「小説家」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 小説家とは

2024-12-12

森奈津子また敗訴したんか

小説家だったころの森奈津子は好きだったよ

10年ぐらいもう新作出せてないし、それで下半身不随の旦那養いながら食っていくにはカスみたいなことやるしかないんだろうけど

学研ラノベ業界から撤退しなければ、異性と普通に結婚たからとセクマイ業界が森を遠ざけなければ、夫が障害者にならなければ、森奈津子は今みたいにならなかったのに

森奈津子主人公小説シリーズまで出してた西澤保彦彼女の現状をどう思ってるんだろうな

西澤保彦フェミニストかつセクマイ系が好きでその手の題材をよく取り扱っており、そういう部分で森奈津子共鳴した点は多かったんだろうけど、今はもう遠く離れすぎた

小説家森奈津子はもう死んだが西澤保彦は生きてるので、神麻嗣子シリーズちゃんと完結させてくれ

2024-12-09

anond:20241208220342

コピペ引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ

だってけが多いなっておもったのによ

NHK朝ドラ 実在する人物を描いた作品一覧

1964年うず潮

作家林芙美子モデル

原作放浪記」「うず潮」など。

1966年おはなはん

原作者・林謙一の母、林ハナ(旧姓:深尾)がモデル

林謙一「おはなはん

1977年いちばん星

昭和流行歌手第1号で日本初のレコード歌手

佐藤千代子がモデル。「あゝ東京行進曲」が原作

1978年おていちゃん

女優 沢村貞子の半世紀。

沢村本人の「私の浅草」「貝のうた」が原作

1979年マー姉ちゃん

漫画家長谷川町子の姉、長谷川鞠子がモデル

長谷川町子の役は、田中裕子が演じた。

サザエさんうちあけ話」が原作

1981年本日も晴天なり

NHKアナウンサー作家近藤富枝モデル

1984年心はいつもラムネ色

上方漫才代表する漫才作家秋田實モデル

わろてんか」では藤井隆が演じている役。

秋田實関連書籍

1986年はね駒

女性新聞記者草分け、磯村春子モデル

1987年チョッちゃん

黒柳徹子の母、黒柳朝自伝エッセイ

チョッちゃんが行くわよ」が原作

1990年凛凛と

早稲田テレビジョン開発者川原田政太郎モデル

発明家でもあり、特許取得数は60にも及ぶ。

1994年春よ、来い

戦争を乗り越え、大学に進学し脚本家として成功した後、

最愛の夫を見送るまでが描かれている。

原作である脚本家橋田壽賀子モデル

1997年あぐり

美容師草分け的存在で、

女優吉行和子の母、吉行あぐりモデル

原作梅桃(ゆすらうめ)が実るとき

2000年オードリー

本作の作者である脚本家大石静モデル

DVD未発売。

2003年てるてる家族

作詞家作家なかにし礼の妻で、

女優いしだあゆみの実の妹、石田ゆりモデル

原作てるてる坊主の照子さん

2006年芋たこなんきん

ソフト化されていない。

小説家随筆家田辺聖子自伝ドラマ

田辺本人のエッセイなどが原案

楽天少女通ります私の履歴書

2010年ゲゲゲの女房

漫画水木しげるの妻、武良布枝モデル

原案は、妻布枝の自伝エッセイ

ゲゲゲの女房 人生は…終わりよければ、すべてよし!!」

2011年カーネーション

ファッションデザイナーコシノ三姉妹」の母、

小篠綾子モデル。「コシノ洋装ものがたり」

2014年花子とアン

児童文学翻訳で知られる、村岡花子モデル

村岡恵里(孫)「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」が原案

2014年マッサン

ウィスキー製造技術者ニッカウヰスキー創業者

竹鶴政孝とその妻リタ夫婦モデル

竹鶴夫妻 関連書籍

マッサンとリタ ジャパニーズウイスキー誕生

2015年あさが来た

炭鉱事業大同生命創業に参画、銀行女子大学

設立した女性実業家広岡浅子モデル

吉川智映子「土佐堀川 広岡浅子の生涯」が原案

2016年とと姉ちゃん

暮しの手帖編集者大橋鎭子モデル

大橋鎭子著書「「暮しの手帖」とわたし

2016年べっぴんさん

子供服を中心とするアパレルメーカー

ファミリア」の創業者のひとり、坂野惇子がモデル

坂野惇子著書「子供服にこめた「愛」と「希望」」

2017年わろてんか

吉本興業創業者吉本せいモデル

吉本せい関連書籍お笑い帝国を築いた女」

2018年まんぷく

チキンラーメンカップヌードル開発者で、

日清食品創業者安藤百福の妻、仁子がモデル

関連書籍チキンラーメン女房 実録安藤仁子」

2019年なつぞら

アニメーション時代考証担当した

アニメーター小田部羊一の亡き妻奥山玲子がモデル

漫画映画漂流おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一

2019年スカーレット

女性陶芸家草分け神山清子がモデル

自然釉薬を使った陶芸第一人者

ドラマ内の陶芸作品は、神山から借りた作品

緋色のマドンナ 陶芸家神山清子物語

2020年エール

作曲家古関裕而とその妻で歌手金子モデル

古関著書「鐘よ鳴り響け」

2020年「おちょやん」

松竹新喜劇活躍した女優浪花千栄子モデル

関連書籍昭和日本笑顔にしたナニワのおかあちゃん女優

