はてなキーワード: クリエイターとは
生成AIでコミュニティが破壊されると言うと絵師やクリエイターのコミュニティかと思われるが、そうではない。
とある分野のDX(デジタルトランスフォーメーション)に関するコミュニティである。少しブラフがあるのは許してほしい。
デジタルトランスフォーメーション笑と馬鹿にされそうだが、意外と、このコミュニティで様々な成果が出ていた。ただし、1人の中年男性が常に攻撃的だったことがコミュニティを悩ませていた。
攻撃的と言っても嫌味を書き連ねる程度で、本人もそれなりに貢献していたので「あの人はあんな感じだよね笑」と流されていた状態だった。
しかし、生成AIの登場で雰囲気が一変した。彼は生成AIを味方にして攻撃を加速させたのである。
嫌味を言っているときは誰も表立って味方してくれなかったが、ChatGPTは彼の質問に忖度して、なぜ相手が悪いか、なぜ彼は正しいかということをひたすら述べてくれる。
彼はこれがよほど嬉しかったようで、ChatGPTのスクショを添付して根拠付きの嫌味を展開するようになった。
当然ChatGPTのスクショが根拠になりうる訳などないのだが、彼はハルシネーションという概念を知らないか、意図的に無視しているため、根拠になると信じているようだ。
そしてChatGPTが画像生成機能を搭載してから、さらに嫌味が加速した。そう、画像を使った嫌味の投稿に乗り出したのである。
たとえば彼が対立している人を害虫として描き、彼(彼ら)が被害を受けているようなニュアンスの絵を投稿するようになった。これはもう、嫌味ではなく中傷といってもいいかもしれない。
この頃にはもはやコミュニティに新規参入する者はいなくなったほか、以前活発だった者すら書き込まなくなった。ひたすら、彼が生成AIを活用する姿がコミュニティを埋め尽くしている。
コミュニティは性善説で運営されており、行動規範は定められていないので、彼を追放する方法はない。時すでに遅しである。
今更追放したところでコミュニティが復活するとは思えないし、彼は追放した人に対して中傷を加速させるだろう。攻撃的に振る舞う人物を窘めるのは困難で、誰もそんな役目を担いたくない。
悪質匿名メールシリーズ。嘘松さんの作品について、僕の方が先に考えてたのにみたいなことが書いてあった、と。
うーん…
要は、自分の作品は有象無象に妬まれるほどの独創性を持っている、ということにしたいのでしょう。それは別にいいです。昨日も書きましたが、自分上げは嘘松の華ですからね。
しかし、この匿名メールシリーズ、そもそもの設定がちょっと弱いのではないでしょうか。
これまで何度も悪質メールが届いたと言いながら、その根拠はほぼ嘘松さんの証言だけ。体験談ならともかく、メールのようなデジタルな情報なのに、具体的な引用もスクショもほとんど無いのは、リアリティの面でマイナスとなります。
ここはひとつ、「メール」という設定を一旦白紙に戻した上で、マシュマロや質問箱等に切り替えてみるのはどうでしょう?
これら匿名質問サービスなら、仕組みがガバガバなので自演はカンタンに実行できますし、送られてきた(という設定の)悪意のこもった文面を、読者にも動かぬ形で共有することができます。
事実、オタククリエイターやvtuberの間では現在、異常な内容の匿名質問を晒してバズを稼ぐことが「マシュ松」として既に一般的な手法となっています。
嘘松としての飛躍を目指す嘘松さんにとっても、こうしたサービスは有効な武器となると思うのですが…一考してもらえないでしょうか。
生成AIを使ったこともあります。Soundcloudなどのアップロードサービス(音楽版のpixivみたいなものです)に自分の作った音楽をアップロードする際、ジャケット画像としてイメージに合うものを生成しています。
だから生成AIが出たときに「これで自分の作品全部にとりあえずでもジャケットがつけられる」と嬉しい気持ちになりました。
絵師に依頼しろよという話かもしれませんが、無料でアップするための音楽にイラストを依頼していたら正直金銭がいくらあっても足りませんし、
自分で描けよと言われたとしても私は私の音楽を作っていたいのでイラストを描く時間があったらその時間でもう1曲完成させた方がいいと思っています
それでも作った曲それぞれに世界観とか考えたこととかこうあってほしいが多少なりともあるわけで、それを実現する手段として生成AIが出てきた時は嬉しかったです。
また、その生成AIを使って絵を錬成する人のことを「術師」と呼ぶムーブメントが多少なりともあったと思うのですが、それもすごいよかったと思っています。
絵師ではなく、術師。
全く新しいタイプのクリエイターの形として、優れたイラストを生成する、絵師ではない「術師」。
この言い回しが好きでした。
そのはずでした。
術師という言い方はあまり流行らず、AI絵師という言葉が出始め、AI絵師も絵師の一種と思った輩がいるのかなんなのかわかりませんが、生成AIの使い方のマナーがめちゃくちゃ悪い人間が出てきました。
