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2025-06-28

むこうぶち」とはどういう意味なのか

長寿麻雀漫画タイトルとして知られる「むこうぶち」という言葉だが、もとは裏社会隠語だということもあって、その意味はあまり知られていない。

漫画では「一匹狼の真のギャンブラー」とされているらしいが、隠語大辞典は「鉄火場の客のこと」としている。

むこうぶち」という言葉がどのように使われていたのか、過去の用例から探ってみたい。

1962年無職渡世 志村九内の生涯』井出英雅

向こうぶち 時刻が早くて客が少ないとき、出方がお客の相手をする。そのもの。そのこと。

「出方」というのはヤクザ幹部のことで、貸元店長代貸=副店長、出方=チーフ、三下=バイト、くらいの感じらしい。

おそらく「客の向かい博打を打つ」という意味で「向こう打ち」だろうか。

隠語辞典で「客のこと」とされているのは「ヤクザの向かいで打つ」という意味で互いに「向こう打ち」だからかもしれない。

1974年ヤクザ映画はどこまで実録に迫っているか梅原正紀

ところで「向こう打ち」とは賭場にくる客のためのサービス要員である。まだ本格的に賭場を開催するには、客の数が少ないさいに、客の相手をつとめる男どものことだ。だから「向こう打ち」は勝って悪し、負けて悪しである。賭場が開かれる前にまきあげてしまえば、賭場が立ちにくくなるし、心のせまい客はアヤをつけられたと思いかねない。そうかといって、負けてもいられない。これはブンリが悪い。上手に客を遊ばせながら時間つなぎをする力量を向こう打ちは持っていなければならないのである。つまりキャリア要請される職種なのだ

こちらのほうが説明が詳しい。実力が求められることも書かれている。

年代前後するが、

1971年やくざ辞典井出英雅

賭場でまだ時刻が早くて客が集まらないといったとき、早くきた客をたいくつさせないために出る「むこうぶち」は、たいていこのハンカうちである

ハンカうちとは、

渡世のものではないが、なまじ三下よりは渡世に明るい。その点では白モクに似るが、白モクはだんなに近い。それだけ渡世とは離れている。ハンカうちは、だんなでいればいられるものを、より渡世に近づいて、身うちのあつかいこそうけないが、一家めしを食う。一家の用を足す。が、まったくの子分、三下ではないし、「客人がまい」だから、こづかいをもらうのも「子分ワリ」ではない。出方の財布と決まったほどではないがしかし、出方同様のあつかいである

「だんな」は金持ちの上客のこと。

渡世人ではないが渡世に明るい人」の中で、客に近いのが白モク、渡世人に近いのがハンカうち、と言っているのだろう。

この「ハンカうち」は、博徒一家ヤクザの組)に正式には属していないというので、その意味では「一匹狼」に近くはなっている。

「ハンカうち」についてはかなり時代が遡るが、

1936年現代国士侠客列伝土屋幸三・沼田寅松

渡世人間に『半可打ち』と云ふ言葉が云ひ伝ひられて居た。此の半可打と云ふのは堅気の衆が道楽の末、常習的に博打を専門のやうにして打ち歩るき、それを職業のようになすとか、或ひは渡世人の家へ入り込んで仕舞つて、改めて乾分ともならずに、世話になつて居る場合がある。斯る者達を称して『半可打ち』と云つたのである

こちらのほうがわかりやすい。

1981年関東仁義藤田五郎

河野は向こうぶち(親分を持たない)の一匹狼で、侠気と気骨で人望を集めていた。

いきなり「むこうぶち」=「一匹狼」の意味になっている。「ハンカうち」の側面が強くなったのだろうか。

1986年『仁侠大百科』藤田五郎

むこうぶち=ハンカうちのこと。

関東仁義』『仁侠大百科』の著者は藤田五郎という元ヤクザ作家で、『無職渡世』『やくざ辞典』の著者は井出英雅という元ヤクザ作家である

井手氏は「むこうぶちは出方がお客の相手をすること」と、藤田氏は「むこうぶちとはハンカうちのこと」という認識だったのか。

この二人(+前出の梅原正紀)は親交もあったらしいが、井手氏が1913年まれ藤田氏は1931年まれ、という年齢の差はあったようだ。

1989年賭博大百科』山本卓

まず、賭場をひらくことによって、その手数料生活する者たち。彼らは、通常一家形成しており、その中で五つの階級に分けられている。貸元=いわゆる「親分代貸=賭場の支配人役、中盆=壺を振ったり札を配ったりする勝負の進行役、出方=いわゆる子分で、客の接待から使い走りまでの役、三下=人の出入りの見張り、客の下足番・警察の手入れの見張りなどの役、がそれだ。

