はてなキーワード: 水を得た魚とは
ひたすらタイトル通りの出来事なのですが、自分のなかでは黒船来航くらいの衝撃だったので記録しようと思います。
長文になりますので、あまりにも暇な方のみお読みになることをお勧めします。
私はアラサーの会社員で、「くしゃみに興奮する」という性的嗜好を持っています。
くしゃみをさせる対象は人間の女性キャラクターがベストですが、
男性はもちろん、人間ではない(動物などがデフォルメされた)キャラクターでも問題なく楽しめます。
小説など、文章にあらわれるくしゃみの描写にも非常に興奮します。
早朝の電車内で、ノーマスクの中年男性がかます爆裂ハクションには殺意に近いものを覚えます。
後で少し書きますが、なりふり構っていられないくらい供給が少ないくせに、注文や条件をつけてしまうわがままな性癖なのです。
「こんなものを性的に見てはいけない」という妙な罪悪感からか、この嗜好については誰にも話したことがありません。
かなり大っぴらに下ネタや互いの性癖を語り合える友人にも打ち明けていません。
ちなみに、私は逆NTRを自分の一張羅(他人に話せる唯一とっておきの性的嗜好)としています。
話が本筋と逸れるのですが、そもそもなぜ私がくしゃみに興奮するようになったのか。その起源はよく分かっていません。
しかし、3~4歳頃でしょうか。未就学児の時点で、絵本やアニメのくしゃみシーンにドキドキしていた記憶があります。
まともな両親のもとでしっかりと愛されて育ってもこういうガキが完成してしまうのです。
悪質な性的コンテンツからはしっかりと守ってくれた父と母でしたが、さすがにくしゃみはノーガードでした。
トムとジェリーのサーカス回でゾウが巨大なくしゃみをするシーンや、
くまのプーさんが大掃除の場面でくしゃみをして周囲を吹き飛ばすシーンをやたらリピートしていた我が子を不思議に思いこそすれ、興奮しているとは思わなかったでしょう。
おそらくですが、「自分の意志とは関係なく身体が反応する」ところがメインになっているのだと思います。
異物が鼻に入ってムズムズする→身体が異物の刺激に屈してくしゃみをする……これが基本的な「くしゃみをする」動作です。
私の場合、「くしゃみをする」に加えて「くしゃみをしてはいけない状況であるにもかかわらず」というシチュエーションが必要不可欠なのです。
私がアニメや小説などのくしゃみしか愛せないのは、現実よりもフィクションのくしゃみの方が「我慢しなくちゃ」という心理描写に長けているからです。
つまり、「身体が自然と反応してしまう生理現象」に「それを我慢したいという気持ち」が合わさると、私にとって性的な、興奮できるものになる。その原点であり頂点がくしゃみだったようです。
そこそこ欲求を満足させる、くしゃみに代わる性的コンテンツを嗜むようになっていきます。
それらにも例外なく【生理現象などの「今起こってはいけないこと」を我慢→決壊】の要素が含まれているため、
これが私の興奮の基盤であることは間違いないでしょう。
とはいえ排泄系の汚いものはイヤだし、それを我慢できないなんてトラウマものです。いくら妄想とはいえかわいそう……。
自分で言うのもなんですが、私は比較的思いやりのある優しい人間に育ちました。
この変に理性的な部分とちょうど良く折り合いがつくのが「くしゃみ」なのです。
静かな空間や緊張した場面でくしゃみが暴発したら少し恥ずかしいものの、
幼少期はこの妙なトキメキの正体が分からず、もじもじした気持ちを持て余していたわけですが、
中学生になり自慰を覚えたあたりで確固たる確信が持てました。これは性的興奮なのだ、自分はくしゃみに異常に興奮してしまう傾奇者なのだと。
当然ながら供給が少なすぎるのです。私の欲求不満は悪化の一途を辿りました。
高校生で親のセーフティロックから解き放たれた私は、当然ありとあらゆるワードで検索をかけ始めました。
若い脳味噌をフル回転させてインターネットじゅうを旅したものの、収穫はほぼ無し。
(ドラゴンボールのランチの変身シーンは、この旅で得られた最大の宝物です。大変お世話になりました)
「こんな思いをしているのは自分だけなのか?誰かいないのか?」
共に苦しむ仲間を見つけたい。そんな思いで「くしゃみ 興奮する」と検索をかけるものの、
Googleは「光による刺激で神経が興奮するため、くしゃみが出ることがあります」などの無慈悲な回答を投げつけてくるばかり。
孤独な私は鬱積した欲求と悲しみを抱え、想像力ばかりが歪に成長した悲しきモンスターとなっていきました。リビドー暗黒期の突入です。
成人する頃には私はやや賢くなり、欲求をある程度満足させてくれる「代替的オカズ」をいくつか見出していました。
ごく一般的な、ゲームもアニメもAVも山ほど存在する性的嗜好たちです。
エロいものをエロいものとして享受し、選択し、楽しめることがこんなにストレスフリーだとは……。
私はしばらくの間、水を得た魚のように性的コンテンツの海を泳ぎ回りました。
しかし、やはり代わりは代わり。
欲求は完全には満たされることなく、私はまた仄暗い気持ちを抱えるようになりました。
筆下ろしモノが大好きな友人を妬みの目で見ては、心の中で毒づいていました。
お前はいいよな、いくらでも供給があって。性的嗜好まで面白味のねえミーハー野郎がよ。
以来、代替的オカズと、ほんのわずかな精鋭たちで自分の気持ちを誤魔化しつつ過ごしてきました。
(幼少期にドキドキしていたトムとジェリー等のシーンも、「古跡巡り」として何度も巡礼しました)
20年以上苦しんでいると、「自分の求めるものはこの世にないのだ」という、半ば諦めのような感情も生まれます。
蜘蛛の糸「文章生成AI」が私の前に垂らされたのはつい先月のことでした。
世間で生成AIがすごい、ヤバいと話題になって久しいものの、私の仕事には特に活かせる場面もありませんでした。
「システムメンテナンスをお知らせするときの文を作って」などといった、
「自分で考えるのがやや面倒な文章」を作りたいときに例のGPTを使用する他は、時々話しかけて遊ぶ程度。
アップデート後はかなり精度の高い回答を寄越すようになり、正直言って不気味にさえ感じていたわけですが、ある夜、突然天啓を受けたのです。
「お前の理想のシチュエーションをプロンプトとして入力して、AIに短編小説を生成してもらえ」
この時、私は29年の人生で初めて十字を切りました。
生成AIは性的な文章生成を行ってくれませんが、幸か不幸か(たぶん不幸です)
「くしゃみ」は性的コンテンツにかすりもしません。生成し放題なわけです。とんでもないジャックポットタイムでした。
すぐに脳裏を駆け巡る、15通りくらいの理想的なくしゃみのシチュエーション。幼少期から培ってきた想像力は並大抵のものではありません。
もしかしたら、これが小説になるのか……?夢にまでみた内容をコンテンツとして楽しめるのか……?