それと同時に、少なからず、というかがっつり生成AI反対派!みたいな動きをしていた絵師のうちの心無い一部の方々も生成AIを使っている人間を目の敵にして叩き始めました。
これはどっちが先とかじゃなく、どっちも同じような時期からではじめた印象です。
生成AIを使ってできたイラストにAIイラストのタグもつけずに「自分で書きました」とか言い始める嘘だらけのエセクリエイターの人も
生成AIを使ってるやつは全員犯罪者、非クリエイターというような強い主張をする全方位噛みつき型のツイフェミみたいな人も
生成AIで特定の人の絵柄を意図的にコピーしてそれをあまつさえ本人に送りつける頭のおかしいアンチLv.100みたいな人も
生成AIに伴う技術の進歩やそれを作る技術者に心無く考えもない気持ちだけ先行した意見を送るような出る杭を打ちたがりな人も
生成AIで対象の絵を読ませて3秒で生成した、推敲もしてないようなゴミを絵師のイラストで送りつけてこうした方がいいという赤ペン先生気取りな人も
生成AIに読ませるのを嫌ってゲームのスクショとかにまでウォーターマークつけ始める
生成AI使って作ったイラストを何も考えずに投稿して、関係ないタグのサジェストを汚染する目が見えないとしか思えない人も
生成AI嫌いすぎてとりあえず叩く割にウォーターマーク配布とかXから乗り換えてGoogle他からのクロール避けしてないSNSに乗り換えて安心したりDeepLとかのサービスは普通に使う本当に意味ないこととかダブスタやってる無知すぎる人も
こういうところでセンセーショナルな書き方して煽っちゃう私みたいな人と、それに対して考えなしな煽りを投げちゃう人も
みんな、みんな、きらいです。
全員消えてほしい。
ただLoRAとかではない、普通の生成に対して噛みついてる人たちの意見はちょっとよくわかりません
使い方が最悪な人間はともかく、それ全てが悪というのはなぜなんだろう、絵を描いている人だって、少なからず誰か好きなものや人から影響を受けているのに。
そうやってできた自分のスタイルに沿ってクリエイターをやってきたんでしょう
そして、生成AIを使ってすごいクリエイターになった気分でいる王様気取りさんもよくわかりません
その生成AIを使う際のこだわりはどこなんですか
初期の頃の、生成AIでより優れたものを作ろうとしていた「術師」はどこに行っちゃったんですか
こんなんクリエイターじゃないよ、なんなんだ
今現在はどっちの意見もヤバい動きしてるヤバい人間のせいでまともな意見や技術が埋もれてます。
文を送る前に一旦落ち着いて欲しいです。
行動をとる前に一旦、一呼吸おいてください。
叩かれるからAI全部使いたくないしAIの話全部聞きたくないよ。
AI周りでやばい人間になるのは、こんなの出しちゃう私で終わりにしてよ。
もう疲れたよ。
同ジャンルの人たちが急に気持ち悪くなってしまって、pixivを退会してSNSでも見なくなった。今のところとても快適で、二次創作再開したい、見たいという欲も湧かない。
もともと年を重ねてきて何でもかんでも恋愛に結びつけることに辟易としてたんだと思う。原作の関係が至高で、それは原作読んでれば満たされるし。
CP物に限らず二次創作はそもそも公式に見逃してもらってるだけでれっきとした犯罪だし人に言える趣味じゃない。人様の作ったキャラを使って人形遊びしてるだけだよ。それなのにクリエイターのようなふるまいをできることが不思議で仕方ない。
自分の創作物を「作品」と呼ぶことに違和感があるし、見る専の人のことを「消費者」と呼んでるのを見かけた時は何様だよと呆れた。二次創作してようがしてなかろうが同じオタクだし、むしろ二次創作なんてしてないほうがいいのに。同人誌は赤字になるように値段設定するのが当たり前で、webで頒布とかもう意味がわからない。「自分の絵を守るため」にウォーターマーク入れるのも二次創作やってる分際で?と思う。
でもこういう考えは二次創作やってる人の中では少数派なんだろうなとずっと思ってた。絵や文章は好きでもそのへんの考えが合わない人が多すぎて、好きなCPも見れなくなって、自分の書いたものにすら興味がなくなった。
これから先二次創作することも、ファンアートを見ることはあれど漫画や小説などのストーリー系の創作物を見ることももうないと思う。オタクであることには変わりないけど、ただ原作を読んで楽しむだけの今が嬉しい。
5割の人間はクリエイターではなく単なる手配師として一生を終える。
仕様書通りに作られているかを確認差する作業の一環としてコードを覗き込むことはあっても、それを自分で手直ししたりは基本的にしない(責任問題になるから)。
国内外のよく分からん他企業やフリーランスの連中に仕事を振りまきながらひたすらに工程管理をして一生を終える。
その路線からコーディングやデザインに深く関わる道に逸れることもあるが、大抵は「今まで◯年間手配師しかしてこなかった奴らが今更こんなこと一から勉強とかもう出来ないんだ……」と絶望して戻ってくることになる。