2023年「らんまん」

植物学者、牧野富太郎モデル

牧野富太郎関連書籍

2024年ブギウギ

ブギ女王といわれた歌手笠置シヅ子モデル

笠置著書「歌う自画像 私のブギウギ伝記」

2024年「虎に翼」

日本初の女性弁護士の1人であり、

初の女性判事及び家庭裁判所長の三淵嘉子がモデル

三淵嘉子関連書籍

2025年あんぱん」

漫画家やなせたかしの妻、小松暢がモデル

関連書籍アンパンマン誕生までの物語

2025年「ばけばけ」

小泉八雲パトリックラフカディオ・ハーン)の

妻・小泉セツがモデル

関連書籍思ひ出の記」小泉節子

2024-12-07

CIAは、勧誘した女にハニトラさせ、薬さえ盛らせることもあり、その罪を自作自演で裁いて、性奴隷にしてレイプして殺す

 胡桃沢耕史という小説家の『キャンパス秘密探偵団』という小説には、その計画の一端が描かれている。

 CIA工作員として勧誘された大学生が、処女をエプスタインみたいな男にささげた挙句、エプスタイン島みたいなところで訓練を受け、ハニトラした後に、ウクライナに送り込まれ東ドイツ権力者たち専用の地下都市みたいな場所で飼われて、ソ連の高官の愛人にされる。

 こうしたプロットは、昔のポルノ小説によくある陰謀論的な設定だが、現実において、エプスタイン島はあったし、アゾフスタリ地下製鉄所には、ソ連が作った巨大な地下施設存在した。

 要するに、勧誘されたハニトラ工作員は、こういう施設に送られて、監禁レイプ処分されるわけだ。

 そうした行為は、彼女らが、無実の一般人男性に罪をかぶせ、薬を盛り、破滅させた裁きとして実行される。

 つまり自分たちでそれをやらせて、自分たちでそれを裁くのだ。

 日本の、異常なハニトラ状態特に痴漢冤罪オンパレードは、こいつらを性奴隷にするために行われている工作だろう。

どうして作家小説家漫画家音楽家アニメ監督など広い意味創作者)は自己模倣の道を選ぶのか?

だいたいの作家最初のヒット作品が生まれたらその作品から派生する作品順次生み出しいく。

だいたいにおいてそういった作品群はヒット作品で獲得したファン層を満足させ商業的にも概ね成功する。

しかし、ある時点から作家はその自分作風から脱却することを目指す。

しかし、しかし、これもある時点からむしろ自分過去作品模倣するかのような作品を生み出したりする。

なぜ作家はそのような作家人生をまるで藩を押したかのように歩むようになるのだろうか。

2024-12-05

文フリ発行アンソロジー寄稿したが場違いだった

先日行われた文学フリマで発行された某アンソロジーに私は寄稿した。

きっかけはTwitterで「公募エッセイ募集します」というツイートを見たから。ただのエッセイ集ではなく、ひとつテーマが決められているエッセイ集であり、「面白そうだな」「ちょうど書きたいことがあるな」と思って参加することを決めた。

限られた文字数制限の中、決められたテーマに沿ったエッセイ執筆し応募した。そしてありがたいことに掲載が決定した。内容次第では掲載出来ないと書かれたいた中でその連絡はすごく嬉しかった。特に報酬はなくアンソロジー献本1冊のみだったが、読みたい本を頂けるだけで非常にありがたかった。

自分文章が載らなかったとしても購入したいと思っていた。なんでもない、自分となんら変わりない人間の考えていることや人生だったりをエッセイブログを通して読むことが元々好きだった。同じテーマでみんなは何を書くのか、気になって仕方が無かった。「匿名掲載することも可能」と応募要項に書かれていたこから、かなり癖のあるエッセイが読めるのではないかと密かに期待していた。(特に尖っていなくても大抵面白いと思って読むが)

文学フリマ開催2週間ほど前に、企画アカウントからイベントに向けた告知ツイートがされた。

見てみると、告知画像に私の名前は無かった。たくさん並んだ執筆者の名前最後に「他」と書かれていただけ。

たくさん参加者がいたんだなくらいにしか思っておらず、特別自身名前アピールたかったわけでも無かったので、この時点では不思議に思っていなかった。

この告知ツイートの直後、企画主催者から「出来れば告知ツイート拡散してほしい」という旨の連絡が届いた為、自身アカウント引用ツイートした。

告知画像自分名前が載っていないのに「このアンソロジー寄稿しました」というのはなんだかおかしい気がしたが、なるべく多くの人の手に渡って欲しいと思ったので喜んで協力した。

企画アカウントの方で参加者と思われる方の宣伝ツイート(「寄稿しました」「是非お手に取ってください」等)がリツイートされて回ってくる。しかし私の告知ツイートリツイートされることは無かった。まぁ見逃してるのかな、別に告知の宣伝を全員分リツイートしなくてもいいしな、とあまり深刻に考えていなかった。

リツイートされているアカウントをふと眺めていると、全て告知画像名前が載っているアカウントばかりだった。リツイートされたアカウントひとつずつチェックすると、全て1万人以上フォロワーがいるアカウントだった。

一方私のアカウントは、日常ツイートするだけのフォロワー数3桁のアカウント

恥ずかしくて消えてしまたかった。

それから「力になれば」と思って告知ツイートを何度かしたが、もちろん企画アカウントリツイートされることはなかった。その間も万単位フォロワーがいる、名前掲載されたアカウントばかりが企画アカウントリツイートされていた。

