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2024-12-13

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(補遺

 anond:20241213001612の補足編(多分続くので1とした)である

 こんな話題に食いつく人などいないと思ったが、いたので嬉しい驚きだった。今回はコメントを見てみたいと思う。あとやっぱりヴィルトゥオーゾ系の曲はまた別に七選作ろうと思う。超絶とパガ超パガ大が別にあるとはいえ演奏会練習曲集1つとノルマの回想だけではさみしい。

リストリスト

前期のブコメちょっと笑ったが、実はリストの両親のスペルはListである(マジ)。

ピアノソロ曲じゃないけど、リストピアノ協奏曲第1番を聴くと過度にゴージャスでなんか笑えてくる。フリードリヒグルダチェロ協奏曲を聴いたときの笑いに似た感じ。

トライアングル協奏曲命名リスト政敵エドアルト・ハンスリック)ねw スター時代の曲だが、実は循環形式を大々的に活用した野心作で、ピアノソナタ ロ短調の前段階にあたる曲の一つという。

6,7年前だけど中学校音楽で習ったよ

今はやるのか。前期編でうかつに音楽史上の重要性はバッハベートーヴェンに劣ると言ってしまったのだが、音楽史上重要作曲家というのは、ナショナリズム時代様式となった近代以降現在までの歴史認識の上で成り立っていることが多い。バッハが再評価されたのはドイツナショナリズムの高揚なくしては考えられない。ベートーヴェンだってそうだろう(彼の曲にはフランス革命への共感という要素が強くあるが、一方でドイツ民族古典の頂点とみられている)。リストナショナリズム歴史認識からは扱いにくい。リスト音楽史上最も評価されているのは新ドイツ派の旗手として、特に交響詩様式確立させたことであり、紛れもなくドイツナショナリズム文脈だ。ピアノ表現技法を著しく拡大させたという点については、扱いが薄い。ピアノ楽器王者だが、一方で知名度の壁を貫通して義務教育レベルまで到達してくるピアノ曲がどのくらいあるか。タールベルクをはじめとして同じような貢献をした19世紀ヴィルトゥオーゾたちの名前ピアノ史を詳しく調べなければ出てこない。

リストの両親はドイツ系だが、ドイツナショナリズムに含めにくいオーストリア人※でしかも当時のハンガリーまれ(ということはハンガリーではリスト少数民族になる)、生活パリフランス語話者とつかみ所がない。ショパンパリ活躍したコスモポリタン的な人物ほとんどの曲がピアノ曲だが、生まれも育ちもワルシャワからそう遠くない近郊地帯といっていいと思う。何よりポーランド分割に憤り、ロシア皇帝のお誘いを断ってでも「亡命ポーランド人であることを貫き通した生き様は、ナショナリズム歴史認識に乗せやすい。彼の「革命」(op. 10-12)などが記憶されているのも多分にそのせいのはずだ。

オーストリア支配するハプスブルク支配多民族帝国チェコスロヴァキアハンガリールーマニアetcの「民族牢獄」と呼ばれた)なのでドイツナショナリズムによる国家統一不可能である歴史上「大ドイツ主義」が挫折したのはそのせい。

生演奏を聞いた伊藤博文が「連れて帰れないか」と言ったそうな。

そう言い出したので慌てて西園寺公望が止めたという話がありますけど本当なんでしょうかね。無理を言ってでも連れて来てくれれば、日本音楽界も違ったものになっただろうになぁ。

巡礼の年イタリアチョ・ソンジンが最高だった。ダンテで涙出た(リサイタルで聴いた)けど、音源は出してないんだ。。。/ロルティも好きです。

浜松ピアノコンクールライブ映像があるがやばいhttps://www.youtube.com/watch?v=_nG3CyuNC00/このライブ録音のCDがほしい)。本当に15歳だったのかこの人(結果は優勝)。

有名なラ・カンパネラはパガニーニ練習曲に含まれる曲。改訂を経て、軽薄だけどわかりやす演奏効果の高い第3稿を決定稿としたリスト時代を見抜く目があったと思う。

やべぇよやべぇよガチの人来ちゃったよ・・・

いつも見ております。おかげさまでピアノ協奏曲のオレイニチャク盤に巡り会いました。ありがとうございます

コメントしたアーノンクールこと「コスモピアニスト」氏はショパンラヴェルCDレビューを大量にHPに書いている(https://www.asahi-net.or.jp/~qa8f-kik/index.html)。

ショパン元カノマリーとの関係をぜひkwsk(もはや音楽関係ない。いや、むしろ音楽性に影響があったとか?w) あの時代作曲家界隈のドロドロネタで本が書けそうですね。

サロンありがちなドロドロした人間関係の方がもはや興味あるの分かる。正直私にはちんぷんかんぷんなので誰かマリーに焦点当てた本書いてくれないか

良し悪しはさておき重要曲としては音楽史的にも無調のバガテルは外せないのでは?

え?入れたけど

学生時代エステ荘の噴水を弾いて大人になりローマ近郊のエステ荘の噴水を見に行きました ^_^ https://maemuki.hateblo.jp/entry/2013/01/26/005305

リンク拝見しました。10年以上前にこの記事読んでました。実はこの記事を読んで本格的に「エステ荘の噴水」に開眼しています。そんな人が逆に読んでくださって本当に嬉しい。

クラシックはよーわからんけど超絶技巧ピアノといえばワイはやっぱり東方Projectピアノアレンジが好きやで(以下略

話題についていけないならとっとと負けを認めればいいのに

https://anond.hatelabo.jp/20241212212539

 言及でついた※から後者の下についてるコメント(前者の反論?)がいうように勝ち負けの問題ではないから好きにやれば良い。それよりたったこれだけしかないんですか? もっとあるでしょ。MIDI音源で作ってる人も含めて。ピアノ編曲の善し悪し含めて知らん奴に布教してくれたら最高や。

ブコメ

詳しくない分野の熱烈なテキストを読む快楽は他に代え難い。みんなどしどし書いてほしい。

が言う通りだと思う。

リストは手が大きい。彼の曲は日本の小柄な女性はいくら手を広げても弾けない曲がある。そしてその曲の美しさよ。どうやっても届かないあの美しさに悔しさと羨ましさで恍惚となってしまう。

ロルティペトロフ、あるいはヴォロドスのようにその恵まれまくった体から繰り出される力強い響きと(特にロルティは)恐ろしく繊細な音色コントロールを見ると確かにそうだなあと思う。でも、ノ・イェジンのように、小柄な体で「ノルマの回想」を弾いている人もいる(映像あった/https://www.youtube.com/watch?v=gostiJcVod4)。小柄な日本女性ピアニストリストの曲に果敢にチャレンジしている動画結構ある。昔何かのコンクールリスト編の「ギョーム・テル」序曲を弾き出した勇者がいて驚いたことがあったが、その人も女性だった(多分これだったかな?/https://www.youtube.com/watch?v=GRYLy8O3VIQ)。アムラン同様大変なテクニシャンであるティーヴン・ハフも痩身小柄な体型をしている。何度かコンサートに行ったが「ダンテを読んで」では顔を真っ赤にして渾身の力で演奏していた。多分手や体が小さいなりにやれることはあるのだと思う。日本人が無理してドイツ人のような歌唱法を真似して喉を痛めるみたいな話を声楽をやっていた人からいたことがあるのだが、似たような問題なのかな。

追記

anond:20241213202638 で以下のような有難い指摘があった(リストハンガリー人としての意識からLisztと綴ったという旨)。なるほどと思うと同時に、自分の話は出典が思い出せなかったので、消しておいた(できれば何か出典があると助かる)。

マジャル語ではszの綴りで/s/を表すので

音通リスト発音させるためにLisztと綴ったのだ。

単なるsはマジャル語で/ʃ/になるから

Listだとマジャル語読みでリシュトになってしまう。

ファーストネームリスト自身はFerenczと綴っていたことがうかがえる。

それと多分同じ人だと思うが、ハンスリックの上の名前はまったくの誤記で、こちらも感謝する。訂正しておいた。

(再追記ウォーカーの本でしたかありがとうございます!!!

2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(中期)

 anond:20241212205415の続きである

 マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリスト風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフ軍人ザインヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌ出会う。コンサートツアーリストキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目リストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベル金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストピアニストとしての活動打ち切りカロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマール宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌ博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということであるカロリーヌ身分を巡る微妙問題に加えて、音楽界の動向的にもリストドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規ピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリスト確立する重要時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年パガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。

1. 超絶技巧練習曲 S.139(1852年出版

 リスト代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれた。

 この曲集の決定的な録音はウラジーミルオフニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。

2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版

 1840年出版パガニーニによる超絶技巧練習曲改訂版。元々の第4曲は単音アルペッジョになり大分おとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げて今の形になった。

 40年のパガ超と違い録音は多い。有名なのはアンドレワッツEMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるがどれも安定の演奏。その他だとフィンランドピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCDNAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを聴くのがいいだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。これも大変安定していると思う。

追記)レカリオはNMLにもiTunesにあった(Raekallio Lisztででてくる)。YouTubeにもあった。https://www.youtube.com/watch?v=SkuWa2HDk58&list=OLAK5uy_kN6U4dNkOzK4Cv1DZfZDWoidTcP7yPxr8

3. ピアノソナタ ロ短調 S.138(1854年出版

 ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタ落ち目ジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンリストソナタはその例だろう。リストソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララタラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリスト最高傑作の一つとして評価されている。

 リスト最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリSONY)の演奏をよく聴いている。

 なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコHyperionHelios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。

4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版

 ショパン1832年パリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏女性たちの心をわしづかみにした。リストショパン演奏に狂った一人である(またかよ)。リストショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リスト片思いだったのかもしれない。ただし、ショパン練習曲作品10リストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパン練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である

 これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネスEMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。

 (追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソンゲルナーレーベル覚えてない)の演奏もの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTube動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09oコンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな

(再追記ゲルナーあった!(https://www.youtube.com/watch?v=m90vsN3SjvM配信もあるのかな。

5. ハンガリー詩曲第1~15番(1851/53年出版

 トムとジェリーで有名なハンガリー詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リスト採録しているのはハンガリーマジャール)ではなく、ロマ音楽なのだが、リストは、ロマ民謡を素材に使ってハンガリー民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャールからドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。

 ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーリストの再来とされていたかシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自カデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作ジャズカデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニスマツーエフBMG)、ラフマニノフカデンツァ使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCD廃盤倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。

 第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。

 なお、15番以降19番までハンガリー詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。

6. タンホイザー序曲(1849年出版

 リストドイツ宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナー作品積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分タンホイザー序曲が単独では最上作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。

 ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューローワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナー不倫し、リスト激怒する(後に和解)のだが、自分マリーやカロリーヌやらせいたことだ。

 タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリン気合いが入った演奏https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リスト編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである

7. 詩的で宗教的な調べ(1853年第3稿出版

 30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリスト敬虔さが音楽昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。

 この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽

 全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白いグバイドゥーリナシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。

 宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢劇場でのトラブルカロリーヌ身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。

追記

 前期のところに、ベートーヴェン交響曲ピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。

 リストベートーヴェン交響曲を全曲編曲しているが、初版出版1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別出版されていたようだ。リストピアニスト時代からベートーヴェン作品布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンベートーヴェン記念碑建設のために多額の資金提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマン作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。

 リスト作品の中でも記念碑的なものになるが、コンセプトは幻想交響曲編曲同様なので泣く泣く割愛した。

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(前期)

 最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。

 フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれ作曲家リストハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリ成功を収めた関係フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノ表現可能性を著しく拡張たからだ。膨大なリストピアノ作品から7選ではきついので、リスト活動時期に区切って7選ずつということにした。

 クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的内向的音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。

 リストピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパン場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソンアシュケナージ横山幸雄も作ってますね)、レコード会社企画モノで複数ピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。

 しかリスト場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数ピアニストを起用しているNAXOSリストピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独リストピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリーハワードCDHyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワード全集を推薦するわけにもいかない。とはいえハワードのおかげで取り敢えずリストピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードCDを一巻ずつ紹介している古くからサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。

 リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リスト場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマール宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着け作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌ出会いヴァイマール宮廷楽長に就任するまでだ。

 作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲区別にとって大事になる。しかし、リスト作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリス音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)であるWikipediaにもサール番号順のリスト作品一覧があるので参照されたい。

1. 48の練習曲 S.136(1827年出版

 彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品リストハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラムNAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版24練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。

2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版

 タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体こちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔サバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リスト熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響可能な限りピアノ再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニベルッチ(CD未所持)は公式YouTube演奏動画アップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスやすいだろう(録音は一番良い気がする)。

3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版

 1828~34年に欧州コンサートツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂ファンを獲得した。リストパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品から編曲だ。ヴァイオリン技法ピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニ原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。

 かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympia再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフ演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベル演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。

 困ったことにペトロフ映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。

4. 旅人アルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺ヴェネツィアナポリ」(1859年改訂版

 ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リスト1834年からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダル芸能人特権

 特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的パリ帰国も挟みつつ)スイスイタリアへの旅行順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。

 旅人アルバムは、スイス旅行で見聞きした風景民謡モチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景芸術作品から受けた霊感表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。

 旅人アルバムほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹小説中に登場したせいでクラシック音楽CDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドスSONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リスト最高傑作の一つであるダンテを読んで:ソナタ幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマわず色々いる。

5. ベッリーニオペラノルマ」の回想 S.394(1844年)

 幻想交響曲もそうだが、リスト作品の多くを他作品編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。

 今ならフィリペツの映像https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾマルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスベンジャミングロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。

6. 三つの演奏会用練習曲1849年出版

 40年代作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサート披露して喝采さらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風特に「ため息」は有名でよく弾かれる。

 第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。

7. ノンネンヴェルトの僧房ピアノ初版1843年出版

 スイスイタリアマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリスト演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。

 41~43年の夏にリストマリーはライン川中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたものシャルルマーニュ武将ローラ戦死誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数ヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年バージョンアンスネスEMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。

 華麗なオペラものシューベルト歌曲編曲魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。

2024-11-05

重要な〇〇n選

増田内で流行っていたが読んでない。つまらから。正確には最初の一つを斜め読みしてその他は全く読んでない。

重要な」っていうからには声価の定まったものになる。「ドラゴンボール」「ドラえもん」「スラムダンク」とか羅列されても、はあそうですねと言うしかない。

誰か端倪すべからざる人物による「俺の独断偏見による偉大なマンガ10選」なら読む価値がある。

あるいは匿名でも「知られざる傑作漫画10選」なら面白いかもしれない。

ーーーと、n選フォーマットをここまで否定してきたが、さすがにそんなことはわかったうえで楽しんでるんだと言いたいことだろう。

「☓☓が入ってないぞ!」とかガヤガヤ言ったりするのが楽しいんだと。それを見越して補遺言及するのが妙味なんだ云々。

それ以前に、どうやら人はわかりきった話が好きである。俺は嫌いだが。「3大〇〇」「〜〜四天王」みたいなフォーマットに意外なものが挙がってくることはない。みんな知ってるスゲーものをスゲースゲーと反芻するかのように賛美することは「おもしろい」らしいのだ。

あるいはレシプロ戦闘機最強は?野生動物タイマン最強は?三国志武将最強は?みたいな、決められた枠の中での格付け話もオタクは大好きだ。

江戸時代からの何でも番付文化というのもあったな。知らないやつのために書いておくと相撲番付体裁で(たとえば)日本各地の温泉地をランキングにするのだ。

ああそういえば投票なんかしてない謎の「ランキング形式」というのも番付の変種だな。

「格付けを喋喋する快感」の本質は何だろう。ある程度普遍的感覚のはずだが、俺はそういうのがわからないほうだ。お前らが大好きなことはたいがい俺はそうでもない

2024-06-05

I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える (11)

補遺 OOMを駆け抜けるこの10年か、それとも破綻

私は以前、AGIへの短期的なタイムラインには懐疑的だった。その理由ひとつは、この10年を優遇し、AGI確率質量を集中させるのは不合理に思えたかである(「我々は特別だ」と考えるのは古典的誤謬のように思えた)。私は、AGIを手に入れるために何が必要なのかについて不確実であるべきであり、その結果、AGIを手に入れる可能性のある時期について、もっと「しみじみとした」確率分布になるはずだと考えた。

しかし、私は考えを変えました。決定的に重要なのは、AGIを得るために何が必要かという不確実性は、年単位ではなく、OOM有効計算量)単位であるべきだということです。

私たちはこの10年でOOMsを駆け抜けようとしている。かつての全盛期でさえ、ムーアの法則は1~1.5OOM/10年に過ぎなかった。私の予想では、4年で~5OOM10年で~10OOMを超えるだろう。

https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/this_decade_or_bust-1200x925.png

この10年間、我々はOOMの数を競ってきたが、2030年代初頭以降は、ゆっくりとしたスローグに直面するだろう。

要するに、私たちはこの10年で1回限りの利益を得るための大規模なスケールアップの真っ只中にいるのであり、OOMsを通過する進歩はその後何倍も遅くなるだろう。もしこのスケールアップが今後5~10年でAGIに到達できなければ、AGIはまだまだ先の話になるかもしれない。

まり、今後10年間で、その後数十年間よりも多くのOOM経験することになる。それで十分かもしれないし、すぐにAGIが実現するかもしれない。AGIを達成するのがどれほど難しいかによって、AGI達成までの時間中央値について、あなたと私の意見が食い違うのは当然です。しかし、私たちが今どのようにOOMを駆け抜けているかを考えると、あなたのAGI達成のモーダル・イヤーは、この10年かそこらの後半になるはずです。

https://lh7-us.googleusercontent.com/docsz/AD_4nXe0r6fnJI53YqKa4sRV8xUwQtJLVqoBk16MCRwi8PYQWnOifB3rGVIl-3FbSdDosEIHyAnVe3xdni6Wy5MG1J020VeIM14qeZ25X4QMAvQQ1hVMxT9oey0h5Nae64Hy44P-ujLKOQb_WXM5ushSj3-2at8?key=dBAH1mD-mi8jAGZnPZl-1g

マシューバーネット(Matthew Barnett)氏は、計算機と生物学境界だけを考慮した、これに関連する素晴らしい視覚化を行っている。

I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える (1)

2027年までにAGIが実現する可能性は極めて高い。GPT-2からGPT-4までの4年間で、私たちは〜未就学児から〜賢い高校生までの能力を手に入れた。計算能力(~0.5桁またはOOMs/年)、アルゴリズム効率(~0.5OOMs/年)、および「趣味のない」向上(チャットボットからエージェントへ)のトレンドライントレースすると、2027年までに再び未就学児から高校生規模の質的ジャンプが起こると予想される。


見て。モデルたちはただ学びたいだけなんだ。あなたはこれを理解しなければならない。モデルたちは、ただ学びたいだけなんだ。

イリヤスーツバー2015年頃、ダリオ・アモデイ経由)

GPT-4の能力は、多くの人に衝撃を与えた。コードエッセイを書くことができ、難しい数学問題を推論し、大学試験突破することができるAIシステムである。数年前までは、これらは難攻不落の壁だと思っていた。

しかGPT-4は、ディープラーニングにおける10年間の猛烈な進歩の延長線上にあった。その10年前、モデル犬猫の単純な画像識別するのがやっとだった。4年前、GPT-2は半可通な文章をつなぎ合わせるのがやっとだった。今、私たちは思いつく限りのベンチマークを急速に飽和させつつある。しかし、この劇的な進歩は、ディープラーニングスケールアップにおける一貫した傾向の結果に過ぎない。

ずっと以前から、このことを見抜いていた人々がいた。彼らは嘲笑されたが、彼らがしたのはトレンドラインを信じることだけだった。トレンドラインは強烈で、彼らは正しかった。モデルはただ学びたいだけなのだ

私は次のように主張する。2027年までには、モデルAI研究者エンジニア仕事をこなせるようになるだろう、と。SFを信じる必要はなく、グラフ上の直線を信じるだけでいいのだ。

https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/base_scaleup-1024x790.png

過去と将来の有効計算量(物理計算量とアルゴリズム効率の両方)の大まかな見積もりモデルスケールアップすればするほど、モデルは一貫して賢くなり、"OOMを数える "ことによって、(近い)将来に期待されるモデルインテリジェンスの大まかな感覚を得ることができます。(このグラフベースモデルスケールアップのみを示している。)

この記事で取り上げた一般的推定に基づく、効果的な計算物理的な計算アルゴリズム効率の両方)の過去と将来のスケールアップの概算。モデルスケールアップするにつれ、モデルは一貫して賢くなり、「OOMを数える」ことで、(近い)将来に期待されるモデルインテリジェンスの大まかな感覚を得ることができる。(このグラフベースモデルスケールアップのみを示している。"unobblings "は描かれていない)。

