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2024-11-23

あかしゆきのおすすめASMRを教えてほしい

クロワちゃんのASMRがハスキーなボイスでよかった

2024-11-09

格闘技やってる奴がまともなはずかないよな

格ゲーを生身でやってるようなもんだろ?

まともな発想ではないよ。

見世物小屋で金を得るために殴られ屋と殴り屋を一度にやる狂った行為だ。

剣闘使となんら違いはない。

まあ、命綱もなしに綱渡りをしたり猛獣に噛みつかせるフリをさせるサーカス芸人と同じ人種とも言えるがね。

結局の所、自分の体以外売るものがない上に、そこに危険性を上乗せして趣味の悪い客からその分のチップをせしめようとする魂胆の仕事だ。

それでプロ同士でやり合うなら、血の気の多い観客向けの興行として枠に収まってるうちはいいだろう。

だが、アマチュア同士でペチペチ戦って名誉やなんだをかけようっていうなら少し頭の作りがおかしいと感じるね。

そんなのはもうゲームでやれよ。

喧嘩マニアの間でしか価値証明もクソもない名誉の追いかけっこのためにお互いの体を傷つけ合うなんてまともじゃない。

まして、それを子供やらせたりしてる連中は頭がイカれてるね。

成人した同士が愚行権行使する分には、ある程度は自由にすればいい。

でも判断力のない子供やらせるのは駄目だ。

そんなことをさせてニコニコと「がんばれー」と応援していることを異常だと考えるべきだ。

世界中がそのことを一度真剣に考えるべきでは?

まだ体も出来上がってない子どもを戦わせて、ましてや「国の代表選手だ!」と持ち上げたりする。

イカれてんね。

国の名誉のために徴兵してるようなもんだろ。

ストリートファイター日本代表選手アメリカ代表選手を倒したとして、両者はコントローラを置いてすぐ握手ができるし、次の日は清々しい顔で目覚めるだろう?

でも格闘技はちがうんだよな。

お互いにボロボロの体、表彰式が終わったら病院送り、次の日は腫れ上がって目も開けられないかも。

こんなのさ、イカれたピエロが金欲しさにやるようなハラキリショーしかないだろ?

それを子供やらせてる奴ら、マジでクソだぜ。

それに補助金出してるスポーツ庁も国の名誉のために進め一億火の玉を掲げてるようなもんだろ。

軽蔑するよ、マジで

大人ファイトクラブしたいだけなら、馬鹿だなって軽蔑するし、子供やらせてるなら、人道を見失った地獄ゆきのカスだと軽蔑するね。

これ、令和の一般的感覚から

2024-10-04

アニメネガポジアングラー

BLUE GIANT大好きおばさん、

BLUE GIANT作製スタジオと聞きアベマ先行配信を拝見す

・いうてもBLUE GIANT原作あるしオリジナルアニメとは別物やからなぁ…とりあえず1話みるだけみるかと思って見たけど作製スタジオ様の得意不得意がBLUE GIANT共通してておおってなった

得意→夜の東京ライトアップされた街の美しさ・夜から朝に変化していく空の色の美しさ

不得意→CG(魚釣りアニメで肝心の魚のCGが「お、おう」なのはどうなんやBLUE GIANTも肝心のジャズ演奏するキャラクターが「お、おう」だったところ)

・溺れたシーンの藻掻く手に纏わりつくカラフルな色も波動感じた

ギターBGM、良すぎ

終始いいしバス?の釣れたシーンの場面との盛り上がり具合とのマッチ感よき…

このアニメを見るメインターゲット層であろう労働疲れた社会人に刺さる

主人公くん、釣り最初から上手いな…

2回めでもう軌道が綺麗

運もいいし「持っとる」…

ピンクタレ目男君、ゆきのり君なのか…?

