えっとね、東京大空襲がなければどうでもいいっていうのはわかるのよ。これまでの生活がそのまま続くわけだから。
で、他国に逃げられたなら日本がなくなってもどうでもいい、って言うから、これまでの家族、友人、知人とかの人間関係、言語環境含めた生活環境がなくなっても問題ない状況にあるんだろうなって思ったの。
そしたら、今、日本で暮らし続ける意味とか理由をどこに見いだしてるのか不思議に思ったの。
で、増田っぽくちょっと煽り気味に「しがみついてるの?」って聞いてみたの。
まあ、これはどうでもいいんだけど、「p→q」を「p∧q」と理解するってどういうこと?
今回のケースで言うと、俺が何をどう理解してるのか教えてもらえるとありがたい。
よくわかんないんだけど、「p→q」って「pならばq」、「p∧q」は「pかつq」だよね?
「尖閣諸島と竹島が奪われても東京大空襲がおこんなきゃどうでもいい」だとpが「尖閣諸島と竹島が奪われても東京大空襲がおこんなきゃ」でqが「どうでもいい」
「もっというと空襲があっても他国に逃げられたら日本がなくなってもどうでもいい」だとpが「もっというと空襲があっても他国に逃げられたら日本がなくなっても」でqが「どうでもいい」
もっというと空襲があっても他国に逃げられたら日本がなくなってもどうでもいい
他国に逃げられるんなら、なんで今も日本にしがみついてるの?
「p→q」を「p∧q」だと理解する人がいる、と聞いたことはあったけど、実物は初めて見た
えっとね、東京大空襲がなければどうでもいいっていうのはわかるのよ。これまでの生活がそのまま続くわけだから。 で、他国に逃げられたなら日本がなくなってもどうでもいい、って...
自然言語の会話を論理演算子を使って考えるのはアスペ