この作品では、単純に「OOMを数える」(OOM = order of magnitude10x = 1 order of magnitude)ことにします。1)計算、2)アルゴリズム効率(「効果的な計算」の成長として考えることができるアルゴリズム進歩)、3)「アンホブリング」(モデルデフォルトで足かせとなっている明らかな方法修正し、潜在的能力を引き出し、ツールを与えることで、有用性を段階的に変化させること)の傾向を見ますGPT-4以前の4年間と、GPT-4後の2027年末までの4年間に期待されるそれぞれの成長を追跡する。ディープラーニング効率的な計算のすべてのOOMで一貫して向上していることを考えると、将来の進歩予測するためにこれを使うことができる。

世間では、GPT-4のリリースから1年間、次世代モデルオーブンに入ったままであったため、ディープラーニングは停滞し、壁にぶつかっていると宣言する人もいた。しかし、OOMカウントすることで、私たちは実際に何を期待すべきかを垣間見ることができる。

結果は非常にシンプルだ。GPT-2からGPT-4への移行は、時々まとまりのある文章を並べることに感動的だったモデルから高校入試エースになるモデルへの移行であり、一度だけの進歩ではない。私たちOOMsを極めて急速に克服しており、その数値は、4年以上かけてGPT-2からGPT-4への質的ジャンプさらに~100,000倍の効果的なコンピュート・スケールアップが期待できることを示している。さらに、決定的なことは、それは単にチャットボットの改良を意味しないということだ。"unhobbling "利益に関する多くの明らかな低空飛行の果実を選ぶことで、チャットボットからエージェントへ、ツールからドロップイン・リモートワーカーの代替のようなものへと我々を導いてくれるはずだ。

推論は単純だが、その意味するところは注目に値する。このような別のジャンプは、私たちをAGIに、博士号や同僚として私たちそばで働くことができる専門家と同じくらい賢いモデルに連れて行く可能性が非常に高い。おそらく最も重要なことは、これらのAIシステムAI研究のもの自動化することができれば、次回のテーマである強烈なフィードバックループが動き出すということである

現在でも、このようなことを計算に入れている人はほとんどいない。しかし、AIに関する状況認識は、一歩下がってトレンドを見てみれば、実はそれほど難しいことではない。AI能力に驚き続けるなら、OOMを数え始めればいい。

続き I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える (2) https://anond.hatelabo.jp/20240605204240

2024-04-08

不思議体験をした。

気まぐれにchat gptに「円周率計算するプログラムを書け」と指示した。

いつものごとくchat gptはそれっぽい結果を返す。

数学的には円周率はある級数無限和で計算されるので、

級数の和nを入力するとそこで計算を打ち切って近似値を計算するプログラムということらしい。

なるほど、いかにもありそうな感じだ。

試しにいくつかのnでchat gpt計算させてみるとたしかに近似してるっぽい数値になっている。

そこで、chat gptの主張する公式(「レーマン公式」とか言っていた)をググってみると、

どうもそんな公式存在しないらしい。

ははーん、なるほどこれはいものchat gpt君の虚言癖だなと、

手元のphython環境でそのコードを実行してみると、案の定、chat gpt計算と違う結果になった。

これだからaiは信頼できないと、chat gptに嘘つきとチャットする。

不思議なのはここからで、

なんとソースに誤りがあったと修正版を提示してきやがった。

どうせデタラメだろうとphython環境でそのコードを実行してみると、今度はピタリと一致した。

nを増やして繰り返してみると、確かに真の円周率(3.141592653589793..)に収束しているように見える。

存在しない名前の、既知の公式に一致しない数式から書かれたプログラムが、

しか円周率計算できているようだ。

なんかこわい。

補遺1.

chat gpt の出力した公式は下記:

このプログラムでは、レーマン公式使用して円周率(π)の近似値を計算していますレーマン公式は、以下の無限級数を用いて円周率を近似します。

\pi \approx \sqrt{6 \sum_{k=0}^{n} \frac{1}{(k+1)^2}}


補遺2.

n=4000での円周率の近似値は 3.141568780556039 なので収束率はかなりわるい。

補遺3.

訂正

数式自体は正しいようだ。

https://ameblo.jp/power-of-yukichan/entry-12390630815.html

2023-02-06

法律上結婚意味シュリンクすることの試案

そもそも同性婚を主張する人はなぜ「結婚」という状態にこだわるのか考えてみた時、本邦における「結婚状態」には少なくとも2つの期待がかかっていることに気づく。仮にA、Bと整理しよう。

整理
A

現在 or 近い将来に子を持ち、次世代を育む意志を持っていることを確認する機能

この機能はそのペア政府社会から出産子育て支援を受けるに値するか確認する場面で使われる(ここでの支援には、配偶者控除扶養控除、生まれた子に社会が出費することも含む)。国という組織が、自らの末長い存続を所与とするのであれば、これを実現する認証手段としての結婚制度化し、彼/彼女支援することは合目的といえる。

B

互いがパートナーと扱われることを望んでおり、現に権利義務を共有する共同体であることを確認する機能

この機能は、他者が「その二人を共同体と見なせるか」を確認する場面で使われる。保険医療不動産関係イメージやすい。また、高度に契約社会と化している現在では、公的私的わず簡易にこれを実現できる手段を国が運営することもまた合理的と言える。

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問題なのは結婚という枠組みがAもBも成してしまっているが故に、Aだけ使いたい時にBが、Bだけ使いたい時にAが邪魔になる場面があることである

例えばAの機能をより大きく捉えている人にとっては、同性婚は納得し難いだろう。その認識において「結婚状態」にある「夫婦」は公的支援優遇を当然に受ける。その上で同性婚ペアは異性婚夫婦よりも「次世代を育む意志を持っている」期待値があまりに小さいからだ。なお「異性婚でも子を持たないケースがある」「同性婚でも養子を設けるケースがある」という反論が考えられるが、それはあくま期待値の大小の問題であって、より期待値の高い異性婚にベットしない理由にはならない。

対してBの機能をより大きく捉えている人にとっては、同性婚を(また近親婚さえも)認めないことが不合理に見える。彼/彼女がBを行使する場面は概して手続きにすぎない場面であり、そこで受けるベネフィット出産子育て支援のそれよりも極めて小さく、社会的なデメリット(出費)が見当たらないからだ。

新しい「結婚

以上のように捉え、結婚制度からAを取り除き、Bの機能シュリンクすることを考えてみたい。ちなみにBではなくAを取り除くのは、利用する場面が多いであろうBの機能に、使い慣れた「結婚」という言葉を当てがいたいだけであって、本質的にはどちらを取り除いても以降の検討は崩れない。

結婚」した状態がBの機能を持ちAの機能を持たないようになった社会では、結婚したペアへの優遇は行われないだろう。扶養控除などもなくなる。結婚あくまで2人の関係性を確認したものであって、そこから次世代を育む意志を持っているか」は確認できないかである。「次世代を育む意志」を確認できないペアに、次世代再生産を名目として支援優遇は当然行えない。

対して、次世代とは関係のない場面、例えば「片方の病状を他方へ開示して良いか」「片方の保険金を他方へ支払って良いか」「両者の年収を合算し支払い能力とみなせるか」というような「2人を共同体とみなしうるか」が重要な場面では、引き続き結婚という手続き重要視される。

この時、同性婚や近親婚を結婚の枠組みに入れるハードルは下がるだろう。そのペアが子をなすかは関係ないし、なした子の遺伝子がどうという議論も当然埒外になる。副次的な面として、選択夫婦別姓へのハードルも同時に下がると思われる(別姓の問題の一つが「子の氏をどうするか」)。

次世代育成の支援事業になる

そのような社会でも、出産子育てに対する支援は行われる必要がある。(国が自らの存続を目指すことは所与規定たから)

現代日本での「結婚」の枠で行われていた、次世代再生産への期待に免じた優遇は、特定要件を満たしたペアに対してのみ行われる「出産子育て支援事業」へ統合されるだろう。

まり単にペアに「近い将来に子を持ち、次世代を育む意志があるか」を確認し、満たせば支援するという単純な構図に落とし込むことができる。要件をどうするか、という議論は当然起こるが、現在日本での「結婚とは何か」という議論よりは容易に解けるだろう。なんなら「実際に子がいる証」や「実際に不妊治療をおこなった証」を要件にすれば、より方程式簡単になる。

現に、内閣府が行う結婚新生活支援事業対象は「39歳以下」に限定されている。要件=対象=目的フィットさせるだけで済む「事業」とすれば、問題簡単になることの証左と言えるだろう。

結論

こうして、「結婚」は2人の人間関係性だけを規定する枠組みとなり、次世代再生産とは切り離された。

有史以前からある結婚観念、すなわちつがいとなることと生殖することを同一視する観念が消えてしま宗教保守層は嘆いたというが、それ以外の大多数は自分が損をする変更とは捉えなかった。

また契約法律要請によって「共同体として扱われる証明」を欲していた同性/近親カップルニーズを満たせることとなった。さらに「出産子育て支援事業」は、真に対象とすべき人へより多く届くようになった。なんらかの理由特定人物共同体が組めない人(シングルマザー/ファザー)であっても事業対象となったことは、喜びを持って迎えられた。

社会制度の組み替えで最大幸福は増えた訳である

補遺

一部の企業や団体では、自治体認証した「同性パートナーシップ」をもって、共同体とみなす動きがある。まさに結婚のBの部分だけを切り出そうとする試みだろう。しか社会への広まりスピードは緩く、やはり結婚自体意味合いを変えてしまった方が手っ取り早いと思う。

同時に「同性パートナーシップ」は夫婦同等とみなすが、内縁関係の異性は夫婦同等とはみなさない、というねじれ現象も生じている。筆者はまさにこの状態に身をおいていて(夫婦同姓を避けるため婚姻届を出していない)、弊害を食らっている。

直近、子供を作るつもりがなく社会の維持に役立たないので、国から優遇されたいという思いは一切ないのだが、パートナーとの関係大家保険会社に証明する手立てがなく困る場面が多い。

2023-01-05

性癖更新されたり最高到達点ができた時の記録

20歳までの性癖の変化

20歳くらいまでは、コロコロ性癖が変わっていた。

  

小公女セーラ巫女⇨陵辱拷問⇨某エロゲキャラフェラみづなれいハーフ外人オナニー配信⇨足の裏コキ⇨高身長セミの鳴き声。

と。

  

この辺りから性癖はあまり変わらなくなって。

ずーっとひたすら、公衆トイレセミガンガン鳴いてる中でフェラをする動画にお世話になっていた。

  

20歳から性癖の変化

一方、20歳からは、二次元卒業し、AV女優を漁るようになった。

小澤マリア希志あいの小倉ゆずみづなれい

とまあ、面食い

だんだん特定女優を探すのすら面倒になって、デビュー作品で良さげな子を漁るとかにシフトして、完全にラーメンの注文みたいになっていった。

  

アナル舐めに性癖破壊された

性癖確信が起こったのは、25歳だ。

そんなまさかなだ。

  