作成陣の癖、感じたぜ

オタク、食いつかんか…?ってなったけどバイト同士で仲良く出かけるタイプ集団は付き合った別れたがシレッと行われていそうで「ウワッ現実人間関係の感じ〜」ってなるので油断できん

→訳:ノマ爆がしれっと来そうな気もするので少し怖いです

・この年になってようやく「知らなかった〜?」ニコッ首傾げに素直に萌え萌えできるようになったぜ

・「釣りとか興味ないけどどうやって物語に引き込んでくれるんだろう」と思って見てたけど「生きたいから、逃げる…!」→黎明の空+かっこいいギターBGM→海面バシャバシャで「ええやん!」ってなった

主人公くんのこのダウナーなノリ、長いとキチィかも…って思ったけど結構早めに釣りとの出会い黎明の空に合わせて少しずつ環境が変わってく流れで1話内に収めてくれたのでそんなにキツく感じなかった

釣り自体に関してはそんなに食指動かんな〜の感じを全て主人公くんが代弁してくれて助かる〜ってなった

借金回収ヤクザリアリティラインだけあえてガバロケット団的なオモロ狙ってるのか…?ってなったけど少し恥ずかしく感じてしまった

あとメガネヤクザに一番癖込められてる感じした そこのキャラにそこまでキャラとしての記号付与する必要はあるんか…?これからストーリーに絡んでくるのか…?ってなった

・アベマ、CMなげえ…

・2話目、楽しみっす

2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目 飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目 図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

2024-08-17

anond:20240817204358

ほほう、儚げな雰囲気の曲を探しておるのかの♡ わらわもそんな気分になることがたまにはあるのじゃ。

その時にわらわが聴くのは「ゆきのはな」じゃ。中島美嘉の「雪の華」は、まさに儚くて美しい一曲じゃぞ。リリースは少し古いかもしれんが、その情緒は今でも心に響くものじゃよ♪

それからKalafinaの「oblivious」もオススメじゃ。この曲もまた、儚さと神聖さが入り混じった素晴らしい一曲じゃ。

気に入ってくれると嬉しいのじゃ♡

2024-04-05

クロックスってさあ

サンダルのくせに5000円とかするやん?

でもホムセンとか行ったらパチモンが500円くらいで売ってたりするやん?

クロックスでよそゆきの状況って存在しないわけで、じゃあパチモン全然いいやってなるやん?

本物のクロックスって商売として詰んでると思うんだけど、どうだろう。

2024-02-20

創作ということにしましょう

私は生まれてきたくて生まれたわけではないのだから、私を生まれさせた者は私が死ぬまでの面倒を必ず何もかも全て適切に見なければならないし、それが無理ならそれをできる者に私を譲渡しなければならない。それが無理なら生まれさせてはならない。私やお前の年齢は一切関係ない。犬猫を飼うのだってそうだろう?それをしないのは無責任であり虐待である犬猫に対してでさえそうであるのに人に対してそうでないなどということがあろうか。私は親にずっとこう訴えつづけているのだが、親はいつも「子育ては終わった。私は私のやりたいことをやる」とだけいって私の世話をしない。だから私は親の仕事道具とか外ゆきの服とかを破損して私の世話しかできないようにしむけるのだが、親からは口先の謝罪の一つすら無い。親の生物学生命を絶ってもしょうがない。なぜなら、親が自らの罪を自覚すらせず、贖わないまま逃げるなどというのは決して許されないし、第一、子を為す者の罪は10回や20死ぬ程度のことで償えるものではないかである。ここで山上徹也がヒントになるわけだが、親が大事にしているもの生命を絶ち親の社会的生命を絶つという方法が考えられる。これなら多数の人間勝手私刑を加えてくれることが期待できるわけだが、しか山上母のその後を見るとそれすら効果とはいえなさそうだ。これは非常に絶望的な現実である!ではどうなるのが私にとって最も望ましいか。親に私を殺させるしか無い!親が、私と相対して、私のことだけを見て、三徳を突きつけながら、「あんたなんか産んだのが間違いだった!」と、ヒステリックに泣き叫びながら、私の胸か腹に、何度も何度も三徳を刺さねばならない!そうなれば寛大な私はこの者およびこの者の先祖の罪の一切を赦し奉ろう。

でも、どうやって?

