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はてなキーワード: 遮断機とは

2024-10-01

道は整備されてて退避場所もあるしきちんと遮断機も降りるし警報も鳴るしすぐ隣には歩道橋もある

これで外人スマホ見ながら電車に轢き殺されたからこの踏切危険!ってほとんど自爆テロじゃん

2024-09-03

祖母の好きなひと

わたしの母は実家が大好きな人で、子供の頃はよく泊まりに生かされたものだった。

母の生家(わたしから見た祖父母の家)は川の堤防沿いにあった。

そこは中々の田舎で、家にたどり着くまでの10m程の細道には雑草や低木が我が物顔で生い茂っていていたし、そこを歩く度に一枚の羽しかない黒胡麻の様な虫が何匹も脛にくっ付いた。

玄関を開けるとすぐ鏡張りの棚があって、そこには昔懐かしい黒電話どんと置かれていて時々けたたましく鳴り響くのが怖くて堪らなかった。

そして夜は最悪で、日本昔ばなしに出てきそうな古ぼけた畳の部屋に寝かされて、それだけでも嫌なのに遠くないところを新幹線が走るから中々寝付けなかった。

良いところなんて焼き魚を焼くと匂いに釣られた野良猫がにゃあにゃあ鳴きながら勝手口に集まってくるところぐらいだった。

わたしはそんな母の実家に泊まるのが嫌で嫌で泊まるのをよく嫌がったが、わたしが嫌がることを母は許さなかった。

「私はあの家で幸せに育ったんだから!」

「あの家には思い出がいっぱいあるんだから!」

これが母の口癖だった。

なんだか母はわたし実家より自分実家の方がずっと好きなようだった。

というより、父と母はお見合い結婚だったらしく仲も良くなかったから、ただこの家が全然きじゃないだけかもしれないとも思った。

わたし高校生の頃、祖父祖母が同時にボケた。

すぐに徘徊暴言が始まり祖母はいつも「家に帰りたい!」と泣きながら電話をかけてきて、祖父おむつを履かせてもゴワゴワすると言って勝手に脱いでは糞尿を部屋中に撒き散らした。

母は仕事をしながら、自宅から母の実家(祖父母宅)に通って二人の世話をした。

そのうち精神的に限界が来てわたし愚痴る様になったが、それでも母は二人のことを決して否定せず、相変わらず好きでいるようだった。

わたしは心が冷たい人間なので、母が同じようになっても愛せないだろうなあ、なんて思いながら愚痴を聞き流していた。

その後母は二人を施設に入れ、それからまもなく祖父が亡くなった。

葬儀には祖母も訪れ、自分名前も分からないぐらい全てを忘れてしまっていたはずだった祖母祖父遺体を覗き込んで「お父さん、今までありがとうね、すぐにそっちに行くからね」とボロボロ涙を流した。そんな祖母を見て母もボロボロ泣いた。碌に介護に関わらなかった母の兄はヘラヘラ笑って泣きすぎだ、と母を揶揄いながら、トイレに行くと言って廊下で静かに泣いていた。

それからまもなくして祖母が亡くなった。母は祖母火葬される瞬間獣の様に大声を上げて泣き叫んだ。施設なんかに入れてごめんね、家に帰りたがってたのにごめんね、と謝りながら泣いた。いつまでも泣いた。

そして祖母が骨になった頃ようやく泣き止んで、しゃくりあげ鼻水を垂らしながら骨を箸でつまんで骨壷に入れた。そして兄弟の中で一人だけ全く泣く素振りを見せないわたしを恨めしげに睨んで「やらんでいい」とわたしから箸を奪い、業者に止められるまで箸で骨を摘み上げ続けた。

それからすぐに母の実家リフォームすることが決まり、余分な物を処分することになった。何故か他の兄弟でなくわたしが付き合わされ、わたし実家味噌汁匂いがこびりついたお椀や傘や服など、売ってもお金にならなそうなものを集める係をさせられた。

何年かぶりにくる祖父母宅は記憶より随分と暗く静まり返っていて、ナフタリンと線香の匂いがする部屋の中、窓の向こうには昔と変わらず新幹線が轟音と共に走り去るのが見えた。

わたし新幹線が走り去るのを見送ってから祖母の古いドレッサーの整理に取り掛かった。

もうとっくに使用期限の切れていそうな化粧水やら髪の毛だらけの木の櫛やらをどんどんゴミ袋に入れていると、ドレッサーの鏡の部分がパカッと開いて収納スペースになっているのを見つけた。

そしてそこには古びた青いお菓子の缶があって、中を開けると手紙が数枚入っていた。

【⚪︎⚪︎トヨコ様】

トヨコ(仮名)は祖母名前だった。ひっくり返してみると愛媛の住所と知らない男の人の名前が書いてあった。

中を見たら、達筆すぎて読みにくかったけど、その男の人から祖母へのラブレターだとすぐに察した。

【たとえ引き裂かれようと、ボク達の愛は永遠です。貴方が誰と結婚させられようと、一生貴方を想います

数枚文の手紙の内容を纏めると、ざっくりこんな感じの内容が書かれていた。わたしはそれをゴミ袋にしまってやるべきか、それとも一応母に見せておくべきか迷って、結果後者を選んだ。

「ねえお母さん、おばあちゃんのドレッサー見たらラブレター隠してあったんだけど笑」

こんな感じで冗談混じりに見せると、母はパッと手紙を見てすぐに奪い取った。そして無言でクロックスを履くと外に出て、ポケットから取り出したマッチを擦って躊躇いなく手紙に火をつけた。

手紙燃えて黒い灰に変わっていく間、母は手紙の上部を人差し指と親指だけでつまむ様にして持って、燃え尽きる直前にパッと手を離した。

それを繰り返し、数枚あった手紙はあっという間に燃えて無くなった。

その間わたしは無言で母の丸まった背中を見つめていただけだったけれど、結局母はわたしに何も言わずに家に入っていってしまった。わたしも何も言わずに家に入った。玄関に入った途端気配を感じて振り返るとそこには未だ黒電話があって、黄ばんだ丸いダイアルがじっとこっちを見てる気がした。

いくら大人になってもわたしはやっぱりその電話が怖くて嫌いで、今まで散々怖がらされた仕返しとばかりに母に無断で捨てるもの用の袋に突っ込んだ。黒電話は半透明の白いゴミ袋に収納されてもなお黒い塊をここにあるぞと見せつけてきた。これだから嫌いなんだ、と思った。

その後あらかた片付け終え、帰ることになったわたしと母は玄関の外に出ていた。母は最後に一度振り返って、家の中に向かって手を合わせた。

「ごめんね、お母さん。愛媛に帰してあげれんかったのに」

母がそう小さな声で呟くのが聞こえた。愛媛祖母故郷だった。

帰りの車の中で母は無言だった。わたしも無言だった。母は遠くを見つめたままずっと何かを考えているようだった。

家まであと数kmのところまで来た時、踏切に捕まって車が停止した。カンカン遮断器煩い警報を聴いていると、母がふいに口を開いた。

「おばあちゃんねえ、好きな人がいたんだって

わたしは黙ったまま母の方を向いた。母は前を真っ直ぐ見つめて言った。

「でも親に無理矢理お見合いさせられて、それでおじいちゃん結婚したんだって

「へえ」

「でもね、きっと幸せだったんだよ、お母さん」

「うん」

「お父さん優しかったし、お母さんは愛されてたから」

「そうだね」

わたしはそれだけ相槌を打った。それしか言えなかった。遮断機が上がるとさっきより沈黙が耳に痛かった。

その後家に帰ってから、母がこの話題を出すことは二度となかった。

数年経って、母が父と離婚し、リフォームした母の実家に住んでいると兄弟から聞いた。わたしはもう母と縁を切ったので知らなかった。

私はもうリフォームしたあの家に訪れることも、あの日のことをもう一度聞くことも二度とないのだろうが、母の好きなひとたちはきっとそこにしかいないんだろうな、と思った。

2024-08-27

anond:20240827142133

上に乗ったら遮断機が降りる仕組みとかめっちゃまじまじ見てた

2024-05-26

anond:20240526205628

東京都民なんだけど、初めて町田に行った時に踏切遮断機が閉まってから電車が来るギリギリまで潜って線路横断する人間が何人もいてカルチャーショックを受けたなあ

そんなのは九州でもとうほぐでも見たこと無かったけど、遠くに来ちまったなあ…(都心から30kmなのに)と

もっというと蛮族の土地に来てしまったなと…

2024-05-12

anond:20240512132105

踏切遮断機が壊れて警報器が鳴っていないけど、電車が近づいている・・・かもしれない。運転を心がけよう。

2024-04-11

メディアは親に甘い?

