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2018-07-18

[] 東條英機麻原彰晃の相違点

 

遺骨と墓

絞首刑後、東條らの遺体は遺族に返還されることなく、いったん川崎市米軍基地に車を入れた後、午前7時半、横浜市西区久保町久保山火葬場に到着し、火葬された遺骨は粉砕され遺灰と共に航空機によって太平洋に投棄された。

小磯國昭弁護士を務めた三文字正平と久保山火葬場の近隣にある興禅寺住職市川伊雄は遺骨の奪還を計画した。

同年12月26日の深夜、三文字らは火葬職員の手引きで忍び込み、残灰置場に捨てられた7人分の遺灰と遺骨の小さな欠片を回収した。

回収された遺骨は全部で骨壷一つ分程で、熱海市伊豆山興亜観音に運ばれ隠された。

1958年昭和33年)には墳墓の新造計画が持ち上がり、1960年昭和35年8月には愛知県幡豆郡幡豆町(現西尾市)の三ヶ根山の山頂に改葬された。

同地には現在殉国七士廟が造営され遺骨が祀られている。

 

合祀

東條英機は自らが陸軍大臣だった時代陸軍に対して靖国神社合祀のための上申を、戦死者または戦傷死者など戦役勤務に直接起因して死亡したものに限るという通達を出していたが、彼自身のかつての通達とは関係なく刑死するなどした東京裁判戦犯14名の合祀は、1966年昭和41年)、旧厚生省(現厚生労働省)が「祭神名票」を靖国神社側に送り、1970年昭和45年)の靖国神社崇敬者総代会で決定され、靖国神社1978年昭和53年)にこれらを合祀した。

 

 
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