はてなキーワード: 統計とは
2025年11月。スレッズを開いたら、また新しいスタジオオープンの報告を見た。
出張やってた奴が場所を借りて、ちょっと機材を揃えて、夫婦でスタジオ運営を始めた、みたいな投稿。
そういうの、この半年でめっちゃ増えた。正直、見るたびにモヤモヤしている。
なぜかというと、俺もこの業界にいるからだ。記念写真のスタジオ勤務。経営も少しは見てる。
市場規模は2025年の927億円から2030年には895億円まで落ちるって言われてる。
スマホ一台で撮れる時代に、プロに写真を頼むやつは減り続けてる。この業界は斜陽産業。
それなのに、なぜみんなスタジオを開くんだろう。
戦後、写真館がバンバン開業した時代がある。ベビーブーマーが生まれ、団塊世代が育ち、記念写真をプロに撮ってもらうのが当たり前になった時代だ。
人口は増えてた。文化として「写真はプロに」という認識が浸透した。そりゃあ、その時代にスタジオを開けば商売になった。
でも今はどうか。人口ボーナスはもう終わった。逆に人口オーナスの真ん中にいる。記念写真の「プロ頼み」文化は薄れた。
スマホで家族写真を撮って、Instagramに上げるのが普通だ。七五三、成人式、婚礼——確かに需要はまだある。でも数は明らかに減ってる。
それでもスタジオを開く奴がいる。SNSで「新しくスタジオをオープンしました」と堂々と言う。
俺はその投稿を見るたびに、別の映像が浮かぶ。10年後、その投稿者が「元カメラマンの失業者」になってる光景だ。
俺の父親の話
写真業とは関係ない話だが独立という点である意味トラウマになっているのかもしれないが、父親は建設業をやってた。
1990年代後半から2000年代初頭、建設ブームの最後の波に乗って、小規模の施工店を営んでた。需要がある。仕事がある。儲かる。そういう時代だった。
でもリーマンショックが来た。一気に消えた。人口減少の波も来た。その後、建設需要は二度と戻らなかった。
父親は選択肢を間違えた。ブームの時に「ブームは永遠に続く」と思い込んだ。ブームが終わってからも「また戻る」と信じた。結果、失敗した。
写真業界を見てて、同じ構図に見える。出張フォトグラファーのブームは2020年から2023年くらいがピークだった。
コロナ禍で外出できないから、ロケーション撮影の需要が爆発した。確かに稼げた時代がある。
でも今は? その波は終わった。なのに今ごろスタジオを開く奴は、俺の父親と同じ思考回路だ。
「もう一度ブームが来る」と思ってるのか。それとも「ブームはまだ続いてる」と錯覚してるのか。
フォトスタジオ市場は2030年に895億円になると言った。これは統計で見える部分だ。でも実は、もっと厳しい現実がある。
現在、個人でスタジオを営む奴らの大多数は法人化していない。年間売上1000万円未満の小規模事業が大半だ。
これらは統計に組み込まれにくい。つまり、統計が示す「市場規模895億円」の中には、
本来なら入るべき失敗事業体や赤字オペレーションが含まれていない可能性が高い。
実際には、市場は895億円より小さいかもしれない。あるいは、895億円の中での競争が、想定以上に激しいかもしれない。
新規参入者の多くは、個人事業主として細々と営む。月の売上50万円あれば上出来。
月の営業日数は15日前後。時給に換算すれば、下手したらコンビニバイト以下だ。
正気か?