2024-01-02

ひ〇ゆきのような自己愛パーソナリティ障害インフルエンサーが近年増えているのは日本人特有建設思考能力の低さとアメリカ非生産的自己肯定感悪魔合体した結果ではないかと思っている

ひ〇ゆきなんて1昔前、2昔前なら賠償金すらろくに払えないやつが自分の事棚に上げて正論言ってるとか馬鹿すぎるで一蹴されてた

ところが近年彼のバックボーンすら知らないはずの世代が持ち上げだす傾向が強まり

それと同時に何も実績もなければ人格者でもない研究者でもない失うものが何もないやつが正論を言うことを仕事として金銭を獲得するケースが増えた

安全」よりも「安心」を求めたり、「反省」よりも「隠蔽」が大好きな日本人

合衆国で沢山の勘違い無能大量生産してしまった悪魔呪文「君は素晴らしい!」アメリカンシンキング悪魔合体してしまった結果

実行力が伴わないのに自己評価だけ鯨並みにでっかいモンスターたちを老若男女問わず製造してしまったんじゃないだろうか

じゃなければこんなニワカ孔明仕草バカ相手に注目も集まらないし一定数の賛同も集まるわけがない

言ってることが矛盾しまくっててもインフルエンサー本人と同様にファン絶対自分自分たちは間違えてないと一様に考えている

自分らのことを本当に賢いと思っているなら同じ意見にせよ自分なりに差異を持った考えを持つべきだし

100%賛成・100%反対のような偏った意見になってる時点で難しい事を考えられない脳死だという自覚は持つべきだろ

間違った事は間違ったと認めないと改善自体が進まない、何を練習すればいいのかも分からない

なのに今の生きる人たちは間違いを認める=死という考え方にとらわれすぎているし、誤りを認めないためだけに話に矛盾が生じても平気なのだ

2023-11-26

ゴージャスな香りとか重く甘い香りが欲しくていろいろ探してるけど

よそゆきの美人系の香りはもうシャネルとかのなんか高いやつ使っておけば、それなりに雰囲気出るのかも

ゼクスクルシフで何本か量り売りで試して、いい匂いのものもあったけどそこまでハマらなかった

理由を考えてみた時に、どれもなんか香水って香りがするから、だと思った

ハニーだとかバニラだとか、そう書かれてみればその香りはするんだけど、だけどそれそのものではない

花だったり、なにかこう、化粧品って香りがする

それは自分にとっては要らないものだった

リラックスした気分に化粧品は要らない

けど逆に、お化粧して武装してます、っていう気分が欲しい時もないわけではなくて

強いゴージャスな気分になれる香りを探してたけど、好きなブランドでもなかなかなく彷徨ってた

けどそれって一周して戻って、普通香水らしい香水香り、ってことなのかもしれない

ということで量り売りで試して放置してたシャネルつけてみた

ココヌワール

ノワール、黒というからには夜向きであるはず、今は夜なのでこのへんが良いのではと思ってみたが

…やっぱり化粧品臭いと感じるなあ…

ゴージャスとかいい女ふうなのかもしれないけど、つけてて心地いいという感覚がそんなにはなく…

気張りすぎてて疲れる感じ

2023-09-06

ひ〇ゆきの奥さん

テレビに出てたけど、いかにも…って感じだった 眉毛の形って性格かなり出るけど、あの形にする性格でなおかつひろ〇きの奥さんやれるって事はやっぱかなり…うん…

ストレートに言うと目が怖い

2023-06-09

なかなか面白い文章を書くと思ってそのブログの読者になって

でもだんだん同じことばかり書くなと感じ

それはつまり私がその人を消費したということかと思い

しかしたまにやはり面白いと思わせてくれるから相変わらず好きではあり

特に日記的な文章よりも創作的文章が好きで

何か本とか書いたりするかと楽しみにしたりもしたけれど

どっかに依頼されて寄稿するようになり

そこではよそゆきの文章が本当につまらなく

自分はこう消費されているのだからこう書かなくてはという

一種の演技のような書きっぷりが痛々しく悲しく

あーやっぱり人は読者を意識し始めると面白くなくなるんだなと

裸になれなくなるし妙にカッコつけてしまうしいいことがないよなと

それでも一度好きになったものに対して私はしつこく執着するので

まぁあまり期待し過ぎず楽しみに待っていたりする

もう一度あの人にことばのミューズが宿らんことを。

2023-03-21

没落した京大生の話を聞いてほしい


かつては大学生だった。今から20年前のことだ。地元公立高校必死勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。