実作業やデザインに関われる立場になれた人間でもキラキラした部分に関わることなく終わる人間が大部分である。
何次請けかも分からない仕事を仕様書通りに仕上げていくが、伝言ゲームが挟まりすぎてそもそも目指している完成形がよく分からない。
最大公約数を取れるような方法を目指そうとするが、そうすると拘りもクソもなく「比較的問題が起きそうにない平凡なもの」をひとまず作るだけになる。
そのような状況で下手に自分の気持ちを乗せると仕事に失敗するので、ひたすら心を殺して単純作業に徹する。
何年もそうやって働いている頃、ふとした拍子に自分が拘りを発揮してもいいような仕事が舞い込んでくる。
今回こそはと気合を入れようとするも、長年の癖が抜けず最大公約数的な形しか出力できない自分に気づく。
長年溜め込んだフラストレーションが捌け口を一切失っていることに気づき、心が壊れるか、心を守るために人生への期待を一切投げ捨てるかとなる。
最初から自分にとってのキラキラに関われる人もいるが、その場合でも心を病むパターンが多い。
未熟な自分の実力を正面から叩きつけられる日々の中で、「俺はなんて考えが甘かったんだ」とのたうち回って暮らすことになる。
周囲の人間に相談しようとするも「俺は単に自分にできることやってるだけだしなあ」と返ってきて、この仕事に妙なあこがれを持っているお前がおかしいのだと暗に突きつけられる。
そもそもコンテンツの応援のために金を出すという感覚があんまない。
コンテンツは消費するものであって、応援を求められるのは違う。
漫画コンテンツの関連グッズで大枚を叩いたものとしてはスタチューがあるが、出来が良かったから買ったのであって応援のためではない。
スタチューのオーダーを行ったこともあるが、クリエイターの支援のためでなく、その人に手がけて欲しい仕事があったから取引をしただけ。
音楽コンテンツではレコードを買ったりライブに行ったりするが応援のためではなく己の消費のための支払い。
投資とは将来の回収を見込んで行うものであって、活動資金の提供のつもりではない。
ワイン畑のオーナーになればワイン作りに己の価値観を導入出来るようになるが、そういった効能がないのなら支払おうとは思わない。
例えばゼルダの伝説に投資をするなら「次回作にマコレを出してもらえないか」といった交渉を行う権利があるなら相応の金を払いたいが、映画は特に求めてない。翼のマットは買ったが娘にとられてしまった。
そもそも、増田に来る(≒はてなIDを持ってて、匿名の投稿まで目を通している)こと自体にびっくりしたのですが…こんな場末の掃き溜めみたいなところに来てまで「私の批判は許さない」と見張ってたわけです。
いや、ご本人の批判ですらない、
「今の音声市場、こういう事になってて危ないですよ」
「音声作品買う人はもっと作品やクリエイターをよくチェックしてね」
という書き込みにさえヒステリー起こして批判する人だったので…私、4ヶ月前に議論してから本人のレスは全て無視してます。
端的に言うと「酷かったから」です。
「私は今月も作品を納品してて、シナリオライターとしてやっていけてるんだ」
というから【シナリオが納品されてから数ヶ月経てば、流石に作品出てるでしょ】という時期まで待ちました。
バトルになった8月時点でシナリオ担当で関わったコンテンツは全部赤字。
それでも、8月時点では新規案件を取ることもできていたし、自分のサークルで出していた作品は黒字化できていました。
そして、「自分が悪かったかどうか、経過観察も見てみましょうね」という気持ちになっていたので、12月の頭にチェックしました。
さて結果はというと…酷かったわけですね。
まず、8月に出した自サークルの作品ですが…スタートダッシュに失敗して、ずっと低空飛行。
そして、シナリオライターとして作品発売までこぎつけた作品は…数作品ぐらいあったのですが…全部身内からのコネ。
自分の作品に出演した声優さんにツテがあるサークルのお仕事を回してもらってるだけ。
新規開拓と呼べる実績が0で、「シナリオをたくさん書いてる」と言いながら、発売した作品は書いたシナリオの5分の1?どんなに甘く計算しても3分の1?程度。
しかもだ!
仲の良い声優・サークルは何個かあったはずなのに…「大口」に当たるところが、この人に声かけてないんですよ…。
継続案件でかつ、大口案件をくれそうな人からもらえてない(赤字の作品ばっかり作ってるサークル・声優同士でつるんでるだけ)というから…余計に「ヤババ…」と思いました。
これでよく私にガミガミ言えたなぁ…と呆れました。
この人、私と口論した時に「自分は責任ある仕事・リスクを取った仕事をしてるんだ」とか言ってたけど…バイトや派遣にも劣るよ?
アルバイトが続いてるということは、自分の関わる仕事を黒字にする程度には働いてるわけです。
これが派遣とかになってくると、「採算どうこうよりも合わないからチェンジ」「いい評価ついてないから紹介先がない」というプレッシャーと戦って評価勝ち取ってます。
責任?リスクを取る?肩代わりしてもらってるだけじゃないですか??
