はてなキーワード: 数学検定とは
新聞に、数学検定1級に最年少で合格した子のことが載っていた。11歳で
合格したんだとか…。数学検定1級といえば、大学教養レベルであり、合格率が
1割を切るという難関資格。とにかく凄いとしか言いようがない。
でも、もっと凄いなあ、と感じたのは、小1の時に、数学検定2級に合格した、と
いうこと。数学検定2級は高2レベルで、ベクトルや数列、複素数なども入っている。
この内容を小1で理解できた、ということが信じられない。
数学検定は1次試験が計算で、2次試験が記述式の問題になっている。百歩譲って
1次試験であれば、計算問題なので、公文なんかに通って訓練しまくったら合格できる可能性は
無くはないと思われるが、それでは2次試験には通らない。だって、2次試験は
問題の意味や数学的な概念をちゃんと理解しないと解けないようになっているから。
まず、小1だと、漢字が読めないのと、単語の意味が分からないのとで、問題文を読むこと
すら普通は不可能だろうし…。数学の能力だけでなく、一定の国語力も必要になってくる。
いったい、どうやってこの子は、そんな短期間の間に、数学力と国語力を磨いたんだろうか…。
何か、とてつもない才能を持ってるのではないか?と思う。
あと、これだけの能力を持ってたら、学校の授業がとてつもなくヒマそう。日本には
昔、自分が学生だった頃、今で言うと陰キャと呼ばれてるような奴らの集いが毎日のように教室でありました。彼らは放課後になると、今で言う陰キャの中心的人物が属するクラスの教室に集いました。
当時の作品はよくわかりませんが、いわゆるライトノベルを教室に持ち込んでは黙々と読んでいる人間でした。
私は、ガリ勉野郎でしたので勉強をする自分の横で軟派な表紙をチラつかせて読んでいる隣の男達(中にはちゃんとブックカバーをつけている人もいましたが)を気味悪いと感じながら過ごしていました。
自分は積極的には関わりませんでしたが、今で言う陽キャと言われるクラスの中心的な人たちは積極的にいじり倒していました。
オタク的CDを持ち寄ってきていたのか、今で言う陽キャの集団がそのCDをからかい始めました。その時に、今で言う陰キャの中心的人物が、陽キャの集団に対して「J-POPという流行らせたコンテンツに乗っかっているおまえらにはわからんよ」的な事をいっていたのを思い出します。
その時、初めて今で言う陰キャの人たちを理解しました。彼らは別に反発心や、満たされない日常を不満に思ってオタクをやっているわけではない。自分の無意識な価値観を揺さぶられたような経験でした。
彼らは別にオタクになりたくてなったわけではなく、自分が素晴らしいと思った物を突き詰めるにあたりオタクになっただけなのだと。
それは本質的には数学検定に必死になる自分となんら変わりなく、あくまでもその対象が外の人から評価されるかされないかだけなのだと。(数学検定が外の人から評価されやすい資格かはともかく)
その後、電車男が書籍として販売され、秋葉原がにわかにテレビで特集が組まれ、ニコニコ動画というコンテンツが生まれて、「オタク」はありふれました。
いやでもオタク文化が目に入り、パソコンを触っていればそこそこそういう知識は分かる程度にまとめられたコンテンツは増え、気がつけば水樹奈々は当たり前のように紅白に出場し、小林幸子は「千本桜」を歌うような時代です。
今のオタクは、言ってしまえば「J-POPという流行りに乗っかっている」当時の今で言う陽キャと変わりないのだと思います。
私はスマホゲームを良く嗜み、5chのスマホアプリスレで情報収集をしていますが、上記のことをものすごく感じます。
必ず「セルラン」「覇権」という言葉がどのスレにも出てきます。アニメであれば、「覇権」はよく聞きますよね。私はこの言葉がどうファン達に聞こえるのかわかりませんが、とても無意味ではないかと感じます。
なぜなら、オタクは流行に乗ってやるものじゃないと最初に話したエピソードで感じているからです。
いまでも語られる名作ゲームとしてデモンズソウルを例にあげます。私はデモンズソウルが大好きなのですが、このゲームはもうすぐオンラインが終了するということで最近またキャラを作っては嵐の祭祀場に通っているのですが、このゲームは覇権でもなんでもないですし、そもそも売上もじわ売れですし、どちらかというとダークソウルから入ってきた人のほうが多いのではないかと感じます。覇権でもないゲームなのに、名作として扱われ、ディープなファンがいて、ソウルシリーズとして続いていますよね。
だったら、アニメやスマホゲームで「覇権」「セルラン(円盤の売上)」という言葉が当たり前のようにでてくる現状ほど、オタクが「流行りモノに飛びつく人間」という意味になってしまっていると感じます。
同人誌で、簡単に描く作品を変えてしてしまう同人作家を「いなご」と言いディスる。
おかしなものです。オタク自体が「流行りモノ」を追いかけて移動しているのに、同人作家という発表者が流行りモノ(または流行りモノのついていくユーザー)を追うことを咎めるのは。