次に、「控えぶち」という博徒がいる。これは、いわばサクラのような役目の博打うちで、通常どこかの一家関係を持ち、その一家が賭場をひらくと必ず顔を出すことになっている。つまり自分が親しくしている一家の賭場で、にぎやかに振舞ったりして、客の勝負欲をあおり立てることを生業としているわけだ。

そして、どの一家にも属さずに賭博を常習とする一匹狼的な博徒が「向こうぶち」だ。この向こうぶちは、控えぶちと違って、特定の賭場に所属することはない。自分の気が向いたときに、好きな賭場へ足を向けることができる。しかし、このさすらいのギャンブラーとして生活する者は少ない。なぜなら、自分の腕ひとつを頼って生きなければならない過酷仕事からだ。

この『賭博大百科』での「むこうぶち」の説明は、すっかり一匹狼のイメージになっている。

どちらかと言えば「控えぶち」のほうが、当初の「むこうぶち」に近いように思える。

というわけで、

というような変遷があったように思われる。

もともとの意味では「ヤクザ幹部」とか「中途半端なやつ」みたいな感じだったのが今では「一匹狼の真のギャンブラー」になったというのはなかなか面白い

余談。

賭博用語以外の「むこうぶち」としては、

  • 鍛治の親方が槌を振るう向かいで相槌を打つ見習いのこと(向こう打ち)
  • 労働者の食い扶持を雇い主が負担すること(向こう扶持)
  • 池やお椀などの向かい側の淵・縁のこと(向こう淵・向こう縁)

などがある。

任侠映画などで「敵に回る」ことを「むこうぶちに立つ」などと言う例があり、これは「向こう淵」なのかもしれないと思う。

2019-12-24

延々愚痴おじさん

ツイッターでずっと文句言ってる人

よく見るとその人自体はたまにしか文句は言って無くて、リツイートが激しいだけなんだけど

四六時中盆正月もなく、一人の人物

世の中への激しい不満や社会正義を強い言葉で吐き続けてるように見えてしま

フォロー外したり、その人のリツイート非表示すればいいだけの話なんだろうけど

その人がニッチ趣味の界隈の主要人物だったりするとそれも出来ず

ただただ静かに憎しみの対象になっていく

2007-10-08

もう相撲プロレスにしようぜ!

相撲ファンの目を離れて外の目から見れば。

いくら強かろうと巡業サボった朝青龍はクビでよくね? となるし、「かわいがり」で死亡した斉藤某とかなんですぐに司法解剖に持って行かないの? となるし、八百長だって逆に何でブックがあっちゃいけないの? という話になるし、高額売買が指摘される親方株だって別にそんなの要らないっていうか何で引退してからじゃないと指導できないの現役力士でも強ければ道場持てばいいじゃん(昔で言う二枚鑑札)という話になる。

でさ、このへんはもういっそ外の感覚に合わせてしまえばいいと思うんだ。

まず協会を株式会社化する(以下、仮に(株)大相撲と呼ぶ)。

# その際協会寄付行為で「解散時の財産の帰属は類似の公益団体に」とあるから、一旦は文部省傘下の公益法人が全株を保有し、しかる後に随時民間に売却することになろう。

これで理事会^h^h^h取締役会の「上」に株主総会ができるので親方どもの好き勝手にはできなくなるし、そもそも取締役力士出身者がつくことも困難になろう。

で、NHKも必ずしも全場所中継しないようにする。逆に言えば、(株)大相撲放映権に関するフリーハンドを得、従来の不透明な座席手配よりも放映権の売りさばきによる収益をメインにするようになろう。

しかも、株主の目に加えて放映権者の目がある以上、殺人とか暴行なんて決定的なスキャンダルは自粛せられるだろう。暴力団とのスキャンダル放映権売れなくなって衰亡した某団体を教訓にするならば。

でだ。面白ければ八百長もアリにするのだ。八百長相撲を「自然」に見せるにはそれはそれで高度な技術がいる、ということは彼の「中盆」板井も強調するところであるし、実際八百長云々は関係なしに「千代の富士時代」の相撲格闘技興行として面白かった。一概に害悪と切って捨てるのは勿体ない。

但し、それは力士間の不透明な売買ではなく、(株)大相撲ブックメーカーが定めた「ブック」「ギミック」に基づくものでなければならない。力士間に「ストーリー」を設定して遣ってもいいし、「ヒール」「ベビーフェイス」を設定してやる。もちろんガチを貫く力士が居るならブックメーカーはそれすら尊重してブックを立てることが望まれる。

もちろん力士レスラーよろしく、簡単に「脱退」したり「(株)大相撲とは別の組織を結成」したり「復帰」したり「ガチを標榜する新競技を主張」したりするようになるだろう。「プロレス化」するだろう。

で、それで何か「見る側にとって」問題があるの?

 
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