動けば動くほど、恥ずかしかった。

文学フリマ当日、アンソロジー完売したらしい。それは非常に嬉しく思ったが、なんだか恥ずかしくてあまりちゃんツイートは見れなかった。

文学フリマ開催日から数日後、企画主催者から献本が届いた。恥ずかしく思ってはいたが、本自体は楽しみに思っていたので読み進めていく。そして異変に気付く。

自分が応募した際に規定されていた文字数制限を大幅に超えて執筆している人ばかりなのだ

おや、と思いつつもエッセイ自体面白かった為、あまり気にせず読み進める。6人のエッセイを読んだが、どれも文字数制限を大幅に超えている。

そして7人目のエッセイを読み進める。公募募集時に「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きがあったにもかかわらず、このエッセイ自分語りだらけで、なんならテーマにも沿っていなかった。

まり面白くないなと思いつつ最後まで読んだ。そして最後文章は以下の通りだった。

"普段文章なんか全然書かない。お金貰わなきゃ一生書かなかったと思うから、今回この機会貰えて嬉しかったすw"

ああ、なるほど。

本当に自分場違いだったんだ、と理解した。

企画主催者自分の好きな著名人文章を書いて貰う為の口実として作られた企画だったんだ。

本をパラパラとめくると、企画主催者お金を渡して文章を書かせたであろう十数人には、来歴についてのページが用意されていた。映画監督写真家小説家など。何年生まれでどの大学を出た、こういう大きな仕事をしている等、書店で売られている本に掲載されているような紹介ページが個々に用意されていた。

一方自分掲載されているページを見た。もちろん後ろから数えた方が早い位置掲載されており、名前のみの掲載だった。

恥ずかしいというよりも、やるせなさがあった。

私はこのアンソロジーを、一読者として楽しみにしていたのに、「私が好きなクリエイター文章を書かせるためのきっかけ」でしかなかったことをハッキリとわかってしまった。

企画主催者公募エッセイ募集したのは、本のボリュームを出したかたからであって、「このテーマで色んなエッセイを読みたい」という気持ちから募集ではなかったのだ。企画主催者特に著名人でもなんでもない素人の書いた文章に、ページを割きたくはなかったんだろう。

公募募集時の「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きも、素人自分語りは聞くに堪えないが、自分の好きなクリエイター自分語りなら大いに結構というスタンスだったのであろう。

別にお金を貰いたかったわけでもないし、来歴ページを用意して欲しかったわけではない。献本を頂けただけでも非常にありがたく思っている。

言語化が難しいが、すごくやるせなくなってしまった。

せめて、せめて自分から頼んでお金を積んで文章を書いて貰った人にはそうとわからないようにして欲しかった。参加者全員平等に扱って欲しかった。

「このテーマ文章を書きたい!」という強い気持ちがあるわけでもない、ただただお金を貰って文章を書いている人ばかりのアンソロジーだとわかってしまってから、ひどく陳腐ものに見えてしまって以降この本を読めていない。

テーマが魅力的で期待していたばっかりにガッカリしてしまった。

所詮趣味同人活動なので、別にこの企画主催者のようなやり方があってもいいと思うが、一参加者として良い気持ちではなかったということをここに残しておく。

2024-12-03

anond:20241203081627

最低ライン現金資産で3億円以上かな。

でもそれは脱出出来る、って話だけで

日本現金資産3億以上持ってる人の生活日本脱出して維持するなら不労所得で年間3000万以上

現金資産10億は欲しいね

そうまでして海外脱出する意味分からんけど。

それとも貧困バックパッカーでもやって年金貰う頃に日本に帰ってくるつもりなのか。

あとこれは独り身想定なんで子供とか家族いるなら会社オーナーとか投資家じゃないと日本脱出は無理かなー?