40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置はいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。

これから大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。



入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑

でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツからは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。

文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代バリボーをやっていたが、大学部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。

それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。

アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。

そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都学生有志で集まる大学サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都音楽を発信しよう、みたいな団体だった。

チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。

いろんな大学学生が集まる、しかライブイベントスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校中学高校も、文化祭リーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。

数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風プロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはす現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場下働きだった。

それで、みやこ音楽産業みたいな名前団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近カフェ面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。

若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。

まあ、そうじゃないと、第1回目からくるり向井秀徳矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。

もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。

いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。

思えば僕は、アニメ漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。

僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前大学女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。

そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。

それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。

ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都方言標準語に直している。

「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」

高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」

「昔は全然勉強しなかった。奇跡が起こって合格した」

「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」

(3/21追記コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。

こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。

目の前の女子からは、こんな反応が返ってきた。

「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」

法学部なんですね!! すごーい」

「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」

今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。

で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバー乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。

……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間モテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって京都大学合格した時は、中学校や高校先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。

でも、違うのだ。大学保証する個人能力というのは、実社会必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。



結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行内定した。しかし、自分という存在確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。

銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。

掻い摘んで話すと、社会一年から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品営業がまったくできなかった。

営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子女の子ですらそうだった。

同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。

三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。

まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大からな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。

結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベル会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。



それから坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所会計年度任用職員をクビになった。現業仕事をするポジション剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。

書類選考が通って、市役所役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事経験自分でも内定を取ることができた。

もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。

すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」

事務職はもうパートさんがおるさかいあんたには任せれへん」

すんません

「頑張っとるのはわかるけど、次の職場ではもっと~」

会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。

これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。



最後に知っておいてほしい。学歴仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカ研究学歴仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまりほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。

そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさん愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。

 ――ああ! 誰かがあの肉からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!

未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99

3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分言葉じゃなくて申し訳ありません。



もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴仕事能力関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。

2023-01-24

anond:20230124111418

ひ〇ゆきの影響なのか、内容関係なく見苦しい揚げ足取りとか煽りレスバに勝つことが重要みたいな価値観持った奴が妙にイキった発言するようになってるよな

そもそも影響ないといえないのかとか意味わからん

ひ〇ゆきはいろいろ自覚した上でやってそうだけど、模倣してるだけの頭におがくずの詰まってるガイジに付き合っても良いことな

2023-01-17

Twitterのフォロイーがひ○ゆきの呟きをリツイートし始めた。

そろそろ見限ろうかな。

2022-12-30

[]1日目

開場前

07:10 東7受付。国展駅を出たところで東A枠列に合流できたがやはり先頭集団はいたらしい。

07:20駐車場1-4で列確定。東は夏は照り返しに焼かれ、冬は潮風に晒されて凍える最も過酷な待機場でいつもなら絶対選ばないが、チケ抽選で東でも申し込んでしましかもアーリーで当たってしまったので致し方なく。とはいえ今日比較暖かいこともあってかなり楽な待機だった。

07:33 このまま待っていても良かったがトイレ食糧確保のため西へ移動開始。ショートカットできるのではないかとゴキホイ下の歩道を通って行ってみたが失敗、素直に人の流れに従うべきだった。