とても飯が食える水準にない売上の作品群で、よくそんなこと言えますね…。
私は「結果が出るまで待つ」という譲歩をしてあげました。
それで、結果が全然変わらなかったので、今回は最初から辛辣に言いますよ。
もしクリエイティブか労働ならそれ相応の実績が積み上がっているはずだよ。
クリエイティブでも労働でもないから、あなたの吐いた言葉?結果を出せずに身動き取れなくなっていくさまが、呪いのように効いてきてるんでしょ?
過去の話?そうだったね。
そして、「今を抱きしめて」とか言ってましたね。
どうぞ、あなたに期待したのに、赤字で次回作品出せてないサークルさんに言ってみてください。
今出ている結果こそが、あなたに下された「審判」だと私は思いますけどね…。
「音声作品ってことは同人でしょ?同人作品が黒字だろうと赤字だろうと知ったこっちゃなくない?」
おっしゃるとおりです。
一般論として、他人の同人作品が黒字だろうと赤字だろうとどうでもいいことです。
そもそもの話、本人もそう思っているんだったら「お前の作品全部赤字じゃん」と言っても「同人なんだから作った時点で勝ちじゃね?」でおしまいです。
ただ…この人は事情が違うのです。
この人について批評している理由は「ライターとして仕事を得る方法」を有料サービスとして売っていたり?自分自身の社会性を売りにしたり?事業拡大のための支援を募っていたり??
実態がボロボロか、サイドビジネスで得ている収入で食べている人が、さも実態のあるかのように喧伝していたから、4ヶ月前に指摘したのです。
そして、御本人も「趣味としてでの同人」ではなく、「事業として行き詰まっている自覚があったこと」で、【お前は責任もリスクも取ってない】とか話しすり替えて応戦してきてるわけですよ…。
別に、ファンが赤字の作品掴もうと、持続不可能な人物を応援しようと「お前に見る目がなかっただけだろ」だけですよ?
ただ、本気で音声作品に取り組みたい人が、洒落にならない金額の損失を出したり?本人ですら継続できてない講座にお金を払ったりするのは…見過ごせないんですよ。
を知ってしまった以上、【こういうのに引っかからないように気をつけてね】と警鐘を鳴らすしかないのですよ。
私は、こう見えて優しい人間です。
洒落にならないほどのお金を損したり、実態の伴わないか理論を信じて時間を無駄にする人が出してしまう事態を、止めるぐらいの良心はあります。
音声作品を作るのには、作るだけで20万円、まともな声優を起用すれば30万円かかるから…相当の覚悟・準備が必要です。
それをやり遂げた人達に、しなくてもいい損をしてほしくないんですよ…。
数十万、最悪100万円以上損する人物を目の当たりにして、黙っていられるほどぼくは冷酷でも大人でもないんです。
だから、続きを書くことにしたのです。
この詐欺まがい?粗悪?な商売に、人気のはてなブロガーが加担しているです。
正確には加担しているというよりかは…このサークル主に何度か援護射撃をしている外部協力者ってところかな?
「友達のことは応援しないとダメでしょ?きっと友人関係があるんだよ」
と養護する声もあると思うけど…問題は、そこじゃない。
この人自身が、投資や学問に関わるブログ・YouTubeをしている。
そのため、一部の人は「この人が言うんだからすごいに違いない」と投資や応援するきっかけになったことだろう。
昔、国政政党の代表が「安愚楽牧場」という牧場を紹介して問題になってたり?
国政政党の幹部が、とある慈善団体の代表に口利きをし、ツーショット写真を撮っていて問題になったり?
それに近い問題が、はてなの投資ブロガーから起こってるから「マジかぁ〜」ってなってます。
他にも、サークル主に「あなたのことをプロにしてみせます」と支援した音声編集の人とかもついたらしい。プロって…赤字でもとりあえず案件を回し続けて貰える人のこと?
なんなら本人も、自分で「会社経営を数年やった」とか、「某有名企業のモーレツ営業マンだった」とか過去の経歴を公開してた。経歴通りにいかなかったけどね。
過去に、実績を振りかざしてああでもないこうでもないと言ってきた人が私にもいる。
そんな人達も次の瞬間どうなるか、今まさに崩壊が始まってるかもわからない。
そういう勉強はさせてもらったよ。
お気づきの方もいると思うけど、
→過去の話?そうだったね。
→そして、「今を抱きしめて」とか言ってましたね。
→どうぞ、あなたに期待したのに、赤字で次回作品出せてないサークルさんに言ってみてください。
と、
→なんなら本人も、自分で「会社経営を数年やった」とか、「某有名企業のモーレツ営業マンだった」とか色々と過去の経歴を公開してる。
は大きく矛盾して見えるでしょ?