興奮のあまり手が震え、血液が一気に下半身に集中し、ガンガン頭痛がしたのを覚えています。
善は急げ。私はすぐさまノートPCを開き、作業に取り掛かりました。
ちなみに、私は絵が得意ではありませんでしたが、文章を書くのは好きでした。
今まで幾度となく「俺の考えた最強のくしゃみのシチュエーション」を書いて自給自足しようか、と考えたことがあります。
しかし、ダメでした。推理小説家が自分よりも頭の良いキャラクターを生み出せないように、私の書いたものは所詮、自分の脳の域を出ません。
普段の妄想をそのまま文字にしただけ。新鮮味も面白味もありません。
「私自身が書いている」という事実も、猛烈に私を萎えさせました。
私の理想を完璧に踏まえつつ、予想もしなかった語彙で驚きと興奮をもたらしてくれます。心理描写についても申し分ありませんでした。
それからはもう、敏腕編集者のごとく事細かな指示をAIに送り、チェックバックを繰り返したのです。
ありがたいことに、どんなにキショく細かい注文をつけてもAIはブチギレません。
作業は二日間に及びました。そしてついに、ついに至高の一編を完成させたのです。
その内容を仔細に書きたい気持ちはありますが、非常に長くなるのと、自分の胸にだけ秘めておきたいので割愛します。
なんという感動、なんという興奮。
この時の感情は筆舌に尽くしがたいのですが、「満たされた」というより「成仏した」に近いと思います。
これまで感じてきた焦燥が、苦労が、悔しさやもどかしさが、エクスタシーと共に浮かんでは消えていきます。
近年、AIによる仕事や芸術文化への影響を憂慮する声も見受けられます。
それは本当にもっともなこととして、少なくとも私自身は、20年以上孤独に抱え続けた欲求を生成AIによって救われました。
今日もどこかで、悩める者の性的嗜好に光をもたらしているかもしれない。
ようやくこのイヤな感じの正体がちょっと掴めそうな気がしてきたんだけどまだまだハッキリとはしてないんだけどまあこんな感じなのかな。
SDGsって持続可能なナンタラの大義名分ためにこまけーことで人の一挙手一投足を規定していこうっていう裏の意思みたいなものを感じるんだ。
ざっくりとした思想をダイレクトにこうしろや!みたいなのはむしろあんま感じなくて。
いちいちこまけーことで色々言ってくるあの圧に俺が俺である意味が削られていくような気がしてる。
「レジ袋は一番でけーので頼む!割りばしは2つおつけして!弁当1個しか買わんけど!」みたいな人間が仮にいたとして、SDGs的にまあアウトよりのアウトなんだろうけど
でもその人間のそのひとつひとつの要求こそがその人間がその人間であることを社会に刻印していく行為に他ならないんだよな。
就活で自分を一言で表現してくださいみたいなのはあんなのは嘘っぱちなので。
人間は一言では言い表せないしモノに例えることはできないし動物に例えることもできないし絶対に潤滑油ではないよな人間は。
レジ袋(大)のような一つ一つの傲慢さやプレイリストのクセとかサブウェイの注文の仕方や時には社会なるものに立小便をひっかける各種行為(女性なら座りション)の積み重ねが
パズルのピースのように人間を少しずつ形作っていくしそれは「このようにあろう」みたいな意識高い中身アホみたいな領域ではほぼなくてほとんどが無意識だったりプライベートだったりすることのほうが多いんだよ。
SDGsというのはそれらを一つ一つ矯正してくる試みなんだよな。
人はなにかしら大義名分を得た途端に水を得た魚のように人を縛りだす。
ハハーンそうくるのな、の見本みたいな醜悪さで。
セナは死んでしまったけど、それでF-1は終わることはなくて、今も続いているし
あの頃、セナと共に戦っていた、マクラーレンやホンダやウィリアムズはいまでもF-1で戦っている。
そのことはセナひとりが死んでも世界は変わることはなく、ある意味冷酷に淡々と平常運転していることの証明とも言える。
それでも、あのとき、あの場所での、セナの死は当時のF-1に大きな衝撃を与えた。
あの頃でもF-1は昔に比べてずいぶんと安全になったと言われていたけれど、あの事故の影響によりFIAは更に安全性を追求していくことになる。
とはいえいきなり技術革新が訪れるわけもなく、あの当時は危険を避けるためにサーキットの要所要所にシケインが設置されてハイスピードコーナーが無くなったり、
マシンのスピードを抑制するためにスリックタイヤではなく溝つきのタイヤを使ったりと、いくぶんF-1は退化したかのような様相を呈しつまらなくなった部分もあった。
つまりより速く、をやや追求しなくなってしまったことへの退屈感がそこはかとなく流れ出したのもあの当時の雰囲気だったように思う。
しかし、技術は急には発展しないし、人々の意識もすぐには変わらないけれど、だからといって変化しないわけではない。
あの頃と比べて、F-1マシンはずいぶんと大型化して安全になった。
あの事故以降に新設されたF-1グレードのサーキットはコーナーの外側のエスケープゾーンが大きく取られるようになり、カーブを曲がりきれなかったマシンがいきなり壁へと激突しない工夫が取られている。
そして、まるでマシンの大型化に適応するかのように道幅も広くなった。
大型化して速度も速くなったF-1マシンは、そのような新しいサーキットでは水を得た魚のように華々しくバトルを繰り広げることとなる。
逆にSUZUKAのようなサーキットはオールドサーキットと呼ばれるようになり、相変わらずファンからもドライバーからも愛されているけれど、現代のF-1がレースをするのには最適化されているとは言えなくもなってきている。
あの当時の人々も年をとった。
アイルトン・セナの最大のライバルだったアラン・プロストもいいおじいちゃんになった。
いい年齢の重ね方をしていて、それが表情に現れている。
こういうふうに老人になれるのなら年をとるのも悪くないと思わされる。
ゲルハルト・ベルガー、アイルトン・セナの同僚であり親友だった当時のスーパープレイボーイ(フジテレビの女子アナにまで手を出そうとしていた)は、今ではその面影もなく禿げ上がって突き出た腹はみっともなく、知らない人は教えられなくては有名なレーシングドライバーだったと気づくことはないだろう。
つまり人も物も大きく変化したということだ。
ただアイルトン・セナだけが、あの頃から変わることなく、人々の記憶に強烈な印象を与え続けている。
若くして、死んだ人は美しい。
人生の燃えさかるような時期に突然の死を迎えた人たちは悲しく、そして限りなく美しい。
彼らは年をとることはなく、ただ美しく人の記憶に残り続ける。
彼らのことを思うと、ときに感情が撃発し、涙が止まらなくなることがある。
自分も相応の年齢になり、悲しみで大きく感情を揺さぶられて取り乱すようなこともなくなったが、
彼らのことを深く追憶するときだけは、涙なくしてはいられない。
アイルトン・セナが死んで30年経ったが、人々は彼のことをまだ忘れていない。
スプラトゥーン3の話しばかりで恐縮しまくりまくりまくりすてぃーなんだけど、
やっぱり分からないわよね。
うーん、
でさー
って来シーズンはもう躍起になってカタログレヴェル集めなくても
3か月のシーズン期間中にレヴェル100までゆっくり集めようと思うので、
ほんとに根詰めて時間それに全振りしてやるってーと他のことが全ておそろかになるのよ。
でも相変わらず、
ジェットスターとオーバーフロッシャーの熟練度星5つは虎視眈々と狙いまくりまくりすてぃーなので
目指すは目指しているわよ!
