まず時間軸を正確に整理すると、AさんとBくんとの出会いは完全に同時期だった。
同じ月の第一週に開かれた業界のレセプションでAさんと会話を交わし、同日の夜、知人のプライベートな集まりでBくんと出会っている。
つまり俺の感情は最初から並列的に発生しており、一方を主関係としてもう一方を後発的に付加したという構造にはなっていない。
一般に二股と呼ばれる行為の本質は、既存の排他性コミットメントを前提とした上で、新たな関係を秘密裏に構築することにある。
しかし俺の場合は、どちらとも排他性を前提とした約束を明示的に結んでいない。
Aさんに対してもBくんに対しても、俺はお前だけを愛する、という独占的契約を一度も交わしていない。
恋愛における排他性は、当事者間の合意によって初めて成立する社会的契約にすぎない。
その契約が未形成の段階で複数の好意を抱き、それぞれに誠実に応答することは、論理的には背信行為とはならない。
むしろ、感情の真実を歪めず伝えることの方が、誠実さの基準を満たしているとすら言える。
俺はAさんにもBくんにも、俺の感情が複数方向に開かれている可能性については曖昧にしていない。
直接的に他者の存在を明言してはいないが、お前だけに限定された関係を要求されているかという確認も受けていない。
明示的な排他性要求がない以上、俺は契約違反を犯しているわけではない。
道徳的非難を正当化するには、まず明確な約束の裏切りが要件となる。
その約束が存在しない状況で複数の人間を同時に愛することに、論理的・倫理的な欠陥は見いだせない。
俺はただ、起きた感情に忠実だっただけだ。