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はてなキーワード: 訃報とは

2024-12-11

私は誰かの死を願ったことはないが、訃報を大きな喜びをもって読んだことはある。

2024-12-09

とりあえずR.I.Pって言っとけば良い、みたいな奴

著名人訃報が出ると

「え!マジで!?R.I.P」

とか言ってる人がいて、なんか言っとけばOKみたいなノリなのどうなんだろうな

そもそもR.I.Pって墓に書いたり手紙最後かに書く奴なイメージなんだけど違うんかな

2024-12-08

中山美穂訃報記事からいろいろ検索しては周辺の人の記事読んで、でしばらく時間を潰した

不倫相手検索して、音楽家を父に持つアーチストだとか 芸大出てる

ミポリンそういう系が好きなんだなとか思いつつ不倫相手画像検索

前髪の長いカッコつけてる太ったオッサンホリエモン系だなと思い

なんだと嫁がいる、じゃあ嫁はと検索すると中山美穂との不倫騒動の前に死に別れている

名前や顔立ち的に外国人かと思ったが日本とどこかのハーフだとか

死んだ原因は当初明かさなかったが、薬物疑惑ささやかれてジ殺である旨を発表しただとか

一部のアーチスト系というか、死因が薬物ってのもスタイルの一つだと勝手に思っていたが

そして薬物が原因というのも、ほぼジ⚫︎ツだと個人的には感じるのだが

そこは世間的に違うんだなという気づきを得た

違法薬物での中毒は愚かで犯罪

自ら死を選んだのは悲劇的な不幸

みたいな線引きがあるんだなと

思いつくままに検索しながら時間が過ぎてしまった

家事をやろう

2024-12-07

芸能人訃報はすぐ流すのに、韓国戒厳令は全く流さな

テレビ離れ理由だよ、これが。

2024-11-28

訃報があった時にすぐポストするのいかがなものかみたいなポストいちいちうるせーよ

お前何様やねん。そーゆーポストが目立つのがX。もう閉鎖しろ

2024-11-25

JKローリング関連のデマ流言についてのまとめ

https://x.com/Angelof02/status/1860477811368308893

契機となったのは2020年、氏の「女性」という言葉に関するポストから氏への攻撃が始まる。

数日後、自身ブログで長文の声明を出す。

https://note.com/f_overseas_info/n/nb9dee80c5f82

私はトランス女性安全であってほしいと思っている。同時に、私は生得的な少女女性たちの安全性を引き下げたくないのだ。自分女性だと信じている、あるいは女性だと感じているすべての男性バスルーム更衣室のドアを開放したら――そして私が言ったように、今では手術やホルモン治療なしに性別認定証明書が発行される可能性がある――、中に入りたいと思うすべての男性にドアを開けてしまうことになる。これはシンプル真実だ。

