はてなキーワード: 素読とは
でもノーベル賞を取る人って、キラキラエリートが全然いないよね。
なんなら成り上がり感がある。
ではここでノーベル賞物理学者 湯川秀樹の経歴を見てみましょう。
1907年(明治40年)1月23日、東京府東京市麻布区市兵衛町(現:東京都港区六本木)に地質学者・小川琢治と小雪の三男として生まれる。
1908年(明治41年)、1歳の時に父・琢治(和歌山県出身)の京都帝国大学教授就任に伴い、一家は京都府京都市に移住する。このため、麻布の家には誕生後1年2ヶ月しか住んでない。
1歳から大学までは京都、大学を出て一時大阪や西宮にいたこともあるが、人生の大半は京都で過ごしたことになる(ただし、ノーベル賞受賞の対象となった中間子論を発表したのは、湯川が大阪帝国大学に勤めていた時であり、当時は西宮の苦楽園で生活していた)。
湯川は自伝に「私の記憶は京都に移った後から始まる。やはり京都が私の故郷ということになるのかもしれない」と記している[2]。
母方の祖父・駒橘は元紀州藩の藩士であり、また湯川家自体が先祖代々和歌山県出身であるため“和歌山出身”と紹介されることもあるが、本人は京都市出身と称している。
和歌山県出身の実業家・松下幸之助の郷里に「松下幸之助君生誕の地」の石碑があり、題字は同郷ということで湯川の筆によって書かれたが、湯川本人は和歌山で暮らした経験はない。
5、6歳の頃、祖父・駒橘より漢籍の素読を習った。駒橘は漢学の素養が豊富で、明治以後は洋学を学び、晩年までずっと『ロンドン・タイムズ』を購読し続けた人物であるという[3]。湯川は自伝に「私はこのころの漢籍の素読を決してむだだったとは思わない。…意味もわからずに入っていった漢籍が大きな収穫をもたらしている。その後大人の書物をよみ出す時に文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは恐ろしいことだ。ただ祖父の声につれて復唱するだけで、知らずしらず漢字に親しみその後の読書を容易にしてくれたのは事実である。」と記している[4]。
先日ホットエントリに入っていたブログエントリ、Colorful Pieces of Game『書籍「ゲームの歴史」について(5)』にて、
との言及があった(現在は修正済)ので、校閲業界では若輩者の私ですが、書籍の制作において「校閲は何をしているのか」を少しばかり紹介しておこうと思い立ちました。
まず前提としてご理解頂きたいのは、一冊の本が世に出るまでには様々な工程を経るわけですが、その中で校閲が関わるのは「かなり後のほう」という点です。
書籍の制作において最も時間を要するのは「筆者が原稿を完成させるまで」、次いで「社内の了承を得て刊行が決まるまで」のプロセスだと思われますが、校閲の出番は更にその後です。通常、校閲にゲラが回ってくる段階では既に発売日・刊行部数etc.が決定しており、余程の(筆者都合の)問題でも起きない限り(*1)動きません。つまり、「企画に無理がある」「内容がおかしい」といった理由で刊行を延期ないし撤回させる権限は、そもそも校閲には無いわけです。
校閲者でもフリーランスなら「降りる」という選択も可能ではありますが、企業に所属している場合だと、誰かが作業を引き受けざるを得ません。こうなると、多くの場合は「誤字・脱字etc.のチェック、および最低限(=具体的には固有名詞・年月日etc.)の事実確認のみ行う」という対応となります。
「ファクトチェック」という言葉も指す内容が広いのですが、最優先でチェックすべきは、前述したように固有名詞・年月日etc.です。その次に、筆者の行った引用・要約etc.の確認作業(*2)が来るのですが、その際に「筆者の主張は妥当か」という評価を下すことは、校閲の権限を超えています(*3)。