なぜ、それでもやるのか
ここが一番の謎だ。データは明白。市場は縮小。人口は減少。競争は激化。収入は不安定。それなのに、なぜスタジオを開くのか。
恐らく、理由は3つだ。
1つ目:夢。
写真への情熱、自分のスタジオを持ちたいという夢。これは強い。人間を動かす。論理を超える。
だから、データなんか見ない。市場分析なんかやらない。「自分なら上手くやれる」という根拠のない自信を持って、スタジオを開く。
出張でやってた人が、スタジオを持つというのは、一種の「昇進」に見える。場所を持つ、ブランド化する、単価を上げる——こういう「次のステップ」の選択肢に見える。
でも、実は罠だ。市場が縮んでるから、スタジオを持つことが「昇進」ではなく「沈没」になる可能性が高い。
SNSを見ると、新規スタジオの報告はいっぱい見える。スレッズ、Threads、Instagram——みんなが開業してる。
だから「市場はまだ成長してる」と錯覚する。でも統計が示す市場規模は縮小。この矛盾は何か。
簡単だ。個人事業主の新規参入と廃業のスピードが速すぎて、統計追いつかないだけ。
SNSで見える新規オープンの数だけカウントすれば、当然「市場は成長してる」に見える。
でも、その裏では同じくらいの数の廃業者が出ている。統計はそれをキャッチするまでに1年~2年かかる。
10年後のこいつらはどうなってるのか
フォトスタジオ開業の成功率は15%程度だと言われてる。つまり、100人中85人は失敗する。失敗の定義は「経営継続不可」。廃業。
2025年にスタジオを開いた奴が、2035年まで生き残ってる確率は低い。単価は下落する。競争は激化する。
新しいカメラマンは入ってくる。AI画像生成も進化してる。そんな中で、「自分のスタジオ」を守り続けるのは、想像以上に難しい。
で、どうなるか。40代になった元カメラマンが、転職活動をしてる。でも40代での転職成功率は、30代より落ちる。
新しい業界に入るなら、給与も下がる。家族がいれば、その低下を説明するのは辛い。
バンドブームを思い出してほしい。音楽やってた奴らの多くが、結局は別の仕事をしてる。
でも20代の時は、「絶対にこれで食ってく」と思ってた。現実は厳しかった。
俺はどうするのか
正直に言う。俺も怖い。この業界にいて、毎日の経営を見てて、人口減少の波を感じてる。
俺は30代だ。妻と娘がいる。スタジオは給与をくれるが、それが10年後も保証されるとは思わない。
だから、俺は動いている。副業の検討。スキルの習得。転職活動の準備。小さく、慎重に、でも着実に。
父親の失敗を見てるから、同じ轍は踏まない。ブームが続くなんて思わない。市場が戻るなんて期待しない。
スタジオを開く奴を否定する気はない。でも、それが最適な選択か、本当に考えたのか、という疑問は残る。
最後に
この記事を読んでる人の中に、スタジオ開業を考えてる奴がいたら、ちょっと待て。
市場規模、人口推移、個人事業主の成功率、10年後のキャリア。これらを冷徹に分析してから、決めろ。
夢は大事だ。でも夢の代価を払うのは、お前だけじゃない。妻もいるなら、妻も払う。子どもがいるなら、子どもも払う。
俺はこれ以上、同じ構図の失敗を見たくない。
おいおい、その主張、もはや論理でも思想でもねえ。ただの自己放尿だ。
自分の脳内ヘイトを世界にぶちまけて正義のつもりか? その構造、まんま加害の鏡写しだぞ。
まずな、集団を一括りにして有罪と決めつける時点で、自己放尿してる。
個人の犯罪率を構造的要因と分離しないまま性別で裁けと言い出すのは、文明を逆走する自己放尿だ。
お前の理屈が通るなら、ある集団に属しているというだけで死刑宣告できるわけだ。そんな法体系、瞬時に自壊する。
国家も司法も倫理も、根こそぎ崩壊する。お前が嫌悪してる暴力そのものを制度化する提案になってるんだよ。気づいてないのか?
