2025-12-07

なんか俺の出生届けが兄弟と全く違う件

兄貴出生届は、今住んでる家の住所で出されている。

妹の出生届も、同じ住所だ。

でも俺の出生届だけ、親が別居していた時代の、親戚のアパートの住所で出されている。

それだけじゃない。

兄貴と妹の出生届は、父親名前ちゃんと書かれている。

でも俺のは、「父親欄が空白」で、後から記入された形跡がある。その字体が、他の部分と違う。


最初は「何かの手続きの都合だろ」と思っていた

母さんに聞いても、最初は「その時はそういう事情があってね」ぐらいしか言わなかった。

俺は「ふーん、そっか」と流した。

別に親が離婚してるわけでもないし、兄妹と仲が悪いわけでもないし、戸籍とか出生届とか、そんなのどうでもいいじゃんと思ってた。

でも、よく考えてみると、変だ。

なぜ、俺だけ別の住所なのか。

なぜ、俺だけ父親欄が後から埋められているのか。

なぜ、母さんはそれを「事情があってね」で済ませているのか。

兄貴に聞いてみた

「なあ、お前の出生届、どこで出されたか知ってる?」

兄貴は、何か訝しい顔をして「実家だけど、何で?」と返した。

「俺さ、親戚のアパートで出されてるんだよ。しかも父さんの名前が後から書き込まれてる形跡がある」

兄貴沈黙した。

その沈黙が、ほぼ全てを語っていた。

「あ、そっか。お前は...」と兄貴言葉を濁した。

「何だよ。ちゃんと言えよ」

「いや、その...両親が、その時点で別居していたらしい。で、お前が生まれたのが親戚のところで...」

「待て。じゃあ、父さんはその時...」

「...認知手続きが後からあったんだと思う」

その瞬間、何かが腑に落ちた。と同時に、腑に落ちない部分が増えた。

出生

届の日付が、合致しない

その後、いろいろ調べてみた。

俺の出生届の日付と、兄貴出生届の日付を比べると、なぜか時系列おかしい。

兄貴は俺より4つ上だから、当然兄貴の方が先に生まれている。

でも、俺の出生届に「父親欄を後から埋めた跡」が残っているということは、その時点では父親の欄が空白だったということだ。

まり、俺が生まれとき、親は「正式婚外子」として届け出したのかもしれない。

あるいは、そもそも婚外子ですら認めていなかったのか。

それが何年後か経ってから認知」という形で、父親欄が埋められた。

その間隔が何年なのか、母さんはいまだに明確に言わない。

法的には、何か問題あるのか

弁護士サイトとか法律ブログとか読みまくった。

認知というのは「婚外子が法的に父親から保護されるための手続き」らしい。

それ自体は悪い制度じゃない。むしろ必要制度だ。

でも、問題は「タイミング」だ。

もし俺が本当に婚外子で、その後数年経ってから認知されたのだとしたら、その間、俺は法的には「父親のいない子ども」だったわけだ。

相続権も違うし、戸籍上の身分も違う。

その状態が、何年続いたのか。

そして、なぜ、そんなことになったのか。

母さんが口を開きかけた

昨日、母さんに直接聞いた。

「お母さん。俺、婚外子だったの?」

母さんは、固い表情で「...そう言えば、そうかもしれないね」と言った。

「『かもしれない』って何だよ。何があったんだよ」

母さんは、長い沈黙の後「その時、お父さんと別居していて。あんたが生まれたのは、実家に帰ってたときで...」

「待てよ。じゃあ、親戚のアパートっていうのは、おばあちゃんのことか?」

「そう。その時、お父さんはあんたが生まれたことを...すぐには認めなくて」

「え。認めなかったって...」

「でもね、後からちゃん認知してくれたし、戸籍も...」

その瞬間、俺の中で何かが壊れた。

なぜ、父親は俺が生まれたことを「すぐには認めなかった」のか。

なぜ、そのことを誰も俺に言わなかったのか。

なぜ、今になって、こんなに曖昧な形で教えられるのか。

出生届は、人生最初の「物語」だ

考えてみたら、出生届というのは、人間人生最初の「公式記録」だ。

名前、生年月日、両親の名前、出生地

それが全てだ。

その最初の記録が「曖昧」だと、何か、人生全体がどこか曖昧に感じられてくる。

俺は本当に「俺の父親の子ども」なのか。

それとも、法的には後から認知された「別の何か」なのか。

戸籍の上では、今はちゃん嫡出子認知されたから)として書かれている。

でも、その「嫡出子」という状態は、生まれた時点ではそうではなかったわけだ。

まり、俺の法的身分は「生まれた時点では、何者でもなかった」ということか。

兄弟と同じ「時間」に生きていなかったのかもしれない

ここからは、単なる推測だ。

もし、俺が生まれとき父親が俺を認めていなかったとしたら。

そして、その状態が何年か続いたとしたら。

その間、兄貴と妹は「親の嫡出子」として、全く違う時間軸を生きていたことになる。

俺だけ、別の時間軸で、どこか宙ぶらりんの状態で生きていたわけだ。

から認知されて、法的には「同じ戸籍」に入ったけど、その「時間」は取り戻せない。

その違いが、今、なぜか俺の心の中に、小さな溝のようなものを作っている。

「知らない方が良かったのか」という問い

昨日、兄貴メッセージで話した。

「なあ、お前は、この事実をいつ知ったんだ」

中学の時かな。親が喧嘩してるのを聞いてて、何か雰囲気で察した」

「それで、別に何とも思わなかった?」

「ん...思ったけど、別にどうしようもないじゃん。今はちゃんと父さんの子どもなわけだし」

かにそうかもしれない

法的には何ら問題のない状態に落ち着いている。

今更、過去のことをゴタゴタさせる意味もない。

だって、何か理由があってそうしたんだろう。

でも、「知ってしまった」以上、その事実は俺の中から消えない。

出生届の「曖昧性」が、俺の心の中の「曖昧性」になってしまった。

出生届を見つめながら思ったこ

今朝、市役所から取り寄せた出生届を、改めて見ている。

俺の名前

俺の生年月日。

俺の出生地(親戚のアパート)。

そして、後から埋められた父親の欄。

その手書き文字を見ていると、何かすごく哀しい気持ちになる。

誰が、どんな気持ちで、その欄に「父親名前」を書き込んだのか。

「やっぱり、この子は俺の子どもだ」と思った瞬間があったのか。

それとも、単に「手続き必要から」という理由だけで、埋められたのか。

出生届は、人生最初の「物語」であり、同時に「秘密」でもあるんだなと思う。

その秘密が、40年近く経った今、俺の前に開かれている。

そして、その開かれた秘密は、兄弟との時間軸を、ほんの少しだけ、ズレさせてしまった。

それが良いのか悪いのか、未だに分からない。

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