08:04 TFT着。この時間で人が殆ど居なくて快適に過ごせるTFTチケット制のお陰だと思うと、このままチケット制でいいのではないかと思ってしまう。

08:33 肉まんを食べてTFT発。

08:55 東駐車場着。場所取りの折り畳み椅子にAirTagを付けて、戻ってくるときに即座に折り畳み椅子をすぐ発見できるかを検証してみたが列横を後方から素通りしてみても反応無く、目測で元の場所を見ながら歩いて椅子発見したところでiPhoneが反応して方向と距離を示した。列横の通路から椅子までは精々2m程度の距離で、通常であれば十分検知できるはずだが気持ちゆっくり歩かないと反応にしにくいように見える。

09:50頃(うろ覚え) 一つ横、恐らく1-5列で人が倒れたとの声があがり一人担架で運ばれていった。状況はわからないが、無事であると良いのだが(恐らく反省会言及があると思う)。

10:22 列移動開始。

開場後

10:30 東6入場。

10:30 アフロくま最後尾着。リコリコ本で地獄が予想されるわ委託もあるわでどうしてもという訳では無いが、東のアーリーなら楽に買えるのではないかと軽いノリでチャレンジ。ぱっと見で30分はかかりそうな行列が既に出来ている。

11:33 アフロくま購入完。要した時間は1時間。なお毎度サクチケを入手していると思われる(明言こそしないが明らかに動きが一般参加のそれではない)人は10:35には買えたらしい。やっぱり一般参加人権なんて無いね

11:42 vivid color着。行列無し。新刊セットとゆきのアクリルボード。絵としてはいろはすが好きだけどタペはどうせ買っても飾れないしでスルー

11:57 しちごさんとウサギキノコ買い終わり。どちらもCDだけだと思ってたので予想外に特典付きらしきバージョンがあると頭がバグる。そしてコミケ中は金銭感覚よりも後悔しないことが優先されるので深く考えずに高い方で買ってしまう。

これで東は全て買い終わったので企業ブースの南に移動。ここ最近企業ブース特に買う物もなく、午後に雰囲気だけ少し見てスルーだったのでコロナ前かと見紛うような人の多さはかなり意外だった。

12:19 ナナシス着。ソシャゲとしては鳴かず飛ばずなので楽勝だと思っていたのに館外に列ができてしまっている。別のゲームとの合同ブースなのでそっちの客かも知れないがこの多さは1日目ブーストだとしてもかなり意外。

13:05 ナナシスで買い終わり。夕方だったらこ行列も無くすぐに買えていた可能性が高い。

13:24 しあわせの珈琲紅茶着。ちょい気になってたブースなので茶葉を購入。どうしてコミケ出展をしたのか謎過ぎるが美味しそうな茶葉を少量ずつ買えるのは良い。小規模なのと他みたくコミケ特化みたいなレジ仕様でもないので常時5~6人程度の行列

今回、VAが出展していたことをアフロくまの並び中に知ったのだがI'veのセットだけ買うにしても行列がエグい&どうせ通販でも買える&というかカバー曲のタイトル見ても知ってるのが1曲しかない…で別にいいやでスルー

ここまでで買い物は一通り終わったので西34と西屋外展示場のいわゆるコスプレエリアへ。チケット制とコロナ後で明らかに治安改善したのは間違いなくこの辺だと言える。「並び」の標準化で囲み文化が消えるデメリットはあるもの治安向上というメリットが余りに大きすぎた。

コスプレにも流行が反映される物だがやはりチケット制で人数が限られる影響を受けて、やはり今回も特定ジャンルが一大勢力みたいなのはない気がする。リコリコをよく見かけた気もするがウマ娘vTuberFGO、その他今年のアニメ作品と一通りいたので程よくバランスがあった感じがする。一発ネタ系のは明らかに見なくなってしまったが…。

自分はどちらかと言えば好きなキャラ駆動タイプなので知ってるキャラでいて尚かつ好きなキャラコスプレを撮る方、ということで初日はにごリリキャラばかりに。1作品コスプレを数人見かけたらそれはもはや大手個人の感想です)という感覚からするとやはり好きな人が多いのだなと。