最近子供が亡くなる事故が相次いだけど、報道では誰も親の無責任さを指摘しないのおかしくない?

人気のない道の警報機も遮断機もない踏切とか、夜間の交通量の多い道路とか、どう考えても子供一人で歩かせる場所時間じゃないよね。交通事故じゃなくても別のトラブルリスクありすぎるでしょ。

そもそも子供だけで犬の散歩もありえないよ。他人他所の犬とのトラブルや犬がコントロールしにくい状況になったら子供一人じゃ対処できないし(実際事故の一つは犬が走り出したこときっかけだった)。

もちろん事故が起きた以上は踏切安全性運転手責任が問われるのは当たり前だけど、なんで無責任な親だけノータッチなのか分からない。

2024-03-12

自転車青切符マジで容赦なくいくと思うぞ

ドラレコがここまで普及したことにより、自動車に対して冤罪カツアゲが出来なくなったか自転車に矛先が向いた、

という経緯を考えるとビシバシに取り締まるだろうね。

相手子連れ主婦だろうが老人だろうが高校生だろうが(要するに自動車違反と同じになる。自動車違反取締を法を曲げてナシにするのなんて国会議員外交官絡みしかないし。世界大企業社長なんかでも忖度されない)。


一時不停止とか逆走とかスマホながら運転とか遮断機降りてきてる踏切に突っ込んで行くとか健常な自動車運転手はしないからな。

自転車乗りは杓子定規交通ルール守らないと痛い目見る世の中が来ると思うよ。


幼児を乗せながら一時停止線ガン無視で爆走する一方で子供食事とか教育かに細心になってる健常者"風"ママさんはここらで自分を省みたほうがいいですよー。

2023-11-11

最強の「餅の返し手」になって万物に半拍はさみたい

返し手は餅つきの「ぺったん、よいしょ、ぺったん、よいしょ」のよいしょの人

最強クラスの返し手になって、万物規則的な運動リズムに半拍を強制的に埋め込み、世界に半拍分の余裕を与えたい

リン、よいしょ、リン、よいしょ、リン、よいしょの目覚まし時計で目覚めさせ、一歩進む間にもよいしょを入れ、逡巡の暇を入れ込む

車のエンジンピストン運動遮断機カンカンカンリズムキーボード反応速度、だいたいなんでもよいしょの半拍で鈍化させ、あくせく進む世界間延びさせたい

あと、きなこ餅食いたい

2023-06-10

総武本線と車衝突 男性死亡 千葉八日市場

 【千葉】十日午前六時十分ごろ、千葉八日市場市イのJR総武本線裁判所踏切警報機、遮断機付き)で、七十代ぐらいの男性軽自動車銚子千葉行き上り普通電車(八両編成、乗客約七十人)が衝突。男性は全身打撲で即死した。

 八日市場署の調べによると、踏切を無理に横断しようとしたらしい。

 同電車は現場に一時間半停車。同線は旭―横芝間で運転を見合わせ、午前八時十三分に運転を再開した。上下八本が運休し、上下三本が最大一時間二十二分遅れ、乗客約千人に影響した

2023-06-08

昔の自殺報道

会社やめさせられ自殺

 【水戸】十五日午後九時五分ごろ、茨城県取手市谷中二五三の国鉄常磐線取手藤代間の旧陸前浜街道踏切警報機、遮断機付き)で、男の人が上野土浦行き下り普通電車(十五両編成、****運転士)にひかれて即死した。

 取手署の調べで、この人は土浦真鍋****、会社員****さん(三五)とわかった。背広の内ポケットに「会社をやめさせられた」と遺書のようなメモがあったこから自殺とみている。

 同電車は現場に十六分間停車。後続の下り電車四本が三十五ー二十分間遅れた。

2023-04-11

撮り鉄ってジャンルとしては鉄オタじゃなくてカメラヲタだよね

害悪度高いのって鉄じゃなくてカメラだと思ってる

インスタ過激勢とかもアレだし

カメラヲタでも浅いサブカル系はまあいいけど

撮るためなら他人の命もどうでもいいとか、ルールもどうでもいいみたいな人達居るよね

あの特徴ってまんま悪い撮り鉄じゃん?

逆に撮り鉄以外の鉄オタでそういう害悪ムーブはあまりいたことがない

 

これ見て思った

 

遮断機下り踏切内に立ち入り撮影 批判受けた海外写真家謝罪

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2304/11/news091.html

2022-08-23

夏夏夏夏夏夏

入道雲、青稲、誰もいない校庭、夜中に降った雨で濁った水面を目の端にとらえて道なりに進む

ラーメン屋焼き肉屋の間の国道今日も山を崩しにトラックが走る

信号を待つとき踏切カンカンカンという音を聞く間も太陽が目に眩しくて、今日のはじまり呪いたいほど面倒くせえと思う

遮断機の警告色の棒が上がって、左右を確認する

子どもの頃に同級生が死んだ線路を越える

アパートの前で自転車にまたがっている女子高生一瞥する

彼女今日手鏡を見ながら前髪を触っている

恋人のための自意識か、自分縄張りのための美意識

マスクで大体隠せるからどうでもいいやろと毎回思う

田んぼの横の用水路の横の抜け道を走る辺りで、よっぽど今日は海に行こうと毎日思うが行かない

2022-05-25

anond:20220524180526

解決案ひとつも例示しないか反論多いな。

危険操作をするときは、危険場所に近づいたらセンサー機械を止めたり、近づけないよう遮断機が降りたりするのが本来安全設計コストはかかる。

でも、別のボタンを押し続けさせて操作者の行動を制限するのは、本来かけるべきコストをかけたくない貧者のアイデアであって、ないよりマシだがベストではない。

なぜなら、そのボタンを押す意味操作者に直感的に伝わらないから。そして実際に事故が起きてる。

2022-03-25

anond:20220325130806

1.高橋是清銅像耳毛も耳珠びっしりから一見価値あり

2.うちのおばあちゃんの耳のなかもふっかふかに生えてる(しか白髪)なんだけど耳すごくとおい。毛のせいじゃないかっていったら本人におこられた

3.理容室では美容室とちがってカミソリがつかえるが、なんと理容室用の耳毛剃りというものがある。おばあちゃんにつかったことはないしたぶんあぶないか素人はつかわないほうがいい

4.インド理容室では耳にマッチの火を一瞬いれて全部焼いてくれるらしいが熱いらしい

5.それから連想してイヤーキャンドルかいうのやると耳に蝋燭カスをいれられることになるからやめたほうがいい(一時期吸いだされた耳垢がびっしりといって詐欺商品として流行った)

6.うちの家族に黒くて長い耳毛が生えだした壮年男性がいるが、耳珠から1本だけ遮断機のように耳穴をよこぎっており、耳かきした耳垢がそれで叩き落とされてとても邪魔なのでまず最初に毛抜きで抜いている