その後、ローリングの死を願う#がトレンド1位になり、殺害や自宅爆破予告ハリポタイベント名前を消され…などなど、ローリング氏は苛烈攻撃誹謗中傷を受ける。

そして、英国作家イアン・マキューアン等がローリング支持を表明。

しかし、ハリーポッター俳優トリオローリング氏を非難

ダニエルエマは、若年のLGBTQ支援団体であるトレバー・プロジェクトマーメイドをそれぞれ支援していたが、いずれの団体子どもへの加害の実態が明らかになった。

HPシリーズスリリン勢の俳優たちはローリング氏を擁護

同じくローリング氏を擁護したハグリッド役のロビー・コルトレーン訃報に対して、トランス活動家たちは、

地獄業火に焼かれろロビー

ローリングの支持者が一人減つた」

SNSで喝来した。

2023年2月には、ニューヨークタイムズローリング擁護する記事掲載

当時のスナク首相は、ローリング同調し、ジェンダーイデオロギー批判

2024年3月4月、WPATHファイル流出とキャス報告書により、子どもへの“ジェンダー肯定医療”の根拠の無さや問題点が明らかに

ワールドワイドで吹き荒れたローリング氏への攻撃は何だったのか。

そして、何がトランスヘイトなのか、ローリング氏が本当に差別発言をしたのか、真に理解して攻撃していた者がどれほどいたのか。

https://x.com/_xxMofMofxx_/status/1860116890812834204

2024-11-19

自分の知ってる人たちの訃報が続く…

とか言ってるけど序の口だよ

自分の知ってる大御所が亡くなり

自分の見てたテレビ有名人声優作家が亡くなり

自分の少し上の世代の人たちが亡くなる頃には自分の友人知人の訃報も舞い込んでくるようになる

それが人生

anond:20241119074830

まり思想が絡んでこない内容だと、去年、池田大作訃報が報じられたとき池田大作死亡説陰謀論を信じてた奴めちゃくちゃいたからな。あのときブクマもその陰謀論を信じてるコメントばっかりでびっくりしたわ。

そんな簡単に人が亡くなったことを隠し通せるわけないのに。そこで、巨大宗教組織から可能!とか考え出しちゃうと、もう陰謀論のできあがり。

2024-11-14

anond:20241114102603

アンタがいくつか知らんが、50歳過ぎるとヤバい

自分は50手前の既婚男性だが、ちょっと年上の独身男性マジでヤバいことになってる(結構訃報を聞く)。

玉木不倫山岸凉子天人唐草を思い出したよ

主人公が父の訃報を知らせて駆けつけたら、出張に行ってるはずだった父は知らない女性宅で亡くなっていた

早逝した母の生前から父はその女を愛人にしていたのだった

その女はケバくて色っぽくてタバコを吸う、昔ながらの良妻賢母である母とはまるで違う女だった

「そこには、父が私にこうなってはならないと言い続けた女そのものがいた」

主人公は、中学時代同級生ラブレター送っただけで「はしたない」と叱責されるなど抑圧され続けた人生を思う

妻には高学歴で清楚な女を求めつつ、愛人にはアラフォーミニスカおっぱいを求める玉木はある種の典型的男性像なんだよな

2024-11-13

有名人訃報一覧を眺めてた

平成の中期から令和まで。

この人死んでたのかとか、こんな歳で死んでたのかとか、感慨深い。

ああ、死にたくないなあ。

2024-11-05

よく引用される漫画表現 Top10

~~ 恐怖表現(楳図かずお調)

目を見開き口を大きくあけ、陰影を強くあの画調で表現するやつ

これを書こうと思ったら訃報が飛び込んでくるとは…

~~ 恐ろしい子…!(美内すずえ調)

瞳を書かず、黒バックが良く使われるやつ

でも多分ガラスの仮面以前から表現としてはあった気もする

~~ 強い衝撃でクレーターになるやつ

何が初出かわからないけどAKIRAあたり?

ドラゴンボールとかでもよく見る。派生してヤムチャのやられポーズ

~~ 釣りキチ三平のあのポーズ

28巻の書影の奴

https://ebookstore.sony.jp/title/00117162/id/BT000011716202802801/

最近だとアニメポプテピピックで見た記憶がある

…すまん力尽きた。もっとあるはずだが元気があったら足そう

訃報に「いいね」はどうなの?

前々から気になっていたんだが

訃報タグ医に「いいね」「「Good」まあなんでもいいけど

同意を示すような類のボタンを押すのはどうなの?って思っている

茶化すようなことでも、他人に言うようでもないようなことなのでここに書き捨てる

anond:20241104143959

中興の祖などのよほど業績の大きかった人ならともかく、普通の雇われ社長社葬までやるのは珍しいな。訃報を全社に流したりくらいは一般的にもするだろうけど。

2024-11-04

anond:20240731000615

能川さんの訃報で、また有村さんのことを思い出して検索してみたら、 https://x.com/WARSAW31G が今のアカウントっぽい。

2024-11-01

虹の橋

芸能人訃報に対して親交のあるタレントコメントを出した。

その内容は「彼は虹の橋を渡った」と哀悼表現したのだが、この表現は適切だろうか?