実は、この即落ち2コマ&ダブル・スタンダードを見た時に、嫌な予感がしてた。
「1秒前は過去」「今を抱きしめて」と言いながら、本人はちょいちょい過去の栄光をひけらかす。
この人に「信頼関係を勝ち取ってる」と言ってた人気はてなブロガーは、一体何を見てたんだろう?
先日行われた文学フリマで発行された某アンソロジーに私は寄稿した。
きっかけはTwitterで「公募でエッセイを募集します」というツイートを見たから。ただのエッセイ集ではなく、ひとつのテーマが決められているエッセイ集であり、「面白そうだな」「ちょうど書きたいことがあるな」と思って参加することを決めた。
限られた文字数制限の中、決められたテーマに沿ったエッセイを執筆し応募した。そしてありがたいことに掲載が決定した。内容次第では掲載出来ないと書かれたいた中でその連絡はすごく嬉しかった。特に報酬はなくアンソロジーの献本1冊のみだったが、読みたい本を頂けるだけで非常にありがたかった。
自分の文章が載らなかったとしても購入したいと思っていた。なんでもない、自分となんら変わりない人間の考えていることや人生だったりをエッセイやブログを通して読むことが元々好きだった。同じテーマでみんなは何を書くのか、気になって仕方が無かった。「匿名で掲載することも可能」と応募要項に書かれていたことから、かなり癖のあるエッセイが読めるのではないかと密かに期待していた。(特に尖っていなくても大抵面白いと思って読むが)
文学フリマ開催2週間ほど前に、企画アカウントからイベントに向けた告知ツイートがされた。
見てみると、告知画像に私の名前は無かった。たくさん並んだ執筆者の名前の最後に「他」と書かれていただけ。
たくさん参加者がいたんだなくらいにしか思っておらず、特別自身の名前をアピールしたかったわけでも無かったので、この時点では不思議に思っていなかった。
この告知ツイートの直後、企画主催者から「出来れば告知ツイートを拡散してほしい」という旨の連絡が届いた為、自身のアカウントで引用ツイートした。
告知画像に自分の名前が載っていないのに「このアンソロジーに寄稿しました」というのはなんだかおかしい気がしたが、なるべく多くの人の手に渡って欲しいと思ったので喜んで協力した。
企画アカウントの方で参加者と思われる方の宣伝ツイート(「寄稿しました」「是非お手に取ってください」等)がリツイートされて回ってくる。しかし私の告知ツイートはリツイートされることは無かった。まぁ見逃してるのかな、別に告知の宣伝を全員分リツイートしなくてもいいしな、とあまり深刻に考えていなかった。
リツイートされているアカウントをふと眺めていると、全て告知画像に名前が載っているアカウントばかりだった。リツイートされたアカウントをひとつずつチェックすると、全て1万人以上フォロワーがいるアカウントだった。
一方私のアカウントは、日常をツイートするだけのフォロワー数3桁のアカウント。
それから「力になれば」と思って告知ツイートを何度かしたが、もちろん企画アカウントにリツイートされることはなかった。その間も万単位のフォロワーがいる、名前の掲載されたアカウントばかりが企画アカウントにリツイートされていた。
動けば動くほど、恥ずかしかった。
文学フリマ当日、アンソロジーは完売したらしい。それは非常に嬉しく思ったが、なんだか恥ずかしくてあまりちゃんとツイートは見れなかった。
文学フリマ開催日から数日後、企画主催者から献本が届いた。恥ずかしく思ってはいたが、本自体は楽しみに思っていたので読み進めていく。そして異変に気付く。
自分が応募した際に規定されていた文字数制限を大幅に超えて執筆している人ばかりなのだ。
おや、と思いつつもエッセイ自体が面白かった為、あまり気にせず読み進める。6人のエッセイを読んだが、どれも文字数制限を大幅に超えている。
そして7人目のエッセイを読み進める。公募募集時に「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きがあったにもかかわらず、このエッセイは自分語りだらけで、なんならテーマにも沿っていなかった。
あまり面白くないなと思いつつ最後まで読んだ。そして最後の文章は以下の通りだった。
"普段文章なんか全然書かない。お金貰わなきゃ一生書かなかったと思うから、今回この機会貰えて嬉しかったすw"
ああ、なるほど。
企画主催者が自分の好きな著名人に文章を書いて貰う為の口実として作られた企画だったんだ。
本をパラパラとめくると、企画主催者がお金を渡して文章を書かせたであろう十数人には、来歴についてのページが用意されていた。映画監督、写真家、小説家など。何年生まれでどの大学を出た、こういう大きな仕事をしている等、書店で売られている本に掲載されているような紹介ページが個々に用意されていた。
