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2024-12-01

兵庫県ってほんとデカすぎるよな。これ維新元勲たちの、この地方のが解像度が低すぎ問題だったんだろうな。

いまの都道府県って基本明治維新後の新政府がそれまでの藩を統合してまとめあげたもんだろ。

これ多分、維新政府もっとこの地方人間が入ってたら、こんなまとめかた絶対してないと思う。

九州とかさ、細かく別れてるじゃん?

あれは薩摩藩とか長州藩の人らにとって、九州解像度が高かったからだと思うんだよね。

この地方とこの地方をまとめるのは無理があるな、とかって感覚があったからなんだと思う。

からさ、もしも、戊辰戦争で奥羽列藩同盟とかがまさかの大逆転で新政府を作っていたとしたら、

九州解像度とか低すぎて、ひとつの県、九州県とかつくっていた可能性とかもなくはないと思う。

2023-11-22

anond:20231122195517

ジョン万次郎とかは下級といえど支配層の人間殆どだった明治元勲とはレベチで凄いと思う

2023-11-17

anond:20231117224036

クソリプであれだが一夫一妻制になったのは明治31年から明治元勲たちはセーフ

2023-09-18

ちっちゃな頃から陰謀論者で中2でロスチャを知ってたよ

とはいえ完全に信じてるんではなく

「ありえそうだなあ(9割方ねえだろうな)」で心躍る感じが好きだった

ニホンオオカミ生存説にワクワクする感じと非常に近い

それゆえに「100%ありえねえ」って陰謀論は一気に冷める

てか、陰謀論探してる時に検索でこの手のツヤがない説がめちゃくちゃ出てきてウザイのでもはや腹立って仕方がない

具体的には

政治家の誰々がレプティリアン

要人の誰々がゴムマスク

・5Gで人間死ぬ

幼児拷問して抽出されたアドレナクロムハリウッドセレブ摂取してる

豊島

人気タレントの誰々は明治元勲そっくり。つまり子孫ゆえの権力がある(オリラジ中田板垣退助のあれとか)

マッドフラッド←ちなみに、これ今一番ホットでクソな陰謀論





腹立って腹立って仕方がない

せっかくの楽しい陰謀論ウォッチ邪魔だしとにかく萎えるんだよマジで

しかも悪いことに「100%ありえねえ系陰謀論」が「1割ありえそう系陰謀論」より圧倒的に露出が多いのがなあ……最悪だわ




余談だけど、

個人的最近日常生活で俺の陰謀論センサーがビンっビンに反応したのは麻布台にある" 東京アメリカンクラブ" なるすっげえ綺麗で立派な施設


ひょんなことから数分間だけここに立ち入る機会があったんだけどここはマジで仰天したぞ

だってロシア大使館の真隣にあるんだもん、こんなもん嫌でも陰謀論センサー反応するだろ

しかソ連大使館時代から位置関係変わってないらしい

西麻布星条旗新聞社も「うわー一等地占領されてる!」とギョッとしたけど、東京アメリカンクラブという存在の異様さは比じゃなかった

この施設の裏について詳しい人いたら教えてくれ

2023-07-25

自民党山上徹也に出馬要請したほうがいいのでは?

多分、大物政治家や大政党後ろ盾応援なしに、人気の力だけで東京都知事衆議院議員になれるほどのポテンシャルを持った人物だぞいまや。

この金の卵をよその政党に囲われる前に自民党一本釣りしたほうがいいのでは?


