はてなキーワード: 氷期とは
島根県には、浜山砂丘、都野津砂丘、出雲砂丘などがあります。
大田・江津方面からは、国道9号「道の駅キララ多伎」の交差点を左折し、くにびき海岸道路を約6km行くと西浜大橋です。 松江方面からは、国道9号の差海郵便局の交差点を右折し、約600m進むと右手に神社があります。
鹿野和彦・竹内圭史・大嶋和雄・豊 遙秋、1989、大社地域の地質。
なし
幅1㎞,長さ3km。 平面的には,くの字型をしており,横断面型は東側が急で西側が緩やかな非対称となっている。 砂丘の表面は防風林として植林されたクロマツに覆われている。 海抜5mより下位は砂州(砂堆)でその上を砂丘が覆ったものである。 砂丘の最高点は標高41mに達する。 風化土壌が挟在する地点もみられるが,形成時期は後氷期と考えられている。 高さ・面積ともに山陰第一級の砂丘といえる。 砂丘砂の一部は鋳物用珪砂やコンクリート用材料として採取されている。
江の川を挟んで,江津市東部の黒松から浅利,江津を経て波子に至る20kmの間
江津市の都野津から敬川にかけて約4km続く都野津砂丘は最も規模が大きい。海岸に沿って走る浜堤を標高10m弱,幅200m前後の砂丘が覆う。砂丘の表面には防風林としてクロマツが植えられている。
浜山砂丘は出雲平野の西部にあり、海岸から内陸2km地点に位置しています。幅1km、長さ3kmで、くの字型をしています。横断面は東側が急で西側が緩やかな非対称で、最高点は標高41mに達します。砂丘の表面はクロマツの防風林に覆われており、砂州(砂堆)の上に砂丘が乗っています。形成時期は後氷期と考えられており、砂丘砂の一部は鋳物用珪砂やコンクリート用材料として採取されています。
都野津砂丘は江津市の都野津から敬川にかけて約4km続く砂丘で、江の川を挟んで黒松から浅利、江津を経て波子に至る20kmの間にある砂丘地帯の一部です。海岸に沿って走る浜堤を標高10m弱、幅200m前後の砂丘が覆っており、防風林としてクロマツが植えられています。
差海川河口の古砂丘で、大社の稲佐の浜から出雲市小田までの約14kmにわたって砂浜の海岸が続いており、その奥には緩やかな斜面をもった砂丘があります。島根県で一番長い砂丘地帯です。
そうだね、再エネって電力自由取引市場との組み合わせで「あっちこっちで発電してる電力が総量として需要をまかなう」「広域・分散型のネットワークが全体として可用性を保障してる」という考え方に基づいてて、今のところは地域別・時間帯別で見たときに不足する電力は原発他とのエネルギーミックスでまかなうことでこの仕組みが成り立ってる。再エネと原発が補完的関係なんだけど、EDFの収支を見るとわかるように、この補完関係では今のところ原発が割を食ってるんだよね。で、「採算合わないからってどんどん停止して大丈夫なのか」という問いに対しても明確な「大丈夫!」があるわけじゃないので、そこについて慎重論が出るのはわかるし、自分も理解する。
核融合は自分も期待してるんだ。というか、正確に言うと希望を捨ててないというところかな。次の氷期の前に核融合技術を完成させないと、人類はもう次がないから…。核融合ブーム:人類の聖杯
ただ、その核融合技術ですら、純粋な経済的コストの問題のせいで再エネに事業化を阻まれてしまうかもしれない。今後は爆安の太陽光パネルやシート型のペロブスカイト型電池が地表や建造物や海面にどんどん展開されていく。で、気候が安定してる期間は再エネのエネルギーはメリットオーダーでの最安値を維持できちゃう。新たな発電方式は、その低廉なコストを超えない限り商業化が難しい。今の技術開発フェーズが今後「採算性なし」って理由で止まらないことを祈ってる。
小氷期について調べるんだ
もともと核融合は、地球人類史における最後の聖杯みたいなところがある。
人類は実用的なエネルギー源としてまだ化石燃料(ウラン含む)・日射(太陽光・太陽熱・副次効果としての風力含む)・地熱・潮汐力以外を手にしてない。化石系は量的制約があり(ウランですら170年で枯渇すると言われている)、その他の再エネ系は環境要因(たとえば周期的な日射量減少)で利用困難になる。
その点、DT燃料ベースの核融合は、資源量的には約1千万年分の恒久的エネルギー源になる。だから、核融合発電が実用化できたら、人類の生存上の課題(エネルギー・食糧・環境)の多くは解決してしまう。食糧生産もエネルギーを投入すればよいし、環境問題もエネルギーを使って対応すればよい(温暖化期はCO2を分解すればいいし、氷期には熱やGNGを作ればいい)。これらの問題が解決できると、その先には遂にテラフォーミングと宇宙植民というマイルストーンが見えてくる。人類は地球環境変動を経た後も次のステージでゲームプレイを続け、ネゲントロピーを維持することができる。
逆に実用化できなかったら、人類は次の氷期(ミランコビッチ・サイクルで5万年後)にはエネルギーと食糧の不足によって滅亡するか、それに近い状態まで衰退する。ウラン含む化石燃料や各種資源が枯渇し、日射量が低下した状況で、地熱と潮汐力だけでできることには限界がある。限られたリソースはすべて種の生存に振り向けるしかなくなり、人類の次のステージ=宇宙植民への道は閉ざされる。
核融合をモノにすれば、種としての持続可能性が飛躍的に高まり、モノにできなければ、冷える地球に留まり続けた後に存続を終える。核融合ができるかどうかが人類の命運を分ける。そういう意味での聖杯。シムシティでもそういう位置づけだった。
だから人類という種の未来のことを考えはじめた、エネルギー保存則を理解できる程度には賢い人間は、必然的に核融合の問題に行きつく。AI研究者やテック企業のリーダーが核融合の話をする。老境にさしかかり、死と自分が残せるレガシーについて思いをめぐらす政治家たちも核融合の話をする。資本主義を徹底した先に人類の新たな時代が来ると信じる加速主義者も核融合の話をする。個体としての人間の有限性を認めつつ、種としての人類を生き長らえさせることに希望を見出す人間たちみんなが、この聖杯を追い求めている。
今の核融合ブームは、何か抜本的な技術進歩があって実現性が一気に高まったからというよりも、上のような人達が「人類がこのステージをクリアしてプレイを延長するためには、核融合カードを入手するしかない」という冷徹な事実に気づいた結果であり、その意味では、人間という高等生物なりの叫びと祈りなんだろうなと思う。
今のドラえもんは2112年生まれだけど、初期の頃は2012年生まれという設定だった。当時の基準で考えても2012年にあんな未来が成し遂げられるというのは無理があるのでは?と思うかもしれないが、ここにトリックがある。初期の頃のドラえもんでは現代の年がすべて昭和で表記されていた。この昭和表記が曲者で、作中のカレンダーを拡大してみると昭和44年(1712年)と書かれている。つまりドラえもんにおける現代は1712年で、未来が2012年というカラクリになっている。1712年の時点でテレビも車もある世界線だから、2012年に猫型ロボットが開発されても不思議でないわけだ。こちらの世界線ではハーバーボッシュ法が数百年早く発明されている。この違いは大きい。多数の餓死者を出した14世紀半ばから19世紀半ばの小氷期を化学肥料の力で乗り越えられるからだ。それにより人類は足踏みせずに済んだ。