ヤマザキマリくらいの売れっ子クリエイターなら出来るか。

それ以上の漫画家とか小説家脱出は出来ると思うけど、したいかどうかは別というか、脱出してどうするの?って話。

日本より快適に暮らすのは前澤クラス金持ちじゃないと難しそう。

というか、世界一YouTuberが「日本暮らしやすい」と言って移住してきてる時点で…😅

外人は億単位収入があれば日本に来るのに、日本以外の何処に行きたいのか🤔シンガポールとかドバイとか?そこに行って何を求めて居るのか🤔

2024-12-02

LLMやAIのべりすとは叩かれないのになぜイラスト生成は叩かれるのか

小説家翻訳家が怒ってないか

AIのべりすとのクオリティイマイチ小説家が脅威を感じていないか

アマチュア小説で食えている人がいなかったかAIのべりすとが入ってきても市場を奪われた感じはしないがセミプロ美少女イラスト系には結構そこで収入を得ている人がいたか

なんか色々意見が出てくるけど何なんだろうね

2024-12-01

出勤が嫌すぎて嫌すぎて嫌すぎて嫌すぎて嫌すぎて嫌すぎて

社会人5年目の男。

地方自治体職員

社会人1年目の入庁2日目から5年目ももうすぐ終わる今日まで毎日頭の中が「仕事行きたくない」で埋まっている。

朝の電車、帰りの電車、週末の飲み会彼女とのデート旅行家族旅行、友人との旅行や遊び…

そのすべての瞬間において「もう仕事いきたくない」が脳内の大半を占めている。

この4年と8ヶ月、有給意外で仕事を休んだことや休職することなく過ごすことができたのは本当に奇跡だと思ってる。

この地獄のような日々を抜け出すべく今まで小さなことから大きなことまで色々とやってきた。

公認会計士勉強仕事以外の時間を費やしたこともあった(途中で監査法人に勤務してる間は今と変わらない生活であることに気がつき断念した)。

小説家になるべく純文学もどきの作文を群像新潮新人賞に送りつけた。

ライトノベル作家になろうとなろうとカクヨムテンプレート盛り盛り増し増しのルサンチマン晴らし小説を連載した。

影廊やFNAFに影響されゲーミングPCを購入してアンリアルエンジンC#学習Steamにいくつかの作品リリースした。

飲食店開業すべく仕事終わりや休日ラーメンハンバーガーピザスパイスカレーなどをひたすら作り利益率や開業資金など考えたり飲食店開業の本やサイトを読み漁る日々もあった。

鬼滅の刃に影響されワコムの液タブ、イラスト漫画入門書を買い漁りジャンプ好きの子供がチラシやカレンダーの裏紙に描くような漫画をいくつか書いて出版社に持ち込むという迷惑行為も行った。

YouTubeGoPro撮影したドライブ動画歌ってみた動画なども投稿してきた。

定期的に看板猫が有名な江戸川区の某宝くじ売り場まで出かけ宝くじを購入。

しかし、相変わらず俺は毎日毎日役所まで通勤して窓口で市民からごねられ、電話口で語られる支離滅裂陰謀論に誠実に耳を傾け、国や県から求められる意味のないデータ入力を行い、メンタル休職している心の風邪ひきさんたちの穴を埋め、係長課長補佐課長に対してよろしいかよろしいかよろしいかよろしいかよろしいかよろしいか毎日だ。

わかってるんだ。

勤め先や被雇用者という立場に縛られない生き方ができている人たちは何も毎日早起き通勤が嫌でそういう生き方を選んだわけじゃない。

何かやりたいことがあり、実際に行動し、それに対応した才能や資質が備わっていたか電車職場に縛られない生活ができているのだ。

俺は結局、毎朝の早起き電車と雑踏、息の詰まる職場、狂った住民、何もしない見ざる言わざる聞かざるの管理職たちから逃避したいだけなのだ

そんな人間が何かを成し遂げて経済的成功を納めて電車職場から抜け出せるわけがない。

俺の毎日は変わらない。

明日早起き

明日電車

明日仕事

苦しい。

anond:20241201095729

上場目指したのが間違い」についてだけど、これは銀行投資家との関係もあるんでなかなか難しいよ。なにもVtuber関連に限った話ではなく、ベンチャーあるあるなんで珍しい話でもない。経営者能力判断だけでは避け得ないってのもある。

第一に、そもそも自由市場資本主義社会において「ここらで拡大をやめます」ってのは非常に、本当に非常に難しい。なぜなら社会の維持やら健全性が「右肩上がりで成長する」ことを前提に設計されてるから年金問題だってそうでしょう?人口が「ずっと上昇する」前提で設計されてたからこうなってる。家のローンだって終身雇用給与基本的に上がり続ける」を前提に設計されてる。卑近なところで言えば、大小さまざまな企業だって営業案件は毎月ノルマ分増加していく」「市場規模は拡大していく」ってのを前提においてる。誰もが薄々「おかしいやろ」って思ってても社会全体の設計がそうなので、個々の現場で反抗してもすり潰されちゃうのだ。

第二に、Vtuber関連における参入の敷居の低さってのが、おそらく銀行投資家などのお金を投じた人の判断を超えて低かったんだろうね。その結果「スタートダッシュで規模拡大して、業界を寡占するほどの大手になって、後続の追撃をシャットアウトする」という、ベンチャードリームシナリオがうまく機能しなかった。これは今後も機能しないんじゃないかなぁ。なんせ個人勢が自分お小遣いで開始できちゃうようなお仕事なんだもん。

ただまぁ……マクロの話としては、そうやって「焦って拡大した企業がぶっ壊れてやけどする」とか「高転びをする」ってのまで含めて、健全とはいえるんじゃないかな。個々人のVのファンのひととかは悲しいだろうし、つらいけれど、そうやって痛い目を見た教訓とかノウハウが蓄積されるのも、大きな目で見れば「業界の発展」の一部なんだと思う。商業化初期のWebマンガ家やWeb小説家も、似たような感じで使い潰されてたり闇に消えてった人がいたように。

2024-11-27

実在人物夢小説BL小説、本当に酷すぎる

男性による女性への直接的な性暴力痴漢盗撮強姦など)について怒りの声があがりはじめて久しいけど、女性による男性への性的表現も相当に酷い。

上記のことを本当に理解してください。多分知らないですよね。

 

1. フィクションでも特定実在人物が想起される場合名誉毀損が成立した判例

判例最高裁昭和56年6月11日判決

小説家が発表した作品内で、架空登場人物に設定したキャラクターが、特定実在人物の経歴や外見などと一致していました。この小説には、当該人物貶めるような記述が含まれており、結果的名誉毀損が成立しました。

このケースでは、作者に懲役刑は科されませんでしたが、名誉毀損罪として罰金刑20万円程度)が課されました。また、民事でも損害賠償命令が下りています損害賠償額については裁判内容により異なるため詳細は不明)。

