はてなキーワード: 沙耶の唄とは
おかしい。
何も出てこない。
おかしい。
俺の想像では読み終わったオタクたちによる「日本のラノベだったらストラットは確実にロリキャラだった。銀髪か紫髪の。アクエリオンシリーズに出てくるような感じの。ホシノ・ルリみたいな外見もワンチャンある。でも設定的にはロリババァだった感じかな。中華ゲーだったらブローニャみたいな感じだったはずだろう。これが大人の女性であるって所がやっぱ欧米諸国と日本の文化の違いなんだろうな。日本だったら硬派なSFを気取っていても体だけロボットにでもして無理やりロリババァにしてたと思うぜ」みたいな会話が繰り広げられているだろうと信じていたのに。
おかしい。
俺はこの宇宙にたった一人なのか?
ヘイル・メアリーに一人取り残されたような気分だ。
だが、俺は諦めない。
出ない。
出ない。
なぜだ!
辛い。
本当にこの宇宙にただ一人になった気分だ。
なんでだ。
天気の子からたった5年しか経っていないのに、もうこの世界(インターネット)は俺の全く知らない場所に変わっていたらしい。
出そうで出ない!(僕のウンチの話ではない)
畜生!
お前らが散々「火星の人頭良すぎる!俺だったらウンチを直接食べて必死に飢えを凌いでたと思う!バナナうんこパクパクモグモグ」とか言ってたことに対してのファンサービスに対してさえこの仕打ちかよ!
なんなんだよこのインターネットは!
ウンチを食ってるんだぞ!
今度はウンチを本当に食べてるんだぞ!
作者が「ははは。今回はウンチを(利用して生み出したまともな食料品を)食べるシーンがなくて寂しかったかい?大丈夫!最後にとっておきのサプライズだ!」と最高に気を利かせてくれたんだぞ!?
もしかたら、火星の人を熱心に読み込んだ読者の中には文字を読み進めながら「まだだ!まだウンチがある!ウ ン チ 食 べ ろ!」と叫んでた人もいるだろうし、その人はきっとガッツポーズを取ってたはずだろ?
もう駄目だ。
俺は孤独だ。
この宇宙に無数の宇宙人がいるはずだと信じるような気持ちで、インターネットに無数の気持ち悪いオタクがいると信じて飛び出したことを後悔している。
誰も居なかった。
一人ぼっちだった。
駄目だ。
何も出てこない。
誰も俺と同じ世界観なんて持ってない。
ようやく少しは引っかかってくる。
でも俺がしたかった話とは少し違う。
美少女の命が儚く消えるメランコリックで耽美的な物語と、おじさん達がウンチを食べながら必死に生き延びる熱血友情ドラマの対比を語っている誰かに会いたかった。
分かるよ。
オタクの国でエロゲ黄金期の主戦場として萌え萌え言ってはキンモー☆されていた奴らが、この作品とどう向き合うのかを聞きたかったんだ。
苦しい。
俺は一人ぼっちなのか?
違うと信じたい。
俺はロッキーなんだ。
きっと誰かが遅ればせながらやってきて「おいおい、先人がいたのか。確率を考えれば確かにありえる話だ」とグータッチしてくれるって信じて待つんだ。
この冷たいインターネットの中、たった一人死んだように眠りながら。
ラインナップを確認すると沙耶の唄があってさ、うわぁ懐かしい…ってなって思わずポチったんだ。
で、今日特に予定がなかったんで、一日沙耶の唄をプレイしてた。
初っ端グロテスクな背景が表示されてさ、懐かしすぎて思わず笑いそうになっちゃったよ。
ストーリー進めると「ああ、こんなんだったなぁ」なんて思って、相変わらず沙耶カワヨってなった。
というかこれエロゲーっていうよりホラゲーだよな笑と思って後半まで進めると瑤を絡めての3pシーンがあって、これがもうとってもエロいのよ。
絵だって今となっては古臭さも否めないのに(そんなことない?)現代でも通ずるエッチさがあって、エロシーンは筆致の良さも相まって、今でもそのシーンでおっ勃ってしまった!!