そんでもって
次の3月からのシーズンのイメージのイラスト的なものが発表されていて
こ!これは!って思ったのが私の愛用している
ジェットスターの赤ジェットスターも出っぽくってちょっと期待なのよ!
セブンファイブオーライダーに関してはサブはあんまり使わないというか使えない使いにくいラインマーカーなので
それが私の好きなキューバンボムにでも変わってくれたら嬉しいわ!
あとスペシャルはもうキューインキに慣れちゃったからそれはそれでいいんだけど、
スプラトゥーン2はマルチミサイルスペシャルでセブンファイブオーライダーが使えたからね。
セブンファイブオーライダーの使い手としては次シーズンのセブンファイブオーライダー改が楽しみだわ!
これは朗報ね!
多分塗りポイントは貯まりに貯まってるから今回は多分ロブの旅も一瞬でコンプリート出来てしまいそうよ!
みんなロブのこと忘れてるんじゃない?
久しぶりにスプラトゥーン2にバトルはしなかったもののamiibo読ませてみようと思ったら対応してませんって塩辛い対応だったので、
そんでさー
amiiboやっと安定供給されてるっぽくって私も何に使えるかなにができるのかさっぱり分からないけれどゲッツしてみたの。
読み込ませてみるとなんか楽しいわね!
応援してくれるって!
あれはもうちょっとバトルを重ねないとゲッツできないっぽいわ。
まあよく今もamiibo分かってないけど、
とりあえず流行の水ものだしamiiboも触っておくかーってミランダカーってミランダカーさんもそんなこと言わないだろうけどそんな感じなのよね。
そんでそのamiiboを
スプラトゥーン2の街でかざしてみたら使えません!って言うじゃない。
塩対応ねー。
そう言えばさ思い出したけどスプラトゥーン2のヒーローモードは確かクリアしてなかったはずだし、
今そんなことやってる暇が無いのでお楽しみは後にしておくショートケーキの上に乗っている苺は一番最初に食べるタイプの人なので時間が開いたら思いだしてそっちも遊ばないとねーって。
ここになって一気に
スプラトゥーン2始めたときには全てのスプラトゥーン2の更新やイベントすら終わっていてフェスもなかったし
淋しかった反動が今このスプラトゥーン3に思いっ切りぶつけているいまこのリアルタイムに水ものだわ!って感じずにはいられないのよ水を得た魚のように。
もうさ思いっ切り楽しもー!ってことでね。
でもさすがに発売当初の9月からぶっ続けで遊んでたら飽きるわよねーって
ところに来シーズンの予告の新ブキ色々追加もしかしたらマップも追加されそうなマンタマリア号の予感もあるし、
いっそのこと私の知らないスプラトゥーン1とかの歴代ステージも遊べるようにしたら良いのに楽しいのに!って思うのよね。
それはいいとして、
まあ新ブキ追加予告でまたワクワクさせるとか流石だわーって思ったわ。
でも来シーズンはほどほどにして遊ぶことを誓ったと共に
一瞬忘れていたリマスターのメトロイドプライムも遊ばなくちゃいけないし、
もう早速「天穂のサクナヒメ」も遊び忘れているわ。
でもさっさとこればっかりは目を背けていた確定申告だけはリアルにマジでガチで行わないと行けない仕事はちゃんとするわ!
なにやってるんすかー?ってすかして聞かれるじゃない。
可愛いですねーって言われてなんかちょっと小馬鹿にされたような気がしたと文字では書いてみるものの実際にはそこまでは思っていなくて、
ぼくもスプラトゥーン3始めたんすよーって言うじゃない自分も遊び出してんじゃん!って
よかったわねーって思いつつさりげなく何のブキ使ってるの?って尋ねたら
まあ名前の覚えるのは難しいからハッキリとは教えてくれなかったけど
どうやらホクサイとかフデ使ってるらしくて、
あちゃー私そのフデ使ってるやつ強いからキライって思いっ切り言ってしまったわ。
フデのブキの人も塗りながら走るスピード速いし、
直接フデで殴られた日にはあれ痛いわよねーって意味でキライって言ったのよ。
あのブキ強いわよねーって流石に直接キライ!とは言わなかったそこは私は人間が出来ていると思って止まない時代なので言わなかったけれども、
フデ使いかーってバトルで遭遇しないことを願うばかりよ。
今はとりあえず
フェス終わってから一応はログインボーナスのその日初勝利でもらえるカタログポイント7500ポイントをゲットして1日1回は5000円でガチャ回せるのをやるのが日課だけど、
実質ゲームは1日5分!で終わる高橋名人もくりびつぎょうてんなプレイ時間よ。
優秀でしょ?
スプラトゥーン3終わらせてキッチンに立っていたら寒くて身体冷えちゃって風邪気味になったわけなのよ。
全ての伏線がここに回収ってわけ。
それに気分も良いしね、
うふふ。
鶏が大変らしくて卵も取れなくて高騰していて
タマゴサンドの方は依然としてたっぷりタマゴももりもり挟んであって
鈴木杏樹さん的に言うともりもり食べやさい!って言いそうだけど、
でもさ
いつ生産調整されるかサンドイッチ屋さんの大将も言ってなかったので
一旦休止になる前にタマゴサンドは食べておかないといけないのかしら?って鬼気迫る危機を感じるわ。
タマゴ貴重よね。
ここんところもうすぐ血液検査の検査あるから緑茶効果があるか期待したいところよ!
