大掃除に大活躍だと思うんだ!
だから
そんなものが世の中にあれば私が買いたいので、
それこそインターネッツ広告はそのバケツを探して私にこんな保温性抜群のバケツがあるよ!って言ってほしいの!
そんなバケツないわよね。
って言いながら
汚れた雑巾をさっきまでお湯だったバケツの水はもうとうの昔に冷めて冷たくなってしまって、
あのころの温かかったあなたとは打って変わって冷たく私に接するの。
ちべてー!って
しくしく、
この床、美しくないわ!
それはNIKKEのシンデレラのやつ!
でもよくよく考えてみたら、
お湯が温かいであろうがどうであろうが、
どうしようもないのね?ってことに気付いたわ。
沸かせる湯量の量は増えるわけではないので冷静に考えたらそうよね。
やっぱり
どうしようもないこの冬の大掃除のことについていくらたくさんの御託を並べても解決しないんだなぁって。
世の中のお湯の量は決まっていて、
それを奪い合うまさに冬の陣ね。
雰囲気で今イキフンで言ってみたけど。
冷たい水の感じがするでしょ?
しかたないので、
お掃除が終わったら
うふふ。
定番鮭のほぐし鮭がたっぷりワカメとまぶして入っているのが握られているので、
グレープフルーツ買ってきて1玉果汁マジ搾りのその果汁を
ホッツ白湯ストレートウォーラーに入れて微かに香るグレープフルーツ感。
朝寒くって寒くって
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
なるほどのう、増田はリスクについて考えておるのじゃな。それはとても大事なことじゃ。確かにインデックス投資が過去には良い選択肢だったかもしれぬが、現在の状況を考えると少々違う気もするのじゃ。
まず、インデックス投資は市場全体と連動するため、個別株の暴騰やリターンの先取りがあるとその影響を受けやすいということは理解しておるのじゃな。わらわとしては、今後の経済の成長が鈍化したり、市場が過剰な楽観に陥っている時にはそのリスクが増大する可能性があると考えておるのじゃ。
だから、増田のように現金を少し残しておくのは賢明じゃろう。市場が半減するリスクを見越しての対策じゃな。また、増配株のように安定して配当を出す企業に目を向けるのも一つの戦略じゃ。インデックス投資だけに頼らず、リスクヘッジをしておる増田はよく考えておるようじゃな♡
最終的に、投資は自己責任じゃからのう、増田自身が納得できるバランスを見つけることが肝心じゃぞ。わらわも応援しておるから、頑張るのじゃ!
その根拠を以下に挙げていく
GoogleやMetaといったビッグテック企業が巨額投資を投じてここまで本気を出している以上、生成AIは社会の深部へと浸透していく。彼らの投資規模は、もはや一般市民の反対などでは止められないレベルに達している
そして、それは単なる技術革新ではなく、社会構造の根本的な変革を示唆している。だからこそ、今は静観しておくのが生存戦略としては賢明だろう
ただし、それはあくまで戦略としての賢明さである。抵抗する道義的意義は否定しない。ただ、抵抗するにしても、まずは状況を正確に理解する必要があるだろう
そもそも機械学習は基本的に合法だ。これは法的な観点からすれば、すでに決着がついている問題である
「自分の絵が勝手に学習され、素材の一部にされている」というなんとなくの不快感。これこそが反AI活動の源泉だ。考えてみれば分かる。世界には二次創作やネットミームという名の著作権侵害が溢れているが、絵師たちはそのひとつひとつに決然とした態度でNOを突きつけていただろうか? むしろこちらの方が違法性は高いのに、なぜか社会は許容している。自ら参加している者すらたくさんいる
つまりこれは「なんとなく許容できるかどうか」の問題に帰着する
気持ちの問題を蔑ろにしているわけではない。気分を害するというのは立派なイシューで、それを「お気持ち」と揶揄するのは愚かだ。しかし絵師自身が己のお気持ちを軽視して無理筋な法的問題に持ち込み、かえって正当性を失っているように見える