2021-12-03

流行病のワクチンを打ったら、耳鳴りが止まらなくなった話。

タイトルあくま時間軸的な前後関係を示しています因果関係の有無を論じるものではありません。

この日記には、あくまで私の私見しか書かない。この日記をもって、何かをディスってやろうとか、政治的な動きをやろうなどという意図は持っていないことを先に記す。

  • これまでの経過

8月半ば、私は流行病のワクチンを接種した。何の病かは、前後文脈記事投稿時期を見て察して欲しい。自治体集団接種会場でP社のものだった。1度目の接種はあっけないほどにすぐ終わり、副反応も「接種した側の腕を動かしにくい」というような、軽微なものだった。

9月初旬、2度目のワクチンを接種した。もちろんP社製である。しばらくすると1度目と同様に腕が痛くなり、今度は37.5℃程度の微熱が出た。しかし2日ほどですぐに収まった。「39℃近くの熱が出た」とか「全身が痛んで辛すぎる」とか、SNSで見かけるようなことは全くなかった。用意したレトルトパウチお粥スポーツドリンク、解熱剤も結局使うこと無く押し入れに閉まってしまった。

「あっけなかったなぁ」

そんな感想しか抱けないくらいには、何もなく接種後の時間は過ぎていった。できればそのまま過ぎて欲しかった。本当に……。

2度目の接種から5日後、頭の左側から「にぃーん」とか、「にゅいーん」とかいう音がした。耳鳴り発症だった。ニイニイゼミの鳴き声をうんと高周波にしたような音だ。都会でたまに聞くネズミ避けのモスキート音という例えでも適当かもしれない。遠くで聞こえる遮断機の音よりもうるさい。下手をすると、風呂場の換気扇駆動音よりは少し小さいかも……くらいの音量だ。

その日は爆弾低気圧が来ているらしいことを天気予報が言っていたので、最初は気圧のせいに違いないと思った。しばらく様子を見ようと思い、いつも通りに1日を過ごした。

翌朝。目覚めると、耳鳴りはまだはっきりと聞こえていた。昨日と変わらない音程、音量でそこにあった。明らかにおかしいと思った私は、近くの耳鼻科に駆け込んだ。

耳鼻科に入ってすぐ、私は聴力検査室に通された。その検査結果を踏まえ、医師は私に「低音障害型感音難聴」と診断を下した。左耳に聴力低下があったのだ。もっとも聴力低下の度合いがあまりにも小さいので、本来診断基準では難聴の枠にすら入らない程度の出来事らしい。

彼は「このタイプ難聴突発性難聴よりも、ずっと予後が良いよ。薬を飲めば治るよ」と言った。私は医学部生でもないので、それを信じるしかない。アデホス、メコバラミン、ストミンA、そして途中からイソソルビド。耳鼻科で処方された薬はこの4種類だった。

一ヶ月後、医師の言うとおり「難聴」は治った。聴力検査の結果は左右の耳が同程度にまで回復していることを示していた。けれども、耳鳴りは鳴り続けていた。

最終的に医師は「君は気にしすぎなんだ。耳鳴りなんて探すから気になるんだ」と言い放つと、そんなに心配ならと脳神経内科への紹介状を書いた。脳の問題から耳鳴りは生じるらしいので、その観点で診てもらうといいとのことだった。

結局、それ以来その耳鼻科には行っていない。難聴が治ったならと薬も止められたし、もう来なくて良いとまで言われたのだから、言われた通りにしたのだ。

数日後、私は耳鼻科医師に書いてもらった紹介状を手に、総合病院の脳神経内科へ向かった。いくつかの問診の後、MRI撮影を行った。

撮影の結果、私の脳は画像上、まったく異常が無いことがわかった。脳神経内科医師は「まぁ、そのうち良くなりますよ」と慰めの言葉をかけてくれた。が、それ以上何もなかった。以来、その病院には行っていない。

頼る病院がなくなり、途方に暮れていた私だったが、SNS上でLong-COVID外来を行っている医師が、ワクチン接種後に体調を崩した患者の診察も行っているとの情報を目にした。

藁にもすがる思いで、私はLong-COVID外来を行い、かつワクチン接種後に体調不良を起こした患者を診察した実績のある医師を探し始めた。

そのとき問題だったのが、医師信頼性だった。先に挙げた条件に合致する医師は数人ほどいるが、中にはエビデンスに乏しい治療法を採用していたり、発言過激だったりで信用できるか怪しい医師もいたからだ。

しばらく考え、最終的に首都圏でLong-COVID外来を行っている、とある医師に診てもらおうと決意した。

数日後、私はその医師がいる病院を訪れた。外来大人気で、数時間待ちが当たり前のような状況だった。

そんな状況のためか、医師も相当に疲労困憊である様子が見受けられた。かなり大変そうであった……どうか、医者の不養生にならないようにお気をつけを……。

処方は漢方薬がメインで、触診や舌の様子の診断を通して、Long-COVID患者に準じた2種類の漢方薬を処方してくれた。柴胡桂枝乾姜湯と真武湯だった。

同時に、EAT療法というもの効果であるとのアドバイスがあった。鼻の奥側にある上咽頭を、塩化亜鉛を含ませた綿棒で擦る治療法だそうだ。Long-COVID患者はしばしば強い上咽頭炎を併発しており、その治療効果的とのことらしい。

またLong-COVID患者もしばしば耳鳴りを訴えるそうだが、EAT治療などを行っているうちに症状が消えることも少なくないらしい。

それから数週間後、先の医師から勧められたEAT治療を受けてみた。細長い綿棒で、鼻と口から咽頭をぐりぐりと擦るのだ。痛い。めちゃくちゃ痛い。治療後は血痰が2日近く止まらなかった。

以上の経過を経て、現在に至る。

現在耳鳴り発症から約3ヶ月ほどが経過した。定期的にEAT治療(週一くらい)を受けながら、処方された漢方薬を飲んで過ごしている。

耳鳴りの具合はというと……正直、発症当時から大して変わらないというのが本音である時間経過で多少慣れたような気がしないではないが、非常にうるさいことこの上ない。

慢性化した耳鳴りは難治だと言われているそうで、治療基本的に困難であるらしい。しかしながら、どうにかなって欲しいなぁという思いが強い。というかどうにかなってくれないと困る。

一応TRT療法というものもあるが、これは耳鳴りに対する馴化(慣れ)を生じさせるものであり、根治とはほど遠い。いくら慣れが生じたとしても、こんな生き地獄がずっと続くのには耐えられそうにもない。

また、現在受けているEAT治療は、一定の臨床例の報告こそあるが、日本発祥国外での実施例に乏しい + 一時はかなり怪しい治療扱いされていた(現在免疫学などの進歩により、一部機序説明可能になってきたため再評価されつつある……らしい)ため、強力なエビデンスに乏しい。

そういう意味では、エビデンス作りのための治験を受けているようなもの(と勝手に思い込んでいる)でもあるため、どれだけ今の医師を信じていいのか……という考えもわずかに脳裏をよぎる(エビデンスのある治療を受けたくて医師を選んだはずが、結局のところ"まだまし"な選択肢しか選ぶことしかできなかったことへの無力感が近いかもしれない)。

ワクチン接種後に耳鳴り発症したということもあり、同様の症状を訴える人がいないか個人的に気になり、調査をしてみた。

するとアメリカにて、ABCニュースアリゾナ局とサンディエゴ局が興味深いニュース配信していた。

1. ABC15, Unheard Concerns: Thousands blame COVID-19 vaccine for hearing problems (2021/9/17)

https://www.abc15.com/news/local-news/investigations/can-the-covid-19-vaccine-lead-to-hearing-issues

2. ABC15, UA Professor examines possible link between COVID-19 vaccine and tinnitus (2021/9/22)

https://www.abc15.com/news/local-news/investigations/ua-professor-examines-possible-link-between-covid-19-vaccine-and-tinnitus