 

2. 小説営利目的でなくても、性的内容が人格権侵害とみなされた判例

判例東京地裁平成16年2月26日判決(「サイバーポルノ事件

ある人物が、インターネット上に公開された小説において、自分名前や特徴がそのまま使われ、性的描写を含む内容が書かれていることに気づきました。この小説営利目的ではなく趣味的に書かれたものでしたが、内容が非常に性的かつ侮辱的なものでした。

被告小説の作者)は、被害者に対して300万円の損害賠償を支払うよう命じられました。

  

やってること、グレーゾーンとかじゃなくブラックからアイコラディープフェイポルノと同じ。

架空美少女エロ表現が~どころじゃない。実在人物R-18夢小説やらBL小説やら書いてる人たち、ど真ん中の犯罪者なので自覚もってください。

酷さで言うなら現実の直接的な性暴力痴漢盗撮強姦など)>実在人物勝手に使った創作非実在人物二次創作、です。

自分が作ったキャラクター性的表現とかするのはその人の勝手です。他人様をあれこれするのが違法なんです。自覚もってください。

2024-11-26

リアルの知り合いや友人に対しては絶対にやらないのだが、こと好きな作家については好きな子に意地悪するようについつい悪口を言ってしまう。悪口というか、作家自身作品のものの特徴を面白おかしく書いたり話したりしてしまう。たとえばドストエフスキーなんかだと、「ギャンブル狂いの作家が、クソデカ感情を抱えて人の話を聞かないヤバい奴の話を書いている」と描写してしまうし、三島由紀夫だと「マッチョを目指しながらも繊細な感受性を備えた作家が、もしもこうだったらという想定を観念的に構成してそれを人工的で息苦しい文体表現する」なんて言ってしまうし、グレッグ・イーガンだと「理系文系よりも一段階上場所にいると隠さない、人間の肉体や精神に手を入れまくる究極の理詰めなワールドビルダー」だとプレゼンちゃう

よした方がいいとわかっているのだが、物事をざっくりと要約して伝えるのが癖になっており、そこで妙なウケを狙ってしまう。愛情ゆえに作品批判すれすれまで行き、時々それを増田投稿しては怒られたりしている。「夏目漱石長編は人付き合いと金の話だ」となんてうそぶいたりするが、そういう作家は他にもいるだろう(ちなみに漱石はそれ以外の小品が好き)。

それでもどういうわけか、中島敦だけはいじる気にならないので、自分の中では彼をどこか神聖視しているのだろう。全集を読んだ数少ない作家だし、残りの人生を一人の小説家だけ読むことを許すと言われれば、選ぶのは彼だ。

とはいえ他人が「山月記」をいじってもパロっても別に腹は立たない。不思議ものだ。

2024-11-24

anond:20241123220158

東大教授が「2.5次元ミュージカル」について語る

暇空がその単語を知らなかったので検索したらホモ同人活動してる腐女子が引っかかる

2.5次元ミュージカルという暇空の知らない単語を使う人物が二人いたので同一人物認定

小説家森奈津子ですらそれを信じて叩いた

森奈津子タイバニホモ小説とか書いてたくせにBLは性加害だから規制しろと暇空と一緒になって吠えてる

2024-11-23

女性作家によるレズビアン小説が発表されるが、作者はトランスジェンダー自称男性だと発覚する

高校男子校出身で、大学からトランス自称しては女子トイレに入らせろと揉めて女子トイレ使用権利を勝ち取っていたという

作家レズビアン当事者オンリーというレズビアン小説賞にも応募していた

レズビアン出会いイベントサイトなどは「身体男性を受け入れないのは差別だ」と男も受け入れるよう要請されて潰されまくっているが、その作家も男を受け入れろ派のため叩かれる

ゲイイベント身体女性を受け入れろ運動は起きていないが、レズビアン男性たちから攻撃対象になっている

「女を自称しながらレズビアンイベントを潰すな」といった書き込みに対し作家訴訟を起こし、数人を訴えるも敗訴

刑事告訴するも不起訴

noteで「実名告発しなければこちらが死に追い込まれる」として、開示請求で得た相手一般人女性らの住所氏名を公開

note運営記事を削除され、レズビアンであるが故に差別を受けた、このままでは差別で殺されると嘆く

小説家たち50人以上が作家賛同し「LGBTQの人権擁護しよう」との声明を出す

映画監督ら90人以上も同様の声明を出す

いや~映画監督って女優レイプ告発とか相次いでたけど、その時に「レイプはやめよう」と100人近くで声明出すことなんてなかったよね~

Lは男を受け入れろと言いながらLGBTQとかひとまとめにすんなよ

2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

森奈津子小説家ではなくヤバ言動の人となりはててからもう何年もたつが

思えば性の目覚めは森奈津子だった

実家森奈津子少女小説時代作品がありそれで森奈津子を好きになり、やがて彼女少女小説から去った後官能小説の道に進んでいたことを知る

官能小説といっても、エロギャグというジャンルだろうか、「オナニーオリンピック競技の一つになった世界」とか面白おかしい系だった

どの作品だったか忘れたが、女性クリトリスをいじる描写があった

クリトリスってどこにあるんだ?自らの股間から探り当て刺激し続けていたらめちゃくちゃ気持ちがよくなった

当時18歳、親元を離れ一人暮らしをはじめた時期で、性の目覚めとしては遅かったのだろうか

実家いたこから、たまに朝起きるとなんか股間性的な余韻が残っているようなことがあってなんだろうと不思議だったが、寝ている間に布団なりに刺激されて気持ちよくなっていたらしい