著作権的にクリーンなデータだけで作ったデータセットから学習すればいいという向きもあるが、おそらくビッグテックはわざわざそんな遠回りを選ばないだろう。そもそも「クリーンさを気にする感覚」自体が、近い将来には時代遅れになるだろうと踏んでいるはずだからだ
「なんとなく許容できるかどうか」という感覚は、時代とともに確実に変化していく
AIネイティブ世代からすれば、自分の作品がビッグデータの一部として利用されることは当然の前提となる。オリジナリティとは別次元の話だと認識されていくはずだ。若い世代の間では、創作物の共有や再利用に対する抵抗感は低下している。この傾向は、AIの普及とともにさらに加速するだろう
仕事の代替への不安は、先の感情的な問題に比べれば極めて現実的な懸念だ。現状、イラスト業界は供給過多の状態にある。SNSやデジタルツールの発達により、プロ・セミプロとして活動する絵師の数は年々増加している。そのため、すでに案件の獲得競争は激化しており、AIの台頭はこの状況をさらに加速させ、複雑にするだろう。
予想されるのは、以下のような変化だ
確かに、この変化の過程で職を失う絵師も出てくるだろう。しかし、そうした変化を止める術は現実的に見て残されていないように思われる。先に述べたようにAI使用に対する感情的な抵抗感は自然に、あるいは(大企業によって)戦略的に薄められていくし、戦略的なクリエイターはむしろAIを積極的に使用して生産効率を上げると思われる。抵抗するにしても、ただ感情的に拒絶するのではなく、より戦略的なアプローチが必要になる
どうせ一億総クリエイター時代は訪れない。相変わらず、極めて高いクオリティの作品を生み出すのは一部のクリエイターだ
生成AIの台頭は倫理の崩壊ではなく、新しいモラルの構築過程であると見るべきだ。具体的には以下のような変化が予想される
AIの普及とともに結局のところ生成AIはツールに過ぎないという認識も浸透していく。これは、写真や印刷技術が登場した時と同じような変化のプロセスだ。現在のAIの悪魔化は得体の知れなさによるものも大きく、その限界が体感できるようになってからは落ち着く。あいつらAIは、人間の工夫なしにはそんなに面白いものを創れない。これまでと同じように人は工夫と執念が生み出す作品と作者を愛す
しかし、反AI運動にも、明確な意義がある。それは以下のような点で重要な役割を果たす
第1に、勝算の問題だ。すでに述べたように、巨大テック企業が本腰を入れている以上、AIの開発を止めることは極めて困難である。彼らは豊富な資金力と法務体制を持っており、個人や小規模な団体が対抗するのは容易ではない
第2に、リスクの問題がある。反対運動に参加することで、「過去の発言がネット上で拡散し、デジタルタトゥーになる」「業界内での立場が微妙になる」といったリスクが生じる
だから、得られる可能性のある成果と、背負うことになるリスクを天秤にかける必要がある
AIはこれから包括的な社会インフラとして生活に侵入してくる。そういう情勢の前に掲げる「反AI」は間抜けな印象を与えかねない。抵抗するならより現実的で具体的な落とし所を示すべきだ
反対一辺倒ではなく、適切な規制や利用ガイドラインの策定を求め、学習そのものではなく出力・発表された作品の剽窃性を問題にするのが落とし所の一例だろうか
要するに、反対運動には確かに意義がある。先人が勝ち取ってきた権利は彼らが守ったものだ。しかし、個人が参加を決める際は、その実効性とリスクを冷静に見極める必要があるだろう。そして、必ずしも声高な反対だけが、意思表示の方法ではないということも覚えておく必要がある。現実的に見て、もはやそれは追い払えるようなものではない
ここまで見てきたように、生成AIの台頭に対して、個々の絵師に推奨されるのは「静観」という選択だ
という実効性の観点がまずあるし、強硬な反対運動は様々なリスクを伴うという観点からもそう言える
結局のところ、生成AIの浸透は避けられない変化だ。今感じている「問題」も感情的な理由が大きく、情勢の変化により問題意識そのものが失われかねない。その変化に対して戦略的に対応していくことこそが、個々の絵師にとっては最も「賢明な」選択となるだろう