生きてるだけで加害って言葉は、思考を止めるための自己放尿だ。
お前の脳が現実の複雑さに耐えられなくなって、因果関係を単純化してる。
人間社会を敵味方の二元に押し込むのは、知的怠惰以外の何ものでもない。
男が害だと叫ぶよりも、自分がどれだけ害を構造化して再生産してるかをまず見ろ。
例えばここ。
“周りに、支配的な人がいたり、やたら語気が強い人がいると、
自分の意見を最後まで伝えるのが面倒になったり、好きなものを否定されがちになったりするので、
批判に過剰反応しがちになる人が存在することは理解したいと思います“
AI使っとるんやろが、これが仮にAIから叩き出したデータだとしてもnが膨大なので言われたとしてもバーナム効果程度だと思うんや。きみ几帳面やな?A型やろ?って言われてそうかも、と思うレベルなんや。今回は不安にさせるようなものを意図的に出すめんどくささがあったんやがな。
そんなことより、もっと社会の真に迫る統計を叩き出してぺたーっと貼り付けたほうが効率良く論破できるんにな。AIを使うやつはそこがダメなんや。
“自分の意見を最後まで伝えるのが面倒になったり、好きなものを否定されがちになったりする“
ここで増田は自分はそうじゃない、と反論したとしても、それ以外の大多数であり結局はわいの反論や洞察にはなってないんや。
むしろ自分のアタマでじっくり文章を読んでない、もしくは同じような人間としか関わったことのないことの証左やないか。
ま、長いことトラバやり取りしてくれてありがとな😥
「100人に推測させたら中央値が18歳くらいになりそうな13歳」になら会ったことあるよ
あと、欧米の12歳なら平均的に日本人やタイ人に比べてずっと大人っぽく見えるだろうし、欧米人とのハーフだって珍しくないんじゃないかな
ご提示いただいた内容は、経済成長やGDPの測定に関するいくつかのモデルや課題を簡潔に表現したものと理解できます。
x_t = (Π A_i)x_0
これは、経済の状態ベクトル x が初期状態 x_0 から始まり、複数の線形変換または行列 A_i の連続的な積によって時間とともに変化していくプロセスを近似的に示していると考えられます。
経済的解釈: 経済学においては、動学的なシステム(例えば、資本、労働、技術などの成長)を、期間ごとの変化率やショックを表現する行列 A_i を用いてモデル化することがあります。
この式は、連続的な経済ショックや政策介入の累積的な影響を示す形式として解釈できます。
r_1 > g > r_2
これは、経済全体の成長率 g と、異なる種類の資産(または異なるポートフォリオ)の収益率 r_1 および r_2 の関係を示しています。
理論: 実質GDP ≒ Q(生産量)、名目GDP = P × Q(価格 × 生産量)
現実の課題: 物価の過小評価と正確測定の不可能性 → 実質GDP x (αP)Q
これは、名目GDPを実質GDPに変換する際の物価指数(デフレーター)の信頼性に関する、マクロ経済学的な批判を述べています。
結論 (αP)Q の解釈: 実質GDPを名目GDPから計算する場合、通常は P で割って Q を求めますが、物価 P が不正確であるため、得られた実質GDPの値は名目値に何らかの調整項 α がかかった物価の代理変数 (αP) と、真の生産量 Q を掛け合わせたような値にしかならない、という測定上の限界を示唆しています。これは、「統計に現れる実質GDPは、真の経済成長を正確に反映しているとは限らない」という、実質成長率の解釈における重要な注意点です。
統計とか出してるなら別。客観的な判断材料がないから誰が言ったかでふわっと判断するしかない。まあそうするぐらいだったら誰が言ってようが中身に客観性がないものは一切参考にしないってする方がマシ
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251111001552# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaRLcmgAKCRBwMdsubs4+ SBOhAQD63CV7OeGj/gUZotyI3SjweMYgmKNQcgk+CntqfafSWAEAp8ibZ9OGGqCu CagcM8oMeVysez551XQyBEPKMhaqOQQ= =hQtC -----END PGP SIGNATURE-----
とにかく使えない。アスペの癖に低IQのコミュ障で、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランスとして稼いでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずで法人すら立ってない事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。大学生は大人なんだからIT目指すなら一つくらい偉業をなして当然だろ、何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。今どきZ世代は大人びてるんだから新卒にもなれば普通少年ジャンプの最終回を終えた主役くらいのスペックあって当然なのに。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
もう統計出てるんだ
エンジニアである以上、一生勉強とか言っている人って、まるでエンジニア以外は勉強していないと思っていそうで傲慢さを感じますね。(偏見
ファクトとして他業種の業務時間外勉強時間はエンジニアよりもなべて短いんですけど
「統計上は短いけどきっと本当はみんな勉強してるに違いないんだなぁウンウン」って思っとかなきゃ傲慢であるとみなされるん?