ChatGPT

虹の橋を渡った」という表現は、特にペットが亡くなった際によく使われる言葉で、愛された存在が安らかな場所へ旅立ったという意味が込められていますしかし、近しい関係にあった人の訃報について使う場合、やや違和感が生じることもあります日本語表現としては、厳粛さや尊重を重んじるものが多いため、相手家族ファン配慮する意味で、もっと一般的表現(「ご冥福をお祈りします」「天国へ旅立たれました」など)の方がより適切と感じる人もいるでしょう。

ただし、故人と親しい間柄だった場合、その人なりの表現で伝えたい思いを言葉にしたいという気持ち理解できます

Copilot

虹の橋を渡った」という表現は、主にペットが亡くなった際に使われることが多いですが、人間に対しても使われることがあります哀悼の意を伝えるための表現としては、一部の人々には優しさや慰めの意図が伝わるかもしれませんが、他の人々には違和感を感じる可能性もあります

こうした表現の適切性は、文化個人感覚に左右されるものです。そのため、どのような表現が最も適しているかを考える際には、故人やその家族感情、そしてコミュニティ文化的背景を考慮することが重要です。

Gemini

芸能人訃報に対して親交のあるタレントが「彼は虹の橋を渡った」と表現した件ですね。この表現の適切性について、様々な側面から考えてみましょう。

虹の橋を渡った」という表現の背景

由来: この表現は、ペットの死を悼む際に使われることが多いものです。虹の橋は、天国へ続く架け橋という象徴的な意味を持ち、亡くなったペット虹の橋を渡って天国へ行ったという温かいイメージを与えます

広がり: 近年では、ペットだけでなく、人間にもこの表現が使われることが増えてきました。特に家族や親しい間柄の人を亡くした際に、その人の冥福祈り、安らかな旅立ちを願う気持ちを表す言葉として定着しつつあります

芸能人訃報に対してこの表現を使うことの是非

肯定的意見:

故人の霊魂が安らかに天国へ行ったことを連想させ、温かい気持ちになれる。

親しい間柄だからこそ、故人を想う気持ちストレートに伝わる。

一般的な「ご冥福をお祈りします」という表現よりも、個性的で印象に残る。

否定的意見:

ペットに使う表現人間に使うことに抵抗を感じる人もいる。

宗教観死生観の違いから、不快に感じる人もいる。

芸能人という公の立場人物であるため、よりフォーマル表現が求められる場合もある。

適切かどうかを判断する際のポイント

故人との関係性: 親しい間柄であれば、個人的な感情を込めて表現しても良いでしょう。

故人の宗教観家族意向: 故人や家族宗教を深く信仰している場合などは、その宗教観配慮した表現を選ぶべきです。

発信する場の雰囲気: プライベートな場で親しい人に伝える場合と、公の場で多くの人に伝える場合とでは、適切な表現が異なります

周囲の反応: 自分言葉が周囲の人にどう受け止められるかを考えて、表現を選ぶことが大切です。

まとめ

「彼は虹の橋を渡った」という表現は、決して間違いではありませんが、状況や相手によって適切な表現は異なります。故人への敬意を払い、周囲への配慮を忘れずに、言葉を選ぶことが大切です。

より適切な表現を探したい場合

もし、より適切な表現を探したい場合は、以下のような表現検討できます

冥福をお祈りいたします。

安らかに眠ってください。

彼の温かい笑顔を忘れません。

彼の才能に感謝します。

結論

虹の橋を渡った」という表現は、決して悪い表現ではありませんが、状況に応じて適切な表現を選ぶことが大切です。故人への思いやりを込めて、温かい言葉で故人を偲ぶことが、最も大切なことと言えるでしょう。

補足

この件に関して、より深く議論したい場合は、以下の点について考えてみると良いでしょう。

虹の橋」という言葉意味や由来

異なる文化における死生観

言葉の持つ力と責任

芸能人社会的責任

これらの点について、様々な視点から意見交換をすることで、より深い理解を得ることができるでしょう。

2024-10-31

❌「訃報が続くな」

⭕ 「知ってる著名人死ぬ年齢に私もなりました」

2024-10-26

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ25選(改訂版)

anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20

↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマめっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう

みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェKindle50%還元セールでいろいろ読み返してました