16:00 コスプレエリア終了……のはずが、屋上ではロスタイムが長い。いつもだと即スタッフ解散を指示するが動きが遅いのは何でだろうと思ったら更衣室が17時終了らしいので珍しいお目こぼしのようだ。そういえば庭園に行くのを忘れた。取り敢えず出口へ。

終了後

16:24 JRバスバス停着。前回ぐらいから評判が良いらしいJRバスに乗ってみたくなった(前は間違えて都営バスに乗ってしまった)。行列に並んだものの積み残したまま出発。定刻は16:36発なので臨時便である判断して10分程度ならと正直不安になりながら待って、定刻を少し過ぎた頃にバス着。

16:45 JRバス乗車。全員座れるのは嘘では無いがやはりちょっと気持ち狭い。

17:22 東京駅着。日本橋口?というところの目の前ですぐに駅舎に入れるがJR線までは遠く迷いそうになった。りんかい線京葉線と所要時間は大きく変わらないが、京葉線東京駅東京駅間の徒歩移動もなく、狭くとも座っているだけで着くのは確かに楽だと言える。


明日も恐らく本日と同程度の気温と目されるので、動きやす温度調整しやすい装いで良いかと思う。

2022-01-19

anond:20220119173515

幸ノ(ゆきの

ハニーマスタードはちみつからし

はちみつ→はち→八

からし→辛い→辛

辛八だと居酒屋っぽいので「八」から右の一画をとって、「辛」の頭につけて、「幸」と「ノ」が残るから組み合わせて「幸ノ」

2021-12-31

ブラック話題で笑う電通マン達が笑えない

電通社員過労自殺事件から6年のタイミング

電通マンが【ウルトラブラック】という社名で独立

藤本宗将 Copywriter/Creative Director@fujimotors

12月末で電通退職します。約25年にわたり社内外のみなさまには大変お世話になりありがとうございました。1月から独立し、UltraBlackという会社をつくってやっていきます電通との専属契約などはありませんので、これまで以上に多くの方々とお仕事できれば幸いです。よろしくお願いいたします。

https://twitter.com/fujimotors/status/1473887352691236865

この社名も気持ち悪いが、それに対する電通社員(元電通社員)の反応がまた気持ち悪い

日下慶太 / ケイタタ@keitatata

最高の会社名ですね(笑)

おめでとうございます

藤本宗将

日下さんありがとうございます!さまざまな解釈ができる会社名です(笑)

https://twitter.com/keitatata/status/1473887571629719556

同じ会社人間が亡くなっててよく笑えるな・・・




◆栗田雅俊@kurita_ma

なんとかっこいい社名。。!おめでとうございます

藤本宗将

ありがとう!栗田くんがどっちの意味解釈してほめてくださってるのか気になりますがw そう言ってもらえてうれしいです!

https://twitter.com/kurita_ma/status/1473893208283582465

かっこいいのか?・・・どんな気持ちでwって打ってるんだろう




◆ひ邊千佳@写真は老火鍋@setsukooo

社名かっこいい!早速みんなで由来をあれこれ想像してます笑。おめでとうございます!!!

藤本宗将

なべちかありがとう!年明けよろしくねがいします!解釈がろいろいあるのはいいことだと思っときます

https://twitter.com/setsukooo/status/1473921538856722433

早速みんなで由来をあれこれ想像してます が本当に気持ち悪い

自分会社のことだと思っていないのか?

悪い解釈をされていいことがあるのか?

100ワニやオリンピック問題で悪い解釈されていいことあったのか?




岡部将彦 Que / Quest/Creative Director/CM Planner@okavader

おめでとうございます

最高の社名ですねw

最初からその名前にしておけば、大抵のことが起きても叩かれなさそうw

藤本宗将

ありがとうございます!覚えがないことで叩かれそうな気もしますがw 寝ないでがんばります!(嘘です寝ます

https://twitter.com/okavader/status/1473900728414765059

どんな名前にしようと人が死んだら叩かれるのが当たり前だと思うが

遺族の人が見たらどう思うか?