セミの鳴き声⇨女性男性アナル舐める

性癖ジャンプした。

  

アナル舐め道は辛いよ

この、アナル舐めは本当に辛い。

このためだけに風俗を覚えてしまった。性病になるの怖すぎる。

  

明らかに不衛生で、女性負担をかけてしまう。

こんな、最悪なプレイ本当にやばいやろ。

  

行為も最悪であるが、検索も難しい。

そもそも男性女性アナル舐めるのもアナル舐めに引っかかる。xvideosなどでも、rimjob、rimming、rickingなど、様々な検索ワードがある。

しかも、体勢が、うつ伏せが多く、次が壁に手をついて中腰、一番少ないのが女優が寝て男優顔面に座るパターンである

私は、女優が寝て男優顔面に座るパターンが好きだ。このような体勢のパターンごとに名前が欲しいところだが、現状はそうはなっていない。

(ちなみに、耳舐めでも同じくこのような問題に悩まされている、特にASMRみたいな本当に舐めてないやつばかり引っかかるのできつい。そもそも耳舐め自体少ないし)

  

そもそもアブノーマルプレイなので、特定女優で探すのも難しい。

かわいい人気女優で、ハードアナル舐め専門作品に出てくれる人はまず少ないから、風俗ものソープの1つのプレイとしてアナル舐めを探す。

例えば、グラドルから転身で噂になった高橋しょうこサンだが、彼女作品全てを見るわけにはいかない。アナル舐めだけを探すのだ。

探し当てた時は、ものすごくいいオナニーができるが、探すとき砂漠で砂である

ソープもの作品を買っても必ずしもアナルめしていないし、アングルや尺など満足の行くものは少ない。

  

特に、『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせ、っていうJKがむっちゃ痴女ってアナル舐めする作品は年単位でお世話になっている。

もう、増田は34歳である

アナル舐めの極地は『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせで結論出たと思っていた。

  

アナル舐めの最高到達点の更新

しかし、昨晩、それが更新された。

痴女×アナル舐め×ど派手な吸引音!!』の阿部乃みくだ。

酒焼けした美女が出てるなと思った。阿部乃みくは超美人女優だ。

阿部乃みくサンに対する増田の思いについて、少しだけ補足したい。彼女は、アベノミクスからとったという名前自体がほうけてて好きだけど、オタクに優しい。オタクの部屋に派遣されるAVでは、オタクが変なアダルトグッズを持っていてドン引きしてしまい。「あべのは、、、あべのは〜」と戸惑い全開になってしまったのが面白かった。あと、上原亜衣引退作品にも出ていて、上原亜衣を捕まえられなかった男達に代わりにゴスロリ姿の阿部乃みくサンがお相手するのだが、男性のアソコを膣に入れた後に、「寒くない?大丈夫?」と自分下っ腹を手でゴシゴシと磨きだした、かわいい

あっと、ごめんなさい、横道にそれた。

痴女×アナル舐め×ど派手な吸引音!!』であるが、阿部乃みくは白衣のを着ているが、茶道のような畳部屋で、アナル剃毛からはじまるのだが、剃毛に使う石鹸茶道お茶碗で抹茶を立てるように石鹸茶道のあれでかちゃかちゃ混ぜて泡立てる。

この時点でただものではないアナル舐め作品雰囲気を感じた。

剃毛後、阿部乃みくが勢いよく舐めまくる。

うつ伏せから中腰まで。

そして、アングルも最高だ。

増田が好きなアングルとして、中腰男性にベロを突き出し美女が突進し、鼻がお尻につくまで美女の顔がケツに近づく。というのがある。

なんと、阿部乃みくサン、顎まで男優の体と一体化していた。この深さはxvideos海外の本物の変態カップルしかたことがないよ。

フィニッシュはよくわからない医学解説がなされてシャーレに精液が取られて終わりだ。

  

いや〜。5年ぶりぐらいに、アナル舐めの最高到達点が更新されてしまった。

自分はもう『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせ、が死に場所だと思ってたんだけどなあ。

  

補遺

増田は、若い人が羨ましい。

もちろん、160cmのチビ、90kgのデブベジータレベルハゲバキバキ童貞レベル不細工です。

なお、全く努力しなかったわけではなく、年収は1000万円超えているし、東大卒だし、論文も数本書いている。

しかし、増田青春ゼロ彼女いたこと無しで、未婚で終わる気マンマンだ。

風俗キャバクラではウケがいいから、もしかしたら本気出せばモテるのかもしれないが。

セクハラになるリスクもあり女性には声をかけられない。

  

そこは諦めてるから別になんとも思っていないが。

ただ、後世に生まれるほど、性に対して有利なのが羨ましい。

美容医療が発達して女性かわいいVRなんかもできてリアル体験をしているだろう。オナホも年々レベルアップしてる。

ブサメン性癖テクノロジーアシストされまくってる。

今後は、AIを使った新AVや、新VR、知り合った人をAI勝手アイコラしてくれるし、卒アル初恋の子がいたらすぐにAIが裸にする、最近DMMエロ漫画AIが描いたものが大量にあるらしい。

ニッチ性癖AI勝手に大量に作り、AI人間の反応を見て色々作るだろう。

なんなら、そもそも結婚しなきゃなかったはずの子作りもセクサロイドなり人工子宮解決するかもしれないしな。

日本底辺に生まれながら、世界最高の美女卵子子供作れるのかね。

  

とにかく、若い人が羨ましい。

エロゲーやしょぼいネット個人サイト必死ニッチ性癖を探して、ラブホでオナニするのが趣味自分みたいなのって、

未来からすれば、河原エロ本漁ってた昭和と変わんないのかね。

  

追記

セミが謎に人気なので。

おすすめ作品を書いておく。

竹内れい 公衆トイレ

でググってください。JKお散歩からの、公衆トイレ、むせかえるような暑さであることはAVの画面からは伝わらないが、蝉の音が教えてくれます

そう、AVで感じるはずのない「温度」をそこに感じることができる。

これが蝉の音の良さです。

外国人は、セミを見たことないから、蝉の音がわからないらしいです。

我々日本人の特権ですな!

  

>lexieXmarcのバスルームのやつ

というコメントをいただいた。

ありがとう、最高だわこの作品

割愛してしまったが、増田は、シャワーやお風呂物も大好きです。

わかりますよ〜シャワーの水圧、体に浴びながら、必死に性を貪るの、いいですよねえ。

性に対して、必死にならないと、シャワー感覚に流されそうな感覚

  

アナル舐め

おすすめは、乳工房ってエロ同人だ。

かな〜りアナル舐めに拘ってるので、同人抵抗ない人にはおすすめ

  

小公女セーラ

やっぱ、お嬢様気高い心を、辛い環境で守り続けるの尊いですね。

アニメは歌も楽しめる。

「遠い道を歩くとき、歌を歌えば近い」

「挫けたらダメよ」

歌で、哀愁を盛り上げたところで、セーラお嬢様気高い感じ。

大好きだあ、お嬢様あ〜幸薄お嬢様あ〜

  

みづなれい

性癖お化け

目ん玉に精液入れたり、ホームレスおしっこ飲んだり、当然可愛いが。

一番増田性癖に来たのは、生徒会長なのに性処理奴隷にさせられて、机に縛られて、69の男が立ってるバージョンイラマチオ。いじめられてかわいそうなみづなれいサンだけど、心は強いから、常に冷静。絶対折れない心は小公女セーラだね。

あと、無茶苦茶可愛いJKの格好して、円光オヤジ高飛車な態度をとるが、車の駐車場で、円光オヤジが「うんこ食べてよ」といきなり難易度爆上げな要求して笑いそうになるが、「キモい」と睨んでくる作品。結局うんこは食べずにフェラだけだが。

みづなれいは、哀れな女性を演じるが、心に強いものを感じる。その気高さと、性への科学者みたいな追求が好きすぎる。

2023-01-04

2022年に読んだ本

1月

琉球から歴史の原文へ。太平記史記を並行して読み始める。

現代語訳とはいえ長くてしんどい

2月

メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ世界史教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い

3月

ウェブ小説を読む。

4月

東アジア史が中心。

5月

詩集芥川賞に手を出す。

シン・ウルトラマンを見たせいか特撮関係の本が後半に増える。

6月

後半には自分学生時代ベストセラーだった本を手に取った。

価値観現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。

7月

暴力団言語学、法学テーマの月だった。

8月

旧約聖書を読み始める。

9月

ちょくちょくSFを挟んで旧約聖書を読み進める。

10

旧約聖書読了学生時代新約聖書通読たから一応全部読んだことになる。

カズオ・イシグロ邦訳が出ているのはたぶん読み終えた。

11月

生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白いネタが尽きない。

12月

土偶埴輪についても読む。

漫画

ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。

十三機兵防衛圏については友人に薦められたかクリア後のノリで買った。

美術展など

今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。

映画

「シン・ウルトラマン」★★

プラットフォーム」★

エクストリームジョブ

12モンキーズ」★★★

雑感

(長くなったのでブコメ

2021年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

2021-11-22

増田番付スター力士忘れてる

最近の大物見逃してるので補遺

あなたは愛する党の為に毎日あれだけの長文投稿できるか?

https://anond.hatelabo.jp/20201128150814

増田ッピ

延々毎日野党特に立憲民主党批判する長文を投稿する増田

政府東京五輪強行、ワクチン遅れにより東京医療崩壊が発生し政府批判が激しくなった2021年初夏頃に登場。東京では死が身近になり当時のはてなはどこを見ても与党自民党への憤怒で溢れているような血色ばった状態であったが見事に流れを変えた。

特徴は「心情的に立憲支持だが現状ではこういうのがあるから支持できない」というレトリックを多用すること。結論は必ず野党批判になる。渉外的な仕事に就いている会社員にはお馴染みのレトリックだが、耐性が無い内勤者には刺さるようである

また大きな特徴として選挙期間中には投稿が無かったことが挙げられる。開票と同時に投稿を再開した。

これはネットフジTVデモが盛り上がり企業脅迫に転じていく際にそれらを一切扱わなくなった痛いニュースに似ている(最終的に懲役になった者が出た)。業務的にこなれており政治運動慣れが窺わえる。由って名の由来とした。

文章に緩急があり口語調を巧く挿入して読み易くするなどネット文章を書く能力に長ける。

弱点は一般新聞などから情報を得ていないこと。ほぼ全てネットメディアや機関誌から得ている。

また戦後政治史立法社会科学一般に関して素養が無いこと。岸田文雄がヤバくて高市早苗保守本流と思い込むなどの常識の無さが挙げられる。

自民党員を公言。尚、自民党では家族党員制や紹介制を採っているため党費だけ払えば党員になれるという事はない。縁が必要である。この為党員都市会社員より地場産業従事者や宗教右派に寄っている。