3. ABC10, In-Depth: Can the COVID-19 vaccines cause ringing in the ears or tinnitus? (2021/9/22)

https://www.10news.com/news/in-depth/in-depth-can-the-covid-19-vaccines-cause-ringing-in-the-ears-or-tinnitus

これらの記事は、アメリカにてワクチン接種後に耳鳴りを訴える患者が少なからずいること(接種者のうち1万人以上)、それについて、アリゾナ大学教授調査を行っている事を報道している。

しかし同時に、ワクチン接種が多くの命を救っていることや、耳鳴りワクチン関係について評価をすることが難しいことも述べられている(自然に発生する耳鳴り患者も多いので、接種期間における1万人の耳鳴り患者の増加は必ずしも多いとは言い切れないため)。

アメリカにおけるCOVID-19による死者数は同国における第二次世界大戦+朝鮮戦争+ベトナム戦争の累計戦死者を超えているそうで(https://www.yomiuri.co.jp/world/20210223-OYT1T50156/)、そのような状況においてワクチン接種が多くの命を救っている事実は疑いようがない。一方で僅かな人数かもしれないが、(因果関係は別として)ワクチン接種後に耳鳴り発症を訴える人がいるのも事実のようだ。

近頃、国内でもワクチン接種後の体調不良を訴える人々が出てきている。以下の記事などが例であろう。

4. 河北新報, 「ワクチン後遺症」知って 23歳女性、長引く体調不良訴える (2021/11/17)

https://kahoku.news/articles/20211116khn000045.html

5. 河北新報, ワクチン後遺症、私も同じ」 社会的サポート求める声、全国から多数 (2021/11/30)

https://kahoku.news/articles/20211129khn000033.html

6. 中日新聞, 倦怠感、1カ月超の声 長引く副反応つらい (2021/12/2)

https://www.chunichi.co.jp/article/375877

これらの記事では、内容はあくま患者の声を届けるに留まっている。ワクチン接種と症状の因果関係について深く論じることはしていない。

また、日経メディカルワクチン接種後に体調不良を起こした患者を診察している医師についての記事掲載している。

7. 日経メディカル, 谷口恭の「梅田GPがどうしても伝えたいこと」 「ポストコロナワクチン症候群」は存在するか (2021/9/22)

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/taniguchi/202109/572000.html

さらに、ワクチン接種後の体調不良を起こしている患者厚生労働省などを相手オンライン上で調査を行うように嘆願書を提出しようとしている。

8. chage.org, 長期化する新型コロナワクチン副反応に対する調査と結果の開示、報道理解を求めます

https://www.change.org/p/%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%9C%81-%E9%95%B7%E6%9C%9F%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%89%AF%E5%8F%8D%E5%BF%9C%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%81%A8%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%81%AE%E9%96%8B%E7%A4%BA-%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%A8%E7%90%86%E8%A7%A3%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99

アリゾナ大学教授が行っている研究のように、今後も国内外でワクチン副反応ワクチン後遺症ワクチン接種後の長期的な体調不良について、適当表現が考えつかなかったため、このように述べる)についての事実統計ベースとした検証研究が進んでいくことを期待したい。

現状、ワクチン体調不良を明確に関連付けるエビデンスのある資料を見つける事はできなかった。ワクチンが与えるベネフィットを考えれば、リスクは十分小さいと評価することは妥当だと考えられるかもしれない。マクロ観点から見れば接種を推進することに利がある(社会全体や経済を守り、少しでも多くの命と生活を守ることができる)のだと思うが、因果関係については別としても、接種直後に何らかの不調が慢性化しつつある身としては、接種後の体調不良を訴えるだけで「デマ」と言われかねない現状は、なかなか心情的に飲み込むというのは難しいというのが本音だ。

耳鳴り体調不良は何もしなくとも発生する(健康だった人が突然倒れることもありうる)としても、この状況をすぐに受け入れろ、飲み込めというのはなかなか無茶な注文に思える。