その時ああそういえばって昔のことを思い出してさ、このゲーム、初プレイは中学の時なんだよね。
同級生の友人が「これ貸してやるよww」って渡されたのが沙耶の唄でさ、そいつの兄ちゃんのものらしいんだけど、とにかく貸してくれたんだ。
当時、自分の部屋には中学に成ったお祝いにノートPCを貰ってたんだ。
大したスペックじゃなかったけど、エロゲーやるぐらいなら問題なくて、それで夜中自分の部屋でこっそりやってたんだよ。
最初はもうドン引き。え?なにこれ…わけわからんし、グロいしでもうほんと序盤で投げ出しそうになった。
でもさ、エロの牽引力って凄いじゃん?
これエロゲーだし進めればエロいシーンがあるんだ…って、その原動力だけで進めていったんだ。
そうして進めてみると普通にストーリーが面白くて、引き込まれて「なんなんだこれは!!?」っていう、まさに未知なる遭遇のような境遇になって、寝不足になりながらも進めて、確か二日ぐらいでクリアしたと思う。
華美な文章と耽美な世界観にも妙に惹かれてさ、気付けばグロテスクさも最初ほどには気にならなくなってた。
それから例のあのシーン、瑤をペットみたいにして3pするシーンになって衝撃を受けた。
このゲームをやる前は正直言ってまだそれほどエロに馴染みがなかったからこれほどがっつりしたセックスシーンは衝撃で、リアルに生唾が止まらなかった。
で、気付いたらパンツに染みが出来てた。というかなんかムズムズする!!?ってなって、もうドクドクですよ。気付けばドクドク。
沙耶の胡乱さには当時とてもハラハラさせられたし、呻吟や韜晦といった言葉がこれほど似合う作品も珍しいのではないかと思う。
というわけで10数年ぶりにプレイしても沙耶の唄は本当に傑作で、おすすめです。
増田は沙耶の唄で死よりも恐ろしいものがあるということを、そして愛と恋を知ったよ。
まだ遊んだことのない人は、このセールを機にぜひ遊んでみてほしい!名作だよ!
あと主人公の声カッコ良すぎるだろ…
[追々記]
思ったより反応をもらえて驚いています。
id:unfallen_castle タイトルを出すこと自体ネタバレになってしまう問題
id:atlas_estrela 適応障害で休職が決まったからゲームってまかり通るんだ。社会保険料は働く人たちが負担してるんだよな。そんなことも言ったらまずいような空気っておかしいと思う。そりゃ精神障害になる人が増えるわけだわ
ストレス源から遠ざかったら少しずつやりたいことが浮かぶようになってきたので、自分に近い体験やそれを乗り越える話を遊びたくなったんだよね。
自分自身でもこんな風に具合が悪くなると思わなかった。自分も、元気なときには療養中の人がフリーライドしているような気分になっていたかもしれない。
私があなたを不快な思いをさせてしまったら、申し訳ない。こんな体験はできればしない方がいいです。こんなにつらいとは思わなかった。
どうか心と身体にはお気をつけください。
id:molmolmine ゲーム作ってる側なので適応障害になってる時にそんな鬱ゲーして大丈夫か?という気持ちになる。お大事にね。
ありがとう。優しい言葉が身にしみます。頭木弘樹さんが『絶望読書』で書いていたんだけど、弱っているときこそ、苦しい話に癒やされることってあるように感じているのです。
ゲームづくり、応援しています。いつもゲームには本当に助けてもらっています。心から感謝しています。ありがとうございます。
id:zheyang こういったゲームがどれだけ実際の精神疾患に即しているのか、精神疾患を「びっくり箱」「お化け屋敷」のように扱っているだけではないのか、疑問。
確かにエクスプロイテーションな部分もある作品もあるとも感じます。けれど、同じくらい真摯につくっているもののいっぱいあると感じています。よかったら id:otoronoki 元精神病患者からみる「Hellblade: Senua's Sacrifice」の表現https://jp.ign.com/hellblade/17457/feature/hellblade-senuas-sacrifice とご紹介いただいた、こちらのリンクもご覧ください。
みなさん、ありがとう。
「serial experiments lain」 「星空ぷらねっと」 「アリス イン ナイトメア」 「天使のいない12月」 「マイチャイルドレーベンスボルン」 「さよならをおしえて」 「車輪の国、向日葵の少女」 「Iris and the Giant」
「ヒラヒラヒヒル] 「What Happened」 「CHAOS;HEAD」 「CHAOS;CHILD」 「White Door(Rusty Lake)」 「Tell me why」 「カルティストシミュレーター」 「Dreamscaper」 「SWAN SONG」 「シュレディンガーの手(街?)」 「Shady Part of Me」 「精神病に罹患したぬいぐるみたちを治療するドイツのゲーム https://www.parapluesch.de/whiskystore/test.htm 」……
とはいえ、今は調子がいい感じなのですが、少し調子に乗るとすぐに身動きがとれなくなるので、身体と心の調子をみながら、いろいろ調べてみます。
みなさんも、どうかご安全に!