バカなん?
とにかく使えない。アスペの癖に低IQのコミュ障で、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランス活動に取り組んでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずで法人すら立ってない事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。大学生は大人なんだからIT目指すなら一つくらい偉業をなして当然だろ、何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。今どきZ世代は大人びてるんだから新卒にもなれば普通少年ジャンプの主役くらいのスペックあって当然なのに。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
それでは生鮮食品及びエネルギーを除く総合(いわゆる“コアコア”)と食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合(いわゆる“欧米型コア”)の区別ができたので、改めて以下の批判に対してあなたはどう思いますか?
> 確かに一時期はインフレ率が4%を超える事態となっていたが、もうそのような局面はとっくに終わっている。
> 今のインフレは特定品目、特に総需要の影響をあまり受けていない品目だけで起きていて、食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合は前年比たったの+1.3%しかない。これは日本以外の国ではコアインフレ率として注目されているものである。
> インフレが主に食品だけで起きているなら、金融政策で総需要全体を抑え込んでインフレを下げるべきではない。とは言ってもインフレで実質賃金が下がっているのも事実だから、財政政策で何らかの手当てが必要となる。だから、金融政策を引き締めるべきでない状況下で財政拡大をするというポリシーミックスが求められているわけだ。
> 財政拡大によって総需要が刺激されれば、いま+1.3%しかなくしかも下がり基調のコアインフレ率が上がるだろうが、植田総裁らはそれを歓迎するだろう。
ありがとうございます。ご提示の批判は論点ごとに「一部は妥当だが、決定的な前提が合っていない」と見ます。要点だけ、データで整理します。
直近(2025年9月)の総合は前年比+2.9%で、4%超ではありません。これは事実です。もっとも、4%に達したのは2025年1月でそう昔でもありません(その後減速)。
「食品だけ」ではないです。寄与分解を見ると、上振れの主因に生鮮を除く食料(+7.6%・寄与+1.83pt)があるのは確かですが、同時に通信(携帯料金、+13.2%・寄与+0.20pt)、自動車保険など交通・通信の一部、火災・地震保険料等の住居関連といった食料以外の項目もプラス寄与しています。
しかも、エネルギーはマイナス寄与からプラス寄与へ転化しており(電気・都市ガスの反転、補助縮小の影響込み)、総合の上昇幅を+0.44pt押し上げました。これは「特定品目だけ」の説明と相容れません。
「欧米型コア(食料〈酒類除く〉とエネルギー除く)」単体の数値はご主張の+1.3%という断定は、少なくともこの同じ統計パッケージからは裏取りしにくい一方で、日本の“コアコア”(生鮮・エネルギー除く)は+3.0%まで上がっています。基調インフレの低下が一方向に進んでいるとは言い切れません。
さらにサービス価格の伸び(持家帰属家賃を除くサービス等)もプラス圏で、財だけに偏った局面とも言い切れません。
ターゲットを絞った財政措置(低所得層・子育て等の一時的・限定的支援)で実質所得の目減りを和らげる発想は合理的です。需要全体を強く押し上げない設計なら、副作用は抑えられます。