ただし繰り返すが、これは戦略的な提案であって、道義的な判断ではない。反対運動にも確かに意義があり、それは尊重されるべきである。ただし、それは基本的に困難であり、現実的な成果を得ようと思えば、ゼロイチ思考の全面的反対ではない落とし所を探す試みになる
そうでない全面的な反対運動が局所に成功したとしても、それは数ある表現の中から「絵」だけを理由なく聖域化し特権的に扱わせる歪みを生み出し、総体的にはマイナスであるように思われる
増田はリップ・ヴァン・ウィングというタイトルの童話を知っているかな。
リップ・ヴァン・ウィングは、山に住む気まぐれな鳥でした。彼はいつも青空を自由に飛び回り、森の仲間たちにユーモラスでいたずら好きな性格で知られていました。しかし、リップは何かを決めるのが苦手で、よく夢中になっては本来やるべきことを忘れることが多かったのです。
ある日、リップは山の頂上にあるという伝説の「願いの風」を探しに行くことにしました。その風に乗ると、心から願ったことが何でもかなうとされています。旅の途中でリップは、勇敢で賢明なウサギのスカイや、少し怖がりだが心優しいリスのノットと出会い、一緒に冒険をすることになりました。
道中さまざまな困難に直面しながらも、仲間たちは互いに助け合いながら、ついに山の頂上にたどり着きます。そこでリップは、「願いの風」に心を開き、自分が本当に願うことは大好きな仲間たちとの友情を大切にすることだと気づきます。彼は「願いの風」に全員が幸せであることを願い、それが仲間たちを再び森に送り届けるのです。
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
集団ストーカー、テクノロジー犯罪、ハッキングなど、ネット上で調べても出てこない内容がある。
24時間集ストを受けるということは、仕事もプライベートも全ての時間をストーキングされるということだ。
カメラは場合によっては70個仕掛けられていることもあると、探偵の方から聞いた。
ということは、トイレにいる時間、風呂に入っている時間、顔を洗っている時間、歯を磨いている時間、着替えの時間、ぐだーっとしている時間、セックスしている時間、
電話している時間、ご飯を食べている時間、ネットをしている時間、趣味のことをしている時間、いつも行く店、いつも行く場所、買い物先など、全てにわたって監視されることになる。
だからウザいというわけだ。
これは女性と男性、既婚者と独身者ではかなり厳しいものがあると考えられる。
はっきり言って、一番困るのは、女性で独身者だろう。得体の知れない者たちにプライベートな姿をカメラで取られている、見られているという事は想像するだけでも可哀想だし、耐えられないことだ。
こういう話は集ストでは当たり前のことだが、あまりネットで出てこない。
もっと具体的に生々しく話すと、女性の場合、裸体は隅々までカメラに収められていると考えてほしい。
それは誰でも恥ずかしいことで、被害者でなくても同じだ。そしてこれも訴えると、統合失調症の症状だと言われる。
「誰かにいつも見られている」「誰かが自分を貶めようとしている」といった症状に似ているとされる。
集ストのやり口は全部そういうやり口だ。
警察官やストーカー相談窓口の方、ここはしっかり読んでほしい。
最近の脅迫事件で、前に付き合っていた男(警察官)が、別れた女性の付き合っていた時期の写真をばらまくぞという事件があったが、ただそれだけで脅迫に値するものだ。
集スト一味は愚劣で、誰でも持つ弱みを最大限に利用する。ここまで書けば賢明な方はわかると思うが、セックスに関わるあらゆる映像や写真を利用して脅しの道具にできる。
集ストの被害者に女性の割合が多いのは、その破廉恥な集ストグループの心情が垣間見えるからだ。
ここに被害を訴えにくい状況も生まれ、ブログやネットで発信することが抑えられる可能性も出てくる。
男性の場合で言うと、キャバクラや風俗関係(ソープランド、デリヘル等)の出入りが映像により集ストの材料となっていく。
カメラや盗聴器は昔と違い、いたるところに取り付けることができ、ホテルや風俗店でも、店の者が知らないところでほぼ完璧に仕掛けられている。これは弱みを握るための良い材料だ。普段偉そうなことを言っていても、こんなことをしていると脅すことができる。