[追記]
ブコメでもらったゲームとか、思い出したものなどについても追記してみる。
現代のデジタル社会やインターネット文化に関連するテーマを扱ったビジュアルノベル風のゲーム。
ソーシャルメディアやメンタルヘルスに焦点を当てている。実況とかで面白おかしく取り上げられたりもしてたけど、にゃるらさんが書いた「承認欲求女子図鑑」を読むと、また違った角度からもゲームの解像度が深まる。好き。
OMORI
MOTHERを彷彿させる雰囲気で、世界と夢の世界を探索し、さまざまな心理的なテーマや謎を解き明かしていくRPG。戦闘は少しだるかったけど、遊んでよかった。ファングッズを買うくらい好き。
DDLC
“DDLC”は「Doki Doki Literature Club」の略称。普通のビジュアルノベルっぽいけど……楽しかったけど、今回のニーズとは確かにちょっと違うかなー。
異世界?からの脱出を試みる学園生たちのストーリーを描いた日本のRPG。ゲームのテーマは現実と理想の間の葛藤や、社会的な問題に対する反抗などのよう。フリューのRPGは何回か手を出して、いまいち楽しめなかったものの多かったので未プレイでした。俄然興味がでました。
FlyingShine制作のアダルトゲーム。群青学院の放送部を舞台とした学園モノ。劇中で同じ時間を何度も繰り返す「ループもの」に該当するよう。(アダルトゲームには疎いのであまり知らないものが多いんだと思いました。全年齢版もあるのですね)
未プレイでした。
そういえば昔、沙耶の唄は遊びました。高次脳機能障害?認知機能障害?がテーマの一つに感じられて楽しかった。アダルトゲームは確かに病いに関連する作品も多そう。
上に天井がある。
ストレスを抱えた少女が、天井を探検しようとする短編心理アドベンチャー。
[追記終わり]
精神障害をテーマにしたゲームが好き。ただ、適応障害とかバーンアウトをテーマにしたゲームが思いつかない。
実は今月から適応障害で休職が決まった。自分の体験に近いゲームがしたい。そんなゲームがしたい。
以下は、知っていたり、触ったりしてきたゲーム。
Hellblade: Senua’s Sacrifice
主人公センアが幻覚や幻聴に苦しむ過程を通じて、統合失調症に関連する体験を描写。有名。
The Town of Light
1930年代から40年代のイタリアの精神病院を舞台に、主人公が自身の過去を探る過程で精神疾患に関するテーマが描かれる。
Night in the Woods
大学を中退し、故郷に戻った若者メイが自身のうつ病や不安と向き合う過程を描いています。物語の中で、彼女の精神的な苦悩が深く描かれています。気になっているけど、未プレイ。
Celeste
主人公のマデリンが山を登る物語を通じて、うつ病や不安といった精神的な障壁を乗り越える過程が描かれます。ゲームの難易度とテーマが巧妙にリンクして、大好き。
Milk inside a bag of milk inside a bag of milk
Neverending Nightmares
4PM
主人公がアルコール依存症を抱えながら過ごす一日を描いたインタラクティブな短編。短編だけど、結構印象に残った。
うつ病の部屋
うつ病を患う主人公の話。マウスが重くなる演出が好き。ゲームでゲームを喩えるのもアレだけど、フローレンス的なゲーム。
アルコール依存症とその影響をテーマにし、子供の視点から家族の困難な状況を描いている。アルコール依存症の影響とそれに対する親子の葛藤をどう克服するかについてを描いている。好き。
・沙耶の唄 オタクが大好きなイメージ。正直火の鳥復活編の丸パクリだという指摘を回避できる余地はない気がするが、晩年のFate/Zeroやら、まどか☆マギカとかで虚淵にバフかかってなんか評価されている模様 ・ファイナルファンタジー9 FF14の最新パッチ7.0のモチーフがFF9なのではないかと話題なところ。なんかネットに転がっているFF9評を見るに誰かを助けるのに理由はいらないらしいが、ダガーとかいう名前はない。 私の生まれ世代的に当時の名を上げた時期を知らない点が大きいのかもしれない。 anond:20240108201833 追記ダガーはガーネットの偽名だぞ そんなの普通にゲームしてればわかる話ではないか 追記2そこに当時はまだマイナーだったクトゥルー神話的な要素を取り込んだ上で、クトゥルー神話的な価値観を肯定してみせたことに当時としては新しさがあったかも。 それもうちょっと具体的に書い