あの気持ちよさの根源はクリトリスだったのだと気づいた時は衝撃だった

エロ漫画はたまに読んでいたがあくまでも全年齢向けエロであり、脱がしたり乳触ったりは直接的に描かれていても、

こと股間の責めに関しては意味深な指の動きとかだけで指が具体的にどこをさわっているかは真っ白で不明だったので、具体的知識がなかった

不思議なことに漫画と違って小説は全年齢向けでもドエロが許されているので、かなり具体的にクリトリスの刺激の仕方が描かれていて、そこではじめて女性オナニー方法を知った

女は乳首をさわるぐらいなのかと思っていた、だって男のようにしごくものがないとばかり

30を超えた今でもキモオタブスなので私はクリオナニーのみで生涯を終えるだろう

現在森奈津子思想は良からぬと思い賛同はできないが、クリオナを教えてくれたのは彼女だった

嘘つきで最強のアイドルっていうと「神林&キリカシリーズ」が巧みに描けてたけど、いかんせん古代すぎるし知名度が低いのだ

主人公の一人、神林俊彦売れっ子ミステリ小説家だが、チー牛でモテない

彼の代表シリーズは、ミステリアスで正体不明美女探偵主人公で、「こんな女いねーよ」と酷評されることもしばしばある

リカ美少女アイドルで、可愛くて元気だが儚げで守ってあげたいところもある、ちょっとおバカで抜けているところもあるという盛り盛りな子だ

だがそれは演技であり、本当のキリカ東京下町育ちで幼女時代から事件に遭遇しては真実を解き明かす「深川神童」の異名を持つ切れ者美少女探偵である

儚げさもおバカさもアイドルとして売れるための戦略であり、実際のキリカ天才姉御肌で、6歳ぐらい年上の神林を表向きの探偵役にして裏では芸能界で起きる様々な事件を解き明かす

神林は、裏表の激しい生意気なメスガキにこき使われてつれーわという面持ちでいたが、次第に俺の理想ミステリアスな美女探偵ってキリカのことじゃんと、10数巻目ぐらいでキリカに恋をしだす

基本的には強気なキリカやれやれ神林の組み合わせだが、次第にキリカの生き別れの本当の親にまつわる事情ガラスの仮面的演技論が語られ物語に深みが出る

本当の親について掘り下げられるうちに、オラつき姉御肌もまた、全てではないがキリカの演技の一つであるとわかり、素の弱々しさが見えるようになり、神林が支えるようになる

杜野亜希は画業40年ぐらいになるが、単発ドラマ化一回した程度でメディアミックス縁がなくいまいち地味だ

シカンで神キリをドラマ化してくれ

2024-10-31

小説小説家)の価値上がるかもね

好きで生成AI情報仕入れて、小説作らそうとしてるけど難易度高そうなんだよね。

生成AI記憶力の問題と、文章の繰り返しが致命的。プロットはいい感じに出せるけど、それをストーリーにして出力させること考えると、結局、細部まで自分で考えてプロンプトに組み込まなきゃいけないから労力変わんない。

なんなら、AIだと細部に矛盾生じてること多くて、そこからストーリーがありえない方向に進んでしまったりするわけで、そこから方向修正する手間考えたら、普通に書くより何倍も時間かかる。

でも、俺みたいな、設定資料集やあらすじ、プロット案を見て楽しめるタイプにはこれで十分だったりする。

2024-10-29

シナリオ重視のソシャゲ」が行き着く先は「ノベルゲーでいいじゃん

昨今はソシャゲでも、シナリオの質が売り上げにも繋がっている面があるらしい。一例を挙げるだけでも、

FGOサービス当初はアレだったシナリオが第6章辺りから良くなってユーザーが増えたらしい (エアプ並みの感想)

ウマ娘元ネタとなった競走馬史実に基づいたキャラストーリーが当初から話題で、漫画 (シングレ) も史実ネタベースで、アニメも2期までは史実準拠+αでシナリオ展開されたから好評らしい

シャニマス:今までのアイマスと比べてかなり攻めたシナリオが、アイドル育成シナリオでもイベントシナリオでも繰り出される。なんなら育成アイドルとは関係ない人間関係が、ゲームシナリオでもコミカライズでもフィーチャーされがち

学マス:著名な小説家シナリオ担当として起用し、その奇抜なキャラ設定と、奇抜さに負けない気合い入ったシナリオで失速せず進めている感じ

=====

ただ、このうち幾つかを遊んでいて感じるのは、「それソシャゲである必要ある?」といったこと。

まだバトル要素があって、工夫しないとシナリオが進まないFGOなどはともかく、育成周回系ゲーム……上記の例だとシャニマスウマ娘や学マスは、(対人戦しない限り) 難易度が低い。シナリオのみを目的としてユルく遊ぶ分には、ガチャで引いたSSRを並べるだけで「ゲームクリア」できてしまう。

シナリオを読む分には易しくても問題ないけど、シナリオだけ読めればいいなら別にソシャゲに拘る必要はないわけで。

小説漫画……ではなく「テキスト+音声+立ち絵+背景」という様式が好きって場合でも、ノベルゲー (主に恋愛AVG、大半のエロゲーもこれに含む) という広大な土壌がある。