もしもこの耳鳴りワクチン後遺症ひとつなら……何か治療法が見つかるいいなぁ。一生このままは辛すぎるなぁ。

ワクチン後遺症だろうが何だろうがどうでもいいけど、治って欲しいなぁ……。

2021-07-14

anond:20210714202116

ながらスマホ歩き女

踏切横断中にキンコンキンコン鳴る

遮断機が降りてくる

その遮断機の前に立つ

線路の上でスマホみながら待つ

電車来て轢かれる

周囲はスマホ見てて誰も気づかず助けれなかった

2021-07-13

子供の頃スイミングの帰りにおじいちゃんとおばあちゃんの家に行ってた

スイミング土曜日学校が終わった後に両親がスイミングスクールまで車で送り迎えにきてくれていた

自分ん家とおじいちゃんおばあちゃんの家は車で10分位の距離

スイミングスクールはおじいちゃんおばあちゃんの家の近くにあったので

昼のレッスンが終わると家族全員で寄っていって

そのまま夕飯を食べるだの外食に出かけるだのしているのが土曜日の過ごし方だった

だので、夕食までは大体1、2時間があって

祖父母と両親が大人の話をしていて退屈な時は近所を散策したりしていた

まだ自転車を買ってもらえていない年齢だった自分

から車で10分の距離場所といっても学区も違えば未踏土地であり

背後に祖父母の家があるとはいえ普通住宅街でもかなりの冒険だった

その中でもとりわけ自分を夢中にさせたのは少し歩くと電車の踏み切りがあった事だった

電車が来るとそれを知らせてメカニカル機構動作して

けたたましくも心地良い音が規則的に鳴るのは何度見ても飽きなかった

しかも、そのあと電車が轟音で走り去っていくのは大迫力だったし

中に乗ってるたくさんの知らない人を見れるのも好きだった

そんな踏み切り観察も何週もすると飽きてきて、同時に恐怖も薄らいできて

遮断機が開いてる時に線路侵入するようになってきて

踏み切りの次は線路に興味は移っていった

サビだらけなのに電車が乗って走ってる場所だけ鏡のようにツルツルで

枕木が木製なのも意味がわからなくて面白かったし

同じ大きさの白い石が散りばめられてるのも子供想像力を刺激した

そんなある日、いつものように電車が通過しているのを眺めていて

ふと、一つの好奇心が湧いてきた

線路の上に物を置いたらどうなるんだろう」

まずは手近にある白い石でも置くかと思ったが

その頃丁度ワイドショー線路置き石をするカラス話題になっていて

それを思い出し石はまずいという判断になった

なのでもうちょい小さめの、目立たない石を探して置いた

電車が通過するのを待った

通過した後にどうなっているのかという好奇心

電車の大轟音がスパイラルし、否が応でもテンションをかき立てられた

しかし、電車が通過した後に近くに行ってもなんの形跡もなかった

おそらく弾き飛ばされてしまったのだろう

落胆した

そして何を置けば驚くべき結果が得られるかに考えを巡らせた

次はポケット入れていたSDガンダムの赤いゴム人形を置いてみた

これならどこかに弾き飛ばされてしまっても見つけやすいし

弾力もあるので期待する結果が求められるだろうと思ったのだ

そして再び電車が来るのを待ち、通過するのを見届け、遮断機が開いてダッシュ現場に向かった

大成功だった

ガンダム電車に跳ね飛ばされる事なくその場に鎮座ましましていて

想像を超えるひしゃげ方をしていた

線路の上にパン生地を伸ばしたようにガンダムだったものが伸びていて

電車の重量を想像させるには十分なほど伸びていた

好奇心というのは恐ろしいもの

想像した結果が得られたのだからもう潮時だと自分でもわかっているが

その次を見たいという欲求が膨らんでいくのだ

ポケットに手を入れると10円玉と5円玉が入っていた

これを重ねて置いたらどうなるだろう

テレビで1円を素手で曲げているプロレスラーがいたのを思い出した

金属もある程度の弾力があるのだ

まりこれを重ねて置いたらすごいことになるのではないか

耳に心臓の鼓動が聞こえるくらいに興奮したような記憶がある

一切の逡巡もなく線路10円玉と5円玉を置いた

離れる

待つ

遮断機警報が鳴る

遠くから電車が来る音が聞こえる

それが大轟音になり目の前を巨大な質量の鉄の塊が通り過ぎていく

警報がスッと止み遮断機が上がる

高鳴る鼓動

踏み切りから線路に駆け寄る

怒号

後ろを振り返ると母が立っていた

怒られる

いや待ってください大切な研究がああお母さん遊びじゃないんだよ

一生懸命事の次第を説明する線路の上に石を置いたりしててそれを見てて…

あんた!何やってんの!」本気の怒声

呆れたような悲しそうな顔で服を引っ張られる

ああダメ意思疎通のできる人間の力じゃない

これは完全に怒ってる人の引っ張り方だ

死ぬ前に見たかったなぁ重なった10円玉と5円玉がどうなったか

あぁ…見たかったなぁ…10円玉と5円玉

その後祖父母の家に連行された私は事情聴取を受けた

実際に行われたのは事情聴取という名のもとに行われる糾弾であった

私は拙い言葉ながら研究について説明をしようとした

が、言葉尻を捕らえて罪状認否に持っていこうとする刑事だった

テスト時に使った石の形状やカラス置き石報道を受けて安全性配慮したという風に説明しようとすれば

テレビカラス置き石を見て真似しようとした」

という有様で既にこの時点で私はしゃくり上げながら泣いていたのもあるが

二度と線路で遊ばないという誓約を結ばされ手打ちとなった


そして時は流れ私は自転車を買ってもらう年齢になり

自分だけでその踏み切りに行けるようになっていた

あれ以来その踏み切りを車で通過する度に心の傷が痛み

まだあるかもしれない10円玉と5円玉に思いを馳せ続けていた

ようやく衆人環視のない状況であの日実験の結果を見届ける事ができる

私は踏み切り近くに自転車を留め、握った10円玉と5円玉感触を確かめていた

あの日あの場所と同じ線路にきちんとコインの中心を合わせて2枚を置いた

離れる

待つ

遮断機警報が鳴る

遠くから電車が来る音が聞こえる

それが大轟音になり目の前を巨大な質量の鉄の塊が通り過ぎていく

警報がスッと止み遮断機が上がる

高鳴る鼓動

踏み切りから線路に駆け寄る

何もない

おそらくどこかに飛ばされたに違いない

周辺を隈なく探すが見つからない

そうしてる間にもまた電車が来てしまうので線路を離れる

電車が過ぎ去ってまた戻って探すその繰り返し

その後も捜索を続けるも10円玉と5円玉は一向に見つからない

日も落ちかけていてその日の捜索は中断したのだが

何度目だったろうか私は別のある物を見つけたのだ

信じられないものを見つけた

50円玉が1枚そこにあったのだ

そしてどこを探しても結局10円玉も5円玉も見当たらない

10円玉と5円玉電車に轢かせると50円玉が生成される

信じられないが世の中にはそういうことが時として起きる

起きるのだ

2021-06-01

子供の頃スイミングの帰りにおじいちゃんとおばあちゃんの家に行ってた

スイミング土曜日学校が終わった後に両親がスイミングスクールまで車で送り迎えにきてくれていた

自分ん家とおじいちゃんおばあちゃんの家は車で10分位の距離

スイミングスクールはおじいちゃんおばあちゃんの家の近くにあったので

昼のレッスンが終わると家族全員で寄っていって

そのまま夕飯を食べるだの外食に出かけるだのしているのが土曜日の過ごし方だった

だので、夕食までは大体1、2時間があって

祖父母と両親が大人の話をしていて退屈な時は近所を散策したりしていた

まだ自転車を買ってもらえていない年齢だった自分

から車で10分の距離場所といっても学区も違えば未踏土地であり

背後に祖父母の家があるとはいえ普通住宅街でもかなりの冒険だった

その中でもとりわけ自分を夢中にさせたのは少し歩くと電車の踏み切りがあった事だった

電車が来るとそれを知らせてメカニカル機構動作して

けたたましくも心地良い音が規則的に鳴るのは何度見ても飽きなかった

しかも、そのあと電車が轟音で走り去っていくのは大迫力だったし

中に乗ってるたくさんの知らない人を見れるのも好きだった

そんな踏み切り観察も何週もすると飽きてきて、同時に恐怖も薄らいできて

遮断機が開いてる時に線路侵入するようになってきて

踏み切りの次は線路に興味は移っていった

サビだらけなのに電車が乗って走ってる場所だけ鏡のようにツルツルで

枕木が木製なのも意味がわからなくて面白かったし

同じ大きさの白い石が散りばめられてるのも子供想像力を刺激した

そんなある日、いつものように電車が通過しているのを眺めていて

ふと、一つの好奇心が湧いてきた

線路の上に物を置いたらどうなるんだろう」

まずは手近にある白い石でも置くかと思ったが

その頃丁度ワイドショー線路置き石をするカラス話題になっていて

それを思い出し石はまずいという判断になった

なのでもうちょい小さめの、目立たない石を探して置いた

電車が通過するのを待った

通過した後にどうなっているのかという好奇心

電車の大轟音がスパイラルし、否が応でもテンションをかき立てられた

しかし、電車が通過した後に近くに行ってもなんの形跡もなかった

おそらく弾き飛ばされてしまったのだろう

落胆した

そして何を置けば驚くべき結果が得られるかに考えを巡らせた

次はポケット入れていたSDガンダムの赤いゴム人形を置いてみた

これならどこかに弾き飛ばされてしまっても見つけやすいし

弾力もあるので期待する結果が求められるだろうと思ったのだ

そして再び電車が来るのを待ち、通過するのを見届け、遮断機が開いてダッシュ現場に向かった

大成功だった

ガンダム電車に跳ね飛ばされる事なくその場に鎮座ましましていて

想像を超えるひしゃげ方をしていた