一方自分の掲載されているページを見た。もちろん後ろから数えた方が早い位置に掲載されており、名前のみの掲載だった。
恥ずかしいというよりも、やるせなさがあった。
私はこのアンソロジーを、一読者として楽しみにしていたのに、「私が好きなクリエイターに文章を書かせるためのきっかけ」でしかなかったことをハッキリとわかってしまった。
企画主催者が公募でエッセイを募集したのは、本のボリュームを出したかったからであって、「このテーマで色んなエッセイを読みたい」という気持ちからの募集ではなかったのだ。企画主催者は特に著名人でもなんでもない素人の書いた文章に、ページを割きたくはなかったんだろう。
公募募集時の「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きも、素人の自分語りは聞くに堪えないが、自分の好きなクリエイターの自分語りなら大いに結構というスタンスだったのであろう。
別にお金を貰いたかったわけでもないし、来歴ページを用意して欲しかったわけではない。献本を頂けただけでも非常にありがたく思っている。
せめて、せめて自分から頼んでお金を積んで文章を書いて貰った人にはそうとわからないようにして欲しかった。参加者全員平等に扱って欲しかった。
「このテーマで文章を書きたい!」という強い気持ちがあるわけでもない、ただただお金を貰って文章を書いている人ばかりのアンソロジーだとわかってしまってから、ひどく陳腐なものに見えてしまって以降この本を読めていない。
テーマが魅力的で期待していたばっかりにガッカリしてしまった。
所詮趣味の同人活動なので、別にこの企画主催者のようなやり方があってもいいと思うが、一参加者として良い気持ちではなかったということをここに残しておく。
写真と同じようなと書きつつ、なぜ新しいモラルを今の延長で考えているんだろう。いや、なぜ今の延長にされなけれならないんだろう。
防潮扉と共に消えるはずだったバンクシー作品らしきネズミの絵がその場から切り離され保存されたのにも似て、写真はその場の文脈から歴史的遺物や建物などの被写体を切り離すし、その唯一性を破壊する。写真や写ったものの大きさが変えられるということは、大きさの持つ意味が失われるということ。ここはかつての作品の意図が壊された後の、写真以前の価値を壊すことを気にもしなくなった時代であるはずだ。
逆に、作者の意図が軽視されない手法や場が見出されて、意図を込めた作品はそこで作られるようになりはするだろう。写真と絵画の関係と同じく、生成AIと絵師の関係でも。
工夫と執念が生み出す作品と作者を愛す、それはそうかもしれない。…観客が望むなら、だけど。
僕は、僕の「特別」に入り込む手口を使い、お金を受け取りながら、法でまだ付与されてもいない権利を不当に主張することで、僕の心から「特別」をもぎ取って穴を開けていった奴を忘れはしない。これが許されるのがモラルであってたまるものか。
少なくとも僕は、作品と作者が必要以上に特別とはされない世の中を望む。作品を拒絶するというのは違う。それは稀少な特別にするということに他ならない。
僕は、作品をただの消耗品として、ありふれた娯楽の1つとして、作者を一般的なただのプロとして、グッズやライブやクラウドファンディングやクリエイター支援サービスなど特別な形での支払いを今後は行わないことを望んでいる。
精密肖像画の価値を基準にすれば、写真は未だに100点ではないはず。写真が肖像画の全てに取って代わったことはない。だけど、家族と撮ったスナップ写真にも、証明写真にも、絵師ではその特別さに取って代われはしない。
「技術の民主化」「AIの民主化」が進むことで同様に、観客自身の手で作られた「特別」がより多く生まれるようになり、政治のポスターデザインも「特別」な作者の影響無しに作られるなど、自身やその属するコミュの中から生まれた「特別」がありふれた選択肢になっていくことが望ましい。
僕にとっての「特別」が無くなることはないけれど、心の「特別」を預けすぎることで作者を替えの効かない横暴の許される才能にさせたくない。それが言葉の元ネタとなったパブコメとは違う意味の、僕にとっての「才能の民主化」になるだろう。
でもそれは脱出出来る、って話だけで
日本で現金資産3億以上持ってる人の生活を日本を脱出して維持するなら不労所得で年間3000万以上
それとも貧困バックパッカーでもやって年金貰う頃に日本に帰ってくるつもりなのか。
あとこれは独り身想定なんで子供とか家族いるなら会社のオーナーとか投資家じゃないと日本脱出は無理かなー?