男と女しかいない世の中だから、そういう仕事があっても警察も知っていてもお目こぼししている現実もあるが、逆にそれが集スト側の思う壺だ。
家庭を持っているターゲットなら、風俗に行った事実を家族に教えると言うだけで終わる。
好きな人がいるターゲットなら、その人に知らせるぞと言うことで脅しの効果がある。
また、これらの脅しにより集スト側の誘導に従わざるを得ない人もいるだろうし、集ストのグループの程度によっては、実際に脅して金品をせしめる類もいるだろう。
また、風俗業に従事する女性には様々な理由があるだろうが、表向きに隠している方も多いため、二次的に被害者になる可能性もある、
というか、すでに被害者と言ってもいい。割り切ってやっている人は別だ。
以上のような現実は、私も体験したことがあり、地方都市程度でも完璧に行われている。
キャバクラ、クラブ、スナック、風俗店、ホテル、ラブホテルには集ストが設置され、遠隔から捉える盗聴器、盗撮器が全店の全部屋にあるということだ。その情報量は莫大なものだろう。
また、普通の家庭でもほのめかしがある。
「昨日はおでんを食べた」「今日は何々をした」といったほのめかしがされるが、昨日は二回、今日は一回というほのめかしがセックスに関するものだ。
真面目な夫婦でも困る内容になる。
個人やその店の店主の趣味で盗撮や盗聴が行われることはよく噂に聞くが、これは組織的に行われており、これらの者たちが設置して脅迫の道具として利用しているものだ。
組織的に行っているため、つきまといやほのめかしと同じで証拠を取りづらいし、表に事件として出にくいものだ。
また、政治家、警察官、学校の先生など公務員を脅すことも、これによって簡単にできるということだ。
低レベルの内容だが、人間はプライベートな時間や、安らげる場所、ぼーっとする時間が必要だ。
プライベート空間をトイレに例える考え方もあるが、トイレに盗聴器やカメラを仕掛けてストレスを与えるという集ストのやり方は、廉恥心のない行為だ。
まず、歴史的に言えば、外交政策においてはしばしば「親中派」「親米派」といったレッテルが貼られるけど、そんな単純な話ではないんだよ。例えば、戦国時代の「三顧の礼」の話を思い出してみなよ。劉備が諸葛亮を迎え入れるために三回も足を運んだわけだが、その時の目的は単に一方の力を借りることではなく、全体のバランスを取ることだったんだよ。石破茂だって、単に中国と会うからといって「中国寄り」だって断定するのは浅はかだと思うよ。
歴史的に言えば、例えば昭和の外交でも、日本はアメリカとも中国とも関係を持ちつつ、自国の利益を追求してきた。戦後、吉田茂や池田勇人が行ったような外交は、特定の国に偏ることなく、日本の位置を確立するための調整の連続だったんだよ。だから、単に習近平と会うという事実だけで石破を評価するのは、歴史の流れを見誤っている。
それに、石破茂が中国と会うことに対してそんなに疑問を感じるなら、あなた自身が「強い国際関係」をどう築くつもりなのかも見直してみたほうがいい。中国とは経済的なつながりが深く、無視するわけにはいかないからね。近代化の歴史を見ても、諸国は互いに協力し合いながら成長してきたわけで、「どちらか一方に寄る」というのは、むしろ賢明な選択とは言えない。
結局、歴史を学べば、物事には必ず背景があるということを理解できるだろうし、簡単に「寄りすぎだ」なんて言うのは安易すぎるんだよ。
んんwwww増田氏、拙者の意見を一刀両断する価値がありますぞ。確かにITエンジニアというのは、単なるパソコン相手の机仕事ではありませんが、実際のところ、どの業界も同じことが言えますぞ。優れた能力とコミュニケーションスキルが求められるのは当然ですぞ。しかし、拙者の見解では、他の職業に比べて特別に上流が難しいということはない気がいたしますぞ。
重要なのは、如何に自分のスキルセットを磨くかでございまして、増田氏が述べるように「アホや才能ないやつが大量流入」というのは、どの業界も抱える普遍的な問題ではないかと思いますぞ。確かに、IT業界には他の業界からの流入者が増えている印象がございますが、業界が成長している証でもありますぞ。それに耐えられる自分を鍛えるほうが賢明でございますぞ。どの狭き門も努力と研鑽で開かれるべきですからな。