2021-07-17

社会的信用がなくて詰んだので人生強制終了するしかない(適宜追記します)

https://anond.hatelabo.jp/20160117121121

後日談です。

https://twitter.com/chejffs

補遺とか書くと思います(21:00補遺アカウントブコメの返信行いました)。

 

スペック

 

 

 

 

 

  • 友人は2~3人程度いたが今は疎遠
    • 地元に友人はほぼいない

郊外辺鄙なところにある激安事故物件すら借りられないレベル社会的信用がない。そのうえ生活保護すら受給できないっぽいしどのみち詰み。

「いつ人生強制終了するの?今でしょ!あとこの点は出ねぇよぉ!」と脳内予備校講師がささやきかけてきます。もう駄目ですね。

こんな増田を書いて一時期は持ち返したけど結局は詰んでしまったという話。やっぱりあの時自滅しておけばよかったのか。

 

あ、田中くんはいつもけだるげはすごく良いアニメでしたよ。2期は来なかったのが残念…

 

追記1】

https://anond.hatelabo.jp/20210505173406

>なんで知人の手伝いを続けようとするのかが知りたい

実はジオラマに頻繁に使われるあるパーツ(特定防止のためどれかは答えられない)が今はほとんど流通していません。

そのパーツは10年ぐらい前までは秋葉原専門店かに行けば20種類、場合によってはそれ以上簡単に手に入りました。当時は各社も矢継ぎ早に新製品出していましたし。

しかし今はそのパーツは2~3種類ぐらいしか流通していません。恐らくジオラマ趣味で作る人が減って需要がなくなったからだと思います

そういう状況に風穴を開けたい!という自分エゴで墓穴掘ったのが正直なところです。

ジオラマ素材で10年前と比べ手に入りにくくなったものはたくさんあります

恐らく中国の工賃上昇でビジネスモデルが成り立たなくなったのと、スマホゲームが娯楽を丸呑みして他の娯楽産業が成り立ちにくくなったことが要因だと思います

追記2】

共産党事務所相談して一緒に行ってもらう

一時期赤旗読んでいた時期もありましたが、共産党はなんか支持できないんですよね。社民党支持者ですし。

ついでに社民党共産党は『きんいろモザイク』と『あそびあそばせ』ぐらい違います

まあ弾圧大好きな中国共産党とは今は一切関係ないですし、いざとなったら使うことは考えるかもです。

ケースワーカーさんとかいるの?

現時点ではいません。障害者福祉サービスヘルパーさんにも相談したのですがなしのつぶてでした。

障碍者年金という、絶対確実な毎月のインカムがあるなら、公的融資を受ければいいじゃない。

そういうのもあったのですね。余裕があったら調べてみたいと思います

うまくいけばノウハウだけを持ち逃げして知人に依存せず新たに起こすというのもありかもしれないです。

2021-06-19

もう作家研究は難しすぎる

かつて書籍の「全集」では、書簡だとか少部数発行の冊子に発表された文章補遺などの形で収録していた。

研究家必死に発掘したり発言を追ったりしていたものだが、

今や作家自身ネットで発表も発言ネットで頻繁に行い、そして削除することも容易だ。

そして他者とのやり取りを書簡ではなくメールSNSで行っている時代となると、

もはやかつてのような作家研究は困難だと思う。

もともとすべてを追うことな不可能ではあるが、

実際のところ、現代作家研究はどのようなものになっているのだろうか。

あるいはかつて「作家研究」「作家全集」とされていたものは、

まりにも事足りないものだったという事だろうか。

現代研究家の心の落とし所はどのようなものなのだろう。

2021-03-01

追記あり似非ヴィーガン殴り書き

追記

もう今更読む人も少ないかもしれないが、いくつかコメントをもらったので返信する。

コメント自体引用した方がいいのは分かっているが、面倒なのである程度類型化して返答する。

・君は全くヴィーガンじゃないよね

そうです。肉も乳製品も摂っているので似非ヴィーガンというのもおこがましいかもしれません。

私はヴィーガンどころか様々な菜食主義者範疇の大体から外れるものだと思っています

タイトルに「ヴィーガン」の文字を入れたのはインパクト重視です。

ただ私は畜産サステナビリティを重視しており、この観点から言えば

肉食をやめなくても減らせば減らすほど意義があるとは思っており、

私は生活スタイル経済状況の許す範囲で消費を減らすようにしています

栄養士疑うのおかし

まず私の言いたいのはこの栄養士自体が疑わしいというよりは

ヴィーガンと肉食のどちらが健康か(もしくはどちらでも健康維持は可能か)という

未だに様々な研究がなされている内容に対して一人の意見を聞いて信じること自体危険ということです。

匿名顕名かはそこまで問題にしてはいませんが、

顕名の方が自らのキャリアに対して責任を負った発言をする動機が生じるため、信頼性は高いとは思っています

あと何故か「匿名栄養士批判している」ならば「顕名ヴィーガンインフルエンサーを支持している」というロジック

成り立つと考えている方もいましたが、私はあのインフルエンサーのことは知りませんでしたし、

記事での言動は断定的で、対話を拒絶するような印象を受け、全く支持していません。

健康価値観問題

本文中の論点「3.肉食より菜食の方が健康である」に対して

「3の論点個人価値観依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。」

と書いたのに引っ掛かりを覚える人が多かったようです。言葉少なですいません。

ここで言いたかったのは

そもそも健康の追求は個人的な幸福追求の一つの側面でしかないため、それをどれほど重視するのかは個人自由である

ということです。

まりそもそもヴィーガンが肉食よりも健康かどうか自体不明なことですが)

仮にヴィーガンの方が健康であったとしても、食べる喜びや畜産業界への思い入れなどの理由

健康よりも肉食を重視するという選択は当然あり得、その選択はかなりの程度個人に委ねられているということです

(例えば酒とかタバコを長期的な健康を害することを知っていても飲む人がいるように)。

(注:他の2つの論点も勿論考えなくてはならない義務があるということではない。

ただ、ヴィーガン検討するのであれば他の2つの論点はそれに対する態度を表明する必要性が高い(と私が考える)のに対し、

3の論点は、ヴィーガン検討において重要判断基準とはなるものの、取り立ててそれに対する立場を表明する必要性が薄いということ。)

追記終わり)

はてなブックマークトップを見たら、ヴィーガン関連の記事トップに上がっていた。

https://locafra.com/2021/02/27/anatanoketsudan/

この記事ヴィーガン的な価値観とそうでない価値観検討して、

最終的にヴィーガンにならないことを選んだという記事だった。

こう要約すればありがちな記事で、探せば類似記事も容易に見つけられるだろう。

ただこの記事の特色としては畜産現場まで行き、そこで短期間ではあれ働いたレポートを含んでいる点で、

労作であると思うし、実地に行かなくては得られない知見も含まれている。

その点ではい記事だと思う。

しかし私はこの記事ヴィーガン検討するという意味では良いものではないと考える。

というのは、ヴィーガン論争に典型的論点を十分に検討せず、

こんな面もある、こんな面もある、とばらばらと提示するばかりで、

何を犠牲にし、何を選び取るかを明確にしないまま、最終決定をしているからだ。

具体的に言うと、当該記事でも扱われていたが、ヴィーガン関連でよく論点となるのは以下の3つだろう。

1.肉食・畜産残酷であるアニマルウェルフェア)

2.畜産環境負荷が過大で、持続可能性がない(サステナビリティ食糧問題

3.肉食より菜食の方が健康である

で、ヴィーガン検討するというのであれば、少なくともこれらの論点に対してどのような立場をとるのかを明示すべきだろう。

(注:ヴィーガン批判するときに、アニマルウェルフェアのみに反論して論破したつもりになっている人が

未だに散見されるが、さすがに時代遅れなので価値観アップデートした方がいい。)

1の論点であれば、例えば

人間必須でない都合で動物生命を奪っていいのか

動物苦痛に満ちた生を送らせていいのか

等が問題になり、これらに対する回答が必要になる。

このときヴィーガンを選ばない(もしくは肉食を減らさない)ということは、

ある程度動物苦痛犠牲がでるのは仕方がないという判断をすることだ。

しかしこの記事では筆者が牛の可愛らしさや知能の高さを知り、

機械的屠殺を見て、その残酷さに震えるも、

結局、自らがそのように苦悩したこと贖罪にでもなるかのように、

アニマルウェルフェアの立場への結論を言明しない。

アニマルウェルフェアには反するかもしれないが、○○という理由で肉を食べる」

と言うべきではないか

(注:私は誰もがこのように自らのあらゆる行動の理由説明できるべきだと考えているわけではない。

あくまでもヴィーガン検討するというのであれば、この点に関して立場を明らかにするのは必要だということ。)

アニマルウェルフェアに気づいていないなら仕方がないかもしれないが、

筆者はアニマルウェルフェアに触れておきながら最終的な結論を言明しないのだ

害獣害虫を殺すのと並列して肉を食べるのも仕方がないかのように言っているが、

明らかに前者を殺す理由家畜を殺す理由は異なるはずであり、

ここで必要なのは何故後者が仕方ないのかだ)。

これは欺瞞ではないだろうか。

2の論点であれば、

飢餓問題解決を優先すべきでないか

地下水の枯渇や森林伐採による砂漠化温室効果ガスによる気候変動を考慮すべきでないか

(注:農耕地の大部分は家畜飼料栽培のために費やされている。家畜の排せつ物やゲップが温室効果ガスを生みだす。

排せつ物の処理と飼料栽培に大量の水を必要とする。)