学マスはまだ「伏見つかさシナリオ面白いし……」などとライター推しできるけど、大半のソシャゲってライター名伏せられてるのよね。良くも悪くも「そのゲームシナリオ面白いか否か」でしか判断できず、「このライターが書いた他の作品もやるか」と繋がらないのが惜しく感じる。

てかアレよアレ、「ソシャゲ内のシナリオ読むUI」は「ノベルゲーでシナリオ読むUI」よりずっと劣化なのは何故なんだと。シーン中の一コマセーブしてロードしたいし、お気に入りボイス登録したいし、シナリオ読みながらレジューム機能でいつでも再開したいよ私は。

=====

新作ソシャゲが出て「シナリオおもしれー!」と楽しんでいても、数ヶ月~1年ほど経つと「シナリオ読み切っちゃったなどうしよう」になる自分の行動原理を振り返って、上記のような不満が知らず知らずのうちに溜まっているんだろうなと思ったのであった。

2024-10-27

anond:20241027224859

叩かれるだろうけど、山上神格化する動きはもっと出てきてもいいと思うんだよな

キッシーに爆弾投げ込んだカスとか火炎瓶持って車で突っ込んだ間抜けとは

運だけでは説明できない歴然とした知略の差がある

確実に命中させるために自作銃で事前に練習しておき、

さらに1発目外すのは織り込み済みで二丁用意しておいて

2丁目で見事命中させるとかさ

映画化とか小説家はもう進んでるだろうけど

ダークヒーローとして描きがいがある

 

自作銃では構造上1発しか打てない

絶対に外してはならない

河原で空き缶を的に何度も練習を繰り返す山上

散弾を広範囲に発射できる火薬の配合を試行錯誤し、

殺傷能力を上げていき、ついに十中八九命中させられる腕を身につけた

確実に1発で仕留める

その決意を胸に阿部演説会場へ向かう

 

「できない理由を考えるのではなく!」パーーン!

驚いて振り返る安倍まさか!?外した!?2発目はない・・・

・・・しかしそのとき

そんなこともあろうかと!もう一丁用意してました!!

ウエストポーチからパイプ製の自作拳銃ゆっくりと取り出し、

スローモーションで構える山上

とっさに何が起こっているのか理解できていないSP、間に合いません!

ズドーン!!!

 

絶対面白い

2024-10-25

anond:20241025112126

明治時代言文一致運動文語口語区別しているから、

それまでの  〜で候 とかがカッコ悪いってんで文語だって話になって

小説家が改めようってなって、〜だ 〜である を使い出した

から、 〜である は口語のうちだよ

侍なんかが、手紙ならず公式の場で 〜で候 を会話に使ったとして

それがおそらく明治以降軍人なんかが 〜である に使い始めたと考えるとしっくりくる

ようは、口語口語だといいながら、実態文語だよということだね

https://www.trannet.co.jp/pre_up/new_column/2008/1113/kosei_7.html

2024-10-24

桜井政博「1ヶ月で30万文字台本書きました」

西尾維新「1日で2万字書きます

web小説家毎日1話投稿するのは難しい!(自慢気)」

格が違う。

日本漫画史上重要ギャグ漫画10選」書きたかったけど

そんな知識ないんで山上たつひこについてだけ書く。

突然だが、山上たつひこについて書く。

山上たつひことは誰だ。ギャグ漫画家だ。代表作は「がきデカ」。

なぜ急に山上たつひこについて書くのだ。

その直接のきっかけは

週刊少年チャンピオンマンガ10選(試案)」https://anond.hatelabo.jp/20241022172620

10選に「がきデカ」が入っていなかったからだ。

個人的には「がきデカ」はチャンピオン歴代漫画の中で「ドカベン」の次に重要マンガではないかと思う。

売上貢献的にも社会に与えたインパクト的にも、後進漫画家への影響でも、ブラックジャックより上じゃなかろうか。

まあそれはおいといて、悲しいのは「がきデカ」も山上たつひこも、若い人たちには知られていないことである

山上ギャグマンガ史の超重要人物である。「日本漫画史上重要ギャグマンガ10選」みたいな記事を作るなら、絶対入ってくる漫画であるしかし、令和の今においては、その功績に比べて、過小評価されているというか、全然知られていない気がして、この文章を書き残しておこうと思った。

なお、最初は本当に「日本漫画史上重要ギャグマンガ10選」を書こうと思ったけど、そんなに漫画のこと詳しくないんでやめた。詳しい人が書いてくれると嬉しい。とても読みたい。

さて、さっそく本題に入る。

山上たつひこは何をやった人なのか、なぜギャグマンガ史で重要なのか。

一言で言うと「漫画ボケツッコミを持ち込んだ人」である

これは単純にみえてすごい革命だった。

今の若い人は漫画ボケツッコミがあっても、なんも思わないでしょう。物心ついたときから漫画にはボケツッコミがあるから漫画ってそういうもんだと思っているから。でも、これって元をたどれば山上から始まっていることなのだ。

バカボン」とか読むとわかるんだけど、山上以前のギャグ漫画ってボケツッコミなんてないのよ。変な人が出てきて変なことをやるとか、なんかすごくシュール世界が繰り広げられてたりするのがギャグ漫画だった。