実は、山上徹也のような転身の前例はある。

血盟団事件で團琢磨暗殺した菱沼五郎恩赦で出獄したあと改名し、自民党から茨城県議会選に出馬当選

なんとその後、茨城県議会議長になっている。

原発誘致にまで深く関わった茨城の超有力者にまで登り詰めたのだ。


はっきり言って、山上徹也は菱沼五郎比較にならないほどの超大物だ。

これといった政治思想すら抱いていない民間市政のなかに

その境遇に涙し同情した熱烈でピュア応援者やファンがめちゃくちゃいるところが考えられないくらい凄いし、とにかく強い。

1980年代中盤、

ビートたけしテレビ史上最も売れた怪物と化していた頃、

さる政治評論家が「たけしが政治家を志したらどうなるか」を雑誌企画で真面目にシミュレートしたことがあったが、

結果は

都知事選ならぶっちぎりトップ当選自民党から衆院選に出れば当選どころか党の思惑で総理大臣すら全然ありえる』。

もはや山上徹也はその域までいってるんじゃないかとすら思う。

ちなみに、

人殺し経験者が総理大臣就任した例もちゃんとある

伊藤博文黒田清隆だ。


人殺しといっても、伊藤博文幕末の乱世での政治的暗殺からあれだけど…

黒田清隆のほうはというと、

泥酔状態帰宅

『俺が帰ってきたというのに出迎えて待っていないとは何事だ!!!

と怒り狂い、

その場で奥さんを斬り殺したというから半端じゃない。

しか維新元勲たちの力で事件隠蔽したし。

山上徹也、ハードルはほぼクリアしてる。


自民党マジで山上徹也を政治家にしてしまえばどうだろう?

なんなら自民党は各所に手回して刑期を短くさせて(こういう根回しは大得意だろ)、

そっから山上徹也に出馬を打診したら良いのでは?

出馬しさえすれば、自民党特に何もしなくてもトップ当選するような世紀のカリスマだぞ。

山上徹也がほんとに出馬したら俺は投票するぞー。


自民党執行部にこのエントリーが届いて欲しいのでとりあえず投稿セルクマします。

2023-06-06

anond:20230606160158

きっと、あてがわれたから消えたんだね。良かった良かった。岸田元勲バンザイ

2023-03-21

anond:20230321045834

自分歴史には詳しくなくてWikipediaを少し読んだくらいの知識しかない。

その範囲の印象でいうと

1.徳川慶喜という人が権力を手放そうとしなかったから。

2.実際に「維新」というもの企画立案・実行していった面々が「革命」を望んだからではないか

だと思っている。

1については説明するまでもないと思う。

四侯会議のような妥協政体慶喜が骨抜きにしてしまった結果として維新勢力は倒幕へと大きく舵を切っていくこととなった。

2についてはあくま自分の推測である

もしも、倒幕がされずに諸侯東京に集まって政治を行う、というような体制ができたときにはどうなるのか?

西郷隆盛とか大久保利通かいわれる人たちの権力の源泉はどこにあるのか?

なぜ大久保命令薩摩藩藩士たちが従うのか?

それは薩摩藩主が大久保にその役目・権力を与えているがゆえである

まり薩摩藩からの信任がなくなれば大久保はただの人になってしまうのである

もしも倒幕がなされずに元将軍議長になって元藩主たちが議員となるような政体がつくられたとしても、その状態は続いたことだろう。

あくま権力は元将軍や元大名付与されることになり、実際に国を動かす人間のもとには集まらないこととなる。

それを拒否する心情が維新元勲と呼ばれるような人たちにはあったのだと思う。

旧態依然とした権力構造を打破する、その心根その思いが倒幕へと時代を傾かせていったのではないか

ここから歴史のifの話になるが、

もしも慶喜議長になって諸侯会議を開くような政体

あるいは薩長が中心となった諸侯会議のようなもの平和裏に形作られたとしても

それは存続すること無く第二革命のようなものが発生していたと自分は考える。

まりは倒幕とは歴史必然であるということなのではないだろうか。

2022-12-01

anond:20221201104612

せやな。。。元議員飯塚元勲も、恐ろしい金貸しに脅されてやったんやろうな…

カウカウファイナンスにつながりを持ったばかりに…

2022-10-30

anond:20221030002252

将軍家 → ご先祖元勲あるいは自民党青年団上がりってくらいじゃねえか? 寡頭制。

現代ジャップランドは人治国家なので(憲法的に司法独立していない、「実質は」総理大臣最高裁判事の任命・罷免の両方の権限を握っている)、江戸幕府と大差ないと思う。

2022-10-29

anond:20221029170954

中国共産党内の出世競争ってなんだかんだかなり能力主義から

その能力評価基準一党独裁共産主義に縛られることが問題なだけ

  