ただし現状は、コアコアが3%前後、エネルギー寄与の反転、非食品項目の寄与が確認できる局面です。ここで総需要を広く押し上げるタイプの財政拡大は、基調インフレ(特にサービス)を再加速させるリスクが相応にあります。
金融:拙速な追加引き締めを前提にせず、賃金・サービス価格・期待インフレを見極める「データ依存」を維持。
経済学、特にミクロ経済学に対するご意見をありがとうございます。
ミクロ経済学は、意思決定の原理や最適化といった個々の目的が明確な主体(消費者や生産者)の行動を、意思決定理論やゲーム理論といったより一般性の高い理論的枠組みへと拡張・一般化できる強力な側面を持っています。
ミクロ経済学が唯一信用できると感じられる理由は、その分析が個人の合理的行動(合理的意思決定)という明確で検証可能な公理に基づいている点にあります。
これらの分析は、オペレーションズリサーチ (OR) や最適化問題として捉えることができ、目的関数(何を最大化・最小化するか)と制約条件(予算や技術)が明確に定義されます。
一方でマクロ経済学が抱える困難さについても、鋭く指摘されています。
マクロ経済学が扱う国民経済全体の利益(国家の利益)は、ミクロの効用や利潤ほど単一で明確な目的関数として定義することが非常に困難です。
国家の利益には、経済成長、失業率の低下、物価安定、所得分配の公平性など、複数の目標が関わり、しかもそれらはトレードオフの関係にあることが多いです。
どの目標を優先するか、またパイの分け方(所得分配)をどうするかは、規範的・政治的な判断を伴うため、ミクロのように単一の最適解を導出することが難しくなります。
このため、マクロ経済学の重要な研究分野は、ご指摘の通り以下の点に集中します。
要するに、ミクロ経済学が最適化の論理という数学的厳密性を武器にしているのに対し、マクロ経済学は集計と実証という統計的・実証的な検証に多くを依存せざるを得ない、という構造的な違いがあると言えます。
ミクロ経済学の知見をマクロに応用しようとする動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルなどの発展もありますが、集計の困難さや期待形成の不確実性が常につきまといます。
ミクロ経済学を唯一信用できるとされる根拠は、分析の基礎となる前提と目的が明確であるという、その科学的厳密性に起因している、と解釈できますね。
まあ経済学にも色々あるが、唯一信用できるのはミクロ経済学と言っていい
要するに、ミクロ経済学というのはオペレーションズリサーチなのよ。消費者も生産者も個々の目的はわかりやすいってわけ
マクロ経済学は、何が目的であるのかがわからない(国家の利益というが、パイの分け方は様々)ので、厚生経済学の基本定理、どんなマクロ統計が重要でありどう分析するか、統計的因果推論、というぐらいしかやることがない
「経済学は学問ではない」というのは自分の学の無さを宣伝する行為なんだけどな
経済学は人間社会の中での資源配分や行動を、理論とデータに基づいて体系的に分析する社会科学で、自然科学のように実験室で再現はできないけど、仮説を立て、データを用いて検証する科学的手法を取るわけだし
物理学が「摩擦のない世界」で法則を考えるように、経済学も「合理的な人間」という前提でモデルを作って、そこから現実とのズレを検証して修正する
実験が難しい分、統計分析やシミュレーションを使って再現性を確保している
前から薄々思ってたけど、家庭環境が悪い男って、だいたい服が好き。これは金持ち貧乏は全然関係ない。親が医者でも家庭が終わってたら同じだし、生活ギリギリでも家族がちゃんとしてれば全然違う。単純に、家庭の土台が弱かったり機能してなかったりすると、なぜか服に行く。肌感として、ほぼ例外ない。
まず、普通の男はそんなに服に金を使わない。平均的な生活してるなら、毎月2〜3万円も服に回さないし、ユニクロとかGUで充分満足してる。必要最低限あればいい。おしゃれにハマる時期があっても、せいぜい月1でどっか見に行くくらい。服は人生の中心にはならない。趣味としては軽い部類。