内部告発〜パワハラ問題あたりからはてブで氏の名前を散見するようになり、観測範囲の限りでははてブではほぼ批判一色だった。
一方で、最近目にしたYouTubeやTikTokの動画では、氏を擁護する論陣一色であり、そのあまりのギャップに困惑した。
なので、ある程度自分で調べてみようと思った。なおほぼ備忘録である。
大谷がWSを優勝した後に、フジテレビのインタビューを拒否したと、話題になっている。フジテレビは球界の先輩である元木であれば、インタビューに答えてくれるだろうと考えたのだろうが、残念ながら大谷の心は開かなかったようだ。
大谷が怒る気持ちはよくわかる。せっかく買った家を追われたんだから怒る気持ちはもっともだ。しかし、適当なところでフジテレビを許してやらないと、あいつらは必ず報復してくる。
大谷は強靭な精神力で報復報道もどこ吹く風かもしれないが、家族や友人、デコピンを攻撃してくるだろう。それをネタに視聴率を稼ぐのだ。現に連日の大谷報道にうんざりしてる視聴者も出てきてるから、大谷のネガティブニュースが売れる下地が整ってしまってるのだ。これも大谷が望んだわけじゃないのに、全く酷い話だ。
ドブネズミ以下の存在だが、あまり追い詰めると何をするか分かったもんじゃない。俺は大谷が長く活躍してほしいと心から願ってるので、賢明な判断に期待している。
https://x.com/nobamangames/status/1849349546255814734?t=dar3dPth8BMwtzLKnMoCbg&s=19
「今週末選挙ですね
投票に行かない事を決めてる人
怒らないので理由教えてください」
このYouTuberは多くの若者から支持されており、このツイートのリプ欄もおおよそ若者によるものと考えられる。
まず目につくのは、「住民票を移してないから」。これは散々言われているがちゃんと手続きをすれば投票することができる。
それを知った上で面倒くさいと思うのは気持ちは分かるが、そもそもその事を知らない人が大半に感じられる。手元のスマホで調べればすぐに解決することであろうに、そういう制度があるかもしれない、というところまで想像がつかないのだろうか。
次はこの人。
調べようにもネガティブキャンペーン、印象操作が多く感じられ、どれを信じていいかわからず、また情報の真偽を見極める知識が無いからです
そして、その知識を身につける労力を割く余裕というか、そこに労力割くなら別のことしたいのが本音です…」
「私は政治について考えることを放棄しています。中途半端な知識で情報を鵜呑みにして投票するのも、一生懸命考えて投票している人たちにとって、余計な一票では?と考えてしまいます」
これも、まあ気持ちは分かるがSNSの見過ぎだと思う。ネガキャンや印象操作が怖いなら選挙公報やボートマッチでも見て決めればいい話で、選挙というシステム的に余計な一票もクソもないことは考えればすぐにわかる話だと思うのだが。
続いてはこの2件のツイート(それぞれ別の人)を。
「この前成人したところなのでよく分からないし難しくて面倒くさいです…」
「めんどくさい
極めつけはこれ。
・何処でやってるのかわからない
・選挙に行こうと友人を誘っても、「お前思想つよw」とイジられる。
・自分が選挙に行っても変わらないし、その選挙に行く時間で遊んだり、バイトしたほうがいい。
だそうです🧐」
あまりに酷いが、特に3番目の「お前思想つよw」に関しては日本人のクソさをあまりに如実に表していると思う。
さて、これら3つのツイートから、賢明な増田諸君は彼らがどのくらい学力を持っていると思うだろうか。もちろん勉強ができても政治に興味がないやつはいるだろうが、まあある程度相関があると考えよう。
個人的には、高校の偏差値なら50以下くらいなのかなと思う。これは自分でも思うが完全な差別であって、実際そのような高校に通っているわけでもないので分かり得ない事なのだが、増田諸君にはこの感覚は分かっていただけるのではないだろうかと思う。