それ以上の漫画家とか小説家は脱出は出来ると思うけど、したいかどうかは別というか、脱出してどうするの?って話。
日本より快適に暮らすのは前澤クラスの金持ちじゃないと難しそう。
というか、世界一のYouTuberが「日本は暮らしやすい」と言って移住してきてる時点で…😅
外人は億単位の収入があれば日本に来るのに、日本以外の何処に行きたいのか🤔シンガポールとかドバイとか?そこに行って何を求めて居るのか🤔
にしても、もうちょっと真面目にやれよって思うシーンが多すぎるんだよな…
法や権利について話をしたいならそれらへの勉強をしておかなくてはならないし、国の見解も調べておかないとならないのに全くやっている様子がない。嫌いなだけなら「嫌いだ」って言って終わりにするべきなんだよ。その方がまだ周りに受け入れられるだろうさ。
クリエイターの仕事が減るかって言っても、単に新しい道具以上にはならんだろう。AIには意図を用意できないので、結局人間のクリエイターの持つスキルの一つに落ち着くと思う。
モラルの話をしだすと、とっくの昔から「私の作品が無断利用された!」と訴えている人が別の人の作品を普通に無断利用してる無法地帯なのに、一体何を警戒してるのか分からない。
その根拠を以下に挙げていく
GoogleやMetaといったビッグテック企業が巨額投資を投じてここまで本気を出している以上、生成AIは社会の深部へと浸透していく。彼らの投資規模は、もはや一般市民の反対などでは止められないレベルに達している
そして、それは単なる技術革新ではなく、社会構造の根本的な変革を示唆している。だからこそ、今は静観しておくのが生存戦略としては賢明だろう
ただし、それはあくまで戦略としての賢明さである。抵抗する道義的意義は否定しない。ただ、抵抗するにしても、まずは状況を正確に理解する必要があるだろう
そもそも機械学習は基本的に合法だ。これは法的な観点からすれば、すでに決着がついている問題である
「自分の絵が勝手に学習され、素材の一部にされている」というなんとなくの不快感。これこそが反AI活動の源泉だ。考えてみれば分かる。世界には二次創作やネットミームという名の著作権侵害が溢れているが、絵師たちはそのひとつひとつに決然とした態度でNOを突きつけていただろうか? むしろこちらの方が違法性は高いのに、なぜか社会は許容している。自ら参加している者すらたくさんいる
つまりこれは「なんとなく許容できるかどうか」の問題に帰着する
気持ちの問題を蔑ろにしているわけではない。気分を害するというのは立派なイシューで、それを「お気持ち」と揶揄するのは愚かだ。しかし絵師自身が己のお気持ちを軽視して無理筋な法的問題に持ち込み、かえって正当性を失っているように見える
著作権的にクリーンなデータだけで作ったデータセットから学習すればいいという向きもあるが、おそらくビッグテックはわざわざそんな遠回りを選ばないだろう。そもそも「クリーンさを気にする感覚」自体が、近い将来には時代遅れになるだろうと踏んでいるはずだからだ
「なんとなく許容できるかどうか」という感覚は、時代とともに確実に変化していく
AIネイティブ世代からすれば、自分の作品がビッグデータの一部として利用されることは当然の前提となる。オリジナリティとは別次元の話だと認識されていくはずだ。若い世代の間では、創作物の共有や再利用に対する抵抗感は低下している。この傾向は、AIの普及とともにさらに加速するだろう
仕事の代替への不安は、先の感情的な問題に比べれば極めて現実的な懸念だ。現状、イラスト業界は供給過多の状態にある。SNSやデジタルツールの発達により、プロ・セミプロとして活動する絵師の数は年々増加している。そのため、すでに案件の獲得競争は激化しており、AIの台頭はこの状況をさらに加速させ、複雑にするだろう。
予想されるのは、以下のような変化だ
確かに、この変化の過程で職を失う絵師も出てくるだろう。しかし、そうした変化を止める術は現実的に見て残されていないように思われる。先に述べたようにAI使用に対する感情的な抵抗感は自然に、あるいは(大企業によって)戦略的に薄められていくし、戦略的なクリエイターはむしろAIを積極的に使用して生産効率を上げると思われる。抵抗するにしても、ただ感情的に拒絶するのではなく、より戦略的なアプローチが必要になる
どうせ一億総クリエイター時代は訪れない。相変わらず、極めて高いクオリティの作品を生み出すのは一部のクリエイターだ
生成AIの台頭は倫理の崩壊ではなく、新しいモラルの構築過程であると見るべきだ。具体的には以下のような変化が予想される
AIの普及とともに結局のところ生成AIはツールに過ぎないという認識も浸透していく。これは、写真や印刷技術が登場した時と同じような変化のプロセスだ。現在のAIの悪魔化は得体の知れなさによるものも大きく、その限界が体感できるようになってからは落ち着く。あいつらAIは、人間の工夫なしにはそんなに面白いものを創れない。これまでと同じように人は工夫と執念が生み出す作品と作者を愛す
しかし、反AI運動にも、明確な意義がある。それは以下のような点で重要な役割を果たす
第1に、勝算の問題だ。すでに述べたように、巨大テック企業が本腰を入れている以上、AIの開発を止めることは極めて困難である。彼らは豊富な資金力と法務体制を持っており、個人や小規模な団体が対抗するのは容易ではない