そもそも筆者は誰よりもその分野に詳しいから本を書いているのであって、その内容を筆者以上の緻密さでチェックできる人間は、論理的には存在しないはず。そして、筆者の主張を世に出すことが妥当ないし有意義だと編集者・版元が判断したから、企画として動いているわけです。こうしたことを踏まえれば、校閲者の有する権限が編集者に比べるとかなり限定的なものに過ぎないこともお分かり頂けるかと存じます。言い換えますと、筆者・編集者が「内容はグダグダでも構わない」と開き直っている場合、校閲に抵抗する余地はありません。結果として事実誤認のオンパレードと化した本が世に出てしまった場合、その咎は筆者と編集者が負うべきである、と一介の校閲者としては考えます。
また、「チェックしようがない事柄」も存在します。例えば、筆者が行ったインタビューを基に書かれた原稿ですと、発言内容の真偽(*4)、あるいは遡って「本当にインタビューは行われたのか」を問うても意味がありません。また、専門的あるいはマニアックな内容(*5)だとか、そもそも記録が残っていないために手も足も出ないという例も、ままあります。
最近ですと、漫画・アニメ・ゲーム・音楽etc.に関する記述・論評をチェックしたい場合に、「信頼の置けるデータベースが見当たらない」という問題もあります。有名なシーンやトピックなら各所で言及されている場合もあるにせよ、本来なら現物を取り寄せて実際に確認するのが望ましいのでしょうが、実際の校閲作業でそんなことをしているわけにも参りません。最終的には筆者を信用せざるを得ず、どうにも頭の痛い問題です。
ついでながら、校閲を通す場合の金銭的なコストにも触れておきます。
例えば物議を醸した『日本国紀』の場合、一般的な相場ですと、素読み(=ファクトチェックは行わず、誤字・脱字etc.のみ指摘する場合)は初校なら15万円程度、再校で10万円程度(*6)。更にファクトチェックも求められた場合、かかった時間に応じて別立てで請求することが多いのですが、作業可能な時間は刊行スケジュールに制約されることを考慮すると、20万円程度が上限かと思われます。当然ながら「作業量を考えると、この日程(or支払額)では無理」ということもあるわけで、そういう場合は「できる範囲で確認作業は行うが、手が回らなかった部分は、ともかく著者を信用する」という対応も起こり得ます。
気の利いた編集者ですと、先回りして「ファクトチェックは不要です」と言ってくれることもあるのですが、実際には「ツッコミどころが多過ぎることを編集者も自覚しているが、それを筆者との間で摺り合わせる時間も気力も無い」だけじゃないのか?と、一介の校閲者として邪推したくなることはあります。『ゲームの歴史』の制作進行は、どんな感じだったんですかね。
ともあれ校閲者としましては、単純な誤変換の見落としetc.の指摘に関してはひたすら恥じ入るばかりですが、「文章が破綻している」「内容が間違いだらけ」といったレベルのご批判でしたら、できれば筆者か版元へ向けて頂きたいと願う次第です。
(*1)個人的に経験した中で最もアツかったのは「筆者の不祥事(新聞沙汰になりました)が発覚して、既に校閲済=刊行間近の新書の企画が飛んだ」という事例です。誤訳の指摘も含めて、ファクトチェック、すげえ頑張ったのに……。
(*2)挙げられている資料がアクセス困難で詰む事例は珍しくありませんが、中には筆者自ら資料を開示して「引用や要約が適切か確認してほしい」と依頼してくる例もあります。そういう場合は当然ながら、校閲者が責任を持って作業に当たることになります。
(*3)もっとも「前段と後段で主張が食い違うのでは?」といった指摘は起こり得ます。
(*4)無論、明白な事実誤認(記憶違い、言い間違いと思しき例など)が含まれていれば、その旨は指摘します。
(*5)とりあえずネット上で検索を試みたものの、ほとんど筆者自身による論文しかヒットしない、という事例は実際に経験しました。
(*6)ここを著者と編集者で校正することにしてしまえば多少ともコストを圧縮できるわけですが、その結果どうなるかというと……
https://anond.hatelabo.jp/20200130105418
この文章の続きだ。