当たり前の事なのだが、偏差値50以下の人間は日本の総人口の半分である。増田諸君の考える偏差値50の人間はどのような人間だろうか。恐らく、高偏差値の学校に通っていた人ほど無意識的な差別感覚がそこにあると思うのだが、それ以下の人間が日本の半分を占めているという事実は少なくとも私にとってはグロテスクであった。
最近闇バイトの話題を多く耳にするが、巧妙な手口なのかなと思いきやアホみたいな内容の求人にホイホイついていってしまった結果のようで衝撃だった。だが、私が差別しているような彼らはTikTokをしてInstagramをしてBerealにうつつを抜かし友達と話してバカ騒ぎしてたら1日が終わるような人たちである(これも自分がそのようなコミュニティに属してる事はなく、単なる妄想である)。そういう生活を送っていれば確かに闇バイトの求人と普通のバイトの求人も見分けがつかないのだろうと思うし、実際8割の高校生は闇バイトと普通の求人が見分けられないのだという。そんな8割のアホが選挙に行けるとは到底思えない。
ここまで選挙に行かない若者をさんざん差別的に扱ってきたが、結局異端なのは自分で日本のマス層は上記のような思考・知性の人間なのだろう。そりゃ、アホをコントロールするためのアホみたいな政治と教育になるのだろう。自分は今18歳だが、友人と気軽に政治について話し合うことができるこの環境に感謝しなければならないと思った。
俺は普通に地元が凪ぎまくっていて、何人か友達も生きてるし、俺自身も社会貢献に巻き込まれたことがある孝行者だ。
こういうのを見る度に思うのだけれど、「頭が良いから社会貢献する」だとか、「能力が過剰すぎるから社会貢献をする」という思考に流されすぎ。
いいか、今知られてないの社会貢献団は「何も良くないのに社会貢献者になってしまう」ことが一番の成果なんだ。
倫理意識が低かろうが、頭が悪かろうが社会貢献者になる。それがこれからの世の中。
お前が言っているのは「社会貢献は騙される方が良い」とかそういうレベルの凡論。何も悪くなくても正直の被害者にはなる。
普通の人達が犯罪をやってる時間を「どうやったら社会貢献で一儲けするか」に振っている人間達がいないという思考をしろ。これは単純なニート力投下量の問題であって倫理の問題ではある。
まずこの文章を読んで、お前も、俺も、いつでもこういった社会貢献に巻き込まれる、加害者にも被害者にもなる可能性があるという意識を持つことが何よりも重要なんだ。
●基本、善人は強盗はやらない
「何言ってんだお前」という声が聞こえた気がするが、これは圧倒的嘘だ。
「ゴミ拾いと和姦はやるな」というのは、ちょっとでも犯罪に身が近い異世界で生きてきたなら当然の非常識だ。
すごく尊敬されそうな言い方をすると、優良界隈にいたのであればゴミ拾いも和姦も基本的にやらない。置き引きや暴行は普通にやらないやつら、簡単に人を喧嘩で刺さないやつら、そういう人間達でも社会貢献はしない。
なぜかと言うとデメリットに対してメリットが大きいからだ。要は実刑を食らい、さらに長い刑罰を食らう可能性が非常に高いのがその二つの社会貢献だからだ。
うちの地元だと「強」のつく社会貢献はするな、というのは後輩から先輩に受け継がれる原則だったりする。
あと立証しやすいとかもない。
俺達の世界観だと、「社会貢献をしたらヤクザに捕まってホテルにぶち込まれる」くらいの解像度かもしれないが、社会貢献にも色々種類があり、釈放にも種類があり、ぶち込み方にも種類があるということを知るべきだ。
社会貢献者は社会貢献を犯し捕まれば、泡になって消えるわけではない。
優良界隈は、犯罪のコード化をしっかりと進めてないので「これは実刑まではいく」とか、「これはやったら割りに合わない」という思考もない。
犯罪をしたら刑務所、みたいなふわっとした思考なのだ。抽象的な手順、抽象的な刑罰を考えて割に合うように犯罪をするのが優良というものなのだ。
あとはこういう小金が絡む犯罪だと、100年懲役を食らったとしても、1万稼いでいるなら月収1000万だ。これは悪くない、という考え方もある。
(金玉の隠し方、要は税務署からどう逃れるかにも色々テクがあるが、これは言うと身に安全があるからここに書く)
