はてなキーワード: オタク文化とは
シンパに攻撃させたりしていたおかげで不当に利益がつり上がっていただけなんだなって
生成AIの騒動でうんざりしていたところに今日とある漫画家が中古書店を攻撃しているのを見て思った(br)
そのくせ経済を全然知らないしだから自身の二次創作がなんで擁護してもらえてるのかわかってない(br)
安く依頼するなとか技術に金をといいながら際どい絵やエロ絵をフォロワー欲しさにゾーニングせず投下
X広告に文句をいいながら自分はファンボックスのURLリンクをポストする(br)
最近は絵描きに抱いていた不信感があれらを応援するオタクたちにも向いてしまい人間嫌いが加速している
最近、4B運動という韓国発のフェミニズム運動が話題になっているが、その派生として『6B4T運動』があり、それには性的描写・ミソジニーへの反発を理由とする反オタクの要素が含まれている。
6B4T運動が日本を含む世界中に広まったら、オタク系のアニメ・マンガ・ゲーム・キャラクターやそれに関係するクリエイターへのバッシングが大々的に行われる事態が毎日のように起きるであろう。
バッシングにあった作品の非公開化・表現の修正のみならず、同人誌即売会などのオタクイベントの開催にも影響が出るかもしれない。
クリエイターは生成AIと同様のスタンスで6B4Tなどの反オタク運動に対する姿勢を明確にし対応すべきだ。特に萌え絵やその絵師(男女問わず)・制作企業はバッシングの標的にされやすいだろうから、何かあったら謝罪の有無問わず表現の意図の説明や反論できるように準備しておくべき。
表自の間で支持される傾向にある無視という有耶無耶な対応をしても、反オタク運動は加速し最終的に無視対応が無駄になり自身やオタク文化全体に悪影響を及ぼすであろう。
無視という対応ではなく、多くのクリエイターが無視ではなく見解を出すなどのアクションをとることによって、反オタク運動に立ち向かったり向き合ったりしたという証を残すことができる。
そりゃ大半が中国人だろうさ、だって中国のゲーマー人口6.6億人と言われてて、5500万人の日本の10倍超えてるんだよ。
国別市場規模でも中国がトップ、日本はアメリカに次いで3位って業界なんだ。
ゼンゼロの売上データを例示すると、44%が中国、25%が日本だそうだ。次がアメリカ10%。これを見ると人口比の割に日本のゲーマーがどれほどオタク文化を継いでくれた秀作ゲームを目にかけているか分かる。
ただこれはApp StoreとGoogle Playが対象だから、miHoYoの公式チャージセンターから課金するPC勢やPS5勢、サードパーティアプリストアを使ってる中国人などが抜け落ちてる。
他のゲームだと最近目立ってたのが黒神話:悟空だな。中国初の国産AAAタイトルで発売後SteamやPS Storeの上位にしばらくいて世界の12ヶ国でランキング1位を取るほど売れたやつだ。
それでも売上の80%が中国からだと。それくらい中国語ゲーマーはゲーム市場において人数が桁違いに多いんだってことが分かる。
中国のゲーム市場の2/3はモバイルで、PCやコンソール(つまり黒神話の範囲)はマイノリティなんだが、黒神話を契機にSteamでは中国語ユーザーが増えた結果、こんなことにもなってた。
Steamの言語別ユーザー数、8月は中国語ユーザーがトップに。『黒神話:悟空』の大人気もあってか、英語ユーザー数をぐっと上回る - AUTOMATON
ファミコン世代として言わせてもらうが、今年話題になったゲームの筆頭がドラクエ3とFF7という現状は、本当に末期なんじゃないかと思う。
たとえば中華ゲーのゼンゼロはどうだ。キングオブファイターズやデビルメイクライ、ストII、ギルティ、シェンムー、スペースチャンネル5、ミスタードリラーといった
昔のゲーセン系メーカーの作品をオマージュしつつ、かつ日本のゲームメーカーが到達し得なかったもう一つの未来を確かに提示できている。
ホヨバといえば今度の原神の新キャラクターはベヨネッタっぽい服装をしているし、この前のスタレのキャラは海外では鉄板のShinobiマフラーをしていた。