時間がなかったので、このあたりは本当に真剣に勉強してた。超直前期に関しては、何日か会社を休んで取り組んだ。行政法に関しては、pdfテキストを何周もしていくうちに、相変わらず全然意味がわからない箇所が出てきたりするので、ようやくネットで調べたりもした。これはけっこう良くて、行政書士試験レベルの行政法知識に関しては、ネット上にすごくうまく説明してくれている人がたくさんいる。とても役に立った。
最後の二週間くらいから、条文素読の時間が長くなっていった。具体的には前述の通り、憲法(1条から8条まで。それから統治は全部。これだけ)と、あとは行政法だと、行政手続法・行政代執行法・行政不服審査法・行政事件訴訟法・国家賠償法。とりわけ行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法。
試験前日(11月9日)は、行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法を全部一度通読した。
ちなみに、最終的にpdfテキストは、憲法4周、民法5周、商法2周、行政法10周、基礎法学は不明、一般知識7周だけやった。これは試験勉強期間を通じた累計回数ね。
上智大学が試験会場だった。俺は昔から、試験当日はほとんど勉強しない。フレッシュな頭で試験にのぞみたいからだ。とはいえ、試験2時間くらい前に四ツ谷駅についたので、いちおう条文でも読もうかと思い、駅のところのBECKS(だっけ)で条文を少しだけ読んだ。気になる箇所だけね。
それから試験一時間くらい前に試験会場に到着して、席の場所を把握して、あとは会場建物前の階段のところでずっとストレッチをしてた。これも昔からの試験前の作法だ。長い試験中の身体のストレスを軽減するために、念入りにストレッチをする。
目の前では、行政書士試験界ではおそらく有名人なんだろうと推察される男性と女性が、なにやら撮影をしていて、ときどき通りがかった受験生に握手を求められている。
そうそう、試験会場は時計がないとのことだったので、この日のために100円ショップで腕時計を買ったんだぜ。
スタートから良い感じで順調に解いていった。過去二回の模試とは比べものにならないほど、確信を持って進めることができた。一般知識を含め、3問から5問くらい、伊藤塾の全2回の模試で出た知識が役立った。模試は完全に受けて正解だった。
15:15に途中退席して試験会場を出たけど、たぶん合格してるだろうなと思った。
合格発表日がいつかについては、スケジュールに入れていたので覚えていたものの、当日は普通に会社で仕事をしてミーティングをこなしたりしているうちにすっかり忘れていて、15:00くらいに、「あっ、そういえば合格発表確認しないと」と思ってサイトを見たら合格してた。合格してるだろうとは思っていたけど、やはり安ど感はあったね。来年また同じことをするのはちょっと嫌だったし。
その他、雑感など
・試験の難化傾向について
行政書士試験は難化が進んでると聞いていたけど、これはたぶん本当だ。20年くらい前に合格した人たちから、楽勝の試験だと聞いていたけど、想像よりはずっと勉強しないとダメだった。だいたい、昔はテキストもすげー薄いやつしか存在しなかった気がする。
上のほうにも書いたけど、模試は受けるべき。その時点での自分の状況を知ることができるから、勉強の方針を調整していけるし、何より、予想問題としての価値が思ったよりあって驚いた。
・条文を読むべきか否か
行政書士試験の勉強ブログなんかを見てると、「条文は読むべきか否か」みたいな議論があるのがわかる。こんな議論がある時点で、司法試験とは比べものにならないレベルの試験でしかないなとは思うんだけどさ。行政書士試験については、これまた上に書いたけど、憲法(1条から8条まで。それから統治は全部。これだけ)と、あとは行政法だと、行政手続法・行政代執行法・行政不服審査法・行政事件訴訟法・国家賠償法。とりわけ行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法は読むべきだ。
だってさ、これらの法律に関しては、行政書士試験の問題って条文知識そのまんまのものばっかりなんだもん。それってつまり、事前に正解が記入された解答用紙を読んで良いって言われてるようなもんじゃん。読まないでどうするの? って思う。