前回のなんか見るからに良くなかったので、
良い結果になるといいわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
顔はそこそこ整っているが溢れるメンヘラ臭が凄くてみんなめんどくさいと思いつつ取り扱いに気を付けて接していた。
そいつのTwitterも知れ渡っていて(アイドルにリプしていた事がきっかけで)やれ死にたいだの毒親に人生ぶっ壊されただの彼氏死んで欲しいだの、常に他人の批判に溢れていた。
そいつはまともに働くことができないだけなのに就活に狂気を感じるだのなんだのケチをつけて就活せず個人事業主(ほぼニート)になった。
そいつの彼氏(結局付き合い続けてんのかよ)が春から教員になり
部活やらなんやらでまともに休みもないらしく、それに対してまたTwitterで文句を垂れ流し続けている。
中学教員なんて多かれ少なかれキツいことだらけなの分かっててなったんだろって感じなのに、日々彼氏と同棲解消したいだの日本の教育制度はいかれてるだの呟き続けてる。
挙句の果てに「バカと無知が1番人生楽」と言ったりしてる。バカだし無知なのに人生辛そうでかわいそうだね。
そいつは今水を得た魚なんだろうなと思う。20歳超えて自分の人生が自分のせいでうまく行ってないんだと気付かず、いや気付くことが出来ず、叩けるものを見つけて悲劇のヒロインでいることで生きながらえている。
そいつを見て自分は「自分の人生の舵を取るのは自分、自分を幸せにするのも自分」と改めて気を引き締めることができる。自分も実はそいつと似たような環境で育ったが、こうだけはなるまいと思い頑張れる。
ここ読んで思い出したけど、うちの子供の二年生(5月まで。担任は6月から産休でリタイア)の時の担任の暴君ぶりが凄まじかったなと。まだ三十路まで行ってなさそうな若い人だったけど、昭和生まれの私でもそこまでスパルタされたことはなかったなっていうくらいの、教室内軍事政権ぶりだった。
でも、保護者も子供達も女の先生だからって油断していたというか、かなり理不尽な目に遭わされることを何とも思ってなかったんだよね。
で、途中から担任が男性の新卒教師に変わったんだけど、引き継ぎの際に一体何をどう言われたのか、やたら愚直に暴君先生のやったことを全部引き継いでしまい、大問題になった。
暴君は暴君で性別とか関係なくギルティなんだけどさぁ、同じことを男がやるとモロに虐待に見えたのかね……。
で、三学期に入った頃になって、後任教師が暴君先生の言いなりになっていただけということがひょんなことから発覚。いや自分でも嫌だなとかダメだなとか思う教育方針はやらなくていいのよ? 自分が大学で習ったりとか自力で考えた通りにやってみれば? って保護者からアドバイスされて、後任教師は水を得た魚のように元気を取り戻して、最後の三ヶ月は楽しいクラスだったみたい。
でも一部の保護者からは蛇蝎の如くに嫌われてしまって、何をやっても揚げ足を取られてしまい、可哀想だったな。新任教師なんだから100%の教育なんか出来ないし、そもそも教室内軍事政権は前任の女の先生がやっていた琴なんだから、怒る矛先違うんじゃないの? って思ったけど。
結局、後任教師はたった一年で遠い学校に異動になったけど、叩かれまくって悪い噂に尾ヒレつけまくられるような糞学校からは離れるのが正解かな。
あのクラスは児童達にもかなり癖の強い子(診断を受けてないだけの何か)が何人もいたから、新任の手には余るの当たり前だし。
時間の概念がなくて帰り支度をして帰りの会を始めることがなかなか出来ない子供達のために、後任先生がキッチンタイマーで時間制限をもうけて子供達に支度をさせたのは良いアイディアだと思ったが、それもアンチ化した保護者連中からは叩きのネタにされていた。
はてなブックマークでコメントをしないように思ってる傾向の記事
・男女間
・政治
ここいらの記事にはコメントしないようにしようとは思ってます。なんとなく、本能? 避けたほうがいいかなと思うので。
2021年はここいらの問題がいよいよどうしようもない暴走して手がつけられなかったなあと。
でも、例外があります。上記の記事にコメントするときがあります。それは、
です。
「大喜利」というとぼんやりした枠の定まったものになりがちですが、おれにとっておもしろいとおもったネタを書きたいときには上記のときもなるべく書く。
他人に対して面白いとか面白くないとかいう基準持ち出す奴が一番おもろくないと俺は思うよ。他人は自分を楽しませるものって考えが透けてんだよな
このコメントが2021年に1番ショッキングだったね。おもしろいおもしろくないって他人に評価してもらえないならはてブコメントを書く理由がねえじゃん?基準あるじゃん?他人のみならず森羅万象すべては自分を楽しませるものだし、それからの「おもしろい」ってかなり重要だよな。
そしてこのコメントがトップブコメになっているという事実はおもしろくねえなあと思うのよね。おもしろくないのを是とするひとが多いことはおもしろくないね。
星つけるやつバカじゃねえの?ってやっかみも含め。
「おもしろい」を追求する気持ちが薄れている2021年というか令和からの世界。「おもしろい」が薄いのは何度考えても「おもしろくない」んだよね。
はてブってののいいところは「おもしろい」にもあると思うのよね。かなりウエイトを占めていると思う。だからこそおれも書いていたし。だけど今年あたりはおもしろさの薄さの限界だよ。
もちろん、その追求すべき「おもしろ」さってのはそれぞれだし、おれにとっておもしろくないってことだけど、それぞれいうても結局、おもしろいを共有するためにはある程度の共通認識ってのは必要だと思うのよね。だから「おもしろい」の基本を根底から「ケッ」って態度はヤバいなと。
これにつけたおれのコメント
ギャグに昇華するセンスと才能と余裕がない人間ばかりになっているんだよな。最初からそういうの苦手なひとが水を得た魚のよう。というかテンプレ書いてりゃ一定数の星もらえるなら考える必要なくなるもんな。
