そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメと純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、
簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。「エンタメとは何か、純文学とは何か」という定義論はまた別の話だ。
しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「言うて、最低限サマになるクズしか出てこない問題」である。
そらとんでもない悪人とかクズ野郎とか出てくるけど、字下げや青山やその他の弱男みたいに一生同じこと言ってるだけの喋るウンコは登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛的スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)
一冊の大半が意味不明の定型セリフとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。
でもそんな喋るウンコにも生きる苦しみや自己愛やウンコならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。