デアボリカを知ってるなら2000年前後にエロゲを遊んでたオタだろうから、
月姫(ヒロインの覚醒時間が短くて精神年齢は見た目なりだけど)とか、
うたわれるもの(主人公の記憶回復と伏線回収されるまでは、そういう描写は無いけど)とか、
沙耶の唄(ヒロインは長命種の類だが、主人公との逢会以前の話が描かれてないけど)とか、
腐り姫(実際はやってない。ふたばで同様にミーム化してたので、上記とセットで書いた)とか、
とらいあんぐるハート3(ヒロインは吸血鬼だったけど、主人公と同世代で主人公没後の話があったわけじゃなかったような。忘れた)とか、
らいむいろ戦奇譚(確かロリババアがいたような。アニメしか観てない)とか、
いろいろ思い出すゲームがあると思うが
最高に面白かったし、自分の色を出したまんま万人受け狙ってあれだけ面白いって凄い。
minoriブランドでエロゲのOP描いてた頃から新海誠は天才なんですけど、昔のえっちなPCゲームって大体こういうストーリーだったよなって。
ググったらおんなじような事考えてる大人が沢山いて、あのこの人達は自分と同類のクソッタレオタクだから信用できる。
私はね、色々な事を思い出していて、丁度今死にたい気分なんだ。
雫、痕、うたわれるもの、Phantom of inferno、WHITE ALBUM2、ましろ色シンフォニー、こなたよりかなたまで、るいは智を呼ぶ、はぴねす!、俺たちに翼はない、家族計画、カタワ少女、水月、カタハネ、ソルフェージュ、月に寄り添う乙女の作法、乙女は僕に恋してる、オトメ*ドメイン、さよならを教えて、夜明け前より瑠璃色な、北へ。〜Diamond Dust〜、Alr……ぜんぶぜんぶ懐かしい、遠い過去の記憶。
ToHeartでシナリオライターやってた高橋龍也はアニマス、アニメ化したモバマスの脚本の中枢を担っているし、月姫で一旗揚げてFateで法人化した有限会社Noteはなんと今もFateのソシャゲでがんがん稼いでる。
FrontWingなんて成功しないと思ってたブランドがグリザイアで一山当ててアニメ化まで漕ぎ着けたし、老舗のエルフは倒産した。
沙耶の唄の虚淵玄はこないだまで仮面ライダーの脚本描いてたし、今は西川貴教と組んで人形劇の脚本やってる。
ライアーソフトの有能ライターだった桜井光はフリーになってFateのソシャゲで若い世代から叩かれてるし、家族計画、CROSS†CHANNELの田中ロミオは一般向けのラノベ描いてアニメ化までした。
パルフェの丸戸史明の描いたラノベなんてこれから劇場公開が控えてる。
星空めておはNoteに飼われてからはあんまり世に作品を発表しなくなった。
この15年ぐらいで、何もかもが変わってしまった。
あっという間だった。
今も変わらない気でいるのは私だけだ。
今もあの頃の幻影を追っかけているのは。
戻りたい。
何も考えずPCゲームに没頭して、天才シナリオライター達が描いた夢物語に浸っているだけの日々に。
気が向いたら横浜に遊びに行ってネットミームの話で友達と盛り上がるだけで良かったあの頃に。
新海誠がこれだけ面白い脚本描いて映画作品として世に発表してる世界で、一体私は何をしてるんだ。
好きでもない仕事で日銭を稼いで、精神を壊しそうになりながら会社にしがみついて。
通勤中に、休日に、小説家になろうやハーメルンやArcadiaや東方創想話を覗いて、自分じゃない素人の小説を読んで夢の残滓を追っている。
この人生はまるで、夢を見てた学生時代の残りかすみたいな人生じゃないか。
こんな意味も価値も感じられない人生が残り30年も40年も続くなんて、想像しただけで恐怖で身がすくむ。
どこで人生を間違えてしまったのだろうと考えた時、逆なんだと思い立った。
人生を間違えなかったから、IT関係の会社勤めなんてくだらない結末に至ってしまったんだ。
4月に入社してからもう4ヵ月になる会社勤めは、別にやりたい仕事でもないが、安定した収入になる。