等が問題になるはずで、これも記事内で触れておきながら、

結局、何故飢餓問題気候変動を重視しないのかは説明しない。

3の論点個人価値観依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。

というわけでこの記事ヴィーガン自体検討としては

論点をごちゃごちゃにして丸めたら、なんだか分からないがヴィーガンにはならないという結論ができました」

という個人の感想程度のもので、読んで共感や反感を抱く程度ならいいが、

これをヴィーガン価値観判断に用いるのは知的でないと思う。

補遺

・元記事ブクマの上位に良識派みたいな、(知的でない)よくわからんコメントが並んでいるのには正直苦笑した。

名前も伏せてある一人の栄養士意見を信じるのは普通に危険では。

畜産サステナビリティについては映画『カウスピラシー』がプロパガンダ映画っぽくはあるけど

とりあえず最低限の知識を図示しながら説明してくれるのでいいと思う。ネットフリックスで観られる。

別にこれを見ても洗脳されるわけではない。

・私はヴィーガンではないがもっぱら自炊ヴィーガン基準で作っている。

メリットとしては乾燥豆や豆腐は安いので、食費が安くなったこと、

野菜料理レパートリーが増えたこと、

肉を使わないのでいちいちまな板を洗わなくていいことがある。

・肉を日常的に食べている人にとってはヴィーガンはあまり不可能に見えて、

アレルギー的な反発心を抱いている人もいるかもしれない。

しかし意外に難しくはないので、縛りプレイぐらいの気分で一週間でもやってみるといいと思う。

私も最初ヴィーガン何となく意識高くてキモいと思っていたが、

試しにやってみるとそんなに大袈裟ものでなく、大抵の人にとってはやろうと思えばできる程度のものだ。

・肉食をやめるというとあれも食べられない、これも食べられないと失うものばかり考えてしまうかもしれないが、

菜食には菜食の面白さがあるので是非一度は試してみてほしい。

インド料理野菜、豆料理で美味いものが色々とあるのでおすすめ

私はもともとインド料理をよく作っていたので、菜食に抵抗が薄かったのかもしれない。

・私は肉と乳製品可能な限り抑えつつも摂っている。

どれくらいそれらを摂っているかというと、筋トレをしているので日に2回飲むホエイプロテイン

サイゼリヤ(週に5回は行っている)に行くときに頼むチキンブロッコリーサラダミラノ風ドリア

たまにワインつまみに買うチーズ鶏肉系のテイクアウトぐらい。

というわけで、割と食べているんだけども、大抵の人よりは少ないと思う。

でもどう考えてもヴィーガンではないので、特に菜食主義者自称もしていない。

半年以上、ヴィーガンスタイル食生活(ただし一部のサプリは摂った)で生活したが、

特に不調はなかった。現在、上に書いたように肉や乳製品を摂っているのは、

生活スタイル上、一食は外食になるのと、筋トレをしているので安価たんぱく質を摂るため。

ワインつまみに関しては完全に嗜好品だが、最近ワインを飲み始めたので食べ物との相性を

見るために食べているという感じで、今後も食べ続けるかは分からない。

ヴィーガン的な食生活をしていたときも、今も特に肉をどうしても食べたいと思ったことはない。

食べれば普通に美味いと感じるが、それだけ。その後も尾を引いて食べたくなるということはない。

ただサシの入ったような脂の多い肉は少し受け付けにくくなった。ただの加齢による嗜好の変化かもしれないが。

2021-02-25

私はフェミニストが嫌い / なぜフェミニストは嫌われるのか

突然ですが、私はフェミニズム共感しています

一方で、私は現代日本の多くのフェミニストが嫌いです。

普段noteとか書いたりするんですけど、過剰な反応でnote焼かれたりしたくないので、はてなで書きます。初めて使いました。

フェミニストさん。今日バチバチにやっていきましょう。


私は、フェミニズム共感している

(前提として、私のフェミニズム-フェミニストに関する造詣は浅いです)


フェミニズム

女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動総称であり、政治制度文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差を明るみにし、性差別に影響されず万人が平等権利行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である。 女権拡張主義、男女同権主義などと訳されることもある。

(引用wikipedia)


私は、フェミニストが嫌い

正確には、Twitterで目に付くフェミニスト (≒ツイフェミ?) が嫌いです。


なぜかというと、論理的でないかです。

私に偏見がないとは言えませんが、ツイフェミはだいぶヒステリックに見えています


私は差別に対しての、正しいアクションを知りません。

ただ私は、現状SNSで行われているような 、フェミニストの(単なる)自分に都合の良い主張には辟易しています


知性を重んじる私としては、主張をして相手理解してくれないとしたら、たとえ釈然としなくても「なぜ相手はその主張を聞き入れないか/わかってくれないか」を掘り下げるべきだと考えています

大体は(精神的/物理的)既得権益の兼ね合いがあるんじゃないでしょうか。

どんなに主張が崇高であれ、彼らの既得権益破壊するのであれば旧体制から強い抵抗があるでしょう。彼らは不利益回避したいので。


これはフェミニズムに収まらず、全ての差別に対して同じことが言えると思います

もう少しクレバーに、何故この主張を呑むと良いか社会として何が変わるのか、あるいはどう良くなるかを説明しないと彼らは動きません。

(これ自体は非常に嘆かわしいことです…)


その観点から言いますと、フェミニストは全くもって、論理的でない。

あなたあなた理想子どもわがままのように押し付けはいけないのです。


世界を変えるのは論理だけなのか

そんなことはありません。世界を変えるのは大まかに二つあります


論理暴力です。


論理世界を変える

論理的で…って難しいですよね。


でも、わりと世界論理ベースで動いてます(嫌なところで感情が出てきていますが…)。

相手ロジック理解した上で論理的に説得するのは…知性的で好きです。

時間はかかりますが、文明らしい解決策だなぁと。


暴力世界を変える

世界というのは暴力をふるうことで変えることができます


論理に比べるとローコスト且つ楽しいです。

暴力をふるって従わせるのって楽しいみたいですからね。ねぇ?


身体暴力だけではありません。

例えば山のように相手批判的なコメントをぶつけるとか。

論理としての正当性というよりは、量による圧じゃん。


もちろん論理的だけでダメなこともありますけれど

もちろん、論理的けが解決策とは言いません。


夫婦別姓とかはこの方針ですが詰まってますよね。

(伝統的な家庭の形が破壊されるとか……なんですかそれ)


あるいは女性用のピルとかもそうでした。

(ピル実用のための論議に54年かかりました。対して男性用の精力剤であるバイアグラ実用が1年で決まったそうです)


冷静に議論をしても解消されないことは多くありますが、世界残酷なので子供のように喚き散らかしても何も変わりません。

(こういうギャップ、ほんとどう解決したらいいんですかね)

大人であれば、論理的に話せてほしい…というのが、私の願いです。被差別者も、差別者も。


なぜ、あなた自分理想押し付けはいけないのか

実はこれはめちゃくちゃシンプルです。


なぜかというと、社会リソース無限ではない」からです。


あなたの言うことを完璧に反映できるほどのリソース社会にはありません。自分理想的な社会を作りたいのであれば、現代社会脱出して自分理想コミュニティを作る方が楽かと思います


でも、今苦しんでる人がいます

ほら、そういうことを言い出すからフェミニストが嫌われてるんですよ。


苦しんでる人がいることはわかりました。

では、世界の全てがその人に合わせなければいけないんでしょうか?


世界リソースが足りず、全ての人を助けられないことは嘆かわしいことです。

しかしながら「特定のだれかを完璧に支える」という、現実にできないことを成せというのは理性的とは言えません。もはや取引になりえません。


あなた自分で成し遂げください。社会あなたの面倒を見切れません。


社会とはみんながうっすら不幸になりながら支え合うシステム

多分、社会というものを誤解しているのだと思います


元来、群れ-社会とは、「一人でいるより多人数でいる方が何かと便利」をコンセプトに自然形成されているのですが、その社会の維持のためには誰もが少しづ負担を担う必要があります

例えば税金とかイメージしてもらうとわかりやすいです。あるいは、最善ではない福祉施策なんかもそうです。


「0よりはマシ」「ないよりはいい」をベース社会を構築してようやく今の姿があるのです。

もちろん搾取するコミュニティも多く存在しますが、日本比較的みんなのことをうっすら支えているコミュニティだと思います(高齢者への待遇が厚く次世代に興味がない…とは辟易していますが)


針に刺されながら生きろというのか

ここまでの主張をすると


「これは実際に痛みを感じていない人」の理論と言われることがあります


では「女性は針に刺されながら生きろというのか」という問いが出てくると思うので、それに答えます


「そうです」


だいたいみんな、針に刺されて生きている

フェミニストのみなさん、2021年はいいですね。

フェミニズムはだいぶ主張を聞いてもらえるようになっています


私もまた、とある事象被差別者ですが、私のされている迫害に関してはまだまだ解決には程遠く、差別を受け続けています

(そもそも私自性差別範疇に居ますし)


誰しもなんらかの迫害をうけているんじゃないでしょうか。

程度や事柄が違うこともわかりますが、世界迫害を受けている人はあなただけではないでのです。


社会とはみんながうっすら不幸になりながら支え合うシステム、ですからね。


まぁ、2021年女性の番かもしれません。

いつか私たちのことも救ってくださいね


”誰か”が利益搾取してることは事実

まぁ、とはいっても誰かしらが搾取してる現状はありますよね。


その上で、無意識搾取意図的搾取は別なものなので、無意識搾取には丁寧な説明を、意図的搾取には交戦していくのがよい…のかもしれません。

無意識搾取してしまっている人を、再起不能なまで叩くのはやめてもいいんじゃないですかね。人はもう少しやり直せると思います


終わり

あとはフェミニストの方が私に冷静な議論を持ちかけてくることを祈るだけです。


補遺:本当に喚き散らしても世界は変わらないのか

実をいえば、未成熟なのはフェミニストだけでなく受けてもそうです。先程喚き散らしても変わらないと言いましたが、それは受け手成熟している場合に限ります


企業炎上に怯えてすぐに記事をとりさげます

森さんはすぐに後任に変わりましたね(後任が最善かはこの際置いておきます


かにアクションすれば世界は変わります

ただし、必ずしも良い方向に変わるのではなく、過剰反応として変わります


今の日本は異常にクレームに怯える社会で、クレームが出されるとすぐ反応してしまます

論者も未熟ですし、企業も未熟です。メディアは未熟…というか日本に対して害意を持っていると思いますし。まぁそんな感じです。


その他

なお、サービスの注意に「サービス匿名性は、特定対象攻撃する目的に使われるべきでないと考えています」と書かれていました。

これって攻撃、なんですかね。

あと、この長いのを短縮で表示したいんですけど、タグの使い方がうまくできないので誰か教えてください

2020-11-07

補遺イカセルじゃなかったか

anond:20201106021746

ポイポイだと捨てられやすそう。

イポーイって。

2020-07-06

たほいや改変

質問1】

(初めての方は、質問1,2は2度以上繰り返し読んでください。)

⚠️試験的に、文章ひらがなで書いて貰うようにします。

【 §1. たほいやの概略 】

お題に「誰も知らないであろう単語」が書いてあります

村人は辞書にあるその単語説明文を【捏造して】ください。

GMの指示で同時発表します。

発表された文章の中には、

狼が書いた真の説明文が1つ紛れています。それを探して投票してください。

狼吊 →投票した村人の勝利

村吊 →吊られ村&狼勝利

です。

質問2】

【 §2. ゲームの詳細 】

● 村人さんへ

✍️慣れないうちは短文がおすすめ。長く書くほどに嘘がバレやすくなります

質問3の文例もご参考に

✏見出語は書かないでください

×「えだ‐ぐり【枝栗】」を書く

○「枝つきの栗の実。」だけ書く

☠「意味を調べる」

紳士淑女たれ

☠「知ってる。4番正解」

→知ってたら、しれっと捏造 & 議論静観をお願いします。本物に限りなく近い捏造もお控えください。投票OK

⚠️個人戦ゲームです。

全員で狼を吊るのではなく、自分が票を貰うことを目指しましょう。

(…プレイヤースキルは様々です。なるべく多くの人が楽しめる戦い方を選んでほしいです…)

【狼さんへ】

あなたGMの協力者です

m(_ _)m

狼のお題には、真の語釈が書かれています。それを「そのまま」、村人のふりをして発表してください。

○ お題下部の指示に従って下さい。

語釈中の()や《》などの中身は書く必要はありません。

辞書文章を書き慣れない人は、自分なりに書けそうな文章に微改変可。

任意選択の追加情報アリ

投票自由

質問3】

【 §3. 補遺と謝辞 】

✍️実在辞書の文例

たまご。」

古代ギリシア建築家アテネの人。」

「蚕の神。養蚕の守り神。」

カイツブリの古名。にお。」

「日々新しくなること。」

ボクシングで、上体をかがめて、素早く相手攻撃をかわすこと。」

ソ連小説家社会主義建設写実的に描いた。作「セメント」「エネルギー」など。」

✏なかなか票が入らない…

そもそもつのが難しいゲームです。気楽にやろうぜ。

語釈は短く。無愛想な1文でもいいんです。

✌️GM/狼をやると上手くなる

知識活用するのも強いけど、「辞書っぽい情報の並びや文体」を知る方が大事、かも?