でも、家庭環境が悪い男は違う。彼女いようがいまいが、とにかく買う。古着、ブランド、小物、買い漁る。金があっても買うし、金がなくても買う。クレカで無理して買うやつ、リセールで回すやつ、メルカリ漬けになってるやつ、ストリート好き、モード好き、古着屋巡り中毒。住んでる場所や学歴や収入が違っても、根に同じ匂いがある。
じゃあ、なんで服なのか。理由は単純で、家に拠り所がないから、自分で自分を作る必要があるから。アイデンティティが地盤から供給されないから、外側から拾いに行く。分かりやすく形に残る、自分のための何かが欲しくなる。服は手っ取り早い。まとえば人格の欠片になれるし、外側を変えれば中身も変わった気になれる。自分の輪郭を無理やり作る道具。
そして、服が好きな家庭環境悪いやつの多くは、自分に正直でいたいと願ってる。でも本当の自分は傷だらけだから、直接触るとしんどい。だから、布と色と形でなんとか表現する。服を選ぶことで、傷を隠しながら本当の自分に近づこうとしてる。それが本人に意識されてなくても、行動に出る。
服は、自己救済の一種。自分を肯定する儀式。家で満たされなかったものを、自分で埋めに行く作業。だから服を大事に扱う。対照的に、家庭環境が良い男は服に依存しない。自分が何者かという輪郭は、家族からある程度もらって育つから、外側に縋らなくていい。服はただの布。必要なら買うけど、それ以上の意味はない。背負わせていない。だから2万円のシャツは高い、で終わり。
家庭が崩れていたやつは、コミュニティの軸が家に無い。いるだけで肯定される場所がない。だから外側で自分を守りにいく。服はバリア。シールド。これがあれば話せる、出られる、居場所ができる。だから、季節ごとに買い漁るし、気に入ったら同じ型を色違いで揃えるし、わざわざ地方の古着屋まで遠征したりする。そこまでして手に入れるのは、布ではなく、自分自身の欠片。
あと、服を好きになるのは、感性ではなく構造の問題。家が壊れてると、親からの承認が少ない。承認の総量が足りない状態で育つ。だから外部に出て承認を回収する必要がある。服はその装置。似合うね、センスあるね、それカッコいいね、そういう小さな言葉で、穴を埋める。服は承認の代替物。
そして、家庭環境が悪いやつの服装は、必死さがある。ストリートでも古着でもモードでも、どこか背負っている。良し悪しじゃなく、雰囲気が重い。本気が出てる。自分の形を刻もうとしている。誰かに見てもらいたいとかじゃなく、自分を外側に掴まえようとしてる。家で失ったものを、布で取り戻そうとする。
もちろん全員がそうとは言わない。でも、家庭環境が良い男ほど、服をただの消耗品として扱う傾向が強いし、家庭環境が悪い男ほど、服に人格を投影する。これはもう統計じゃなく現場の肌感。例外はあるにせよ、ほぼそう。
服が好きな男が軽薄とか、服好きはナルシストとか、そういう偏見の話ではない。家庭環境が悪い男にとって、服は心の補装具だ。生き抜くための装甲であり、逃げるための鍵であり、自分を肯定する手段。だからこそ、彼らは服を買い続けるし、そこから離れられない。
家庭に居場所がないと、街に居場所を作るしかない。その第一歩が服。布の中に、自分の価値をそっと隠す。服を買うことで、自分をまだ諦めなくて済む。だから今日も、古着屋を回る。
免責事項: めんどくさいからほぼ調べずに書くし、抜けてる話や間違ってる話もあると思う。
Mozilla系の日本語翻訳はmarsfさんとdskmoriさんの2人がメインでやってる (追記: 今確認したらひとりアクティブな人が新規参入してたので3人が正しかった)。
概ねSUMOはdskmoriその他全てがmarsfという棲み分けだが、お互いどっちの貢献もやることがある。
SUMOコミュニティ解散ってのはSUMOに関わる実質的な権限持ちはdskmori1人になりますって話かな?