内容にかんするきちんとした反論であったので、言及する必要を感じた。
ちなみに意見としてはこの三行が要旨であろう。
> 奈須作品は主人公の生き様を見てヒロインが主人公に惚れるケースの方が圧倒的に多い。
> そこを、分かり易い恋愛スイッチでキモ男にコロリと落ちるチョロインと勘違いしないように。
> 増田に女性の主体性って視点がない。何かしてもらったからじゃなくて、何かしているのを見て恋をするんだよ。
おそらくだが、ほぼほぼこれは衛宮士郎、岸波白野、藤丸立香を指して言っているのだろうと思う。こいつらの特徴は、生き方や人生に対する向き合い方=人格的な部分を評価されているエピソードが多いところである。これはwikipedia見るだけでも一目瞭然である。だが、その上であえて言おう。それは間違っている。なぜならば
その証拠に、型月の主人公はただのむっつりスケベである。彼らは純朴・朴念仁・お人好しという格好を装っているだけで、実はメチャクチャむっつりである。これはFate/Extra、Extellaのストーリーを追っかけていればわかる。こいつら、実はかなりヒロインに対してセクハラしてる。ただ同じくらいヒロインたちが主人公に対してセクハラをする。ただ、重要なのはセクハラがどうとか主人公がむっつりである、とかそういうところではない。要するにここから那須きのこ氏の作風が透けて見えるのである。つまりキャラクターがシナリオに追従している、という作風である。
本当はこいつらメチャクチャむっつりのドスケベ野郎なのに、ストーリーやエピソード全体で語られる人格は「公明正大で忍耐強く、極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好し」なんだぜ?なんでこういうキャラ付けがなされるのかというと、これまた単純な話で、要するにこいつら性癖を隠すためにこういうキャラ付けがされているだけなのだ。で、特にこれが言いたいのだけれど、本当に主人公たちがマジで性癖があってエロくて人間的に駄目なやつなら全然問題ないのだ。それは単にキャラクターの人物像を掘り進めた結果としての個性になる。だが那須きのこの場合は違う。那須きのこは自分自身の性癖や変態性を隠すために主人公に「人格者」というキャラ付けをする。つまりキャラクターからストーリーを生んでいるわけではないのだ。こいつの性的嗜好を満たすストーリーのためにキャラクターを配置しているだけなのだ。これがキャラクターが描けていない所以だ。
したがって、“女性の恋への主体性という観点が抜けている”という指摘があったが、これも違うと言えよう。何度も言うが、Fateのヒロインは基本恋愛スイッチを押されているだけだ。主体性に似たものをエピソードの中でときたま見せるときもあるが、これをもってしてFateヒロインに恋に落ちる主体性があると考えるのは間違いだ。単にストーリーのつじつま合わせを狙っているだけに過ぎず、これを持って「きちんと好きになった理由がありますよ」とエクスキューズする逃げ道を作ってるだけにしか見えない。そしてそれを成立させるための男性のキャラクターを逆算で考えるため、追従的に男性キャラクターを没個性的なくせに妙に正義感を使命感あふれて包容力がある実はムッツリスケベな男性像ばかりにしてしまうのである。
この代表格は型月ヒロインの代表格:セイバーさんと衛宮士郎くんの関係である。
これは有名な話だと思うが、セイバーはもともと男で衛宮士郎が女という設定だったことを知っているだろうか。Fate/Prototypeで描かれている関係こそが、fate/Staynightのもともとの形だったのである。これがキャラデザ担当の意向とエロゲ売り前提事情から何故かセイバーを女にしてシナリオ改訂しなければならくなった、という逸話は有名だ。(没個性型主人公というのもエロゲによくある話なので、型月主人公の妙な没個性性の源流をここに求めることも可能だろうとは思う。が、私としては前述にも述べたようにきのこ氏の作品発表系列として「空の境界」の黒桐くんを源流と考察しているし、これは間違いないと思っている)
さてここで問いたいのだが、元英国騎士王が現代高校生の落ちこぼれ魔術師もどき男子のところに召喚されてきて恋に落ちる主体性ってなんだろう???