何も特別な対策はしてない。行政書士試験の記述式問題なんて、ふつうに行政書士試験の勉強をしていれば解ける程度のものでしかないもん。逆に、全然解けないんだったら、それは単に勉強が足りてないだけだ。お前は元々法律の勉強をしていたからだろだって? ちがうね。今回はじめて勉強した行政法についても記述式対策なんて全然してなくても問題なかったぜ。過去問を見ていると、ほんのごくまれに行政書士試験にしては難しすぎるだろってのが混ざってたりするけど、単にその年の受験生が不運だってだけの話であって、対策してどうにかなるもんじゃない。
旧司法試験を受験していたころ、早々に合格した連中が口をそろえて、「手広く勉強すべきじゃない。コアの部分をゆるぎないレベルにしておけば問題ない」みたいなことを言ってた。でも、俺は当時その意味がどうしてもうまく理解できなくて、けっこう手広く色んな本やらテキストに手を出しちゃってた。それが今回、だいぶ長い時を経て、行政書士試験を受けてやっとなんとなくその感覚を理解できた。
行政書士試験に関する色々な勉強ブログを読んでいると、公務員試験のテキストに手を出している人とか、行政法の基本書に手を出してる人とかたくさんいる。でも、声を大にして言いたいけど、そんなに色々やる必要はない。総合テキストと過去問と模試問題。これを基本として、わからないところはネットで調べればじゅうぶんだ。
そんなわけで、ここまでダラダラと書いたけど、何かみんなの役に立つ内容を含んでいたとしたらうれしいよ。じゃあね。
採点結果が戻ってきた 1月31日
208点だったよ。
この文章は、20年ちかく前に、旧司法試験の択一だけは3年連続合格した、今は40過ぎの俺が、4か月ほど勉強して令和元年の行政書士試験に合格するまでの軌跡を書いたものだ。
こういう、『ある程度法律知識があるから初学者とは違うんだけど、かといってベテラン行政書士受験生でもない』微妙な位置づけの人も、世の中にはたくさんいるんではなかろうかと思ったんだ。それで、そういう人たちのお役に立てればと思って書いた次第。
最初に――俺はサラリーマンなんだけど――なんで急に行政書士試験を受けることになったのかについて書いておく。俺は副業で色々なコンサル業務をやってるわけ。んで、だんだん行政書士の独占業務の範疇にある仕事に足を踏み入れる可能性が出てきたので、いちおう今時点で合格だけはしておきたかったんだ。そういう理由。
20年ちかく前にもう少し勉強を続けていれば旧司法試験に合格したかも? とか思う日がないでもないけど、あの頃はけっこう気持ちが行き詰ってた。だって、毎晩、大学を卒業できない夢ばかり見てたんだぜ? 実際は大学なんて普通に卒業できてたのにだよ? この夢が意味することって明らかだし、やっぱりまともな状況とはいえないよね。それにその数年前からロースクールが始まって、旧司法試験の合格枠が激減するというアナウンスも出始めてたんだ。
だから、試験に人生をかけていくのはちょっとリスクとして耐えらないと思い始めた。そんな矢先、けっこう良い職場からお声がかかったから、司法試験の勉強はすっぱりやめた。司法試験の勉強をすっぱりやめたといっても、俺のサラリーマンとしての業務は法務に軸足を置いているので、完全に20年も法律から離れてたわけじゃない。でも、もっぱら仕事で使用するのは知財法ばかりなんだけどね。
そして、知らない人のために書いておくと、俺が受験していた当時の旧司法試験の科目は以下の通り。
憲法・行政法・民法・商法・基礎法学・行政書士の業務に関する一般知識等
つまりは、憲法・民法・商法・基礎法学が旧司法試験と重なってるわけ。『基礎法学』は科目としては旧司法試験に存在しないけど、重なっているどころか、旧司法試験を勉強していた奴にとっては、行政書士試験プロパーよりはるかに楽勝だ。行政書士試験プロパーだと、基礎法学は時々まるで意味不明だろうし、対策範囲もわけわからないと思う。でも、旧司法試験を受けた人間にしてみれば、全然わけがわからない問題はまずないと思うよ。ほら、急に模試で「弁論主義」とか「処分権主義」とか言われても、「はいはい、訴訟法でやったねー」ってなるでしょ。
準備する 6月24日
というわけで、俺が行政書士試験の勉強を始めたのは、手元のメモによると、2019年6月24日だ。試験日が2019年11月10日だから、150日間くらい勉強できる日はあったんだけど、途中、2週間ほど海外旅行に行ってたから、実際は126日間勉強可能だったと言える。毎日勉強してたわけじゃないけど、まあそんな感じで勉強を開始した。
行政書士のテキストはたくさん出ているけど、どの会社もその根幹にあるのは「総合テキスト」と「過去問を中心とした問題集」だ。主要な会社はどこも似たような本を出してる。俺は旧司法試験時代に伊藤塾の印象がまあまあ良かったので、伊藤塾のものにした。当時のイメージは、授業もテキストも、「WセミナーやLECは玉石混交」「伊藤塾はベストもないけどひどいものもない、どれもそこそこ良い」だったっけな。あくまで主観だけど。
次に、その足でフェデックス キンコーズに行って、二冊とも断裁して、翌日に会社のプリンターで全部pdf化した。分厚いテキストを持ち歩くのはいやだったし、pdf化してしまえば仕事中にもデスクトップで勉強できるからね。
それから、総合テキストと、それに対応する問題集の問題を順番に並べていった。例えば、テキストの「国会」部分のあとに、問題集の「国会」部分を挿入するといった感じ。あと、なんとなく直感的に問題量が少ない気がしたので、以下の伊藤塾のページから問題を全部ダウンロードして、該当箇所に挿入した。無料だし。
https://www.itojuku.co.jp/shiken/gyosei/feature/ukarugyouseisp.html
https://www.itojuku.co.jp/shiken/gyosei/feature/mgmondai.html
次に、テキストや過去問をぺらぺら眺めながら科目別に方針を考えた。以下のような感じ。
・憲法
旧司法試験の択一試験の憲法は、本番も模試もだいたいいつも16点から18点(20点満点ね)くらいだったから、まあ自信はあった。でも、さすがに20年勉強してないと色々なことを忘れてる。特に択一試験にしか出ないような部分はさっぱりだ。統治の条文知識とか。ほら、内閣はこれをして、内閣総理大臣はそれをして、天皇はあれをするとかそういうの。でも、行政書士試験のテキストと過去問を見る限り、憲法はけっこう楽そうだなあとは思った。テキストを数回読んで記憶を喚起して、あとは条文を数回読めばいけそうだな、あとは判例をどこまで確認するかだな、とまずは考えた。
・行政法
行政書士試験の点数配分を見ると、行政法が圧倒的に重要だとわかった。なにしろ行政書士試験300点満点中、行政法は112点満点だから、全体の三分の一を占めてるわけだ。にもかかわらず、行政法はまるっきり勉強したことがない。大学でも独学でも。ということは、合格には行政法の勉強がキモになるのはわかりきっていたんだけど、どういう法律なのかすら知らないので、とにかく勉強時間の半分以上を行政法に割こうと思った。
・民法
旧司法試験の択一試験の民法は、本番も模試もだいたいいつも17点から20点(20点満点ね)くらいだったから、まあ自信はあった。憲法と同じで、改めて勉強しないと色々と忘れていることは多かったけど。これもテキトーにテキストと問題集を何周かまわしたら大丈夫だろうと踏んだ。
・商法
旧司法試験の論文では、商法はさほど得意ではなかった。それに、俺が勉強をやめたあとに会社法は大改正があって、まったく知らない概念がたくさん登場していることもわかった。だって、俺が勉強してた頃には「合同会社」すら存在しなかったからね。会社法はとりわけ機関のあたりに知らないことが増えてた。会計参与とか。誰だそれ。一方で、行政書士試験における商法の占める割合は超低い。商法に本気で取り掛かるくらいなら、その時間を行政法にまわしたほうが良さそうだけど、どうなんだろうと迷った。そんなわけで、初期の段階では商法にどれだけ付き合うかは決めあぐね、とりあえず保留にした。