日本のメーカーはゲームを作るのはオタクではないと欧米に日和ったが、オタク文化に理解のある外国人がゲームを作り世界を奪い去った。
まあ、最近のゲーミングPCは50万もするし、件のドラクエはスイッチでもPS5と同じ画質らしいから、ゲームの面白さは画質ではないとか、想像の余地があっていいと思う人は
それぐらいで楽しむのがちょうどいいとは思うけど。
「声優と絵師の大半はフリーランス故に、一人でも関係者に嫌いなやつができてしまうといつ自分の作品がゴミクズにされるかわからない」
「にも関わらず、悪徳商法顔負けの期間限定商法、特典商法がまかり通っている」
というところだ。
とあるサークル主の声優さんにはお抱えのイラストレーターがいた。
今は、そのお抱えイラストレーターとは袂を分かっているからその声優さんには恨みがないのです。
ところが、そのイラストレーターが人気サークルから仕事をもらえなくなったことで、ところ構わず仕事を受けた中に…過去に私とトラブルがあったシナリオライターにこえをかけてしまったサークルの仕事を請けたのです。
そのシナリオライターにとっては、初めての大手の仕事ということで、宣伝も頑張った結果「ブロックしているのに目に入ってしまう」「目に入った結果、そのイラストレーターの作品で抜けなくなった」という事態が起きました。
「そんなん言い出したら、自分と相容れない人がシナリオライターになった時点で、シナリオライターが仕事を請けるほどたくさんの声優さんが嫌いになるんじゃないの?」
むしろ、有名な声優さんを支えきれるほどシナリオライターに作品を売る力がないから
「やったぜ!声優さんが高額なギャラを請求してるから、シナリオライターが爆死しとる」
とメシウマになれるからいいんです。声優自身がギャラを明確にしていることで、作品の売上を見れば「ライターやサークルが、見合っているかどうか」がわかることで、声優を嫌いになることを避けられるのはありがたいです。
(まして、見合わない声優さんを起用して、嫌いなライターが作品が出せなくなる方向に追いやられていく姿は、最高です。…まぁ、そのライターとの私的な付き合いをアピールして、出演してもない作品まで宣伝しまくってたやつは許してないけどね)
ところが…絵の場合って「明確に赤字/黒字」がわからない上に、目はイメージを記憶するじゃないですか…。
だから、「絵がそのアレなライターのイメージになってしまったのはすごくヤダ」という状態で…当時はブチ切れて抗議のメールを声優ともども送りつけましたよ。
作品買ってるんだから「お前のせいで楽しめなくなった」「表示されるたびに、イライラする」ぐらいに思うのは当然ですよね?抗議に意味があるかどうかはともかく、当時はそのぐらい腹が立ちました。
とはいえ?
これ読んでる人の大多数は「お前精神状態おかしいよ」と思ってることでしょう。
私だって、自覚はありました。どこまで行っても悪いのはライターなのですから…絵師や声優にキレても、解決できる範囲は限られてきます。
ところが、そのライターからされたことはそのぐらい納得のいかない理不尽なことだったのです。
ましてや、「見ないようにしよう」と心がけても、向こうからこちらのテリトリーに入ってきたわけですから「じゃあ俺はどうすればいいんだよ」とキレたい気持ちが湧きますよ…。
この二律背反の「どっちの言い分もある」という状態に孤独感を感じていました。
今回の大統領選挙で、同じ目に遭う人がたくさんいたみたいです。
なんと、アベンジャーズの知名度を使って、ハリウッド・セレブたちが民主党を訴えたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=Jgnh28X4efI
オタク文化には「作品と作者は別物」という言葉がありますが…そんなものは理想論です。
作品を出す人間に同意できない?楽しめなくなるようなノイズがあれば、多くの人は残念に思い、避けてしまうのです。
他人を嫌いにならないのが一番良いです。