そんなもんあるわけねーだろ。初っ端からシナリオが無理筋じゃねえか。こんなもんまともなストーリーになるわけない。よくてギャグにしかならん。衛宮士郎の人格的な闇?英国騎士王セイバーさんの聖人君主たるがゆえの騎士王としての悩み?アホかそのどこに恋愛につながる要素があるんだよ。シナリオを読めば分かるけど、終始衛宮士郎はセイバーさんを女の子扱いするために謎の頑張りを続け、デートをして現代日本の遊楽街を引っ張り回したリ飯食わせてみたりいろいろデートイベントらしきものを作ってはいる作ってはいるが(ry あれこれシナリオの中で理由らしきものは語られてはいる、語られてはいるがどれもこれも取ってつけたようなよくわからんエピソードばかり。
結局このひとことで終わっちまう気がしてならん。だってエロゲですもん。でもこの言葉で終わらせてしまったら思考停止。言葉に出した時点でシナリオに対する分析する意味自体なくなっちまうパワーワード。でもある意味では結局この言葉に行き着く気がする。要するに、Fate自体最初からつじつま合わせのためにシナリオが存在してきたようなものだ。恋に落ちて人間性を取り戻す英国騎士王という文学をエロゲにするためには、きちんと主人公とセックスするために英国騎士王を女にして、彼女とデートする必要があったんだろううん。果たしてエロゲを描くために英国騎士王を出してくる意味があったのかどうかは置いても、だ。そう、Fate/StayNightはもともとエロゲだったのだ。だからしょうがないのだ。人間性を描けていなくても、女性の恋に落ちる主体性にいまいち説得力がなくても、主人公が単にライターの性癖を隠すためだけに没個性的で奇妙なくらいに人格者でありながら実は内面は単なるむっつりスケベでも、しょうがないのだ。
そんなわけねーだろ。エロゲならキャラクターを描けてなくてもいいのかよ。そんなわけあるか。そんなこと言ったら虚淵さんだってエロゲライターだぞ。しかも割とストーリー性も評価されてるタイプのエロゲライターなのである。なのにこの作品の完成度の違いは一体なんなのだ?というもっともな指摘を那須きのこ氏は逃れられない。元がエロゲだから、元々無理筋なシナリオだから、こじつけっぽいのはしょうがない?それは単なる言い訳だろう。
少々反論もあった衛宮士郎についても言及しておこう。すなわち衛宮士郎とは、やりたいシナリオのためにキャラクターの人間像に説得力のあるエピソードを加えていく奈須きのこ氏の作風の中でも顕著な失敗例、である。主人公が没個性的な理由かつ妙なヲタノリをするのは間違いなく主人公たちが奈須きのこ氏のアバターとしても機能しているからだと私は睨んでいる。それを踏まえて何度も言うが、基本的に奈須きのこ氏はむっつりスケベなので、むっつりスケベなエピソードを書くために女の子が存在している。そしてその女の子と対比させる形で男性キャラクターを反存在的に生み出している。つまり男の子は所詮反射的にいなきゃいけない存在だから生まれてくるキャタクターに過ぎない。そしてむっつりエピソードを成立させるためには女の子がそれなりに異常でなければならないが故に、その異常な女の子に好かれてかつ包容できる男は同様にまた異常でなければならない。つまりシナリオの必然性のためにキャラクターのすべてがつじつま合わせのプロフィールを持っているに過ぎず、衛宮士郎くんの場合は元英国騎士王でありながら実は女の子という異常性を持つセイバーというキャラクターが、魔術適正がありながらほぼ無力の男子高校生である士郎くんとの恋愛を成立させ、恋愛における主体性を持って最終的に結ばれるエンディングを迎えるためには衛宮士郎くんにもそれなりに異常であり傷がなければならない、というシナリオライター的バランス感覚から逆算して生み出されたつじつま合わせのキャラクタだからだ。
そろそろ言いたいことが分かってきてもいいんじゃないだろうか?厨二病という自意識過剰な男性像が自尊心を失わずに英国騎士女王のような格上の女性とデートを成立するために必要な自意識過剰さを支えるために異常性というプロフィールが用意されている。まさにシナリオ追従でキャタクターを配置していることで起こる典型的な弊害だ。