・基礎法学
内容もテキストの量も薄くてほっとするわー。まあ大丈夫だろう、という感想。
行政書士試験は一般知識単独での足切りがある。40%以上正解しないと、他の科目が満点でも落ちる。ということで、俺の中では行政法の次に一般知識を要注意科目と認定した。
まずは、総合テキストと問題集が混然一体となったテキスト(要するに俺がpdfで並べたやつね。以降は単に「pdfテキスト」と書く)を頭から読んだり解いたりして行った。当時のメモを読むと、2019年6月26日から勉強を開始して、2019年8月6日に1周目が終わっている。よくわからないところで立ち止まらずにどんどん進むのがコツだと思ってる。
さて、この時点での各科目の感想は以下の通り。
・憲法
とにかく懐かしい。すべてがセピア色だ。マクリーン事件! 三菱樹脂事件! いやあ、あの頃は本当に勉強がつらかったなあ。
・行政法
難しくはないんだけど、とにかくつまらん科目だなあ。pdfテキストを繰り返しやって、最後は条文素読かな。
・民法
懐かしいなあ。久しぶりに民法をやると、得意だった箇所・不得意だった箇所があらわになるなー。今でも法定地上権とか全く問題なくわかるし、連帯債務・連帯保証のあたりが大得意だったのを思い出したわ。逆に、意外なくらい意思表示のあたりがあやふやになってる。テキストだと初めのほうだし、当時は得意だって気がしてたんだけどなあ。
・商法
機関を除けば、株式会社についてはだいたいわかる。でも、ほんと機関が意味不明だ。あと、会社法はクソほど条文が多いわけだけど、行政書士試験のテキストが薄いぜ。こんなんで大丈夫なのか。でも、商法を極めるほどの時間も意味もなさそうだぞ。
・基礎法学
いや、ほんとホッとする。コーヒーブレイク扱い。
ほう。こりゃあ、どうしたもんかな。とにかく「文章理解」を間違う可能性は極めて低そうだ。あとは、「情報通信」と「個人情報保護法」はある程度やる必要があるのかな、どうなんだろう。「政治」はそんなに他の受験生に劣るとは思えない。「経済」は個人的にもともとけっこうわかる。「社会」はどうだろう。んー。
対策方法がわからないので、色々とネットで調べた結果、以下の2冊を買って、夏休みの海外旅行中の飛行機の中で読むことにした。
「改訂第3版 センター試験 現代社会の点数が面白いほどとれる本」
8月の中ごろに2週間ばかり海外旅行に行っていた。旅行中は機内で「改訂第3版 センター試験 現代社会の点数が面白いほどとれる本」と「日経キーワード 2020-2021」を1度ずつ通読した。日本にいる間は、行政法を中心にpdfテキストを回していた。
手元のメモによると、9月13日までに、行政法は4周してる。憲法は3周。一般知識2周。あとの科目はこの期間は何もやっていない。
9月14日に伊藤塾の「行政書士 公開模擬試験 中間模試」を受けてみた。試験時間は3時間。俺は2時間で終えて途中退席して結果は188点。本番の合格点は180点だから、合格点はクリアした。一般知識も足切りされない程度には点数が取れていた。
この時点の進捗に関する感覚は、圧倒的に完成からはほど遠かった。それなのにあっさりと合格点が出てしまって、少し切迫感がうせたしホッとした。あとから気づくわけだけど、このときの模試はけっこう難易度が低かったと思う。そんなこととはつゆ知らず、「この調子で勉強を進めていけば全く問題なく合格する。行政法の完成度が今時点で30%って気がするから、ここを上げていけば大丈夫そう」とこのときの俺は考えた。
でも、この見通しはけっこう甘かったと後で気づく。
そうそう、このときの模試も全てpdf化して、pdfテキストの該当箇所に差し込んだ。
ひたすらpdfテキストをまわす日々 9月14日~10月18日
手元のメモによると、この期間はほとんどpdfテキストの行政法だけをやっていた。具体的には2周。つまり、この時点で行政法に関しては計6周やったことになる。