親父が革命元勲血筋であることが最大の武器習近平が横紙破ってるけど

基本は一代で能力次第でトップ層まで行ける仕組みになってる

  

世襲政治家、それも2代じゃたりなくて3代必要日本の方がその点は前時代的だと思うよ

2022-09-28

国葬雑感

安倍晋三最後に読んでいた本が岡義武『山県有朋』だそうだが、

これが本当の話か、自分は疑っている。

64年前に出版された岩波文化人古典を、安倍はきちんと読むような政治家だったか

かに、山県と安倍は、時代代表する権力者であることも、

山口にゆかりがあることも、顔が長いことも同じだが、出来すぎた話である

同書は山県に概ね批判的だった。

もし本当に読んでいたとしたら、どういう感想を持ったかは興味深い。

しかし、一月前に死んだ大隈重信国民葬比較して、

山形国葬が「ガランドウの寂しさ」だったことは有名な話で、

これだけ論議を呼んだ国葬スピーチを、山県の話で締めくくる菅義偉も、

それを素直に感動する不勉強国民も、ちょっとどうかと思うよ。

岡義武は山県の死について、こう書いている。

一方の安倍が、同様に忘れ去られるかは、これからのことである

[山県有朋の]支配の基礎は、民衆にはなかったのである

民衆は、彼にとっては、支配の単なる客体にすぎず、

従って、彼の権力意思支配機構を掌握することへと集中されたのであった。

彼は終始民衆から遊離したところの存在であった。

から見捨てられていた民衆は、それ故、また彼を見捨てていた。

そして、彼の死に対しても冷かであり、無関心であったのである


10/5 追記

驚くべし、流し読みかも知れないが、どうも読んでいたらしい。

しかし、さらに驚いたのは、同書を安部に勧めたのは、

山県を「信奉」していた右派経済人葛西敬之だということ。

普通に読んだら、嫌われ者山県有朋、という印象が残るはずの本を何ゆえ…、

と思ったけれども、官僚掌握術の参考になる、なんて吹き込んだのじゃなかろうか。

伊藤之雄山県有朋 愚直な権力者の生涯』はずっと山県に同情的だが、

葛西は気に入らなかったか、読んでいなかったかだろう。

で、安部感想は以下の通り。

2015年1月12日

今日官邸で開催された来年予算についての政府与党政策懇談会に出席しましたが、

週末三連休、一昨日はゴルフ、昨日はお墓参り河口湖山荘でゆっくと過ごしました。

その間、読みかけの「岡義武著・山縣有朋明治日本の象徴」 を読了しました。

知人から進められ手に取ったものです。明治元勲で彼ほど嫌われ、

同時に自身権力を集めた人物はいないでしょう。同じ長州人でありながら、

路線等の相違から権力闘争の敵対者となる伊藤博文とは対象的です。

伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、

「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」と詠み

その死を悼みました。本心だった様に思います



あの本を読んで、ここをピックアップするか!?と思ったけれども、

安部最後まで赤城俊夫さんや山上徹也、社会歯車だったり、

社会に潰される吾々ゴマメのような人間気持ちをわからなかったように、

一般人総理大臣気持ちなんか、わかるわけがないのだ。

とすると、岡義武がさらりと書いた伊藤暗殺下りこそが、

100年後の権力者安部にとって最も心打たれたところだったというのも納得できる。

人間は、一般人学者総理大臣も、自分甲羅に似せて穴を掘る。

自分勝手に、都合よく物事解釈する。

岡義武は、「自著は権力者を自省させるに至らなかったか」と

あの世でガックリしたかもしれないが、山県有朋からすれば、

ついにわが「本心」を知る者あらわる、なんてところかもしれない。

だけれども、山県や安部のせいで、どれだけ人が死に、不幸になったのか、

ヘタクソな歌を書いて、それをわざわざ持ち上げやがって、というのが

ゴマメたる自分の率直な所感なので、「英雄英雄を知る」ではなく、

「同じ穴の狢」が山県と安部にふさわしい言葉だと思う。

2022-07-12

anond:20220712141707

でもお前らは飯塚元勲プリウス轢死した事を

上級国民犯行!」って騒ぐじゃん。

統計交通事故死者数に関係なく。

2021-10-12

anond:20211012155229

お前なんぞに呼び捨てにされて可哀想 何十年も国に尽くした元勲なのに。

2021-09-16

地下鉄立て看板員「エスカレータは止まって右側に!」

なんか毎朝、エスカレータの右側先頭にビブス着たバイト君が立ちふさがるようになったんだけど

飯塚元勲エレベータで人でも撥ねたの?