好きだ嫌いだと判断しないのが一番お互いにとっていいでしょう。
自分の存在を否定されたり、全く違う考えだったり、いくら検証しても正しくないことで虐げられれば…キレます。
そもそも、ライターは作品が赤字続きで「そろそろマイナスイメージが、本人の力ではどうにもできない所まで来ている」ので…ライター自身もそろそろ退場することになるでしょう。
「これをやられたらずっと生き残ってしまう」という最悪のパターンはいくつか考えてましたが…私の想像の下をくぐり続けたので、そろそろみなさんも買いかぶりに気づく頃でしょう。
私が逆の立場だったら取るべき手はまだ少しだけ残ってますが…どれも取らないだろうなぁ…。
これ以上被害者が出る前に、止まってくれるといいんだけどね…。
6桁7桁単位でダメージ受けてる人がいて、他人ながら見ていられないよ…。
「私怨がある相手に加担したんだから因果応報」だけを思えるほど、今の私は性格が歪みきってない。
むしろ、「儲かったり、楽しかったりする活動をしたかったはずなのに、それが続けられないパートナーを選んでしまってかわいそうに」と思っているぐらいだよ。
私の私怨とはまた別に、「赤字のクリエイターに引っかかって活動が続けられない人」が少しでも減ってほしい。
性格が私と合わなくても、その人がちゃんと仕事して成功できて、必要とされてるなら、まだ「悔しいがこれも世の摂理」と飲めるわ。
ところが、その人を信じて仕事を振った人にすら負担を強いている現状はさすがに「うわぁ、俺と同じ被害者じゃん」ってなりますわ。
ハイキューが最終回を迎えた際、Twitterで感想を漁っていたら、「なんでバレーしてるだけなのにこんなに泣けるんだろう」というファンの投稿が目に入った。自分はハイキューで泣けるほどの感受性はとうに持ち合わせてなかったが、そこから数えて24年前にほとんど同じ気持ちを味わっていた。
井上雄彦の作品に通底するのは徹底したリアリズムである。彼が本作で行ったのは、本気でバスケットボールに挑む人間の思考と感情をつまびらかにするだけで面白くなるということの証明と、人気が出なかった時のため不良路線でも行けるような作風を選んだことだけである(当時バスケットボールがマイナースポーツであったことに留意したい)。この結果、フンフンディフェンスを除くあらゆる要素が後世のスポーツマンガにリアリティの基準点をもたらすこととなった。
桜木花道がバスケットマンに変貌するたった4ヶ月の物語は、命のやりとりや世界が終わることよりも一本のシュートの成否の方が遥かに切実で重要な問題になりうることを、今なお我々に伝えている。
講談社は1970年代末期には後発のジャンプにマンガ業界の盟主の地位を明け渡しているわけだが、それを奪い返す最大のチャンスが90年代後半に訪れた。DB幽白スラダンといった作品が終了した暗黒期のジャンプを、金田一はじめの一歩GTOを擁するマガジンは苛烈に追い上げ、ついには発行部数で逆転したのである。
その中で強引に看板作品に祭り上げられ、ジャンプの屋台骨を支えることになったのが本作だ。後に和月伸宏は「次につなげたい」という気持ちで描いていたと語っている。明治という激動の時代の中で不殺の剣士・剣心が刀を交える相手は、旧時代に未練を持つ者や、新しい時代の荒波に飲み込まれた者たちであった。黄金期と暗黒期の狭間で奮闘した本作のありようは、皮肉にもそこに重なって映る。
ワンピナルトが出てくるまでを空白期間にせず、少年マンガ誌の代表というジャンプのアイデンティティを守りぬいたのは同時代の誰も比肩できない功績だ(幕張や封神演義やBOYSにこの役割を代替できたか考えてみてほしい)。現代のジャンプ読者はもっと、もっと本作に感謝すべきだと、佐藤健の超人的なワイヤーアクションを眺めながら思うのである。
連載終盤、もはや燃え尽きる寸前だったといううすた京介は後年、「マサルさんはシュールではなく、ベタをシュールに見せていただけ」と語っている。自分を含め、多くの読者は同意しかねるだろう。彼が未来永劫に参照点となりうる新たなベタを作り上げたことに疑いの余地はないからだ。
本作はギャグマンガでやってもいいことの範囲を大幅に拡大した。キャラクターの行動原理なんてなくていい。話の展開は唐突でいい。絵柄は毎ページ変わっていいし上手くなくていい。読者が知らなさそうなパロディだって入れてよいのである。現代の観点では至極当然と思える要素を2年弱、全7巻に惜しげもなく詰め込んだ。
彼の次回作(ピューと吹く!ジャガー)ですらも、ついにその革新性を更新することはなかった。90年代にうすたに憧れ新人賞に応募した有象無象のワナビー達も誰一人として出来なかったことを考えれば少しは気が休まるだろうけども。
闇の人格を持つ主人公によるダークヒーローものというコンセプトで始まった本作は、ほどなくしてマジック&ウィザーズという架空のTCGを中心にした物語に変化した。この変化が、数十枚の紙束を並べる行為を、玩具・ゲーム業界において最も存在感のあるエキサイティングな遊びに位置付けることになる。
コナミでは社内の遊戯王関連の部署をしばしば「造幣局」と呼ぶそうだが、紙を刷って売上1兆円に到達するコンテンツなど他に存在しないことの証左である。こうした状況に、高橋和希の優れたキャラクターデザイン、ストーリー構成が大きく貢献したのは言うまでもない。ゲームが友情を育むツールになりうると示し、メディアミックスの力を世に知らしめた功績は間違いなく彼のものだ。
世界で最も多く発行された単一作者によるマンガ作品について何か語るべきことがあるだろうか?まだ言及すべき余白が。本作のように自然にカテゴライズを避ける作品というのは極めて少ない。友情、夢、自由、強さという最もありふれたテーマに挑み、ついにそのすべてを超然と飲み込み描き切ろうとする本作を何らかの箱に入れて理解するのは難しい試みに思える。
毎週月曜日にワンピを読んで喧々諤々と考察できる世界に我々は慣れ切ってしまった。30年間マンガ業界の頂点に君臨する男がいるという現実に。一定の年代以上の人間にとって、本作の終わりがジャンプという雑誌の終焉に見える人がいても無理のないことだ(今ワンピの次に長寿連載しているのはハンタを除けば2019年連載開始の夜桜さんである!)。ルフィと尾田栄一郎という二人の男の、幼少期から練り上げた夢の果てを世界中が見届けようとしているのだ。我々がこうした光景にふたたび立ち会えるかは疑わしい。
幽白は極めて質の高い作品でありながら、冨樫義博が抱える巨大なアイデアの数々を収めきれた作品ではなかった。それでも仙水編と、その後に異例の月一で掲載されたレベルEで前人未踏の領域に踏み込んだ彼は、自身4作品目の連載においても既視感のある展開とご都合主義を執拗なまでに避け続けた。彼の描くキャラクター達は自身が取れる最善の選択を積み上げた末に、我々が期待する最善以上のドラマを生み出す。幾度もの休載を挟みながら。
「今週の『HUNTER×HUNTER』は休載いたします」の表記(今はこれすらなくなったが)を昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらぬ平常心で見られるようになってもなお、自分に限ってはこんな感じであった───「HUNTER×HUNTERの最終回を読める可能性があるというだけで、どんなクソみたいな人生でも生きる理由が生じる」
いまや冨樫は少しずつ体調を取り戻し、我々は一時期とは比べ物にならないほどコンスタントに彼の創り出す世界に触れることができる。何百何千もの作品がジャンプにおいて連載され、本作に近い作品、それ以上のものを期待し続けてきたが、その度に彼の偉大さを突き付けられるだけなのだろう。
前例のないテニスマンガでの成功、女性読者の流入、クールで生意気で強い主人公像、菊丸が分身して以降のテニヌ...といった誌面上で読み取れる新規性だけでは、本作のもたらした文化のごくごく一部しか語りえない。
1000曲近いキャラソン、出役としての役割を求められる声優たち、2.5次元文化の源流かつ若手俳優の登竜門としてのテニミュ...現代における狭義のオタク文化の根を辿れば、必ずテニプリが残した功績にぶち当たる。「推し」という文化が、人間を描くあらゆるコンテンツに侵食して久しいが、許斐剛が生み出した世界は、ジャンプで築き上げられたあらゆるファンダムの中でもっとも複雑で永続的な強度を保ち続ける、史上最も「推す」に値する文化であり続けている。
すみませんほんとに書くことが思い浮かびませんでしたでも世界的にマンガ文化を広めた功績は鳥山に並ぶと思ってますマジで
あまりに多くの言及がこの作品になされ、そのどれもが口をそろえて言う。「描き分けが上手い...絵の引き算が上手い...ルビ振りのセンス...久保帯人は中二病...ストーリーが薄い...」これらすべてはもちろん真実だ。
連載中、ワンピナルトブリーチの三枚看板の最後尾というポジションが崩れることは一度もなかった。果たしてこの評価が妥当だったのかは分からないが、少なくとも我々ネット民は久保帯人のセンスをバカにし過ぎたことに対し大いに反省すべきところがあるのではないだろうか。海賊、忍者のような明確なモデルがいないのに、久保帯人はどうしてあれほどまでに洒落たキャラクターとセリフ回しを無尽蔵に生み出せたのか、系統立てて説明できる理屈は未だ見つからない。もしその答えが彼の脳内にしかないとするならば、我々は本作を源流に大いなる歴史が作られていく可能性を認めなくてはならないだろう。
デスノートという作品は複数の点で極めて例外的な成功を収めた。肉体的攻撃を伴わない心理戦、一切の引き伸ばしをしない、公権力、宗教的崇拝、欠点の無い主人公、ゴシック的キャラ造形、ダークヒーロー、死亡エンド...
本作に散りばめられたこれらの要素は、すべて従来のジャンプ漫画では邪道、あるいは不要とみなされてきた要素であった。このような野心的な作品がメディアミックスにおいても成功を収め、国民の誰もが知る作品となったのは驚異的だ。この作品が出たことは心理戦を描こうとする後世のマンガ家にとっては悲劇かもしれない。夜神月ほど賢く、悪どく、魅力的なキャラクターを矛盾なく作れる人間は大場つぐみくらいしかいないのだから。
2010年代にジャンプを購読していた人間はみな共通してうすぼんやりとした不安を抱えていた。「ワンピの連載終わったらジャンプってオワコンじゃね?」
ジャンプの終わりという、週刊少年マンガ誌という形態の終わりと同義に思える未来を避けるべく、集英社は読者以上に血眼になって後継者を探し求めた。しかし我々の期待も空しく、トリコ暗殺教室ヒロアカソーマブラクロ約ネバドクスト呪術といった平成末期の傑作たちすらも、尾田栄一郎が築き上げた領域には辿り着けなかったように見えた───ただ一つの例外を除いては。
「家族、友人への愛」「困難を乗り越える強さ」という普遍的なテーマにフォーカスした吾峠呼世晴の連載デビュー作は、あらゆる世代へ届く成功を収めた。特に、劇場版『無限列車編』は社会現象化し、国内の興行収入1位を達成するなど、経済的にも文化的にも大きなインパクトを残すことになった。
出版業界の衰退、コロナ禍、趣味の多様化といった逆境の中で、マンガが世界的なムーブメントを引き起こすことがまだ可能であると証明した本作は、令和を生きる日本人の心象風景に残る新たな「国民的マンガ」として、時代に選ばれたのだ。
ひとりのスターの存在がプラットフォームの価値を定義することは古今ジャンルを問わずあることだ。ダウンタウンの登場がお笑い養成所という存在をメジャーにしたように、米津玄師の登場がニコ動の文化をオーバーグラウンドなものにしたように。
2014年に創立したジャンプ+というプラットフォームの目的である「紙とデジタルの垣根をなくし才能を育てること」が名実ともに達成されたのはいつだったのか?それは初めて本誌とジャンプ+両方でスターとなった人間の登場によって定義付けられる。
かつて秋田の片田舎から新都社に「長門は俺だ」という名前で投稿していた少年は、その衝撃的なストーリー展開で我々を魅了する存在となった。ファイアパンチ以降、ジャンブ+はあらゆるWebコミックサイト、いや雑誌を含め、もっとも野心的な作品を読める場所のひとつとして認知されるようになった。