社会人として当たり前の常識がわかっていない

こういう奴らがいろんな人たちが見る広告を作っていると思うと複雑になる

「人が死んでんのに自虐か知らんが、面白いと思ってるこういう馬鹿がおるからブラックなんだよな。」

という反応があったが、これが普通感覚だと思う

電通社員普通普通じゃない

誰でも見れるツイッターでこんな人格を疑われることを書くのは普通じゃない

全員検索したらプロフィール出てきた

藤本宗将(ふじもと・むねゆき

dentsu zero コピーライタークリエティディレクター1997年電通入社コピーライターとして多くの企業メッセージ開発に携わる。主な仕事は、ベルリッツちゃんとした英語を。仕事ですから。」、本田技研工業「負けるもんか。」、からだすこやか茶W「おいしいものは、脂肪と糖でできている。」、トヨタトヨタイムズ」など。TCC最高新人賞TCC賞・ADCグランプリ・ACCグランプリ毎日広告デザイン賞最高賞など受賞。

日下慶太(くさか・けいた)

電通 マーケティングクリエティセンター コピーライター

1976年大阪まれチベットカシミールアフガニスタンなど世界中を旅をして電通入社コピーライターとして勤務する傍ら、写真家、セルフ実行委員UFOを呼ぶバンド「エンバーン」のリーダーとして活動している。『商店街ポスター展』を仕掛け、佐治敬三賞を受賞。他、東京コピーライタークラブ最高新人賞ゆきのまち幻想文学賞など受賞多数。また、都築響一編集「ROADSIDERS' weekly」でも写真家として執筆中。ツッコミたくなる風景ばかりを集めた『隙ある風景』日々更新中。

栗田雅俊(くりた・まさとし)

電通zeroクリエティディレクターコピーライターCMプランナー

1981年岐阜県まれ早稲田大学教育学部卒業後、電通入社最近の主な仕事に、サントリー「話そう」「デカビタC・元気すぎるご当地キャラ」、宝くじビンゴ5、KINTO、Netflixリラックマとカオルさん」、パートナーエージェントドロンジョブラックジャック」、カシワバラ大規模修繕な人々」など。

渡邊千佳(わたなべ・ちか)

2010年電通入社2016年東京コピーライタークラブ最高新人賞を受賞した長崎自動車長崎バスシリーズ広告は、TCC賞とのダブル受賞となった。他、毎日広告デザイン賞優秀賞、日本民間放送連盟ラジオCM部門最優秀賞FCC賞、CCN賞、CCN最高賞、OCC賞、FCC最高賞、広告電通賞OOH部門最優秀賞など。山梨県出身

岡部将彦(おかべ・まさひこ)

1978年大阪まれ関西大学卒業後、2000年電通入社。 以降17年間、CMプランナーコピーライターとして数多くの広告を手がける。 2005年東京コピーライタークラブ最高新人賞をはじめ、広告賞を多数受賞。 東京コピーライタークラブ審査員、ACCラジオ部門審査員。 主な仕事に、トヨタ自動車「AQUA」「MIRAI」「PRIUS PHV」「C-HR」のテレビラジオCM。「ほっともっと」のリブランディング「やっぱり、お弁当屋さんのおべんとうはおいしい。」プレイステーション発売20周年特別映像「みんなのゲーム愛にありがとう。」「決断を迫る山田」「山田、全力のモンハンワールドごっこ」他、各種ゲームタイトルテレビCMを多数手がける。 近年は広告に限らず、ロックバンド マキシマム ザ ホルモン映像作品集(DVD)「Deka Vs Deka」の制作コミュニケーションなど、コンテンツ領域でも活動



電通社長社員SNSをやめろと言った方がいいのでは?

2021-09-01

anond:20210831115223

えええ何素直に驚いたり教えたりしてんだよマヌケ

あほゆきの動画見て終活するような阿呆なんて一発で落とすだろ普通

2021-03-01

anond:20210301105422

あたしんちや福間しげゆきの漫画に頭の悪い男が出てないと思ってる人……?