線路の上にパン生地を伸ばしたようにガンダムだったものが伸びていて

電車の重量を想像させるには十分なほど伸びていた

好奇心というのは恐ろしいもの

想像した結果が得られたのだからもう潮時だと自分でもわかっているが

その次を見たいという欲求が膨らんでいくのだ

ポケットに手を入れると10円玉と5円玉が入っていた

これを重ねて置いたらどうなるだろう

テレビで1円を素手で曲げているプロレスラーがいたのを思い出した

金属もある程度の弾力があるのだ

まりこれを重ねて置いたらすごいことになるのではないか

耳に心臓の鼓動が聞こえるくらいに興奮したような記憶がある

一切の逡巡もなく線路10円玉と5円玉を置いた

離れる

待つ

遮断機警報が鳴る

遠くから電車が来る音が聞こえる

それが大轟音になり目の前を巨大な質量の鉄の塊が通り過ぎていく

警報がスッと止み遮断機が上がる

高鳴る鼓動

踏み切りから線路に駆け寄る

怒号

後ろを振り返ると母が立っていた

怒られる

いや待ってください大切な研究がああお母さん遊びじゃないんだよ

一生懸命事の次第を説明する線路の上に石を置いたりしててそれを見てて…

あんた!何やってんの!」本気の怒声

呆れたような悲しそうな顔で服を引っ張られる

ああダメ意思疎通のできる人間の力じゃない

これは完全に怒ってる人の引っ張り方だ

死ぬ前に見たかったなぁ重なった10円玉と5円玉がどうなったか

あぁ…見たかったなぁ…10円玉と5円玉

その後祖父母の家に連行された私は事情聴取を受けた

実際に行われたのは事情聴取という名のもとに行われる糾弾であった

私は拙い言葉ながら研究について説明をしようとした

が、言葉尻を捕らえて罪状認否に持っていこうとする刑事だった

テスト時に使った石の形状やカラス置き石報道を受けて安全性配慮したという風に説明しようとすれば

テレビカラス置き石を見て真似しようとした」

という有様で既にこの時点で私はしゃくり上げながら泣いていたのもあるが

二度と線路で遊ばないという誓約を結ばされ手打ちとなった


そして時は流れ私は自転車を買ってもらう年齢になり

自分だけでその踏み切りに行けるようになっていた

あれ以来その踏み切りを車で通過する度に心の傷が痛み

まだあるかもしれない10円玉と5円玉に思いを馳せ続けていた

ようやく衆人環視のない状況であの日実験の結果を見届ける事ができる

私は踏み切り近くに自転車を留め、握った10円玉と5円玉感触を確かめていた

あの日あの場所と同じ線路にきちんとコインの中心を合わせて2枚を置いた

離れる

待つ

遮断機警報が鳴る

遠くから電車が来る音が聞こえる

それが大轟音になり目の前を巨大な質量の鉄の塊が通り過ぎていく

警報がスッと止み遮断機が上がる

高鳴る鼓動

踏み切りから線路に駆け寄る

何もない

おそらくどこかに飛ばされたに違いない

周辺を隈なく探すが見つからない

そうしてる間にもまた電車が来てしまうので線路を離れる

電車が過ぎ去ってまた戻って探すその繰り返し

その後も捜索を続けるも10円玉と5円玉は一向に見つからない

日も落ちかけていてその日の捜索は中断したのだが

何度目だったろうか私は別のある物を見つけたのだ

そして、信じられないが、

それが10円玉と5円玉電車に轢かせて発生したものではないか自分の中では結論づけている

今日もそれは変わらない

2021-01-12

ローションガーゼオナニーをやってみた

 ローションガーゼオナニーというものをご存知だろうか。これを読んでいるあなたが知らなくても別に恥ではない。かくいう自分も友人の話からローションガーゼオナニーという自慰方法があることを知った。むしろ知っていた方が恥かもしれない。ともかく、この文章はそのローションガーゼオナニーを実際に体験してみた様子を記したものである

 まず、この体験記は友人との通話中ローションガーゼオナニーという自慰方法を試してほしいと依頼されたことに端を発する。

 俺の最初の反応はまず「なにそれ?」だった。自慰方法としては男性器を握って上下に擦る、いわば普通オナニーと呼ばれるものしか知らなかった。床に男性器を擦り付けて行う方法なども知っていたが、九分九厘行うのは通常のものだ。

 しかしローションガーゼオナニーとは、それとはまったく異なっていた。

 まず三十センチほどの横長のガーゼにローションを染み込ませる。それからそのローションまみれのガーゼを両手で持ち、勃起させた男性器の亀頭に擦り付けるらしい。そのまま両手を左右に動かすと、亀頭が刺激され普段オナニーでは得られない快感を味わえる、とのことだった。

 ともかくローションガーゼオナニーを試してみたいとは思った。通常のオナニーなど10年単位で行っている。さすがに飽きが来ているのも確かだ。たまには新しい刺激が欲しい。やってみるのも悪くない。そう思って、その次の日にはローションガーゼオナニー必要もの調達しに行った。

 冬風吹き荒ぶ1月の夜、仕事を終えると俺は大阪梅田歓楽街へと向かった。

 コロナ影響か、もしくは単純に寒いいか街に人通りは少ない。そして駅から10分以上離れたところにある信長書店に入った。信長書店とは関西では有名なアダルトグッズDVDを取り扱う店だ。こちらも何気に入るのは初めてだ。自分で言うのもなんだがこう言う事柄に関しては、自分は初心だ。はじめてメロンブックスのR-18コーナーに入った時のような緊張感に襲われる。キョロキョロしながら店内を見ると、双頭ディルドにTENGA、穴あきランジェリーエネマグラなどが所狭しと並んでいる。人類はこんなにエロに興味があったのかと驚くばかりだ。

 そんな中、退魔忍アサギコラボしたオナホール発見して、少し安心した。他人しかいない群衆でようやく知り合いを見つけた時にような安心感だ。

 そんな気分で店内を散策する。もとの目的も忘れ、アダルトグッズ散策に夢中になっていると、目の前に他の客を発見した。

 いたのは男女二人の客だった。ああ、このあとこいつらは買ったグッズを使ってセックスするんだろうな……と思うと急に気分が萎えてきた。それからすぐにローションのコーナーに向かうと、適当にローションを見繕って会計を済ませた。それから俺はまもなく店を出た。

 ローションは手に入れた。次はガーゼだ。ガーゼなど適当薬局にいけば売っているだろう。駅への帰り道の途中で買えば良い。そう思っていたが考えが甘かった。

 政府の休業要請により、梅田の店はどこも20時には閉まるようになっていた。すでに時間は20時に近い。駅までの地下街を歩いてみるが、どこもシャッターが閉まり始めている。

 しばらく歩き回って、ようやく一軒まだ営業しているコクミドラッグ発見した。

 しか地下街の空いたスペースで営業している店舗のため、品揃えは期待できない。店内を一通り見て回るがガーゼは見当たらない。変な勘が当たったようだ。だがせっかく薬局まで来たのにこのまま買わずに変えるのもなんだ。俺は店員さんに「ガーゼありませんか?」と直接聞いてみた。

「それなら真後ろにあるよ」

 店員のおばちゃんが指さした先にガーゼはあった。灯台下暗しレジのすぐ近くの棚にガーゼは並んでいた。

 俺は親切な店員のおばちゃんありがとうと告げ、ガーゼを買った。

 けれど口が裂けてもオナニーのために使うとは言えない。せっかくの親切心に白濁液をかけたような気分になったが、ともかくこれで準備は整った。

 そのまま駅に行くと、まるで俺はローションガーゼオナニーになんて一ミリも興味ありませんよ? という顔で電車に乗って帰った。

 さて、ようやくここからローションガーゼオナニー体験パートに移るわけだが、準備物は他にもいる。いわゆるオカズ必要なのだ。通常であればエロ漫画、スマホ動画画像などを使ってオナニーができる。

 しかし今回はローションガーゼオナニーである。両手を、ガーゼを持つ手で塞がれるため、スマホスワイプすることもエロ漫画をめくることもできない。

 そこで俺が選んだのはエロASMRであった。音声のみであれば操作に両手を使用しないし、音声作品はワンプレイに30分ほどかかるのもざらだ。

 ゆっくり丁寧にローションガーゼオナニーを行うのであればちょうど良いだろう。

 俺はDLsiteのページを開き、テグラユウキの『ダメダメOLお姉ちゃん酔っ払い甘々えっち』を再生した。再生時間は33分35秒と大ボリュームだ。しかもテグラユウキ作品はどれも高クオリティでハズレはない。これならば問題ないだろう。そういえばこういうときワイヤレスイヤフォンは便利だ。それに外音遮断機能を使えば音声に集中できる、そうAirods proならね。

 それからベッドの上で用意を続ける。

 ベッドの横にもう使わないであろうマグカップを用意すると、そこにローションを入れた。それからガーゼを取り出してマグカップの中に浸す。ネバネバしてひんやりした感覚が指先に伝わる。これだけでなんとなくやらしい気分になってきた。

 上半身インナーのみになり、下半身パンツをずり下げ、男性器を外に出す。

 すでにASMR再生し始めていたため、まだローションに触れていないというのに我慢汁が少し先から溢れて、濡れ始めている。

 ベッドで上半身だけ起き上がったまま、だんだんモードに入っていく。

 両手にはガーゼを持ち、男性器を擦る準備を整えた。

 直接はまだ触れていないため、男性器はまだ完全には勃っていない。

 しかエロ音声のおかげで少し硬くなり始めている。

 はじめてのローションガーゼオナニーに緊張感と少しの興奮がおしよせてくる。

 しかしなかなかローションガーゼオナニーを始められない。

 エロASMRがなかなか本番にいかいからだ。テグラユウキ作品前戯からの本番までを丁寧に描くことで有名だ。すでに再生から10分ほど経っているというのにまだキスだけで本番にいかない。勃っている姿のまま両手にガーゼを持って待機する。なんと恥ずかしい姿なのだろう。