1972年山上が「喜劇思想大系」で初めて、ボケツッコミっていうシステム漫画に持ち込んだ。(ちなみに「喜劇思想大系」は山上ギャグ漫画デビュー作。それまではシリアス漫画を描いてた)

例えば、銀さんがぼけて、新八が「おいいっーーー!」て言ったり、ボーボボにビュティが突っ込んだり、ターちゃんにヂェーンが突っ込んだり……まあ、なんでもいいけど、こういうの基本的になかったのよ。こういうのの元が山上たつひこなんすよ。これ、すごくないすか。

山上ボケツッコミをどこから持ってきたかっていうと、これはもう明らかに吉本新喜劇をはじめとする、関西お笑いからだ。山上大阪育ちで関西の笑いに馴染みが深かったのである

それはともかく、山上漫画界にボケツッコミを持ち込んだら、すごい影響力があって、みんな真似した。というより、山上の真似であることも意識されないぐらい「ボケツッコミ」は浸透した。

山上の影響は非常に広範囲に及んでいる。例えば高橋留美子山上たつひこの影響を受けている漫画家の一人だ。がきデカを読んでから高橋作品ギャグシーンを読むと山上の影響がわかる。

一方で、「がきデカ」以降も、赤塚不二夫系統ボケツッコミ区分の薄い関東型のギャグ漫画もそれはそれで生き残っていた。「マカロニほうれん荘」なんかは関東よりのイメージだ。

追記:読み返してみたらマカロニほうれん荘結構、律儀につっこみ入れてた。だからこの記述無視してもらったほうがいいかも)

ギャグ漫画史を関東型と関西型のせめぎあい歴史として見るのも面白いと思っている。誰か詳しい人がいたら描いてほしい。

上記のとおり、山上が出てきてすぐに「ボケツッコミ」の天下になったわけではなくて、しばらくは南北朝時代みたいな感じだったんだけど、今ではギャグ漫画は圧倒的に「ボケツッコミ型」が多い。特に少年誌では。

これはうすた京介存在が大きいのかもしれないが、そのうすたも元をたどれば山上系譜である

もっとうすた京介が直接影響を受けたのは山上ではなく、ダウンタウンをはじめとするお笑い芸人なんだろうが)

今のギャグ漫画家は大体、山上の創始したボケツッコミ漫画をやっていて、山上チルドレンと言っても過言ではない。

もちろん、当の漫画家は山上なんて意識していないかもしれない。「がきデカ」なんて読んだことないという漫画家も多数いると思う。それでも、それらの漫画家が山上が作ったものの延長線上にいるということには変わりがない。

山上の作ったものフォロワーのもとで再生産され、世の中のスタンダードになる。そうすると、新しかった山上表現はありきたりなものになり、山上は忘れられていく。しかし、山上を知らない漫画家が作る漫画も、山上が切り開いた世界で作られた漫画だ。バッハを聞いたことがない作曲家バッハの影響を受けているのと同じことである

話が長くなったが、何が言いたいかというと、山上という漫画家がいたんだよということだ。別に山上尊敬しろとかはいわない(そもそも自分別に山上のこと尊敬してるとかではないし)。ただ、そういう漫画家がいたということを、なんとなく書き残しておきたくなっただけである

なお、これまで述べてきた通り、山上はすごい漫画なのだが、知名度がさほどでもないのは、山上自身漫画界と距離を取っていたことによるものだろう(長らく小説家に転身していた。最近たまに漫画も描く)。

こんなこと言っても詮無いことであるが、もし山上がずっと漫画を描き続けていたら、いまごろは永井豪みたいなレジェンド扱いだったんではないだろうか。

追記

・「本当に山上以前のギャグ漫画にはツッコミってないの?」

この疑問に答えるのは難しい。当たり前だが、この世の中の全部の漫画読んでいるわけじゃないし、特に昔の漫画については知らないことのほうが多い。

何をもってツッコミとみなすかについても、定義がないか主観的判断するしかないし。

細かく探せば、山上以前のギャグ漫画にも、ツッコミに見えるコマもあるんだろうとは思う。

ただ、それらは作品中に出てくる頻度がすごく少ないし、作者としては狙ってツッコミを描いたわけではないんじゃないかと思う。後世の我々から見たら、これはツッコミになっていると判断できるというだけなんではないだろうか。

意図的に「ボケツッコミ」をやり始めたのは山上で間違いないと思われる。

もっとも、今では名前の残っていないマイナー漫画家がやり始めて、それを山上が真似した可能性はある。

しかし、その場合でも世間への影響度からみて、「ボケツッコミ漫画」の創始者山上と言ってよいのではないか

・この文章を読んで「ボケツッコミ型」のギャグ漫画のほうが面白い、とか新しいとか、私が主張しているのだと思われた方がいるなら、それは否定しておく。そんな意図はない。

ツッコミのあるなしに関係なく、面白いギャグ漫画はいっぱいある。「伝染るんです。」や「稲中卓球部」をはじめツッコミほとんどないギャグ漫画にも面白いものはたくさんある。

・今ではギャグ漫画は圧倒的に「ボケツッコミ型」が多い。特に少年誌では。

この書き方はおかしかったかもしれない。「ボケツッコミ型」が多いのはあくま少年誌であって、青年誌少女漫画を見れば、昔から今までずっと「ボケツッコミ型」じゃない漫画のほうが多い気がする。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん