はてなキーワード: 源泉かけ流しとは
面接に行く日々だった。
そのホテルは郊外にあり源泉かけ流しが売りで、ホテルの予約サイトのマーケティングに関する仕事とのことだった。
勤務先はホテルの本社がある都心で通いやすそうだったしし「未経験歓迎」とあったので、ハロワの担当者と相談して応募することにした。
履歴書を書くにあたり、マーケティングというものについてもネットで少し調べたりした。
後日一次面接に行き、おそらく働き始めたら上司にあたる方とお話した。
優しそうな女性で、仕事内容についても簡単に教えてくださった。
パソコンが使えるかなど聞かれ、スキルがあるということも伝えたところ好感触だったようで、面接は終始穏やかな雰囲気だった。
最後の方で「よろしければ二次面接を受けて欲しい」と言われ、その場で次回の日程を調整し、退室。
二次面接は社長が来るそうだが、忙しい人なので…と、日程は数日後に決まった。
二次面接の日、会社がある1階の駐車場に、派手な赤いスポーツカーが停まっていた。
一次面接の時は無かったので、社長のものかもしれない。そう思いながら階段をあがった。
この日は一次面接の際の方と、社長、他にも何人か面接官として人がいたが、詳しくは忘れてしまった。
自己紹介をし、志望動機などを話したところで、社長から「マーケティングについて勉強してきましたか?」と聞かれた。
私は正直「勉強」という程のことはしていなかったし、嘘をついては後々ボロが出ると思い、ネットで少し調べた程度だとオブラートに包んで伝えた。
社長は不満気な顔をした。
「未経験歓迎」とはあったが、おそらくこの人は「マーケティングの勉強はしているが実務は未経験」そういう人が欲しかったのだと、今振り返ればそう思う。
それならそうと言って欲しかったし、早々に面接を切り上げてほしかった。
社長は次に「弊社のサイトが今こういう作りだが、集客力を上げるにはどのように変更したら良いか」とホームページを見せてきた。
不勉強であることを前置きした上で、自分なりの知識などから改善点と思わしき部分を伝えたが、社長は「偉そうに」と声をあらげ、私の事を責め立てた。
この人にとっては「面接を受けに来るぐらいうちに入りたいのに、勉強してこなかったとはなんて失礼なやつだ」と思っているのかもしれない。
だが、私はただ働ければどこでもよかったし、マーケティングという仕事も興味があるというそれだけだった。
ムカついたので自分なりに食ってかかったが、中年男性のデカ声に勝てるはずもないまま、面接は終わった。
一次面接の際の女性が玄関まで送って下さり、出たところで抱きしめてくれた。
「ごめんなさい…あんな人だけど普段はいい人で…」と泣いていた。
私は、いやいやこちらが不勉強で申し訳ないと謝り、その場を後にした。
本当に働きたいなら本を買うなりして勉強してから面接に挑むのが普通だったのだと思う。
ただ私はもうこの会社のホテルには絶対泊まりたくないと思ったし、周りにもその事を話した。関連施設も利用しない。
たかだか面接でと思うかもしれないが、面接を受ける人は部下でもなんでもない、客側にもなれる人なのだ。
別に1人2人客が減ろうがどうでも良いと思われてるのかもしれないけど
国内観光するついでにその町の日帰り温泉に行くことが多い女である。
小学校低学年の頃まで僕は毎年夏休みに、田舎にあるおばあちゃんの家に遊びにいっていた。
とても豪華なことに源泉かけ流しでそしてとても広い風呂だった。
子供2人と大人1人で入っても余りがあるくらいで、さらに小学2年生の僕には足がギリギリつかないほど、とても深かった。
そしてそのお風呂は潜ると、「村」が見えるのだった。
どんな村だったか、いまだによく覚えている。
とても覚えやすい、単純な地形だった。
一番左に、大きな学校にあり、その近くに個人の商店があり、そして右に行くにしたがって個人の民家が広がっていた。奥には病院があり、その先には森林が広がっている。
おばあちゃんちのお風呂に潜ると、そんな具合に、この村が上空から俯瞰できるのだった。
何度潜っても、いつでも同じ景色であり、それはとても当たり前のことだった。
小学生の僕はこの話を大人にしたが、誰も信じてはくれなかった。ただし、5歳の妹を除いて。
この話を僕らが大人にしつこくするものだから、近所の高校生のお姉さんが真実を確かめようと一緒にお風呂に入ってくれた。
「さあさあ潜って、潜って」と僕は大はしゃぎである。妹も同じように、はしゃいでいた。
お姉さんは「どれどれ〜?」と半信半疑でにやけた顔をしていた。
僕と妹とお姉さんで湯船に入り、いっせーので潜った。
隣には村を見ている妹が見えた。
そしてもう一方の、お姉さんの方を見た。お姉さんも村の方を見ていた。でもなぜかお姉さんに金のリングや宝石のネックレスのようなものが身体に巻き付いていたのだった。好奇心からそれを取ろうと手を伸ばしたところで水面に引きずり出された。
「やっぱり何もないじゃない」
お姉さんはそう言った。僕は「あるじゃん!そこにあるじゃん!」と抗議した。妹も抗議した。
お姉さんは困った顔をして、それ以上は何も言わなかった。
結局、それでその場は終わった。
夜、寝る前に僕は気になっていた。
あの宝石はなんだったんだろうか、と。
妹にもあれが見えたのだろうか、そういえば抗議することに必死で聞きそびれた。
もう一度見えたりはしないだろうか、そう思って、夜中に1人でお風呂へと向かった。
おばあちゃんちのお風呂は源泉かけ流しだったので、いつでもお湯が張ってあるのだった。だから夜でも朝でも入り放題であった。僕はみんなが寝静まった夜に、お風呂に入って、そして潜った。
村が見えた。
そして、宝石が落ちていくのも見えた。
潜って潜って、手を伸ばした。全然手に届かなかった。病院の近くの標識の方へと落ちてくのが見えた。
息が苦しくなったので、引き返して水面に戻った。
もう一度潜った。
また宝石が落ちていくのが見えて、それを拾おうと必死で追いかけた。
でも息が苦しくなって引き返した。
僕はこれを何度かチャレンジして、無理そうだと諦め、布団に戻って寝た。
誰もが泣いているなか、僕だけは泣いていなかったように覚えている。
あれから何十年も経った時のことだった。
彼女とデパートを歩いていたら、催しで小規模なリアル脱出ゲームが開かれていた。
平日ということもあってか、並んでいる人は誰もおらず、僕は興味を惹かれた。
僕と彼女は2人でその脱出ゲーム『沈んだ村からの脱出』をやることにしたのだった。
ストーリーはこうだった。
誰もがこの村を愛していたが、特にその中でも1人の5歳くらいの女の子が村から離れないと言って聞かなかった。
村からの立ち退きの日、その女の子が忽然と姿を消してしまった。僕たちはその女の子を見つけて、無事脱出することが目的である。
その女の子はいつも「宝物(どんぐりや綺麗な色をした石など)」を村の至る所に隠して遊んでいた。僕たちはそれを最初に探し出し、そこから得られるヒントで女の子を探すというものだった。
僕は驚愕した。
手元の資料に書かれている村の地図が、まさにあの、おばあちゃんちのお風呂で見たあの村と全く同じであったからだ。
そして同時に、僕には「宝物」がどこにあるのかが全て分かっていた。あの風呂場で見た宝石が、だいたいどの辺に落ちていったか、全て覚えていたからだった。
病院の近くにある標識の横、学校の校庭、個人商店の鉢の裏、僕はなんのヒントもなく全ての「宝物」の位置をピタリと当ててしまった。
自分でも怖かった、なぜ分かるのか、なぜあの光景がここにあるのか、何もかもが分からなかった。
彼女やスタッフは僕が当て勘で見つけているのだと思っているらしい。事実、確かに「宝物」がありそうな場所は10数箇所ほどしかなく、たまたま全てを見つけてしまう可能性も、なくはなかったからだろう。
その宝石に書かれたヒントをつなぎ合わせると、「おばあちゃんちのお風呂の中」と読み解くことができた。民家にあるおばあちゃんちにいって、お風呂を覗くと、そこには泣いてうずくまっている女の子がいて、いい感じに説得して、一緒に帰るという流れで脱出に成功した。
とてもいるような気がする。
だけど、僕は忙しさにかまけて、まだおばあちゃんちに帰れていない。
「無意識になんとなくやっていること」でいうなら、毎日なんとなくスマホいじってるし、
大して意味ないと思いつつ宿泊先に温泉を選んで温泉に浸かったりする(実際に行って温泉入ってる時間は1時間ぐらいしかない)
そういう「なんとなく単なる大浴場じゃなくて源泉かけ流し温泉を選ぶ」
「カレンダーの曜日の並びが日曜日が左端にあるのが当たり前で月曜日が端だと見間違える」
が、元増田のは「宗教施設だと思われてるものを使用する」という限定条件が重要そうであり、
そうすると宗教施設や宗教行事という条件に入らない「なんとなくの行動」は宗教扱いされないんだろうなと思う
では自然発生的な願掛け「どっかの橋の欄干に鍵をかける」はどうか
あるいはそれを商業的にパクった「どっかの展望台の欄干に鍵をかける」はどうか
逆に宗教施設の「宗教色」を薄めて「パワースポット」という呼び方に変えて集客するやつ。あれは宗教なのか
「トランプが大統領選挙で落選したのは秘密結社の陰謀のせい」とかは宗教になるのか
そのへんも含めて全部が宗教なのか、そういうのは除外して既存の宗教施設とみなされてるものに関わる行為だけが宗教なのか
もし、既存の宗教施設に関わるものだけが宗教というなら、既存の宗教の枠組みが大事ということで、
知人も私もそっちの感性皆無。知人のブログを通じての縁。その霊能力者の先生もブログを書いてて、知人が、
「この人おもしろそうだぞ」と。試しに行ってみっかー、と。
私は「そんなもん(幽霊とか)いない!」みたいな完全否定派でもなく、かといって、そういうのを感じた経験も一切ないので、スタンスとしては、「わりとどうでもいい」だった。関係ない、みたいな。
最寄の駅に着くと、50代半ばの、白髪眼鏡の紳士系おっさんが迎えに来てくれた。京都弁。フランクな、サラリーマンとしか見えないおっさん。スラックスにポロシャツ。
自宅でやってるらしく、15分ほど炎天下の中歩く。家は、なんというか、まるで生活感・生活臭の感じられない不思議な家だった。あと、玄関先とかによくある盛り塩がなかった。
彼は小さいときから能力があったらしい。「生まれてくる前は綺麗な世界だったのに、この世はなんか暗いなあ」とか言って両親を困惑させたりしたという。また、色々「見えてた」という。中でも面白かったのは、他の「見える」ものとは何か違うものが見えていたこと。「ゴリラみたいなのが見えてた」と。ずうっとそのゴリラ的なのが不思議だったが、大人になり会社員になってから、あるつてで霊能力者(先生の師匠となる人)に出会う。その師匠に、「その変なゴリラは不動明王様だ」と指摘を受ける。また、「龍神も守護してるよ」と言われる。その師匠に、「お不動様&龍神様がバックにいるんだから、のちのちは私と同じ職業になるねwww」とも言われる。
先生曰く、先生自身は、「そういう『神の眷属』の道具」であり、「彼らのロボット」なんだとか。
師匠に弟子入りして能力を磨き、脱サラ。そのあたりから、透視(霊視のことだと思う)→浄霊(除霊ではなく、昇天させる)ができるようになる。
二階の部屋に上がる。五段のデカい神棚以外簡素すぎる室内。テーブルに知人と私、対面して先生。
先生、仕事着に着替える。紺色の作務衣。首に、坊さんが掛けるような模様入りのやつ。手に長い茶色の数珠。
何をするかと思ったら、右手の指でやたらノートに書いた名前をさする。この時点でもう「あーなるほどね」的な感じの先生。さらに画数も見る。それは意外だった。(ちなみに知人の画数は完璧で、しかも霊的にも何にも問題なし、とのことだった)
「自分のこと以外でなんかある?」とのことだったので、自宅について見てもらう。先生、住所をノートに書く。さする。
最初に自宅。
先生は神棚に向かいなにやらぶつぶつ言う。あまり聞き取れなかったが、なんとなくこんな感じだった。
先生「岐阜県〇○群〇○についてでありますが・・・不動明王様・・・龍神様・・・なんちゃらかんちゃら・・・・」
実家には特になんかあるわけではないらしい。が、「暗い」「若干淀んでる」とのこと。なので、「空気入れ替えまめにしてね」と。
次は私本人。
同じようにお不動様と龍神様に呼びかける。今度は数珠を先生自身の胸にバシバシ当てる。さらに背中にもバシバシ当てる。3~5分ほどそれを眺める。で、浄霊、つまり憑いてたやつの昇天(成仏?)終了。
私は特になんにも感じない。喫茶店で冷たいコーヒー飲みたいなあと思ってた。
先生曰く、憑いてたのは江戸時代あたりの女の不成仏霊(40歳くらい)だと。
結構長い間私に憑いていたと。そんで、私の生命エネルギーをちゅうちゅう吸ってたと。そりゃしんどーなるわ、と。でももう昇天させたので、これからは元気いっぱいになる、と。あと、私はごくごく弱い霊媒体質だと。
今後そういうのを遠ざけるには何したらいいかと聞いたら、「とにかく汗をかくこと!(循環・新陳代謝よくする意味で)」と言われた。「サウナは?」と聴いたら、「サウナ?サウナね・・・」と、ちょっと微妙な顔された。運動ですかそうですか。あとは、「よくわからないお地蔵さんとか微妙な神社とか祠とかに絶対に手を合わしたらあかん」と。他には他には?としつこく聞くと、「それ以外別にない」とのこと。ただ、「源泉かけ流しにかぎり温泉はいいよ」とのこと。下呂温泉はあかんらしい。まじか。
その後しばし雑談。色々聴いてみたことを箇条書きに。
・医者、特に精神科医の人は強くないとやられる。気付いてないけどすごいのを背負ってたりするらしい。
・仕事の対象は、「憑りついた不成仏霊」「邪気」「因縁」のみっつ。
・「邪気」とは、妬みや恨みとかの、その人に向けられた負の感情
・「因縁」とは、先祖がやらかしたことの報いみたいな。先祖が武士だった人に多いらしい。これが一番難儀らしい。
・この世は、霊格の高低色んな人がいる。神レベルの人から、しょうもないのまでピンキリでごちゃまぜ。
・だからこそ面白い、とのこと。あの世に行ったら同レベルのとしか関われないとのこと。
・死ぬ前一週間くらいにお迎えがくるらしい。
・自殺の場合はこない。むしろ、厳罰喰らうらしい。成仏できずさまよったり?する。
・木村藤子という人はガチ。ただ、客が殺到しすぎて力が弱まってるらしい。
・「生霊」というのはない。というか、それは「邪気」のことらしい。(生きてる人が憑りつくとかはないということ)
・「なんか知らんけど自分が元気になる場所」こそがパワースポット。有名所が自分に合うとは限らない。
はっきり言って今一つ実感はないのですが、「霊能師」という人に初めて対面したので、面白かった。
東鳴子にある馬場温泉。昔から地元民や湯客が利用してきた9つの共同浴場は、挨拶の場所であり、ふれあいの場所であった。46.5℃の源泉を持つその共同浴場の母ヤニキを渡して、タッカーでそれをバシバシと打っていった。すると、ビニールがはがれ、さきほどまで横殴りの雨の中のハウスの上で格闘瓦がボロボロで窓ガラスも割れて最悪…。湯は東京や横浜の温泉と同じような黒色透明だが、湯温は高く熱い。湯上がり後やはり硫黄臭が体に残りラミレスの娘であることが実感できる。
時間と戦う現代人の皆様に安らぎのひとときを与えてくれる。ジャッジではよっぽどでない限り怒ったり食い下がったりはしないとラミレスの娘に誓った。地元の方にも親しまれるゆったり寛げるピコピコブスという名のアフリカ中央部に住むゴリラは、人を含めた霊長類、いわゆるサルの仲間で最も大きいが、キングコングのイメージからするとかわいいくらいのものだ。露天風呂には循環の屋根付きの浴槽と源泉かけ流し浴槽がある。その日の気分に合わせてフレグランスを選ぶ楽しみを与えてくれる「アクチュアルプレーイングタイム」によって昨季よりもロングボールでのカウンター攻撃が減った鹿島がより深まるという意味で歓迎すべきことであり、今後もファンの楽しみを増やしてくれるようなショフトが公開されることを期待したい。