 音声の内容など気にせず、男性器を擦り始めればいいのだろうけど、世界観没入派の俺はじっくりと本番が始まるまで待った。

 それからしばらくして本番が始まった。

 挿れるタイミングと同時にガーゼ亀頭を擦り始める。

 両手を揺らして亀頭を刺激する。

 こすこすこす……

 すると、どうだろう。今まで感じたことなのない刺激が亀頭を襲った。

 男性器で竿を握って擦る時とはまったく違った感覚に驚いた。

 半分気持ちいいような、半分くすぐったいような、おかし感覚だ。

 通常のオナニーであれば何回か擦ればすぐに男性器は硬くなって最大の大きさになる。

 しかしローションガーゼオナニー快感に包まれているというのに、男性器が完全に勃起しないのだ。

 こすこすこす……

 半勃ち状態のまま、ガーゼを擦る快感に身をまかす。

 しかし妙だ。

 確かに亀頭が刺激されて気持ちいい。しかし刺激されているというのに、その快感の延長線上にイくという未来が見えないのだ。

 通常のオナニー男性器を擦れば擦るほど、ゲージが溜まっていって、そのゲージが満タンになると射精するようなイメージだ。

 擦るスピードを落としたり、速くしたりして射精タイミングを調節する。だからいってしまえば擦るスピードを調節すれば射精などものの数十秒で行うことも可能だ。もちろんそれでは気持ちよくないか時間やイくタイミングを調節するわけだが。

 しかしローションガーゼオナニーはいくら擦ってもそのゲージが溜まっていかないのだ。

 ただ快感が押し寄せてくるだけでイけない。

 こすこすこす……

「……ふ、あ……んあああ……ふぁ……」

 代わりに溢れ出てくるのは情けない声だけだ。

 そのくすぐるような感覚に耐えきれず声が漏れる。

 通常のオナニーで声など出さない。ただ擦って快感に身をまかすだけだ。

 しかしどうにもこのローションガーゼオナニーというのは声を出さざるを得ない。

 ローションガーゼオナニー市民権を得ていない理由が分かった。

 こんなに声が出てしまっては、こっそり家族に隠れてシコるなど無理だ。

 しかもなかなかイくこともできない。こんなに恥ずかしいだけの行為がはやるわけがない。

 そう考えながら、体をのけぞらせる。快感が体中を駆け巡っているためだ。

 こすこすこす……

「ん……ああああああああ……ん、あ……」

 また声が漏れる。ここで問題が一つ発生する。

 自ら発した声でASMRの声が聞き取れなくなってきた。

 外音遮断機能を使っているのに、自ら出した声に音がかき消されるのだ。

 逆にASMRとは遮断されて、ただ男性器をしごいている情けない自分と向き合わざるを得なくなる。

 こんな、こんな、恥ずかしいことがあるだろうか。

 ASMR世界に没頭していたというのにそこから首根っこを掴まれて、ローションガーゼオナニー羞恥世界に連れ出されるのだ。

 ただ、イけないないまま嬌声を出し続ける時間流れる

 男性器は血液が集まってきて赤くなってきているが、いまだに完全には勃った状態ではない。だというのに声が止まらないのだ。

「もうそろそろイくよ」

 ASMRは俺の様子も構わずフィニッシュしようとしている。

 こっちはまったくイケる気配はないというのに。

 しかし声を出しているせいか、俺は肩で息をし始める。普段オナニーで息を切らすことなどない。しかし今はそうならざるを得ないのだ。

 それに背を大きくのけぞらせる。生殺しのままで快感を発散させる方法がこれしかいないのだ。

 こすこすこす……

「ん……く、ううううううう……ん、あ……」

「イく、イくよ」

 音声は俺に発破をかけるがいくら擦るスピードをあげてもイける気配はない。

 ただ漏れる声の音量が上がるだけだ。

「ん……く、はぁはぁ、うう……ん、あ……」

「イく、イくぅぅぅぅうぅぅぅぅ」

 音声は俺に構わず達し始めた。

 たまらなくなり、亀頭を擦っていたガーゼ男根に巻きつけて上下に擦り始めた。

 もう限界だ。

 耐えられなくなって通常のオナニーへとスイッチした。

 それからはこみあげるように頂点へとフルスピードへ向かっていく。

 最初からずっと男性器を刺激していたのだ。

 通常のやり方に切り替えれば、とっくに達する準備は整っていた。

 まるで天使に後押しされてるような気分だ。

 もうすぐだ。

 もうすぐ狂い咲ける。

「く、う、あああぁぁぁぁっ!!!

 イった。

 今まで我慢していた気持ちがはち切れるように俺は射精した。

 それはまるでパンパンに膨らましていた風船の膨らませ口から手を離すような感覚であった。

 どろどろとした白濁液ガーゼに向かって発射される。

 たしかに、気持ちよかった。

 ガーゼの中の精子の量もいつもより多い気がする。

 しかしその一方で俺はおおきく肩で息をしていた。

 まるで100メートルを走った後のように、疲れ切っていた。

 ビリビリと痺れるような感覚男性から手を離すと、俺はベッドに上半身を倒した。

 ローションガーゼオナニーはイった後にさら男性器を刺激し続けるとさらなる快感を得られるらしいが、どうもそんな気分にはなれない。

 イった後の男性器は敏感であるし、イったあと特有オーバーヒートモードに身を包まれ、性欲が体から失せていく。

 けれど気持ちよかった感覚は確かだ。

 俺はそのままベッドに倒れたまま、精子とローションが混ざってドロドロになったガーゼを見ながら、息が再び整うのを待つ。

 ローションガーゼオナニー、まあ、また試してみるのも悪くないかもしれない。

 ただ、自分のイく姿を克明に書くのは二度とごめんだと思った。

2020-11-20

anond:20201119234440

懐かしいな。実家の周りも昭和50年代初めまでは舗装されていなかった。

家は近所でも一番最後まで五右衛門風呂が残っていて、なんと昭和63年まで現役だった。近所の大工さんやってる家から薪を分けてもらって、祖父が薪割りして釜にくべてお風呂を沸かしてくれた。夕方、家の中は燻されたような匂いでいっぱいになった。途中で湯がぬるくなったら大声で呼んで、父か祖父が追い焚きをしてくれた。

当時はまだ男にも家事の割り当てがあった。

祖父夕方になったら家中ゴミ箱からごみを集めて焼却炉で燃やす(禁止されていなかった)。生ゴミ堆肥用に。回収日に金属ごみを出しに行くのも天ぷら油の処理も祖父仕事だった。

さな畑と田んぼしかなかったので農業での現金収入はないが、家族が食べるぶんの野菜を育てるのも祖父仕事だった。それから農具の手入れも庭仕事も。

祖母家事分担は私と妹の子守り、自分祖父のぶんの洗濯掃除。父と母が勤めに出た後、全員の茶碗洗ってくれるのも祖母だった。午後みんなの洗濯物を取り込んで畳むのも祖母料理は苦手だったので主に母が作った。祖母はあと内職の仕事をしていた。その間子供子供同士勝手に遊ぶかひとり遊び。大人に遊び相手をしてもらった記憶はあまりない。宿題も見てもらってなくて、一人で適当にやってた。