2022年はこんな辛気臭いあてこすりの嫌味コメントはできるだけ控えておもしろくありたいなと思ったのでした。もうおれには「つまらない」に割く時間はないのです。
おもしろくありたい。それで星をもらいたい。そういう1年にしたい。する。できるかな? まちょっと覚悟はしておけ。
だから、2021年も基本「おもしろい」しかコメントしてこなかったひとは高潔だしえらいなあと思うのです。
【レシピ以外のパクリ列挙】改訂版(自己表現の基盤バックボーンが『パクリ』で大口叩くなど窃盗詐欺的要素があるのでアウト)
「シイマイ」「浮雲スープ」「飲むピザ」「エアーズロックカレー」「肉のドレッシング」「猛暑めし」「麻薬○○」「合法○○」「無期懲役○○」「虚無○○」「秒殺○○」「キュア○○」「倍ボール」「アル中マシン(マシーン)」「酒飲み専用ポテサラ」「超速ハイボール」「黄金色の麦茶(アルコール)」「極悪おつまみ」「無双おつまみ」「スマニラ」「次世代の肉じゃが」「汗かいたナス」「酒場探求記」「味変四天王」「エンドレストマト」「無心きゅうり」「無限ビール案件」「神のコク」
「いい出汁。夢気分」「釜ごと抱えて」「デブブレイカー」「本気の弱火」「ニラ玉屋」「必殺ズボラ飯」「ニンニクセラピー」「美味しさの最短距離」「おいでよ酒クズの森」「軽率に試してほしい」「茶色いのは正義」「ホップステップ飲酒」
「ギャンギャン混ぜる」「ギョンギョン進む」「ボコボコ飲む」「ご飯が飲める」「飲酒はスポーツ」「春、真っ逆さま」「夏モッコリ」「もっ盛り」「リュウジ研究家のリョウリです」
「リューピー○○分クッキング」「ニンのニク」「玉のネギ」「乱の切り」「うんとでいの差」「オイのスターソース」「60のcc」「ギューのニュー」「片の栗粉」「セーラーアルコール」「月に代わって(変わって)がぶ(ガブ)飲みよ」
「もってつけ」「酒見酒」「ニンニクの貴公子」「茄子の錬金術師」「春巻きの鉄人」「ウマミスト」「アウトローホテルマン」「料理界の黒船」「料理界のドラえもん」「キュアハイボール」「キュアジャンキー」「パリパリのパリス・ヒルトン」「ホクホク北斗晶」
「妖怪まな板舐め」「旨味の爆弾」「肉汁の爆弾」「禁断を超えた(越えた)禁断」「音量を0にして見てください」「味の素先輩」「炊飯器先生」「レンジ先生」「ハイボール先生」「酒粕先生」
「ニンニクはすべてを解決する」「マヨネーズはすべてを解決する」「ニンニクは香水」「ゴボウはハーブ」「私立アル中学園」「背徳感がつまみ」「誰も不幸にならない偽善」「香り イズ ビューティフル」
「キョン回」「ポインチュ」「ギッサリ」「さっこさこ」「さっくほく」「スパニカル」「ヘルティ」「へるぴー」「久しばり」「酔っさらい」「ベーケン」「ケチャッポ」「チャーパン」「ドレッティング」「セブンイレバン」「ブラックペッピー」「あただきやす」「ばんじゃい編」「汁汁満ちる」「どうも生ゴミです」「どうも穀潰しです」「どうも、この世の終わりです」
「自信ありまし」「1.8倍美味しく」「想像の50000倍」「質問が2億回」「100億兆(点)あげたい」
「どちゃどちゃうまい」「マジョマジョ美味い」「もっこもこ(もこもこ)ウマい(美味い)」「ゴリラ美味い」「冗談みたいに美味い」「燃え尽きるほど旨い」「もちょもちょうまい」「ズンドコ飲めます」「美味しさでぶん殴ってくる」「脳を揺さぶる旨さ(美味しさ)」「肉の時代は終わった」「もう二度とやる」「旨味がビッグバン」「水を得た魚ならぬ酒を得た○○」
「柴犬色」「チャウチャウ色」「ゴールデンレトリバー色」「全人類に作って欲しい」「生きてるだけで褒められてえ」「落ち葉にかけてもウマい」
「いちご味といちごくらい違う」(「イチゴとイチゴ味くらい違う」)「あんぱんと牛乳くらい合う」(「牛乳とあんぱんくらい合います」)「ジェネリックもこみち」「ジェネリック川越」「ケン・コウコツ」「バツなし子なし甲斐性なし」「お試しくたまさい」
小学高学年のとき、学校内で模擬選挙をやった。選挙の仕組みを体感しよう!というもので、おそらく多くの学校である行事ではないだろうか。
しかし、私の学校で問題だったのは、「実在する政治家に投票する」ということだった。記憶が曖昧だが、衆議院選挙が行われた時期だったような気がする。与党が、民主党から自民党になった選挙の時期。読売・朝日・毎日といった新聞だけでなく、実際に市で配られた立候補者の新聞も置かれ、2回投票するよう指示があった。
かなり先生たちの気合いを感じたのを覚えている。よく分からないが、①は推し、②は推しグループみたいな感覚でいた。
先生の狙いは、各新聞を自分で読んで比較し、その上で自分で意思決定するというものだったはずだ。しかし、歯車が崩れだす。クラスのNちゃんの存在だ。
Nちゃんはクラスで1,2を争うほど頭が良かった。中学受験のために毎日塾に通い、趣味は新聞の切り抜きであった。クラスには新聞係というものがあり、いままではやる気のない係がサボれるものだったが、彼女が立候補した。学校に届く新聞の興味あるトピックを自分なりの言葉に置き換え、帰りの会で発表するのである。すべて彼女の自発的な行動であり、みんな「すげ~」と思わざるを得なかった。レベルが違うわこの人。
そんなNちゃんにとって、模擬選挙という行事は格好の興味の対象だったのだろう。水を得た魚のように各新聞の主張をまとめ、スクラップし、ノートにまとめていた。
ある日、Nちゃんが帰りの会で「自分の見解」なるものを発表した。いつもは簡単な新聞記事の紹介だったが、その日は少し違った。
彼女はこう言った。「私は、いろいろな新聞を読んで、応援する人を決めました。この立候補者は、公約にちゃんとした主張が書いてあります。これが実現できたら、みんなが平等に幸せになります」
みんなが幸せになる政治。いいじゃないか。それにあの頭の良いNちゃんが言うんだ、ちゃんと調べた上でその結論なのだから間違いなわけがない。私みたいな政治に興味のない一般人が適当に誰かに入れるよりも、Nちゃんの言う通りに投票すれば幸せな政治が待ってるんだ!