正直、SUMOでメインで貢献してるdskmoriさんじゃなくてmarsfさんが文句言うんや?と疑問なんだけど、
Mozillaにとっては、SUMOとかいう誰もアクセスしてない限界集落サイトの話より、marsfさんがFirefoxのその他すべての翻訳を一手で担ってることが重要だよね。
「marsfさんがSUMOの貢献辞める」って言ったってそれ自体ではどうでも良いのだが、裏の意味は「俺の気持ち次第でFirefoxの翻訳終わらすことだってできるんだぞ」って警告と読むべきかもしれない。
SUMOはFirefoxのサポートサイトね。Firefoxの使い方に疑問が生じたときにみるところ。まあそういう用途で作られているというだけで、アクセスする人がいるのかいたって疑問だが。
想定読者は技術に疎いFirefoxユーザなので、「機械翻訳ならユーザーが自分でやるから不要」みたいな意見は全くナンセンス。
Firefoxの内蔵翻訳機能はプライバシー重視という建前の翻訳API破産防止のため、ローカルのCPUで動く設計になってる。必然的にMicrosoftやGoogleの翻訳より精度がかなり落ちる。ゆえにFirefox使って普通に英語版SUMO読むより、公式で精度よい機械翻訳提供したほうが、ずっと良い体験を提供できるよね。
また対抗をGoogle翻訳のような無料クラウド翻訳と考えるとしても、サポートサイトに特化するようファインチューニングした機械翻訳エンジンを使えばHelpを助けてと訳すような暴走も抑制できるから、これも公式による機械翻訳提供に優位性はある。
なお、統計上アドオン一切入れてないFirefoxユーザーが大多数なことからわかるように技術に疎いFirefoxユーザってかなり多いからね。
Firefoxはラピッドリリースで機能がコロコロ変わるので、ある時点でベストな翻訳になっててもすぐ時代遅れになる。
dskmoriさんなどができる範囲で貢献してたとはいえ、品質維持できる量ではなかったので、SUMOには、例えばすでに存在しない機能についての記述を含む記事が普通にあった。
これは比較的アクセスありそうな重要ページでも同じで、私もさすがに見かねて貢献したこともある。
Microsoftのプロ技術者向けサイトはもともと有償の翻訳者が訳してたのを機械翻訳に切り替えたのでこれは単純に劣化なのだが、SUMOについてはごく少数の素人が自分にできる範囲で訳していたという点を踏まえる必要がある。もともとクオリティが高かったとは言えないし、機械翻訳の精度もここ2,3年で異常に上がってるから過去の機械翻訳騒動をもとに騒ぐのが正しいとも思えない。
今回の事件で思い出すのがLibreOffice日本語チームのDramaね。LibreOfficeの翻訳のメイン貢献者の某氏がある日、日本語チームのメーリスで「何でお前らはまともな仕事ができんのんや」と長文でブチ切れて、チーム脱退を宣言した事件。理念は立派でもすでに敗北の流れは決定的で新たな貢献者の望みは薄い、希望の見えないまま最後に残った1人として惰性で維持するしかない、辛い。
今回は、LibreOfficeの事件よりはヤバさだいぶ低めだけど、「翻訳ガイドラインに従っていない」「新たな人間の貢献者を育てることができない」とか、SUMOボランティア翻訳の実情を思えば「何言ってんだ、現実をみろよ」という感想にしかならないし、CCライセンスで貢献してるのに、AI翻訳の学習に使うなも意味不明。
marsfさんは、某xkcdで言うところの「感謝なしに2003年からデジタルインフラを維持してきたネブラスカ州の無名個人」に位置する人で、もっともっと感謝されてしかるべきではあるのだが、SUMOの長年の構造的な問題に対し抜本的な解決に打って出たMozillaに対して、さもコミュニティが現在も十分に機能しているかのように反論してるのがとても印象悪い。どう見ても分かってない人ばかりがMozillaを炎上させている。
20年感謝なしに維持し続けるのは幻想が必要なのはわかるが、Mozillaとしてはそういう個人に依存するのは不健全でしかないので、現在marsfさんがやっているFirefoxほぼすべての翻訳も翻訳会社による有償翻訳に移行すべき。
国境があるから戦争が起きるし、国籍があるから差別が起きる、たからこれらをなくせば戦争も差別もなくなる、という理屈