ちなみに青セイバー・アルトリア・ペンドラゴンの過去と元英国騎士王という過去がある女を落とすために主人公(男)もまた異常でなければならない、という等式は単に奈須きのこ氏の脳内にある思い込みであって、実際にはシナリオライターの技量次第でまったくそうではないと思うし、そもそも衛宮士郎くんが男子高校生である必要もまったくなかったと思うが(※例えば虚淵氏が描く衛宮切嗣氏とセイバーの関係の方がよっぽどドラマティックな恋愛シナリオが書けたのではないかと思うくらいだ)そこは突っ込んではいけないらしい。(※これは単に奈須きのこ氏が衛宮切嗣のような男性像を描けなかったからであり、これは彼のキャラクター像が描けないというシナリオライターとしての欠陥からくるものだ。これがいかに病理的であるかは全開語った通りなので割愛するし、この原因は彼のむっつりスケベからくるものだと私は主張してはばからない。そしてこれを乗り越えて、魅力的な男性キャラクター像をきちんと描けるようになることが、奈須きのこ氏の課題だと筆者は思う)
わりと上記のような指摘があったような記憶するので、一応代表的な脚本家をあげてみる
シナリオライターのタイプにはいろいろあるが、実力の高い作者がよく言うこととして「キャラクターが勝手に動いて言うことを聞いてくれないことがある」。これはキャラクターを掘り下げて書くことが得意なタイプによくある特徴で、稀代の脚本家でいえば特撮系の脚本家として有名な小林靖子氏などがそうだろう。氏は脚本を書いていて、シナリオがキャラクターにらしくない行為を強いている場合に、躊躇なくキャラクターにシナリオを追従させる。つまりシナリオをキャラクターに合わせて改変させてしまうのだ。これはキャラクターをシナリオの駒と考えるシナリオライティングとは真逆のアプローチだが、結果としてこれが人間像をきちんと描くことからシナリオ自体の評価につながる事が多い。
また同じようにキャラクターが持つ人間像から醸し出される雰囲気や空気感を出すことにかけては吉田玲子氏の名前を出さないわけにいかない。氏の名前を検索すればすぐにでも代表的な作品がいくらでも出てくるはずだ。この人も脚本賞を二度受賞している。このひとの名前を出すと、すぐにガルパンとかけいおんが出てくるのだが、私としては「デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」とか最近の作品では「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」や「夜明け告げるルーの歌」などを上げたい。他にも「猫の恩返し」「若女将は小学生」キャラクターを描けている、とはこういう作品のことを言うのではなかろうか。特に氏の作品はシナリオの安定感が抜群で評価できる。バランスがよく、それでいて繊細で、何気ない日常の何気ない動作の中に登場人物の感情を表現する手腕には舌を巻く。
女性ばっかりなので、男性も上げておこう。他でもない筆者は虚淵さん大好きである。Fateの中で唯一好きといえるシナリオはFate//Zeroと豪語するくらい虚淵押しである。当然PsychoPassも押さえている。ちなみに筆者を女性と指摘する声もあったが、残念ながら私は男性である。「まどマギ」はもちろん「楽園追放」「沙耶の唄」も消化済である。氏のシナリオの面白いところは、なんだかんだ言って社会風刺を含めたメッセージ性をきちんとエンタメシナリオの中に押し込めることが出来ているところである。しかもこの辺を、いわゆる世間の「反戦」だとかいうご教育主義的で説教臭い作品ではなく、エンターテインメントという作品の中で行えているところがすばらしいと思う。あくまでこれはエンタメなのだ、という前提を忘れてしまえば、主義主張の強いプロパガンダのような作品になってしまう。こういう哲学ばかりするアニメーションではなく、きちんとエンタメをやっていながら、そのエンタメに深みを与える要素として社会風刺がきちんと出来ているところがとても良い。氏の脚本のハードボイルドな側面には魅了されるばかりだ。