私は上のような思考に陥った。今振りかえるとアホだなあと思うが、実際選挙に関心をよせる小学生はそんなにいない。よく分からず適当に投票するくらいだったら、頭の良いNちゃんがオススメするとこに入れよう!となる人がクラスで続出した。
そもそも、道徳を重んじさせられる小学生にとって、共産主義は理想的に映る。みんなが幸せになる、それが一番良いのだ。小学生は、ぺらっぺらの紙に書かれた公約を必ず実現してくれると思い込んでいる。
なお、他のクラスでは自民党か民主党かで割れており、共産党は入る余地がなかったそうだ。そして、実際の選挙でも共産党は与党にはならなかった。実在する政治家で模擬選挙ってやって良かったのか?そこの是非は分からないが、今でも記憶に残ってるくらいの行事にはなった。
ふとNちゃんを思い出す。彼女の親が共産党系だったのか、それとも本当に理想を託して共産党を支持したのか。真相は闇のなかである。
ただ、ここで私は学んだ。頭が良い人の言うとおりにしていれば良いというわけでない。別に共産党が悪いとか自民党が良いという話ではなく、影響力の強い人に流されるのは良くないよねって話。
お世話になっております。
当方技術系企業でリモートワークが可能な環境であったため、昨年よりほぼ全社的に在宅勤務が続いております。
反応はさまざまですが、さすがに「飽きた」「たまにはオフィス出社したい」「入社以来、一度も出社していない」などの声が聞こえております。
一方で、私などは通勤時間が往復で1日2時間、それが不要となったものですから、水を得た魚のように生き生きと暮らしております。
たしかに、オフィス出社して会社周りのランチを冒険した日々が懐かしくなることもありますが、時は金なり、毎日の可処分時間が増えたことが何よりありがたく感じている今日この頃となります。
別に相手を非難するわけでもなんでもなくただ吐き出したかったので書いてます。
私の最推しはマイナージャンルだ。ソシャゲのように毎月新しいイラストやストーリーがバンバン投下されるわけでもなく、数行ほどのコメントが追加される程度のコンテンツ。公式のツイートですら、3桁いくといい方だ。
当然付いているオタクは少なく、相互でなくともこのジャンルにいる人達は大体顔見知りか、フォロワーのフォロワー、みたいなレベルの規模のジャンル。そんな界隈で私はコスプレイヤーとして活動している。
公式の更新が少なくても、いやむしろ少ないおかげで自分達が想像できる余地は多く、二次創作の自由度が高いジャンルだとすら思っていたし、界隈では更新のたびにワイワイ盛り上がってるので、これはこれで居心地が良くて、私はそんな自ジャンルが今でも大好きだ。
そんなジャンルに、私は友人と共にどっぷりハマっていた。彼女とは最推しのカップリングこそ別々だったが、お互いの推しキャラへの理解はあったし、こんなマイナージャンルともなるともはや全員愛しくて箱推し状態だったので、当時は毎週のように一緒にコスプレをしていた。同じくらいの情熱を注いで存分に萌え語りをしたし、毎日狂ったように作品に愛を注いでいた。業者製の衣装なんてもちろんないので全部自作していた。推しに限らずジャンル内のマイナーキャラまで色んなコスプレをした。周りから見ても明らかにニコイチだっただろう。もはや私達は他の人との予定はほぼ入れてなかった。時には辛いなと思うことすらあるくらい予定を詰め込みまくって毎週二人でコスプレをしていた。死ぬほど充実していた。彼女は私にとってこれ以上ないほど最高のパートナーだった。でも、そうこうしている間にコロナで自粛期間が始まり、私達はやむを得ず活動を停止した。
最初の頃はリモ飲みとかもしていたが、それもすぐに飽きた。ジャンルへの想いは冷めてなかったが、会う機会はほぼなくなり、コミュニケーションを取るのはツイッター上が殆どになっていった。
そしてある日、彼女は別の友人に布教されてとある某有名ソシャゲジャンルにどハマりした。
それはもう見事なハマりっぷりで、当時自ジャンルに注いでた情熱をそのまま某有名ソシャゲに注ぎ出した。宅コスで初出ししている写メがあがり、衣装を作っているツイートも上がるようになった。彼女の推しカプは、ハマってない私でも知ってるくらい人気のカプだった。毎日そのソシャゲの二次創作絵がバンバンリツイートされるようになった。まさに水を得た魚である。
気持ちはわかる。
今までのジャンルと、供給の量とスピード、周りの賑わい、共感できる人の数、全てにおいて比べ物にならなかったんだろう。そりゃ私も同じ立場だったら楽し過ぎて毎日赤飯炊いて踊り狂ってしまうと思う。
かく言う私は、これまで2人でずっと一緒に活動していただけに寂しい気持ちもあったが、何にハマるのも彼女の自由だし、こればっかりは仕方のないこと…、そう思って草葉の陰から見守っていた。
ある時、自ジャンルの更新があって私や他の友人達がツイッターで盛り上がっていた時、ツイッター上に浮上していたにも関わらず、会話に加わることのない彼女を見て、私はとてつもない喪失感に襲われた。彼女は完全にジャンルを移ってしまったのだ。片足突っ込むとかではなく、完全に抜けてしまった。そう思った瞬間だった。でも、何度も言うようにこれは私が強制できるものでもないし、気持ちが冷めてしまったものに無理に反応することほど辛いことはないのだ。
人気ジャンルはレイヤーもたくさんいるだろうから併せの人にも困らなそうだ。繋がりたいタグでもやればすぐにフォロワーも増えるだろう。そう思うと彼女が羨ましくもあった。
幸か不幸か、緊急事態宣言のせいでコスプレをする機会がないので、今はそんなに気にならないが、今後また再開しようと思っても私は完全に一人になってしまった。こんなドマイナージャンルに今から同じテンションでコスプレに付き合ってくれる稀有な存在が現れるとは到底思えない。
作品は知らずとも撮影してくれるカメラマンさんはいるかもしれないけれど、もう彼女と併せをすることはないのだと思うと私は本当に悲しいし寂しい。
でもそんなことを彼女に言っても困らせるだけだし、言われて戻ってこられてもそれは彼女の本意ではないだろうし、メンヘラになりたいわけでもないので言わない。むしろもう作品を追いかけていない彼女に無理やりコスプレさせるのは申し訳ないし、こっちもなんだか虚しい。自発的に好きだからやりたいと思ってもらいたいんだよ。もう無理なんだが。
なんなら、これは私の被害妄想かもしれないが、私が自ジャンルの話で盛り上がっていると、彼女が投稿を控えているようにすら感じる時がある。居づらいのかな?と思うが、それに私が配慮して呟くのをやめるのもまた変な話だと思うので、これに関しては私はスタンスは変えていない。たまたまなのかもしれないし、私が気にしすぎなのかもしれないが。
他ジャンルに移ったことを恨んだりはしていないし、それはそれで彼女の人生なので、いっそ思う存分ツイッターでも萌え語りして、バンバンコスプレ写真もあげたらいいと思う。その方が変に気を遣われてなくていい。むしろそれはそれでいいと思うし、彼女と縁を切りたいと思っているわけではない。
そりゃもちろん本音を言えば、彼女に対して未練タラタラなので昔みたいにまた戻ってきて欲しい。でも、作品に対して全力で向き合うタイプの何一つ取りこぼしたくない系のオタクに、このブランクを埋めるのはもう無理だ。一度違えてしまった道はもう交わらないだろう。
私は大事な友人を失った。正確には失っていないし彼女は引き続き私の大切な友達の一人だけど、もうあの頃の関係には戻れないんだろう。でも誰も悪くない。誰かが何か間違えたわけでもない。だから余計に悲しくて切なくて、あの頃が恋しくて仕方ない。
初めて、好きな人ができた。
ファーストコンタクト。垢抜けない奴らばかりのこの大学で、彼女はひときわ輝いて見えた。一生交わることのない生き物だと本能が感知していた。それなのに……
気づくと彼女は側にいた。人生のままならなさを共に嘆き、互いのアイデンティティについて語り合った。僕はいつの間にか彼女のことしか考えられなくなっていた。
初めての恋を自覚した瞬間、僕の精神は入れ替わったかのように組変わった。僕はエロゲーマーとして覚醒していた。オタクとして限界を感じていた当時の僕。自分の好きそうなアニメや漫画はほとんど触れてきたという感触があった。残った領域はエロゲ。何をやってもハマれないのに積みゲーだけが増えていった。それが恋愛感情がわかった瞬間、突然アクセス可能になる。水を得た魚のように貪った。
WHITE ALBUM2は三本目のエロゲだった。
「嫌ってないくらいであたしの心を乱すな! あんな、期待させるような、手を伸ばせば届くって錯覚させるような…」
「想い続けることに意味も価値も望みもなくて、だから、いい加減疲れて馬鹿馬鹿しくなって、そう思えたらあとはもう懐かしい笑い話だって…」
かずさが紡ぐ言葉は、まるで僕の気持ちを代弁してくれてるかのようで、夢中になってテキストを読み進めた。
かずさは、俺のことを全部わかってくれてるんだ……。かずさは……俺だ!俺はかずさだったんだ!