2021-03-02

anond:20210302121928

宮様に限らず、明治元勲とか大企業創始者末裔は、複数財団理事とか企業顧問とかでかなりの月収があるよ

株の配当不動産収入はまた別に入る

2020-04-20

令和維新立役者

新型コロナウイルスさま

誰にも成し遂げられなかった改革を次々と成し遂げた功績を賞して栄典を授与します!

令和の元勲新型コロナウイルス万歳

2020-02-16

内藤一成『三条実美』を読んで

内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書2019年2月)読了

面白い三条理解できたことで、この時期の政権本質についても理解が深まった。三条を「有徳の為政者」と位置づけ、最後にそれを「知の政治家」(瀧井一博の伊藤評)とつなげるのは見事だなあ。

封建制社会儒教道徳徳治属人的」→「近代社会議会制原理法治/属制的」。高貴な出自なのに革新志向、清廉無私の人柄、この二つの特徴を持った三条実美という人物が当該期の政権運営には必要だったということだ。

興味深いのは、手腕でなく徳で政府を治める太政官制(あるいはそのような政治文化)とその後に樹立された明治憲法体制比較すれば、前者がより属人的後者がより属制的といえるが、さらにその後の昭和戦前期と比較すれば初期の明治憲法体制属人的要素に頼る所が大きかったことだ。伊藤らの意図は立憲制度確立、つまり天皇閣僚が入れ替わっても立憲政治の根幹が失われないよう制度化することにある。言い換えれば属人から属制への転換を図ることだ。(ちなみに、神棚に祀ることで天皇政治勢力を接近させずまた天皇権力事実上制限したのが、まさに伊藤(井上伊東)の深謀遠慮というものだ。この賢察を思うにつけ、天皇機関説排撃とかバカジャネーノとしか言えん。天皇機関にするのが憲法だろ!)。

しかしそれでも、憲法に明記されない微妙問題、あるいは高度な政治判断が求められる局面になると、個人パーソナリティーや個人間の特別関係ものを言うことが多い。要するに、当面の政敵でも共に維新回天の荒波を潜り抜けてきたという同志的な感覚とそれに基づく信頼・敬意・連帯感があり、最後最後ではその琴線に訴えかけることで複雑な問題の調整が図られているように思える。制度に足りない部分を人情が補っている、草創期ならではの危うい立憲制。

そして明治元勲が皆世を去ってしまうと、憲法は輝かしいけれど文字になり、制度要塞になり、縦割り・現場無視党利党略・悪い意味での官僚的態度等々が前面に出てしまい、それが政権運営不安定さや政党政治機能不全につながった……のではないか日中戦争前後政府官僚・軍・政党を見ていて感じるのは、よく「彼は調整型の人物で…」というが、政治的調整とは調整役が何とかしてくれるということではなく、また調整役とは八方美人意味であるはずがない。

三条近代立憲政治にふさわしいリーダーではないが、ある時期には彼のような調整役が必要で、それは彼が出自人徳という計画的習得できるようなものではない要素を備えていたからで、そういう意味で代えのきかない存在だった(武器として装備しました、ではなく、元々そういう人だ(あるいはそのように見える)という点こそが重要)。その後の政府現代組織於いて三条人物三条のような高い地位を占めるべきかと言われれば疑問だが、組織運営(特に責任者の周囲)に於いて三条的な役割不要成る事は決してない。三条合理的積極的存在意義を見出すという著者の意図は十分成功しているし、その存在意義はそのようなことをも示唆しているのではないか

2019-06-09

土着の差別ってみんなが東京移住すると無くなるよね

ウクライナ人部落差別存在否定するようなこと言って侃々諤々人気だけど、少なくとも東京にいるとその手の差別を感じないというのはわかる。

自分被差別部落ではないけど明治維新徳川に付いた「負け組集落出身で、御一新土地財産を取られたのが現代まで影響しているのか、周囲と比べてあからさまに所得学歴も低い地域で育った。