10月19日に伊藤塾の「行政書士 公開模擬試験 最終模試」を受けた。俺は2時間15分で終えて途中退席して点数は180点。喫茶ルノアールで自己採点をしながら、俺は状況のまずさにおののいた。1回目の模試よりも行政法の勉強はだいぶ進んだにもかかわらず、その行政法の点数が伸びるわけでもなく、全体としては合格点ジャストの180点しか取れなかった。
このときようやく気付いたのだけど、1回目の模試のときは、まだぜんぜん勉強が進んでいなかったので、元々持っている自分のリーガルマインドに頼って直感で勝負していたようだ。ところが2回目の模試では、勉強が多少進んだため、直感ではなく、新たに手に入れたあやふやな行政書士試験知識で解いた結果、勉強は進んだのに中途半端すぎてかえって間違いを増やした気がする。
それでまあ、各科目について以下のことを考えた。
・憲法
憲法ごときに時間を多くは使えない。pdfテキストを無理のない範囲でやり、条文素読(1条から8条まで。それから統治は全部。他はいまさら読まない)をしておけば、試験日までには状態は整うと考えた。
・行政法
行政法についてはずっと勉強し続けているわけだから、引き続きpdfテキストを繰り返しやって、最後はこちらも条文素読だな。素読対象は、行政手続法・行政代執行法・行政不服審査法・行政事件訴訟法・国家賠償法だ。地方自治法は素読は要らん! というか地方自治法に条文レベルで付き合っていられるほど時間的余裕がない!
・民法
pdfテキストをちゃんともう数回まわそう。そうすれば行政書士試験レベルの問題で間違うことはそうそうないはず。
・商法
いまさら真面目に突き詰めるほど時間を割けないので、pdfテキストを流しながら、あとは俺が全然わかってない機関だけやっておこう。
・基礎法学
「文章理解」は過去問・模試問題含め、一切やらない。どうせ解けるから。
「政治」「経済」「社会」「情報通信」はpdfテキストをまわすだけ。
「個人情報保護法」は条文は読まないことにした。問題レベルを考えると、条文を読むことは非効率的だと考えた。あと、伊藤塾の総合テキストは、主要科目はけっこう良くできている気がしたけど、行政法中の「地方自治法」とか「個人情報保護法」あたりはかなりいいかげんだ。条文の中身をただダラダラとコピーペーストしただけのテキストをなんて読む価値ないだろ。それで、「個人情報保護法」については、個人情報保護委員会が出してる、以下の「個人情報保護法ハンドブック」を何度か読んだ。
https://www.ppc.go.jp/files/pdf/kojinjouhou_handbook.pdf
続く。
その中身を書く
精神論が中心。
やる気と気合があればなんでもできるみたい。
暗証しないとクリアできないが、暗証中は講師に視線を合わせないといけない。
反抗的な態度の相手には視線を外したと言いがかりを付けて認定しない。
体操。筋肉痛になるレベル。穴掘りや行軍を課す場合もあるそう。
最初に
「会社の上司から、全権委任されている。生殺与奪は自分にある。
途中で研修を放棄するということは業務命令違反だから、帰るんなら辞表を書け」
と釘を刺される。
恫喝すると同時に「なんだその目は」
「文句があるなら帰れ、金なんて返す」
朝は早朝、夜は深夜まで。
考えずに動くようになってくる。
失敗すると、周りにも「なんでお前らが注意しないんだ」と恫喝。
徹底的に自己否定させる。
声に出すと、「そうだったのか」と思い込んでしまう。
だいたい泣きながらスピーチさせる。
言うことを聞くと優しくなる。
そのうち、講師の顔色をうかがいだす。
最終日には最終課題として出したモノを発表させるが、その段階で上司やTOPを呼んでいる。
終わったら泣きながら抱き合うなんて普通。
講師とも泣きながら抱き合う。
まあ、すぐに元に戻るけどね
★「三四郎」の中に「明治15年以降生まれ」と「明治15年以前生まれ」が世代ギャップがあるような記載があり、脳内が「???」となった。
調べてみたら、明治15年以前生まれは「漢文の素読」を叩きこまれた世代、
以降は「近代的教育を受けた世代」で、モノの考え方に激しくギャップがあるらしい
今で言えば、「1~2歳の時にスマホを経験した世代」とそうでない世代の差みたいなものか?
