○調子
むきゅー。
なんか全身が痒い、とくに顔に出来物が出てて、痒い、なんか変な病気だったら怖いなあ。
一次・二次・三次とすいすい面接を終わらせて今日の最終面接で無事内定。社名はこの略字で分かる人にはわかるのかもしれない。どうだろう。
就職活動について、始める前は大分萎縮してたけど終わってみたら特に自分を偽ることもなく内定を四つもらって、のびのびと出来た。
内定もらったとこをゆるゆると断っていくのを済ませて、完全に終わりだーーー
フルーツです。ここ読むくださいどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%B3
ピーターの法則読むくださいどうぞ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
全然使わない
エロ動画も見れないことはないが、PCあるのにわざわざタブレットの小さい画面でみても仕方ないし
たまには通勤電車の中で映画とかみてもいいかもしれないけど、時間的に中途半端なんだよなあ
なんかいい使い道があったら教えてほしい
たまに似たよな事考えて、コスプレ風俗とか適当な女と仲良くなって頼んだりとか考えるんだけど、結局素人のスタイルが絶望的なので、毎度「コレじゃない」になるから、ああいうのは2次か高い金で妄想を作った世界を楽しむ(AVとか)が一番いいのではないかと最近思う。
なんで無能なオスなんて相手しなきゃいけないの?生物学的にもおかしいでしょ
そりゃ主婦と同レベルの家事や人付き合い出来るなら問題無いけど
そもそも男だって自分より美人で若くて家事が出来て・・・とアレコレ要求してるんだから上昇婚じゃん
なぜかオスの要求は下方婚とされてるよね
それって数字は小さくても
実質上昇結婚だよね?
大学時代、これといってやることもないからウェブサイトを作って遊んでいた。
当時はHTML,CSS, JSを書いてレンタルサーバーにおいて表示させて楽しむところから始まった。スポーツのニュースサイトのRSSを読み込んで表示するだけのサイトを作ったりした。しばらくすると、Rubyというプログラミング言語を学びながら、ウェブフレームワークを使って動的なウェブサイトを作ってみた。赤の他人がウェブサイトに書き込みをした時はとても嬉しかった。
バイトをしておらず、金がなく友だちもいなかった。没頭できる唯一の趣味がウェブサイト制作、その周辺のプログラミング作業だった。ネットを検索すれば以下のような「ウェブサイトをつくって大成功」みたいな記事がたくさん見つかる。自分も、バイト代くらいはウェブサイトで稼げないものかと淡い期待を持っていたのだろう。
http://www.itmedia.co.jp/bizid/hitori_index.html
並行して、簡単なTIPSやプログラミングに関する概念の解説みたいなことをブログに書いていた。どちらかといえばそちらのほうが人気を獲得していた。作ったウェブサイトはどれも流行らず、結局閉じることになってしまった。
頭のわるいFラン大学文系人間だった。黒い画面にテキストを打ち込むだけですごいことをしている気分になった。金にならなくても、少しずつ自分のアイデアが形になっていくのが楽しかった。
しばらくして、これといって話題になるようなウェブサイトも作れずに就活の時期を迎えた。一流のIT企業をいくつか落ちて、中規模SIer(1次請け〜2次請けくらいの案件を取り扱う)にSEとして入社した。
仕事が始まると、毎月定まった給料がもらえることに感動した。真面目にバイトしたことなどなく、派遣の単発バイトばかりだったため、まとまった給料をもらえる、そのこと自体に感動した。しかも、いくらか興味のある仕事だ。それはとても嬉しい事だった。
しかし、さらにしばらく経つと、どうも何かがおかしい。ウェブサイトを作っていたときに感じていた楽しさ、没頭感とか全能感といったような類のものが丸っきり無くなっていた。よく、大手のSIerに入社するとコードが書けなくて幻滅するというが、自分が入社したのはプログラムを書く上でとてもいいポジションだった。下請けのマネジメントをする会社でもなく、ブラックな環境でめちゃくちゃな開発体制を強いられるわけでもない。
それなのに、プログラムを書くことに楽しみを感じなくなってしまった。入社当時は休日にプログラムを書いていたが、今ではそれが苦しい作業になってしまっている。なぜなのかわからない。
あの全能感はどこへいったんだ。
ファンの立場からは辛いんだろうし、その茶化しを真正面からファンが受け止める必要は無いはずである。
ので、Twitterでファンの反応とかを見て回るのはやめにしたい。心がささくれてくる。
本当、ネット社会において『好きなモノがある』ってのはそれだけで精神的なリスクだ。
好きなモノへのヘイトを見かけて心をすり減らせてしまうくらいなら、この世のすべてを嫌いになれればいいのに。
『何かを好きになる』ってのは、心に弱点を抱えることでしかないが、それにより心の安寧を得てしまえるというのは、もうこれは人類の欠陥ではないか
神により仕掛けられた罠に近しいなのかなのではないか。
隣の人すまん
すまんという気持ちでもうひとシャウト
迷惑な俺を許してくれという熱いシャウト
いい声出てしまったのでついでにもうひとシャウト
締めは反省のシャウト
ほんとうにすまないと思ってはいるんだ