中学校では「あの集落の子たち」扱いで暴力を伴う虐めを受けてても教師は我関せずでいて、県中から秀才が集まる進学校に入っても「あいつの家のあたりは……」みたいなことを言いふらす人間もいた。

地元でははっきりと差別されていたと言えるけど、進学で上京するとそういうのとは無縁になった。

「当社は明治元勲が発起人となった格式ある財閥企業でございますので、あなたのような出自の者は雇えません」と就職差別されたり、

「うちのご先祖様は新政府のために血を流して戦ったんだ。賊軍の子孫に娘はやれん」と結婚差別されたり、

当たり前だけど、東京では起こらないね

自分出身興信所とかで調べればすぐにわかるし、むしろ自分たちから幕末の動乱では主君最後まで忠義を尽くした。差別に負けずに代議士学者実業家を輩出した」と熱心に発信してるんだけど、東京では誰も知らないし気にしない。

こういう差別って地元に残り続けている人たちの問題なんだよね。

2018-10-05

教育勅語歴史的役割普遍性

教育勅語は、過去歴史的においては、日本近代化一定役割があったと考えられるが、時代を経るについて、その位置けが変わっており、どの視点に立つかによって評価が変わってシマウマ

江戸時代以前、幕藩体制下においては、人々は藩(クニ)というコミュニティへの帰属意識はあったが、日本という統一された国家への帰属意識存在しなかった。しかし、欧米列強アジア進出に直面し、明治国家統一された近代的な「国民」を創出する必要性に駆られた。そこで、井上毅が中心になって起草されたのが教育勅語である

江戸以前の封建社会では、お殿様がいて、家来衆がいて、そのまた家来がいて、農民商人工人がいて・・・と、多層的な社会構成となっていた。欧米を直接視察した当時の指導者たちは、このまま身分により分裂した社会では、我が国近代化を成し遂げて欧米に伍してゆくことは難しいと考えた。そこで、表向きは日本人に馴染みのある儒教的用語を使いつつも、勤勉であれというプロテスタンティズム精神を注入したもの教育勅語である。(米英独における近代資本主義形成プロテスタンティズムが果たした役割についてはマックス・ウェーバーの説に譲る)

教育勅語の登場により、日本人の中にプロテスタンティズム的な精神形成され、曲がりなりにも、なんとか我が国近代国民国家を創りだすことに成功した。また、一番問題になっている「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・」の文言についても、歴史的には欧米の「国民軍」形成の流れと相似をなすものである位置づけられる。(というのも、それ以前は武士階級のみが軍事に専念して、一般市民にとっては軍事は全くの埒外であった。このままの意識が続いていたとしたら、本邦は他のアジア国家と同様に、欧米植民地となっていたであろう)

ただし、時代を経て昭和の激動期に入ると、明治憲法と同じく、長所よりも欠点が目立ち始める。

欠点第一要因は、明治憲法や教育勅語が、現人神である天皇から臣民に下されたもの(実際は、明治元勲が起草したものだが)という形式を取ったことであろう。明治憲法も、首相権限が明記されておらず、その基盤が弱小である等の問題はらみつつも、「不磨の大典」化してしまったため、政治家軍事官僚を縛ることすらできなくなってしまった。教育勅語時代に即して改定を行う動きもあったものの、やはり天皇から下された「聖典」という位置づけから改定ができなくなり、戦時下においては国民を総動員する装置となってしまった。

以上を踏まえると、教育勅語日本近代化推し進めた功績があり、現代資本主義社会においても引き継がれる価値観を含有するという点では一定の「普遍性」を持つ一方で、戦時下においては国民を動員する装置となったという点で「負の側面」も多く有するという、なんとも白黒つけがたい存在である評価できる。

なお、現代では教育勅語は、その歴史的役割をすっかり終えており、今さら道徳のために引っ張り出してくる必要性は無いという私見最後に付け加えておく。

https://anond.hatelabo.jp/20181004143708

 
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