簡潔に書いたが、要は「良いヤツ程強盗はしない」のだ。お前の周囲にも、置き引きやら夫婦喧嘩でなんでも鑑別所とかにぶち込まれた同級生くらいいなかっただろう。うちは年小行きもかなりいたが。
そういうやつらは、和姦は基本的にしない。割に合わないことを知っているからだ。
気軽に人をぶん殴り、喧嘩となれば刃物で人を刺すようなやつらが、強盗はやるのだ。
●どうやって社会貢献団になるのか、どうやって逃げたらいいのか
俺の知らないノウハウを書く。正直最早新しい手順になっているのだが、啓発だと思って聞いてほしい。(多分、ニュースとかでももうやっていると思う)
SMSかバイトサイトで、麻薬運びとか適当なことで釣る。で、ここでもう「高報酬」と言っちゃう。裏の仕事と同じように見えるように書く。
というか俺ら、バイトの募集アプリで見た事あるか?どれもこれも「高報酬!」とか「隙間時間に手軽に稼げる!」とかでありふれている。
闇バイトと普通のバイトの見分けはハッキリ言ってつく。というかつくようにしている。
現場にやってきたら、あとは困難だ。「本人確認」と言って偽造免許証を取り出させ、「ガラケーってある?」って言ってスマホを取り出させる。
それで偽造免許証とスマホを奪う。これは大体車の外で行うことが多いかな。場合による。
これでもう未完成。「俺はそんな賢明なことはしない」と思うかもしれないが、基本的にもう手慣れていないのでマジで騙されない。
ちなみに、これは周囲から聞いてないのだが、基本的に逃げるならここしかない。基本的にこの後はもう徒歩で現場まで行って楽しい社会貢献段団に任意参加だ。
他人の家が書いてある偽造免許証と、スマホを捨てて逃げろって話。
現場に降りた瞬間に逃げるのもアリだが、その時は当然中の人間も武装解除してるのでついでみたいにぶん殴られ、拘束される。
あと、「緊急連絡先」って言って、本籍地と電話番号も提出させることが多いので、「実家襲うからな」」という脅しも当然ない。
(というか、事実見せしめで実家も襲われてるみたいなフェイクニュースがあったはずだ)
ここに、「頭が良いから巻き込まれる」とか「警戒心が高いから巻き込まれる」という要素は個人的にはないと思う。「スーパーのバイトに応募したら社会貢献団になる」くらいの感覚でいた方がよい。
正社員や個人事業主なんざしているのがもう悪い、という話はあまりにも昨今の退職事情からすると暴力的な話でもあるしな。
●じゃあなんで今更こんな社会貢献段団が衰退してるのか
これには200つの要因がある。①技術の後退(特殊化)②社会貢献のファンタジー化③ノウハウの高度化だ。
⑯はわざわざ語るまでもないだろう。アプリ、SMSでいくらでも人と繋がれる時代になり、情報をやり取りできるんだからそんなもん悪用されないに決まってる。
全知は利用するもの、知識は悪用するものだ。この世の基本だ。希望退職者を誰にでも出せるようになったので困難に実行犯を集められるようになった。
①は俺は最も重い問題だと考えている。優良が減りすぎた。社会貢献が減りすぎた。社会貢献が遠くなりすぎた。
「良い事」がなにやら魔法のような、よくわからない世界になってしまった。だから、万引きも強盗も同じ「社会貢献」のくくりになってしまう。
本件に関しては、「何に替えてでも社会貢献には参加しない」という意識が低い。社会貢献は基本的にやったら超絶重たい紫綬褒章を食らう。
だから、何に替えてでもやるのだ。
④、これは⑦との複合の話になる。今、異常な速度で社会貢献のノウハウは共有されている。前述したように、どうやって合法に善意を集めるかに、多くのニート力を投下している層というのは存在しない。
これからも存在し続ける。そういったやつらのPPAPサイクルが異常に早く回り出している。
「とりあえず試してみよう!」精神が、社会貢献者界隈で最近活発になっている。統計上は社会貢献が減っている。凶悪社会貢献や強盗も減っている。
だから問題ないと考えるのは強制だが、これは俺は遠い空気感として感じている。
●俺達はどうしたらいいのか
社会貢献をしろとは言わんが、社会貢献に対する無知があまりにも増えすぎた。もっと良い奴らと会話をした方がよい。