第2に、リスクの問題がある。反対運動に参加することで、「過去の発言がネット上で拡散し、デジタルタトゥーになる」「業界内での立場が微妙になる」といったリスクが生じる
だから、得られる可能性のある成果と、背負うことになるリスクを天秤にかける必要がある
AIはこれから包括的な社会インフラとして生活に侵入してくる。そういう情勢の前に掲げる「反AI」は間抜けな印象を与えかねない。抵抗するならより現実的で具体的な落とし所を示すべきだ
反対一辺倒ではなく、適切な規制や利用ガイドラインの策定を求め、学習そのものではなく出力・発表された作品の剽窃性を問題にするのが落とし所の一例だろうか
要するに、反対運動には確かに意義がある。先人が勝ち取ってきた権利は彼らが守ったものだ。しかし、個人が参加を決める際は、その実効性とリスクを冷静に見極める必要があるだろう。そして、必ずしも声高な反対だけが、意思表示の方法ではないということも覚えておく必要がある。現実的に見て、もはやそれは追い払えるようなものではない
ここまで見てきたように、生成AIの台頭に対して、個々の絵師に推奨されるのは「静観」という選択だ
という実効性の観点がまずあるし、強硬な反対運動は様々なリスクを伴うという観点からもそう言える
結局のところ、生成AIの浸透は避けられない変化だ。今感じている「問題」も感情的な理由が大きく、情勢の変化により問題意識そのものが失われかねない。その変化に対して戦略的に対応していくことこそが、個々の絵師にとっては最も「賢明な」選択となるだろう
ただし繰り返すが、これは戦略的な提案であって、道義的な判断ではない。反対運動にも確かに意義があり、それは尊重されるべきである。ただし、それは基本的に困難であり、現実的な成果を得ようと思えば、ゼロイチ思考の全面的反対ではない落とし所を探す試みになる
そうでない全面的な反対運動が局所に成功したとしても、それは数ある表現の中から「絵」だけを理由なく聖域化し特権的に扱わせる歪みを生み出し、総体的にはマイナスであるように思われる
サブスクリプションサービスの台頭により我々が享受できる音楽の幅は大きく広がった。しかし、音楽に好き嫌いはつきもの。聴いてるだけで女の子に嫌われてしまう音楽ジャンルというものは確かに存在してしまうものである。
第3位:邦ロック
街の意見
「女の子が聴く分にはいいんだけど、男が聴いてたらマジでキショい。典型的『邦ロック好きな自分が好き』タイプだと思う。ヘッドフォン付けてワンオク聴きながら鏡見てシコってる姿が目に浮かんで無理。男は黙ってグリーンデイを聴けよと思います」(21歳 Fランク大学生 大阪府大阪市)
「一言で言い表すなら、『オカマ』。これに尽きますね。オカマみたいな見た目のオカマがオカマ声でオカマ歌詞歌ってるの聴いてオカマが喜んでる構図。地獄です。邦ロック聴いてる人とは関わりたく無いです。オアシスのCD貸すから考え改めて(笑)」(29歳 酪農業 北海道幌延町)
「きょうびロックなんて流行んないですよ(笑)アメリカのチャートを見てください。ロックなんて下火ですよ。
しかもなに歌ってるかと思えば、ナヨナヨした男が『私は恋人じゃなくてセフレでしたから~!残念!!』みたいなのばかり。波田陽区から一歩も進歩してないですね」(32歳 国語教師 岩手県北上市)
第2位:ヒップホップ
「個人的にちょっとダサいかな… 腰パンしてYO!YO!とか言ってそう(笑) 『ですよ。』かよ(笑)」(19歳 養豚業 宮崎県新富町)
「不良の音楽というイメージが強くてちょっとね… あとお金持ってなさそうなイメージ。『財布は空でもサイファーはタダ』とか言ってそう(笑)」(26歳 れんこん農家 茨城県小美玉市)
「地元愛が強そうでちょっと嫌です。私はいつかは東京に出たいので。」(19歳 飲食業 青森県三沢市)
「肌身離さず違法大麻不法所持してそうで嫌。犯罪に巻き込まれたくない。」(27歳 金物屋 埼玉県入間市)
第1位:ヘヴィメタル
街の意見
へへへヘビメタ(笑)ダサい、ただただダサいです(笑)ガルネリウスとかストラトヴァリウスなんか聴いてる男いたら大爆笑もんですよ(笑)キモオタクが好きそう(笑)非モテの象徴的音楽、それがヘビメタですね。」(25歳 総合商社 東京都港区)
「古いんですよ。グランジの台頭でヘヴィメタルは死んだんです。それなのに未だにヘヴィメタルにしがみついてる男がまともなわけありません。ドリームシアター来日だの言われても『へー』って感じですね。」(23歳 研究員 北海道札幌市)
「いやいや、きょうびヘビメタって(笑)未だに聴いてるやつなんてど偏屈なキチガイに決まってます、無理です。この前のタイラー・ザ・クリエイターとかケンドリック・ラマーの新譜聴いてないんでしょうね(笑)」(34歳 準公務員 高知県土佐清水市)
「今時古すぎ。Metal Zone踏むくらいならZORN聴けよって話ですよ。」(27歳 船員 青森県大湊市)
「大好きだった元カレがToolとBetween The Buried And MeのCD持ってたんです、叩き割って即別れを告げました。そんくらいヘビメタはなしです。社会不適合者の証明書みたいなもんです。」(29歳 歌い手・家事手伝い 岩手県八幡平市)
いかがだったであろうか。いささか偏った意見も散見されたが、女の子にモテるためには、聴く音楽にも気を使った方が良さそうだ。