選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。

ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的メモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。

1.ハレンチ学園 作:永井豪 1968年創刊号 - 1972年41号

月2回刊で始まった少年ジャンプ創刊号わず10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。

そんな中、大家永井豪が描いたこ作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部方針は明確であったこである

過剰ともいえる性描写教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである

2.男一匹ガキ大将 作:本宮ひろ志 1968年11号 - 1973年13号

頭文字D湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。

思うに、我々の脳には義理人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志最初であった。

ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクター一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的人間でも、腕っぷしと強靭精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。

3.こちら葛飾区亀有公園前派出所 作:秋本治 1976年42号 - 2016年42号

ジャンプ国民マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治デビュー作は間違いなくその一つであろう。

当初は型破りな警察官両津勘吉ドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代サブカルチャー政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本風景を余すことなく取り込んだ作品となった。

浮世絵江戸庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流庶民日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所日常にしみじみと感じ取るのだ。

4.リングにかけろ 作:車田正美 1977年2号 - 1981年44号

もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義兄弟愛をベースにした極めて現実的作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョー下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる

───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人能力)の要素を意識的に再生産していることである車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ

5.コブラ 作:寺沢武一 1978年45号 - 1984年48号

時代作家に比べ、寺沢武一デビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラ世界観から引用した本格的なSFアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載はさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。

登場人物も読者も無垢10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家絶対コンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊サイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデア寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである

6.キン肉マン 作:ゆでたまご 1979年22号 - (週プレNEWSで連載中)

リングにかけろ確立したバトルマン路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情努力勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージ単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから嶋田SNSの使い方が下手だから

キン肉マンマンガとしてではなく文化的重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙クオリティ関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガ熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。

7.Dr.スランプ 作:鳥山明 1980年5・6号 - 1984年39号

鳥山明訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。

本作は後にDBドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である

言語以前の本能領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというもの存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。

8.キャプテン翼 作:高橋陽一 1981年18号 - (キャプテン翼WORLDでネーム連載中)

Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現たかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。

それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツひとつに過ぎなかったサッカーメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。

9.北斗の拳 作:武論尊原作)、原哲夫作画1983年41号 - 1988年35号

元増田を書いたときブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである

自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプ原風景だった。

強くてカッコいい大人の男が弱肉強食戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガ流行時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。

10.きまぐれオレンジ☆ロード 作:まつもと泉 1984年15号 - 1987年42号

かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。

きまぐれオレンジ☆ロード申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。

まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずはいられない。

11.ドラゴンボール 作:鳥山明 1984年51号 - 1995年25号

鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れ無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。

鳥嶋和彦意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガ金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。

11年に渡る孫悟空冒険をもって、鳥山明日本マンガ文化世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身手塚治虫赤塚不二夫つげ義春萩尾望都藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである

12.聖闘士星矢 作:車田正美 1986年1・2号 - 1990年49号

車田正美リンかけ過去ジャンプ作品再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。

彼はギリシャ神話宇宙子供向けと大人の女性向け、劇画プラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美世界前人未踏領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。

13.ジョジョの奇妙な冒険 作:荒木飛呂彦 1987年1・2号 - (ウルトラジャンプで連載中)

ある一定世代人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまら作品という評価が下されることがあり、そこには50%事実と、50%の誤った認識が含まれている。

荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間果たして何人いただろう?

幽波紋と、理不尽能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものであるキャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引き領域に落とし込むことに成功したのだ。

我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出し表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガ世界に誘ったのである

続き→anond:20241026155213

2024-10-17

訃報俳優西田敏行さん(76)が死去

なーむー

訃報って漢字が悪いよね

トじゃなくてフにしよ?

訃報になんか感傷的なコメントして悦に浸るやつ

不祥事暴言吐くのとか同類醜悪さを感じる

2024-10-07

はてなって令和の週刊誌だよね

病気子供の進学、高齢芸能人訃報政治の話で埋まってるはてなって20年前くらいの電車の中ずり広告で見た週刊誌の内容にそっくりなんだよな

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