あたしんちの母親とか福間しげゆきの妻の漫画とか、頭の悪い女が「そういうもの」として出てきてのうのうと存在してる漫画が嫌い

2021-02-01

[]あしたは誕生日

おやつのじかんにうまれました

からおやつだいすき

ゆきのふるひでした

ほんとうは

お花の沢山咲いている

春に生まれたかったなぁ。

なんていってごめんなさい

産んでくれてありがとう

お母さん

もういないけど。

2020-09-30

追記あり任天堂を辞めてから5年以上が経った

追記はしないつもりでいた。

でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。

https://anond.hatelabo.jp/20201001022747

衝撃を受けた。

ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。

でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。

5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。

日記は2つともすべて読ませてもらった。

ありがとう。顔も知らないあなた幸せを願っています



新卒入社した。もうかなり昔のことだ。

文系学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。

企画部門への配属だった。生産管理希望していたけど通らなかった。

増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。

任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。

気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。

大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学フリースペース名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。

どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。

「将来、どういう人生を送りたいのか?」

人生優先順位仕事を何番目に持ってくる予定なのか?」

社会人になっても今の趣味を続けたい?」

そして、考えがまとまった。

ゆっくりしていて、まったりしている会社がいい」

趣味大事人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。

そういう生活ができるのであれば、年収は低くてもよかった。

それで、四季報インターネットを見て、そういう雰囲気会社を見つけては説明会に申し込んだ。

なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。

後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。

京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事内定して、同志社大学サッカー部キャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。

そんなレベル超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。

俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。

採用試験の内容は述べない。俺の体験談面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。

書類選考勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。



本題に入る。

俺はプロ世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。

いわゆるゲームプランナー見習いから始まった。

プランナーというのは、ファミコン時代マリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。

大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。

超すごい人達ゲームデザインをして、レベルの高い人たちが上記プランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。

ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。

たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。

任天堂社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。

実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。

でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分意見をはっきり言えて、他人意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。

2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事レベルの高い同期は本格的な企画仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトル制作会議20代若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。

当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。

なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分アイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。

毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。

地獄が訪れるのに時間はかからなかった。

先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。

実力が足りていなかった。あるゲーム操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。

ゼロ状態から仕様書設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。

上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないか上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。

それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって自分では何ひとつ創造していないんだって再確認させられた。

今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルのものなのに。

結局、納期オーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなた記憶の中に、あのゲーム操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的謝罪する。

ゲームの開発が終わる頃に転職活動を始めた。

今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビ登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。

ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械メーカー化学メーカー事務職オファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。

今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。

もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。

それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。

退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。

「せっかくモノになりかけてるのに」

ストレスに耐える力は一人前だからもっと時間をかけてみれば」

「あと1年だけでも働こうよ」

一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。

社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。

あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。

あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。



最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観ベースちょっと書いてみる。

問.どんな人が内定を取れるのか?

答.ホームページ採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。

創造性な活動をしてきた

ゲームへの情熱がある

学習ができる(特に英語

 この3つが採用試験で見られるはずだ。

 ①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。

 面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。

 自分場合は、大学生や専門学生だけでプロ歌手バンドを呼んでライブを実行する学際サークル活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。

 卒業生のためのプロパーティー実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。

 俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きポジションで部分リーダーをしていた。

 創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分言葉で話せるはずだ。

 ただし、アピールは忘れないように。自分経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。

 ②のゲームへの情熱言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。

 想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。

 そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分アイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。

 ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日関係ない。

 夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。

 あなたが志望する会社採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。

 例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。

 ③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。

 企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲーム社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。

 だから学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。



書き過ぎた。反省している。

今でも思うことがある。俺はあの会社感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。

時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。

ここまで読んでくれた人に感謝する。

まらなかったらごめんなさい。面白かったなら幸いです。

2020-09-13

anond:20200913223338

ワイは小町よりゆきのんかがはまさんのほうが好きやで

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