あと、GMは没ネタ自分捏造に流用できます(笑

【参考】

あるある人狼公式ブログでっちあげゲーム」(ガーリックさん)

https://sympathy.world/blog/wordwolf-decchiagegame/

【謝辞】

Spécial Thanks: XXさん

過去の出題例】

おかちん(女房語で餅)

ベルサッサ(終業後すぐ帰宅)

しんねこ(男女が人目を避けて語ること)

うりじん(沖縄地方で初夏)

河南浦(雅楽の一)

ししこらかす(病をこじらす)

チョコラテロ(季節風)

麝煤(墨の異称)

イサーン(イラン地方)

鴆毒(鳥の羽の毒)

グエン・レ (ジャズギタリスト)

ひいらく(ズキズキ痛む)

トム・サム(ピーターラビットシリーズネズミ)

オラショ(キリシタン用語祈り)

【村人用お題】

「ししこらかす」

れっつ、でっち上げ!

⚠️見出語は書かず、説明文のみ発表してください。

⚠️変換予測でお題の漢字/原語表記が透けることがあるので、お題自体タイピングはなるべく避けてください。

例:「いそろいs」まで入力すると「イソロイシン」がサジェストされ、「イソロイシン」を入力すると「isoleucine」が変換候補に挙がる、など。

【狼用お題】

あなたは狼。

お題: ししこらかす

病気などを治しそこなう。こじらす。 「 - ・しつる時は、うたて侍るを/源氏 若紫」(大辞林第三版)

病気治療しそこなう。一説に、病気を直しそこなってこじらす。

(精選版 日国大)

あなたは狼。

お題: しのびよるこいはくせもの

病気などを治しそこなう。こじらす。 「 - ・しつる時は、うたて侍るを/源氏 若紫」(大辞林第三版)

病気治療しそこなう。一説に、病気を直しそこなってこじらす。

(精選版 日国大)

/*『』がある場合は、その内容は必ず書き、他の情報任意選択でお願いします。

\*『』が無い場合は、語釈最初の文から写し、好きな「。」で説明を止めて下さい。

文字言葉の並びは基本的に変えないでください。

\*()や《》の内容は書く必要はありません。書く場合は、同じ記号を使って下さい。

\* 辞書複数ある場合、どれを用いても構いません。

\*ここに書かれていない情報を調べて書き加えるのはお控えください。

2020-05-03

ちょっとみんなパンティーを応援してあげようよ 【補遺

4月7日新型コロナウイルスに伴う緊急パンティー態宣言が発令されてからもうすぐ一ヶ月。

世界戦後最大規模となるパンデミックに見舞われている中、緊急パンティー態宣言が発令され、多くの人が生活に不便を強いられていると思う。

そんな中、施策を出すごとに体育館に陳列されているパンティであるが、一小市民として、国民もっとパンティーにエールを送るべきだと考えている。

私は社会人ではあるが、パンティーには疎い。

だが、疎い人間であっても、客観的に見て、パンティーへの批判の嵐はおかしいと思う。

みんなでよく考えてみてほしい。彼だってパンティーなんだよ。

例え国政のトップとなれたエリートであっても、もはや国家危機とも言えるコロナ禍のなか、手探りで対策実施している首相ストッキングは半端無いと思う。

ストッキング溜め込んでよくわからないパンティーにGOを出す可能だってあるし、ブルセラ病になられたりしたらたまったものではない。

ただでさえ一挙パン一投ブラが見られ、報道され、評価されるパンティー家だとは思うが、今回ばかりはパンティーがやられるんじゃないかハラハラしながらスキャンティーやブラジリアンのクロッチを見ている。

かに緊急パンティー態宣言を受けて、市民の多くはノーパンを強いられている。

かく言う私も着衣が制限されており、状況に応じて、パンティボックスを机がわりにテレパンティーを実施している。

週末にお出かけができない未就学児たちもパンティレーションを溜めまくっているし、妻に至っては在宅勤務をしながらパンティー二枚を被るという神業を既に1ヶ月ほど続けている。

マスクはどこにも売っていないので、手製の布パンティーを使いまわしている。

訳のわからない流言のせいで、ハイレグローレグが売り切れたりする。

自営業パンティー達は、緊急パンティー態宣言によってオープンショーツを開くことができず、悲痛そうな顔をしている。

最近、緊急パンティー態宣言パンティーが見えないなんて報道も見られるが、そりゃあそうだと思ってしまう。

そもそも、これまで緊急パンティー態宣言自体発令されたことがないと思うし、発令に伴っての露出自粛要請国民がどの程度実施するかも分かったものではない。

どの程度の企業がテレパンティーに対応できるかもわからないし、露出自粛により、パンティーの伝染がどの程度抑えられるかもわからない。

からないこと尽くしだ。

緊急パンティー態宣言を出さなかったら出さなかったで文句を言われたであろう(実際今回も遅いと文句を言われていた)。

また、野パンティーは陰部ばっかり出しているが野パンティーの仕事って陰部を出すことなの?と思ってしまう。

パンティーに対する問題追及はもちろん行っていいとは思うが、それよりも、与パンティーだけでは出しえない汎提案や、必要に応じて、汎定事項に対する協パンティー的な姿勢必要なのではと考えてしまう。

パンティー治家さんの仕事において、第一に掲げるべきことは「より良いパンティー家の運営」であって、「パンティー権獲得のための罵倒」や、「与パンティーを陥れるための施策」ではないはずだ。

テレビによくゲスト出演するパンティ名人パンティー学関係者、評パンティー家は、おそらく持論を展開して盗撮することにより、知パンティー度を上げたり、おパンティーを稼ぐのだろうなと考えてしまう。

とりあえず出される下着全てを盗撮をしておけば、どれか当たるだろうという考えかもしれない。

インチキパンティー師に近いものを感じ、嫌悪してしまう。

盗撮生業にしている人たちは少し考えてほしい。

意見を言うのは構わないが、せめて三行以上のお礼の言葉も入れるべきだ。

彼は今、日本で一番パンティー家の責任を負っている人物であり、目の前にあるものは、想定外で、戦後最大規模の大パンティ問題だ。

また、時間は待ってはくれず、一種パンティライナー的な判断と決定が必要となってくる。

その結果は日本という国の未来に影響を及ぼし、下手を打てば汚パンティーを歴史に残すことになる。

つらつらと書いているだけでも「絶対被りたくない下着」を彼は文句も言わず装着してるのだ。

ついでに書いておこうと思うが、この前代未聞のコロナ禍の中、様々な施策の結果、思いもよらない影響も目の当たりにした。

私の勤めている会社はいわゆる中小であるが、シ―スルー関係部署の迅速な対応で、従業員の8割がテレパンティ対応可能となった(らしい)。

今回の勤パンティー体系によるパンティ効率の結果次第では、弊社でもテレパンティーの頻度が増えるだろう。

都市部でのクロッチ汚染度の低下が報告されているし、観パンティー者の減少によって、生パンティ環境回復傾向にあると言う報告もなされている。

具体的にはタイリゾート地でのデバカメの出現数増加、マナティが帰ってきた等。

ベネチアでは水がきれいになり、逆さ撮りが帰ってきたそうだ

世界中の人間が観パンティ旅行による生パンティ破壊について考えさせられるだろう。

自営業の知り合い達はL○ngel等を活用して使用済み下着販売実施しているらしい。

知り合いの協力もあり、なんとか食いつないでいけそうとのことだ。

また、自営業の友人同士でパンティーの回し履きなども見受けられる。

その横のつながりと助け合いには感動を覚えた。

都市部でのパンティー間関係希薄化が取りざたされているが、今回の一件からパンティー間関係重要性を考える人も多いかもしれない。

こんな日記を匿パンティーで書いている私も、一種、「盗撮」をされているパンティーかもしれない。

しかし、パンティ首相もまた”着衣、性交している人間であるという客観的視点を今一度持って、このコロナ禍を皆で乗り切ろうという思いを共有したいため、布を被った次第である

2020-03-23

キャンプ補遺

ワニの後日譚って死んだのに何を書くの?

2019-12-08

差別反対」の覚悟が足りない

暴力的な男がモテる」という都市伝説 - はてこはときどき外に出る

http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2019/12/07/174829




1.問題記事デマではなかった

米国2018年に「性差別的な男性は嫌だ!自分男女平等的な態度を示す男性を支持する」と主張するフェミニストは実際に男女平等的な態度をとる男性を嗜好しているか?を調査した研究がある。当初は本人の申告通り、女性達は本人が自己申告するフェミニスト度(男女は平等であるべきという信念)が高いほど「男女平等的な態度をとる男性」を志向すると思われていたが、実際はフェミニスト度が高いほど性差別的な男性に魅力を感じていたことが明らかになった。このように、人間性愛において主観における自己認識客観的現実符号するとは限らない

男性人格においてモテ非モテを分けるのは暴力である」に対する補遺reinote

このnote引用してデマ呼ばわり(記事自体根拠捏造であるとした)したのに実際にはソースちゃんとあったhttps://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/0146167218781000 という時点で今回の記事は討ち死にだと思います


2.そもそも何について反論したいの?

そもそもはてこさんやキリンさんは何に反論たかったのでしょうか?