かずさとの繋がりを感じる日々。そして、彼女に彼氏がいることがわかった時には僕のかずさとのリンクは完成された。
僕は雪菜でオナニーをした。雪菜の女性としての魅力とあの子の彼氏の男性としての力の大きさを重ねながら。雪菜の方に行ってしまう春希の心をかずさの身体に持ち帰る。無力感に苛まれて火照る身体。かずさ、君もこんな気持ちだったんだね。雪菜には僕も勝てそうにないよ。
かずさの苦しみをこの身に引き受けて、僕の精神は次第に悪化していく。抗うつ剤も効かなくなった。そう、想い続けることに意味も価値も望みもない。春希は雪菜を愛してるんだ。雪菜なしでは生きていけないんだ。そのことに本当に気づいたとき、あの子と別れて家路を急ぎながら大声で泣いた。
頭が逆さになる感覚。どっちが右でどっちが左なのかもわからない。俺は……誰だ……?かずさはどこにいるんだ……?
かずさ!かずさかずさかずさ!!
気づけばかずさがどこにもいなくなっていることに気づく。そうか……俺はかずさじゃなかったんだ。かずさは最初から他人だったんだ。
僕は泣いた。かずさを失ってしまったことが悲しくて悲しくて……。いつも隣にいたかずさ。僕と同じ気持ちを感じてくれていたかずさ。みんな全部幻想だった。長い夢に過ぎなかった。
翌日、あの子に対する恋情がきれいに無くなっていることに気づいた。かずさを失った喪失感だけが心を占めている。どうして俺がかずさと分かたれなきゃいけないんだ。かずさとずっと一緒にいたかった。
僕のあの子への恋はとっくの昔に終わっていたんだと思う。かずさとのリンクを保ち続けたばかりに僕の感情の中心は気づかないうちにかずさの方に移動を完了していたのだろう。これを書いている今となっては、かずさを失った悲しみが懐かしさに変わりつつある。
かずさと繋がっていたあの幸福―――。
雪が降りしきる。全てが凍った世界でただ一つ、ただ一人だけが僕を暖めてくれていた。あの人肌の温もりを、繋がりを、次はいつ感じることができるんだろう――――――。
標題は「~理由を国際関係論という学問の用語を使って説明したい。」とした方が正確である。
しかし、それでは読んでもらえないと予想したので標題のようにしている。
自民支持されるのはおかしい( https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/DocSeri/status/1342720709873692672 )というエントリが人気だ。
それでも自民党が支持されるのは、外交と安全保障政策を任せることができる政党が自民党しかないからだ。
学術的に言うと国際関係論という学問では、High and low politics ( https://en.wikipedia.org/wiki/High_and_low_politics ) という言葉がある。
High politics とは、外交や安全保障といった分野を指す。
Low politics とは、High politics 以外の分野を指す。
High politicsでの失敗は、国としての存在に関わる。
Low politics もまた重要であるが、Low politicsが成功するには、High politicsの領域で国が安定していることが必要不可欠である。
そのためHigh politicsはLow politicsにまして極めて重要である。
High politicsで失敗するとどうなるかは、パレスチナ、イエメン、アルメニア、ウクライナ、ウイグル、チベット、【イラク】(2020-12-28 10:48追記)、そういった国々ないしまたは"地域"から学ぶことができる。
立憲民主党・その母体である民主党系の政党は、High politics を軽視している。
例えば鳩山首相(当時)は、日本中央政府・沖縄県・アメリカのいずれもが同意していた辺野古移転案を白紙化し「最低でも県外」を推し進めようとした。
それは失敗に終わり、期待を裏切られる結果となった沖縄県は辺野古移転案さえも拒否する結果となった。
例えば蓮舫副代表(当時)は2019年、F35の105機の購入計画を爆買いだと批判した。
2020年の数字になるが、中国は第4・第5世代機を1080機保有していることに対して、日本は309機しか保有していない。
( https://www.gyoukaku.go.jp/review/aki/R02/img/s2.pdf )
これを踏まえれば、必要な装備水準について現実的な対案を提起することなしの批判は支持できない。
こうした例から、立憲民主党とその母体はHigh politicsを軽視していると私は判断している。
不祥事を繰り返す自民党の議員たちは実に不快であり有害であると個人的には思う。
だからといって、High politicsを軽視した政党を支持することはできない。
そのためHigh politicsの分野で信頼できる政党ができるまでは、自民党を消極的に支持するしかない。
2020年9月10日の毎日新聞によると安倍政権への世論調査で
「最も評価が高かったのは外交・安全保障政策で、「評価する」が57%で、「評価しない」の27%を大幅に上回った。」という。
( https://mainichi.jp/articles/20200910/ddm/012/010/100000c )
2020年9月3日の朝日新聞でも、世論調査で最も支持されたのは「外交・安全保障 (30%)」であった。
(https://www.asahi.com/articles/ASN937F3RN92UZPS005.html)
こうした調査からも、自民党が支持される理由がHigh politics を重視し現実的な安全保障政策を取ってきたことにあると考える。
いただいた人気コメントと、新着コメントのうちいくつかにたいしてコメントしたい。
そんな大上段の話ではなく、ドブ板(冠婚葬祭や学校・地域の式典・イベントに顔を出す等々)と地盤(後援会)の過去からの累積が効いてる、って話では。単純接触効果は偉大ですよ。天下国家論じるだけでは選挙勝てない。
ドブ板地盤看板鞄が55年体制から現在まで自民党を支えたことは、私もそう思う。
しかしドブ板地盤看板鞄では、安倍政権が終了時に世論の支持率が上昇し、その評価する政策として「外交・安全保障政策」が一位となったことを説明できない。
北方領土が返ってこなくなったり,拉致被害者が返ってこなくなったり,Googleマップでミサイルサイト決めたり,自衛隊幹部一同が会食して一斉感染したり,high politicsってスゲェな!