東京に詳しい人でも、西片町を知ってる人は少ないのでは?あの辺り、今でも明治の香りがする。
25年前の悪い東大駒場生は、本郷キャンパスに所用で出掛けた際、西片町を経由して帰ってた。
(ルート:東大正門→西片町→三田線春日→新宿線→笹塚→明大前→井の頭線)
悪い東大生は、井の頭線の定期券と、春日駅の初乗り切符で(以下自粛)
★「三四郎」読んでると、本郷エリアじゃなく大久保に住むことを「都落ち」的な書き方されてる。
まあ当時大久保は東京市じゃなく豊多摩郡だったろうから、さもありなん。
裏返せば、「不動産仲介業」という職業が当時はまだ確立してなかったことがわかる。人々は口コミ人ツテで空き家を探してた
田端とか荻窪とか馬込とかに「文士村」として作家が集住してたのは、作家が口コミ人ツテで空き家を探した結果、知り合い同士固まったから。
不動産仲介業が発展するまでは、「同郷者が、同じアパート・同じ街に集住する」というのは、割と見られた光景だった。
逆にいえば、不動産仲介業は「同郷集住による街の単一化」を防ぐ役割を果たした、と言える
★「三四郎」で、本郷エリアの寄席に行くシーンがある。戦前まで本郷に寄席があったと聞いている。
その後映画館になったようだが、戦災で消失し、東大界隈は映画レスな街になった。
戦後映画の全盛期に映画館ゼロというのは、他の学生街だと、あったのだろうか?
映画館がないほか、雀荘なんかも少ないし、学生向け大衆食堂も少ない。
★市電が急速に発展したせいで、三四郎が市電に乗り間違うエピソードがある。
当時の市電網で誤乗するくらいだから、2014年の東京圏鉄道網って、地方出身者にはカオスで、乗り間違い多数なんだろうなあ
★「三四郎」読んでたら、「適齢期は女性過剰」的表現があった。
日露戦争でそんなに男性が犠牲になったとも思えないので、感染症や栄養失調で夭逝する男児が当時は多かったんだろう。
適齢期性比が男性過剰に転じたのは、実は高度成長以降だったりする。
横だが
「後づけで条件を増やす/替える」ってのは大人の論法じゃないよね。別にYA(ヤングアダルト?)向けが中心だっていいじゃないの。漫画だって20年前はそうだったさ。娯楽小説だってもしかしたらそういう時代もあったかもしれない(その時代に生きてないから知らないが、仮名文学とか読んだら堕落する、と頑に漢文の素読をしていた人もいただろう)。メディアなんてそんなもんさ。
元増田は「就職活動中にリクルート」っつー話だったと思うので、YA向け=大人向けでその世代の文脈的には別に問題はないと思うんだが、君はどんだけ「大人」なんだい?
何一人で右往左往してんの。
>お前は自分の不快を取り除きたい、自分が不快でなくなればそれでいいという自己中思考にもとづいて、人を脅迫していたのだよ。
かかわりたくねーしw
深呼吸してもっぺんツリー読み直して登場人物整理して来い、な。
>ようやく話が通じたなクサレ脳みそ。
>しかし同時に、クチャラーくんをイジメる権利を迷惑かけられた側が得ているわけじゃない。
>元増田がやったことはやっぱりただのイジメでありエゴの押しつけだ。
元増田は「自分の感情のためにいじめてます」っつってるじゃん最初から。
いいからまず人の話をよく読め、な?
>イジメ自体どうかと思うが、同時にそれを正当化しよう、批判を逃れようとするその卑屈っぷりが気に食わない。
元増田の取り組みを個人的に賞賛してるのは俺。
クサレ脳みそをポッポさせる前に話のいきさつぐらい理解しろ、な?
まったくだなwwwwwwww
さすがに赤の他人へ文章の素読からの再教育はやってらんねえwwwww
>これがもう間違いなんだよね。
>「不快感の報い」が不正だもん。誰がどうやって測ったの? って話になるでしょって書いただろ。
そっちの方がずーっと簡単だから。