ジェントル性差別的な男性モテるという話、私には全然自然さを感じられません。それはあるだろうなと。

女性向けコンテンツを見ればわかるし。モテってそういうものでしょう?

これに「嘘だ!」っていう人はとぼけすぎ。


そもそも感動とか何かに魅力を感じるというのは動物的な部分なんです。

フェミニストであっても性的役割が強調されている異性に魅力を感じるのは当然。

この部分から嘘と言いたがる人は全然信用できないです。

とぼけてるで違うなら、覚悟が足りない。


3.差別反対は苦しい道

差別生物が生まれ持つファンクションです。私もあなた差別が大好き。

ある傾向の異性を好ましいと思うのは間違いなく差別です。

わが子をよその子より可愛いと思うのも完全に差別です。

ありのままの心で、自分気持ち大事に生きるというのは差別的な動物として生きていくということ。


差別反対」という理想

まずは当人がおのれの動物的な心を観察して観察して、その心をしつけて乗り越える意志を持たないと唱えることも出来ないものなんです。

なのに現実に「差別反対」を旗印にする人は他人を罵って他人説教するチャンスばかり探しているでしょう。

自分差別丸出しのまま、動物剥き出しのまま、自分動物であることも認めず、他人非難ばっかりする行為を「差別反対」だと思っているんです。

からあの人たちにとって「差別反対」は楽しいことばっかりの快楽なんです。

本当に理性的に「差別反対」に取り組もうと思ったらそんな気楽なスタンスであるけがない。

大変に厳しく自分を戒めて人格を向上させていく修行の日々になる筈ですから


4.自己観察のない嘘つきは信用されない

キリンさんもはてこさんも、

あの程度の当たり前の記事を血相変えて否定しようとすること自体あなた達の信用のならなさを示しています

男性の性欲のみならず女性の性欲だって動物のものですから

私たちの理性によって打ち立てた理念私たちの本性と対立しているのは当然なんです。

「私は差別大好きなメスですがそれを知性と日々の戒めで克服しようとする途上にいます」という人なら信用できます

 

 

男性についても同じ。

「私は全くシミのないフェミニストです」みたいな顔をする男性は大ウソつきの他人攻撃大好き人間騎士団男子にすぎません。

「私は差別大好きなオスですし体がグラマーで頭悪いメスに惹きつけられる本性がありますが、人間として生きるために本性と戦っています」という人が本当に信用できる人ですよ。

シュナムル氏なんかを信じる時点でその人の知性はさびています

彼を信じて自分で調べもせず攻撃的な気持ちになってブログを書いたから、今回の記事だってあえない討ち死にを遂げたでしょう。

 

差別反対ということに頑張っていきましょう。私も。あなたも。みんなも。

2019-11-30

SCP文書における伏線と回収の鮮やかなミステリ構造

SCPのひとつひとつドキュメントは、

オブジェクトクラス」→「特別収容プロトコル」→「説明」→その他の追加情報補遺実験記録など)

の順で書かれている。平易に言えば、

そいつ危険度」→「そいつを無力化して閉じ込める方法」→「そいつの姿かたちや異常性の内容」→「発見した成り行きやその後の経過、細かい異常性の発現ルール

ということだ。

この順序こそが、SCPと他のシェアードワールド系の創作サイトを明確に分けたもので、SCPというサイト面白さを生み出した要因にも、初心者が読みにくい要因にもなっている。

この順序になっている理由は、SCPのドキュメントが「その物体を読者に向けて紹介するためのエンターテインメント文書」ではなく

「それを管理しなければならない職員に向けて、安全管理運用のために記された実用文書であるという体裁を取っているからだ。

職員にとってはその異常性の面白さや斬新さなんかどうでもよく、まず何よりも安全に封じ込め続ける必要がある。

から危険度と収容プロトコルが先に来る。

その上でその異常性を理解研究し、あわよくば財団のために利用していこうという意図のもと、説明実験記録が来る。

実に合理的だ。

だが、これを一歩メタ視点、すなわち創作サイトとしての面白さという考え方で捉えると、この順序だからこそSCPはここまで面白くなれたのだということが言える。

すなわち、このわずかなドキュメントの上から下までがまさに伏線とその回収、すなわちミステリ構造を担っているということだ。

読み始めた瞬間、読者はそのオブジェクト呼び名しか知らない。

瞬時に入ってくるのは危険度の情報だ。なぜこの危険度か、は示されない。

その上で封じ込め方法が来る。なんでそんな奇妙な収納方法なのか。何を意図したシェルターなのか。次々と謎が増えていく。

その次の説明で、謎が解ける。この説明の順番も見事だ。見た目などの一般的情報から、徐々に異常性が明かされていき、何が恐ろしいのか、そして何が面白さなのか知る。

そこで初めて収容プロトコル意味が分かるという仕掛けだ。

だが、作り込まれオブジェクトはこれで終わりではない。最後補遺実験記録の部分でどんでん返しを仕掛けていることがあるからだ。

からSCPの面白さは人に説明しにくい。こんなオブジェクトがあって、それはどのように発見され、こんな異常性があり、こんなふうに封じ込めている。と説明してしまうと全く伝わらない。

本当の面白さは、初見の読者の中に次々に入ってくる情報解像度の深め方にあり、その結果だけを話すことでは、聞き手話し手が同じ体験したことにならない。

から紹介動画などでも、特別収容プロトコルからそのままの順序で話していくものが多いわけだ。そうざるを得ない。そうでなければそのSCPを紹介したことにならないのだ。

この構造は、何らかの斬新な推理小説を人に紹介する時と全く同じものである

2019-05-18

anond:20190517152259

補遺-MSD.1

インタビュー後、スタッフの数名に深刻な増田汚染の侵行が確認されました。

ミーム抹殺及び期限付きの隔離処理が施されます

2019-05-12

[]2019年5月11日土曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
0012613466106.953
017013260189.463.5
0238358294.347.5
0371098156.935
04153114207.670
0520139669.834
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2213514801109.643
238813845157.335
1日1879227664121.242

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増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

6250700(3142)

2019-05-11

author-date方式引用しづらい文献

文系学問における注と参考文献の話、補遺」(anond:20190511125053)への反応見ていて、ブコメだけじゃなくtwitterでも「author-date方式でいいじゃん」という声がたくさんあり、やっぱり伝わりにくいものなんだなぁと思いました。

author-date方式、私もそれで論文いたことあります。とても便利なやり方です。引用するのが学術論文書籍だけなら。

ところで、次のような文献はどうやってauthor-date方式引用すべきでしょうか(手持ちの英語文献から引っ張ってきた例です)。

RGASPI, f.89, op.8, d.1016, l.1.

最初アルファベット文字公文書館の略号、それに続いているのは公文書館に所蔵されている史料(つまり公文書)の整理番号です。

もういっこ例を挙げておくと、日本公的デジタルアーカイブであるアジア歴史資料センターが推奨している史料引用方式はこのようなものです。

JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02030938800(第58画像から)、共産党宣伝関係雑件/対日宣伝関係 第三巻(A.3.4)(外務省外交史料館

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/www/doc/before_browse.html

公文書館って、こういう史料がたくさんあるわけですよ。これをどうやってauthor-date引用しろと。

また、無記名の新聞記事を大量に引用するような場合、どうすればいいでしょうか。たとえば、1919年における『ホゲホゲタイムズ』の紙面からホゲホゲ国のナショナリズムを読み解く、みたいな研究普通にあるわけですが、いちいち引用文献リスト

『ホゲホゲタイムズ』は、新年を祝う記事において、「あけおめことよろ!」(Anonymous 1919a)と書いた。翌日の記事では、「謹賀新年!」(Anonymous 1919b)と述べた。……26日の記事では、「昨年は世話になったな!」(Anonymous 1919z)と主張した。さて、27日の記事では……あっ、もうアルファベットがない!

引用文献一覧

Anonymous. 1919a. “Column.” Hogehoge Times, 1st January, p.1.

Anonymous. 1919b. “Column.” Hogehoge Times, 2nd January, p.1.

Anonymous. 1919z. “Column.” Hogehoge Times, 26th January, p.1.

って書くんですか? めんどくさくねえ? それだったら普通に

『ホゲホゲタイムズ』は、新年を祝う記事において、「あけおめことよろ!」(注1)と書いた。翌日の記事では、「謹賀新年!」(注2)と述べた。……26日の記事では、「昨年は世話になったな!」(注3)と主張した。さて、27日の記事では「今年もよろしく!」(注4)と宣言されているが、これはどういう意味だろうか。

注1 “Column,” Hogehoge Times, 1st January 1919, p.1.

注2 “Column,” Hogehoge Times, 2nd January 1919, p.1.

注26 “Column,” Hogehoge Times, 26th January 1919, p.1.

注27 “Column,” Hogehoge Times, 27th January 1919, p.1.

って書いた方がよっぽどスッキリしませんかね。

もちろん、工夫すれば上で挙げたような文献もauthor-date方式引用できます。できるんですが、簡便で伝統的な書き方があるのにわざわざ不向きなauthor-date方式を使わなきゃいけない理由がわからない

なのでまあ、何が言いたいかというと、

……という感じですかね。author-date方式は便利だから先行研究の整理とかするときには愛用してるけど上で挙げたようなやつまでauthor-dateで書けとか言われたら「ああん?」ってなります

追記

author-date方式って大嫌い。(シェイクスピア2019)とか(アリストテレス2018)みたいな意味不明の注ができるし、ページ数が書いてなかったりするし、あと私は年号がない文献も使うから

さえぼー先生からこういうブコメいただけてもうなんか満足です。書いてよかった。あ、『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』むっちゃ面白かったです。

で、私はauthor-date方式はどちらかといえば好きなんですが、さえぼー先生が「大嫌い」とおっしゃるのもわかります

きじゃないなら単に使わなければいいのに何で「大嫌い」って思うかといえば、頓珍漢な推測だったら申し訳ないんですけど、「author-dateを使うべきだ! author-dateじゃないとおかしい!」って押し付けてくる他分野の人がウザいというのが理由として大きいと思うんですよね。

私もとある機会に全部author-dateで書け、注で出典表示するのはいっさい認められん、と言われて、ふざけんなこんなのどうやってauthor-date引用するんだよと食って掛かったことがあります。もうほんとね、他分野の人がどんな資料引用してるのかについて想像力を持ってほしいですわ。

というか人文系の人が理系社会科学系の人がauthor-date方式使ってるのに文句を言っている場面はまず見ないのに対して、人文系引用方式文句をつける理系社会科学系の人をそれなりに見かけるのはいったい何なの? って思います(あ、でも、『史学雑誌』の書評でauthor-date文句つけられてるのは見たことあるかも)。このへんの憤懣があるんですよね。

全部url管理して欲しい

日本語読めないマンすごい……

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

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