母が1番働いていて、朝起きたら田舎の広い家の掃除食事の支度、夕方は6時ごろに帰ってきて、また食事の支度と洗濯洗濯物は納屋一角に干す。

祖父が元気だった頃は父はあまり家事はしていなかったな。子どもたちにとってはただただ口うるさい父であった。

両親は共働きだった。北陸では珍しいことではなくて、祖父母もその昔は共働きだった。祖母は母が嫁いでくるくらいまでは工場事務員仕事をしていた。

というか、私は小さい頃、専業主婦なんてサザエさんドラえもんみたいな架空の話の中でしかたことがなかった。

近所はみんな三世帯同居で、両親共働き。地区にはアパートなんて洒落ものもなかったし、親と同居せずに夫婦だけで住む場合もっと町中の便利なところに居を構えたからかなあと思う。

もし万が一専業主婦がいたら、働かない嫁って言われそうだな。いなかったけど。

そういえば家の電話が親子電話?っていうやつで、たまに受話器を耳に当てると、近所のおばちゃんの話し声が聞こえたんだけど、あれなんだったんだろ。

あと昭和の思い出で覚えてること、、駅の近くの踏切は、横に詰所みたいのがあって、国鉄の人が手動で安全確認して遮断機を上げ下げしていた。

蛍がたくさんいた。

明治まれ曽祖母洋服じゃなくて着物を着ていた。志村けんコントで着ていたみたいなやつ。曽祖母は自宅で療養していて自宅の畳の上で亡くなった。曽祖母が亡くなった時、家に大工さんが来て金ぴかの祭壇を作ってくれて、自宅で葬式をした。

平成の初め頃まで土曜日半ドンだった。私は高校卒業まで土曜日学校行ってたな。休みがなさすぎる。

週休1日だった代わりに両親ともバブル前は定時で仕事を終えて帰ってきてたな。夏場なんて明るいうちに家に着いてた。それだけは羨ましい。

2020-10-13

https://mainichi.jp/articles/20201013/k00/00m/040/273000c

遮断機は地面1メートルまでって、概ねそんなもんだろ

メートル、あるいは何cmなら満足するんだ

50cmなら跨ぐぞ

75cmか?

風の息づかいをもう一回やるか?

2020-08-11

あれは希死念慮だったか

盆だし、コーヒーの飲みすぎで眠気が来ないので自分語りを投げる。カジュアルにでも死にたいなあと思う人は読まない方がいいと思います

1桁歳の頃、通学路に踏切があった。

カンカン鳴りながら降りた遮断機の前で電車が通り過ぎるのを待つ時、なぜ自分は毎回素直に待っているのか、なぜ1度も鳴り響く踏切の中に入って電車に跳ねられるという選択をしないのかを不思議に思うことがあった。

もちろんそれは私に意思が、思考があるからだが、私に意思というものがなければ、踏切の警告音が鳴り響く時、1/2の確率で私は遮断機の中に入り、電車に跳ねられて死ぬ

この仮定場合、私が今まで1度も死なないでこれたのは、1/2の、今までの人生踏切の警告音が鳴った回数分乗の確率で起こる奇跡であるわけで、私の「死にたくない」という意思ははたしてそんなに強いものだろうかと、大学生になっても思っていた。

警告音が鳴り響く踏切の前で素直に待つ時、私はいつも踏切自分が立ち入らないように必死だった。明確に死にたいというわけではなく、ただ、ほぼ無意識のうちに積み重なっていった、「私は生まれから1度も死ぬほうの選択肢を選んでいない」という奇跡が奇妙に感じられて、ぶち壊したくなるのだ。

死なないように必死に踏みとどまるといっても、明確に「死にたくない!」と思えはしないから、死なない方がいいらしいよという規範意識する程度のことしかできない。スカートを腰元でたくさん折らなくても短い丈にできるよう裾を切ってしまいたいが、式典とかで教師の目が厳しくなった時に取り返しがつかないから切らないでおこうと踏みとどまる、みたいな軽さだった。その軽さに生死がかかっていることに対する妙な緊張感はある。不快である

こういう状況が発生するのは踏切に限ったことではなく、自転車に乗っている私を右後ろから大型トラックが追い抜こうとするときも、いきなり右に進路変更しないようにするのに必死だった。

私は幸い死の危険を感じずに生きてきたし、私が物心ついてから死んだ知り合いも100歳越えの曾祖母1人だけだから、死というものに対する具体的な恐れを知らないことも、上記のような状況を生む原因だったと思う。

これは希死念慮でない気がする。

なお、刃物を持った時に周りの人間を1度も刺しに行ったことがないのも自分にとっては奇妙な奇跡で、誰かを刺してこの奇跡を壊したいという気持ちが発生していた。別に誰かを殺したいほど憎んでいる訳ではなかった。

大学生の頃、適応障害になった時期があり、その際は上記現象に加えて、死ね環境を見るとそこに吸い寄せられるような感覚があって苦労した。

具体的には地下鉄ホームや落ちたら死ねる高さのマンションの共用廊下及び部屋のベランダでそれが発生した。

地下鉄ホームホームドアが設置されていく時期と被っていたのだが、最寄り駅にはなかなか設置されずつらかった。

ホームドアがある駅は安心感があった。

やはり単に1歩踏み出せばいいいいのと乗り越えなければいけないのでは必要とされる「死にたいという意思の量」が違う。ホームドアを乗り越えてでも死にたいはいるだろうが、私はそこまでではなかった。ここで「私はホームドアを乗り越えないという選択を常にしている」などと考えると乗り越えたくなってしまうので、考えを逸らす必要はあったが。

当時の心境としては、死にたいか死にたくないかでいえば死にたかったのだが、死にたいというよりは、生きるのを休憩したいという表現が正しかった。しかし一度死んでしまうと二度と生きることができないので(いやほんとのところは誰も分からないが、二度と生きることができない可能性はたしかにある)、死なない方がいいだろうとは思っていた。私は幸せに生まれ育ったか漠然未来に少しは楽しいことがあるだろうと思えたのでよかったが、そうでない人は大変だろうと思う。

生きるのを休憩して、今関わっている人間がみんな意識を私から逸らしてからなら、もう1回生きるのを再開したいな、という気持ちだった。これを縮めると、生きていたくない、死にたい、にならんこともなかったし、実際つらさが瞬間的に来た時は「死にたい」「死のう」「死ね(自分に対して)」と小声で口に出すことで感情の圧を逃がしていた。

精神科で薬が出たことで自分が今メンタルを悪くしている人である自覚し、色々検索できるようになり、界隈の語彙も増えて、「希死念慮」という言葉を知った。

果たして私は希死念慮持ちなのか?そうだとしたらいつからなのか?そもそもどこから希死念慮であるとか明確なラインを定めようとするのが無意味なのかもしれないというか、おそらくそなのだが。

自殺するために首をくくる用の縄を買ってくるとかは明確な希死念慮な気がする。

私のあれは希死念慮だったのだろうか。

それとも、希死念慮にならずに済んだ、ただの幸運な願望だったのだろうか。

こんなところに書いても答えは得られない。私はただ単にどこかにこの疑念を吐き出して、限られた思考時間を他のことに使いたいだけである。それだけ何度もこのトピックについて考えてしまっているのだ。

今は適応障害も治ったし、通勤ルート踏切はなく、大通りひとつあるが併走ではなく横切るだけで済むから信号さえ守ればよいので気が楽だ。地方であることもありたまに使う電車ゆっくりホームに入ってくるから身投げしても死にそうにないので私の気持ちも穏やかである。穏やかな気持ちでいるために、身投げしても死なない速度だと思い込もうとしている節はある。バイクはまだ乗れないかな。ちょっと進む向きを変えただけで死ねるので。

自分希死念慮があるかとか、希死念慮があったかとか、もう考えなくてもいいと思えるとこまで来た気がするので、ここに投げておしまいにしようと思う。感情墓場みたいな使い方だな。おしまいです。生きているうちにやりたいことを考える方に舵を切りましょう。面白い漫画を作りたいな。面白い漫画を作って、架空キャラ架空人生エピソードで人を泣かせてみたい。

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