藤本タツキの本誌への到着は新たな才能の鉱脈をインターネットに求める時代の始まりを告げ、媒体の違いというものがマンガの面白さになんら本質的な影響を及ぼすことはないという事実を我々に突き付けたのだった。
週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選 https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
上記に触発されて書く。
膨大な量があり、どれがどれに影響を与えたかも把握が難しいので色々補足反論、コメントしてくれると嬉しい。
2002年に九里史生(川原礫)氏により、氏のホームページ「Word Gear」にて発表された。2009年に電撃文庫から書籍化。
先行の類似設定の作品にウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』、岡嶋二人『クラインの壺』、高畑恭一郎『クリス・クロス』がある。
また映画では『マトリックス』、同時期にゲームでは『.hack』などが発表されたが、
いわゆるVRMMOというジャンルがWeb小説界で隆盛したのは間違いなくこの作品の影響が大きい。
2013年発表。以降の悪役令嬢(転生)ものに多大な影響を及ぼした。
恐ろしい更新速度と内容の面白さで「小説家になろう」のランキングを駆け上がった。
そして突然の更新停止で読者を地獄に叩き落した。今も叩き落とし続けている。
当時は男性向けが幅を利かせていた「小説家になろう」の中で、女性向けが人気を獲れることを証明した作品でもある。
少し脱線した語りになるのだが、Web小説は既存の小説媒体と比べて「文字数制限がない」のが大きな特徴だと思う。
SF小説家フィリップ・K・ディックが「短編、中編、長編といったメディアの制約がそのまま物語の制約となってしまっている」というようなことを書いていたと記憶している。
Web小説にはそれがない。なので、キリのいいところで盛り上げたり終えたりする必要がない。
この謙虚・堅実はそのWeb小説の特徴をいかんなく発揮した物語だと感じた。
2005年に魔法のiランドで発表。以降書籍化、漫画化、映画化、ドラマ化と立て続けにされ大きなムーブメントを起こした。
その口語的な等身大の文体には賛否両論があったが、多くの当時の若者の心をつかんだ。
(それにしても、あの頃僕らは魔法のiランドでクソみたいなホームページをたくさん作っていた)
劇場版エヴァ(EoE)の衝撃的な終わりにおかしくなった若者たちは、その情熱を二次創作に注ぎ、いくつもの名作・怪作を生んだ──
エヴァFF(ファンフィクション)の代表として2nd Ringをチョイスさせていただいた。
LAS(ラブラブ・アスカ・シンジ)かLRS(ラブラブ・レイ・シンジ)かでいうと、LRSの王道逆行モノである。
特に転生・逆行・ヘイト(ザマァ)・最強もの的な要素は二次創作からの流れが大きいことが指摘される。
ただ二次創作は広く、深い。To Heart、TYPE-MOON作品などエヴァ以外に盛り上がった作品は多いし、夢小説やBL二次小説までいったらもうお手上げである。
2chのSSが書籍化、漫画化、アニメ化するなんて信じられない。
でもまおゆうはそれをやった。
SSとはショートストーリーの略で、2chにおいてはニュー速VIPなどの板で盛んに制作された物語の形式である。
キャラ「〇〇〇」
当時は2chまとめサイトが多くあり、まおゆうもまとめサイトに乗り人気を博した。
後にゴブリンスレイヤーなどのAA(アスキーアート=文字で絵を表現する形式)スレの書籍化にもつながる影響を残した。
電車男などを入れるかも迷ったが、小説ではないのでランクインしませんでした。
また従来不良漫画では、貧乏な不良キャラ等はあったが在日コリアン等の日本社会で差別されて不良にならざるをえなかったマージナルパーソンのアウトローを描いたことで知られる