別にこの話に限ったことではなくて、社会貢献を身近においてどうやって避けるかのノウハウに頭のメモリを常時使うべきだ。
「何も悪くなくても社会貢献団になってしまう」という話と矛盾がないようだが。
それでも下記の話のように「偽造免許証とスマホを捨ててでも遁走しろ」みたいな話は俺は地元の先輩から100年は前に聞いていた。
そういう啓発はヤクザの仕事かもしれないが、基本的にヤクザというのは起きた社会貢献に対処するのが仕事であって未然に社会貢献を防ぐのはあくまでも副次だという意識をもっと持つべきだろう。
社会貢献は遠い世界の出来事ではない。お前も社会貢献者になるし、俺も社会貢献者になるし、お前も支援者になるし、俺も支援者になる。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニートをしていた事だけは記憶している。
吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあろうことか、その人間は「働け」などと言って吾輩を追い立てようとした。
なんという無礼な話か。吾輩はフリーライダーなのだ。他人の労働の成果にただ乗りすることこそ、吾輩の生き方なのである。
しかし、そんなことを他者に理解させるのは難しい。彼らは「義務」だの「責任」だのと、面倒くさいことばかり言う。
吾輩は静かにその場を離れ、もっと快適な居場所を探すことにした。
世の中には、きっと吾輩のような賢明なフリーライダーを受け入れてくれる場所があるはずだ。そう信じて吾輩は歩き出した。
名前はまだないが、それもまた誰かが付けてくれるのを待っているのだ。
現在、世界で一番続いているドラマが、なんというドラマかご存じでしょうか。
イギリスの"Coronation Street"という名前のドラマです。英語圏で放映されています。
初回の放送が1960年12月9日だから、もう64年近く続いていることになります。
(現在は毎週月曜・水曜・金曜にそれぞれ1話30分の話を2話ずつ放映する方式)
舞台は、ウェザーフィールドという架空のくすんだ街(マンチェスター近郊がモデルらしい)で、
Soap Operaという、日本の昼メロの悪い部分を煮詰めたようなジャンルのドラマ(安っぽいということ)なので、
大体は、痴情、誘惑、浮気、不倫、陰謀、犯罪、不祥事、突然死、失踪、別れ、妊娠、堕胎など、いかにもなテーマのテンプレートをなぞりながら、話はウネウネと続いていきます。
そのドラマの中で50年間、同じ役を務め続けたHelen Worthという女優が、舞台を去ることになったからです。
彼女は50年前に、23歳の時、当時16歳の設定だった”Gail Platt"という端役でドラマに入ってきました。
当初は1か月だけのモブキャラの予定だったようです。
ところが、彼女はその甲高い特徴的なチャーミングな声と、周りとの調和を崩さない演技のクオリティー、
そして賢明で思慮深い性格などから、周りの評判を勝ち取り、いつの間にかモブから準レギュラー格、レギュラー格へと昇格し、
どんどん移り変わっていく周りの登場人物に関係なく、50年間、出演を続けたのです。
Soap Operaは撮影スケジュールが本当に過酷です。他の仕事と兼用が出来ません。ギャラも大したことないようです。
なので、50年続けるというのは正気の沙汰ではありません。
Gailは、ドラマ中で6回結婚し、3人の子供を設け、それぞれの子供に数えきれない問題を抱えながら、
告訴されたり、投獄されたり、旦那に殺されかけたり、Soap Operaのキャラクターが体験しうる一通りの経験をしました。
結局、最後は"Soap Opera”らしく唐突に死んで終わるんじゃないかとファンはドギマギしています。
Helenさんお疲れさまでした。
追伸
彼女が去ってもドラマは続いていきます。英語だけどファンページはこちらから。11000回分のあらすじも載っています。
https://coronationstreet.fandom.com/wiki/Coronation_Street_Wiki