今でも真実か冗談かはさておき「なのは完売」という言葉を見かけますが、これほどオタクを象徴する言葉はないと思います。「なのは」という今では覇権でもなんでもないコンテンツが「すぐに売れてしまうコンテンツ」だと認識されているのです。
もちろん、作品を知る機会として「流行り」は重要です。しかし、コンテンツの楽しみ方までもが「流行り」であるようにしか今では感じません。
「オワコン」という言葉があるのがまさにコンテンツの楽しみ方が「流行り」であることの証明でもあります。
私が学生だった頃、教室に来ていた今で言う陰キャ達がどうなっているかは私にはわかりませんが、彼らは当時そうではなかった。私がみた「昔のオタク」像のせいで「今のオタク」がオタクに見えていないだけなのは重々承知していますが、今のオタクは当時の今で言う陽キャと同じ人種にしか見えない。
そして、当時、今で言う陰キャの事を気味悪がってたくせに、アニメやらゲームやらをやっている自分も、ただの「今のオタク」にすぎないのだろう。
中学校の時に一度躓いて、中学2年生の時には数学大っ嫌いで後期期末テストで18点とかいう壊滅的な点数を取ったわけよ。
心配した親が「なんでわからんの?授業聞いてたの?」と言うから「わからないところがわからない。なにを言ってるかわからない話を聞いてる感じ。」と言ったらビンタされた。
親は心配したのか、春休みの間だけ帰ってきている京大に行ってる隣の兄ちゃんを連れてきて勉強見てやってくれとお願いしてきた。
隣の兄ちゃんとは昔からものすごい仲良しだったので、すごく質問がしやすかったのを覚えている。
そこで、そもそも1年生の時から関数で躓いていたのを兄ちゃんが見破って、「そりゃ二次関数とか入っても無理だよ」と笑ってたのを覚えている。
もう勉強を見てもらうどころじゃなくて、授業。1年生の数学の教科書を引っ張り出してきて「わからないと思ったらわからなくても手を上げること」「俺は笑わないから恥ずかしがらないこと」って言ってくれて3日間ぐらいかけて1年生、2年生の数学を復習。
そこからは高校で数学検定ってのを準1級受かる程度には出来るようになっていた。
今思うと、あの時期に隣の兄ちゃんが数学を教えてくれなかったら一生数学を嫌いになって居たんだろうなって思う。当時の数学教師のことを恨むわけではないけど、とにかくこちらも見ずにただただ板書していくだけの先生だったのは覚えている。事実、自分が18点のテストは平均点が60いくつでこのクラスはとても低いですと怒ってたのは覚えている。
その躓いた生徒の救済処置みたいなのが塾なのかなぁって思った。塾行ってるやつはやっぱり点数よかったしな。
(追記)
ビンタについて
「バチーン!!」って感じの怒りのやつじゃなくて、「ペチペチ」って感じの呆れたって意味のビンタだよ。そこは心配してもらわなくて大丈夫。
数学だけじゃないよ について
これはそう思う。仕事もそうで、イケイケでやっちゃうとだいたい手痛いミスがあって、それがトラウマになっちゃって動け出せないことがよくあるし。
そもそも、自分は小学校の時から算数が好きだったので、算数=数学っていう頭ではなかなか自分が出来ないことを認めたくなかったんだと思う。そんなことをしている内に躓いたんだよね。
なんだ、ガキの頃と今、やっていることは変わってないじゃないか(絶望)
教師について
批判する意図はそんなになかった(三年で数学取り戻した自分には板書だけでスピーディに進んでいくほうが面白かったし)けど、まぁ、そういう意味にとっちゃったらすみません。
高校のときは先生が最悪だったと思ってたけど、仕事をしている今、学生のように時間が余っているわけでもない教師に個人レッスンまでしろってのは酷だと思います。部の活動とかもあるしね。
先生に聞きに行ったか っていうのは、だからそのわからないところがわからないから…え?わからなくなる前に聞け?だからわからなくなる予兆がわからな(以下、わからないところがわかるようになるまで無限ループ)
基本情報・応用情報・TOEIC800点・品質管理検定・数学検定・電検3種
多分まだまだある。
でも、ぜんっぜん研究できないし、しないんだよな。
就活にも場合によっては有利になるだろうし、受験すること、勉強することに関しては一切文句は無い。
ただね。
研究室に来てまでTOEICの本熱心に読んでたり、何かの資格試験の過去問を一生懸命取り組むのは間違ってると思うんだよ。
研究室のその席は、何のために与えられてるんだよ。
正直言って、後輩にも微妙に悪影響だ。
研究しない理由を、資格試験の勉強があるからと言われたらたまったもんじゃない。
それでも、昼にチョコっとやってたり、夜に自分のタスクが終わった後にやってるんならいい。
しかし、何故ゼミの時間や輪講中にそういう自己中心的な内職をするのか。
勉強ができる子って、勉強したらリターンが必ず返って来る資格試験って好きなのかな?
ただなぁ。
参考書に書いてあることを覚えるだけだし。
というアピールをした際は、その資格は自分の何のアピールなのかを聞かれるんだよなぁ。
ただスキルアップのために受験しただけだと、そういう突っ込みに答えられなくなっちゃうよ。
その資格を引っ提げて、鳴り物入りで社会に飛び込んで下さいという他ないか。
どうせハイハイ言うだけで結局人の話聞いてないんだし。