腐女子の概念を初めて体系化し、また現在のおっさんの趣味を美少女キャラにやらせたり、声優や芸能人への露悪な悪口、誹謗中傷を初めて漫画で表現した(ただしコミックス版では改変されている)
あと何気にマガジンの漫画で最初にサンデーの漫画とコラボした漫画でもある
3.バジリスク 〜甲賀忍法帖〜 原作・原案など 山田風太郎『甲賀忍法帖』作画 せがわまさき
5号機の傑作
あとはピアノの森、おとぎの街のレナ、REDからどれか2つだけど
ピアノの森が青年漫画として初のピアノ漫画だったら確定だと思う
初期増田を代表する作品。アーケードゲーム文化を濃密に描き、独特の恋愛模様を織り交ぜた異色作。オタク的な趣味嗜好と青春の機微を見事に結びつけ、SNSでの共感を呼んだ。
「非モテ」というネットスラングから生まれた作品。リアルな空気感とコミュニケーション不全の描写が、ネット世代の心を掴んだ。増田の読者層と主人公の世界観が見事にシンクロした代表作。
ネットの匿名掲示板で話題となった体験記をコミカライズ。メンタルヘルスという重いテーマを、独特のタッチで描き切った意欲作。増田らしい「実話系」作品の代表格。
★人間のいない国(岩飛猫)
SNSでバズった設定を基にした作品。ディストピア的世界観と緻密な心理描写が特徴。「増田」的な物語の語り方を確立した重要作品。
学園モノの新機軸。SNSやメッセージアプリを介したコミュニケーションを自然な形で物語に組み込み、現代の青春を描いた秀作。
ネットスラングや若者文化を巧みに取り入れた学園コメディ。Twitterでの実況を意識したような展開と台詞回しが特徴的。増田的ユーモアの代表作。
メンタルヘルスの問題を独特の視点で描いた異色作。匿名ダイアリーのような告白調の語りと、シュールなギャグを織り交ぜた増田らしい作風。
オタク文化とネット用語を駆使した異世界モノ。「おっさん」視点のネタと考察の深さで、匿名掲示板発の物語としての新境地を開いた。
SNS時代の複雑な人間関係を描いた恋愛作品。誤配や取り違えというネット小説的な設定を、リアルな心理描写で昇華させた秀作。
アイドルカルチャーとSNS時代の闇を描いた意欲作。匿名掲示板的な情報戦や、ネットでの炎上を巧みに物語に組み込んだ増田的傑作。
これらの作品は、ネット文化やSNS時代の人間模様、匿名掲示板発の独特な語り口、現代的なコミュニケーションの機微など、「増田」的な要素を色濃く持つ作品として選定しました。作品それぞれが、インターネット時代における新しいマンガ表現の可能性を示している点で重要です。
不死身の侍と少女の復讐の旅を描く、スタイリッシュなアクション。
ラジオパーソナリティを中心に描かれる、個性的でユーモア溢れる日常劇。
冴えない青年と美しい女神との恋愛を描く、温かみのあるラブコメディ。
• 「萌え」という言葉を古い意味で使うべきだと主張しながらも、「シコい」や「尊い」といった新しい表現の誕生を認めています。このことから、言葉の意味や使われ方が時代とともに変化することを認識しつつも、過去の意味に固執する矛盾が見られます。
• 「ダム萌え」などの用語を誤用と批判していますが、言葉の誤用が一般化して新しい意味を持つようになることは言語の自然な進化です。言葉が新たな意味や使い方を得ることを否定しながらも、時代の変化に伴う新しい表現を受け入れている点で矛盾しています。
• 令和のオタクに対して「慎みがない」と否定的な見解を持っていますが、時代とともに文化や価値観が変わるのは当然のことであり、新しいオタク文化を一概に批判するのは視野が狭いと言えます。文化の変化を理解し、受け入れる姿勢が不足している点が問題です。
• 自分の価値観に基づいて「萌え」や「尊い」の意味を断定的に語り、それ以外の使い方を否定しています。個々の表現や感覚は人それぞれであり、主観的な価値観を押し付けること自体が矛盾しています。
この主張全体には、言葉や文化の変遷に対する偏った見方や、時代の変化を理解しないまま過去の価値観に固執する姿勢が問題点として挙げられます。