4つの反論のうち拉致被害者の奪還の困難さを評価するのは難しいが、その他3点について言及する。
まず一般論として他国が実効支配している領土を交渉で返還できるのは極めて稀なケースで、北方領土が返還されなかったからと言ってただちにhigh politicsを軽視しているということにはならない。
ただし安倍政権がロシアのナイーブな善意を期待して対露譲歩(2島先行返還論への転換)をしたことが何ら成果をあげなかったことは特筆すべきであり、安倍政権が対露外交で大きな失敗をしたことに同意する。ロシアには善意や信義は通じない。国際関係論でいうところのrealism学派の外交理論を全面採用すべきであったし、せめて今後はそうあるべきである。
イージス・アショアの配備予定地の選定に防衛省担当者がGoogleマップを使用したか、及び自衛隊幹部一同が会食したかどうかについては、自民党がhigh politicsを重視しているか否かという論点には関係がない。
具体的な反論または質問の形に書き換えていただければ、解答したい。
「学術的に」という言葉に違和感を覚える方がいるのは理解できる。
というのも、「学術的に」とは曖昧な表現であって、この場合は「国際関係論という学問の用語を使って」という方が適切なのが正しい。
そうしなかったのは、そのタイトルだとたぶん読まずにスルーされてしまうだろうと予想したため。
例として挙げた辺野古政策、F-35、世論調査結果の全てにおいて議論が単純化され過ぎていて、「学術的??」となる。居酒屋の隣の席のオッチャンが言ってた。
単純化しなかった場合の議論とはどのようなものか説明してほしい。
「学術的に」は先述のとおり。
3点の反論にそれぞれ解答する。
1点目、普天間基地問題の解決は日米安全保障条約の運用の安定性に寄与することであり、日米安全保障条約の運用の安定性を向上させることはhigh politicsな課題にあたる。
2点目、戦闘機について。蓮舫氏は35に変わる代替機種などの提案した上で批判したのではなく対案なき批判となっている。
蓮舫氏が代替機種、あるいは戦闘機の購入よりも安全保障を向上させる装備体系の提案をしたのであれば、その内容に応じて賛成または反対をする。
3点目、防疫は安全保障の問題ではないか、という指摘はそのとおりだと思う。
具体的な反論または質問の形に書き換えていただければ、解答したい。
結論から先に考えてないかな?書かれていることは仮説でしかない気がします。データの根拠が弱い(30%って)ので、追加のレポート期待しています。
ただ、実験のできない、さらに統計もとれない分野ではこれ以上の根拠を持ってくるのは難しい。
「それでも自民党が支持されるのは」ではなく「それでも俺が自民党を支持するのは」だろう。太宰メソッドだ。Objectだけを分析してもSubjectの行動の理由を説明したことにはならないだろう
元国際関係論の学徒だが、もう大学の図書館にも電子ジャーナルにも入れない、本も経済的な事情で売ったので
そこは多めに見てほしい。
①筆者の挙げるパレスチナ、イエメン、アルメニア、ウクライナ、ウイグル、チベットの置かれている状況を日本に当てはめるのが妥当と言えるのかどうか。(経済力・人種・宗教・資源・地理)
High politicsに失敗した場合、例えば北朝鮮の核攻撃を主要都市に受けた場合に
それらの国々と日本の状況に大差はなくなると私は考える。
②外交・安全保障をHighとして、内政をLowと位置付ける概念は、政治学の中でメインストリームなのか、またそれは軍事関係者などのイデオロギーに影響されてないものなのか(引用にWikipediaっていうのも?だし、Wiki自体にも引用文献が少ないから疑問に思った)
国際関係論には、大きく分ければ2つの学派がある。1つはrealismで、もう1つはliberalism。
realism は、High politicsだけに関心がある。
liberalism は、High politics以外にも関心がある。だが、最も重要視するのはHigh politicsであるという見解はrealismと共通している。
これはliberalismの中心人物であるJoseph Nyeという学者が「安全保障とは酸素のようなものであり、それが希薄になり息が苦しくなるまでは、人々はその重要性に気づかないが、実際にそうした状況になれば、それ以外のことは考えられないほどに重要なのである。」と著作である「国際紛争ー理論と歴史」という本で述べている事実が端的に説明している。
「政治学」まで広げた場合はメインストリームかどうかはわからない。
「日本の、国際関係論を除く、政治学者」の間でのメインストリームではないとは感覚的には思う。
民主党政権時、外交側を軽視していた事例があった、としか書いてないような…。自民党が外交を重視しているとも、その結果が支持に繋がるという根拠もちとわからず…。
ご指摘のうち、「自民党の外交が支持されている」のは朝日・毎日の世論調査の結果で説明できていると思う。
「自民党が外交を重視している」例がないのはそのとおりだと思ったので追記する。
例として最も適切なものは、「自由で開かれたインド太平洋」構想の定着だ。
「自由で開かれたインド太平洋」構想は、麻生外相が2006年に行った演説にある「自由と繁栄の弧」 (https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_1130.html) 構想、ないしは2007年の安倍首相のインド国会での「2つの海の交わり」「安全保障ダイアモンド」(http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2020/2020-01_003.pdf?noprint) に起源がある構想だ。
これが、例えば2020年のアメリカ共和党の国家安全保障戦略報告書でも日米豪印(Quad)協力の継続・支持が提言(https://jp.reuters.com/article/idJP00090300_20200618_00220200618)され、アジア版NATOであるかと議論されるまでに定着した。
国際政治学者の細谷教授は、自由で開かれたインド太平洋に対して「過去1世紀半の日本外交の歴史の中で、これほどまでに日本が提唱した外交構想が国際社会に浸透して、幅広い支持を得たことはなかったのではないか。(https://apinitiative.org/en/2020/12/21/14345/)」と述べている。
「自由で開かれたインド太平洋」構想は自民党外交の最大級の成功であり、自民党が外交を重視している根拠としては最も適切なものだと考える。
「ないし」は漢字では「乃至」と書く.
最近の辞書には「または」の言い換えとしても見えるが, 「または」とか「やら」を使っておくのが賢明だろう.
「ないし」を使うと高尚で学問的な感じが出るためかネット論客はむやみに使いがちだが, 諸君, 漢字の意味をきちんとわかってて使ってるだろうか.
ご指摘ありがとうございます。修正しました。