今更ながらINGRESSをやり始めた。
見知らぬ他人とコミュニケーションを取るのは苦手なので、もちろんソロだ。
職場と自宅が徒歩一分という環境なので、自然と地元で活動することになる。
激しく活動すれば、その地域のコミュニティで「○○って暇なんじゃないの?ニートなの?」みたいに
言われるらしい。
もちろんそんなコミュニティには近づかないので、そんな発言を見ることはないのだが。
いつもライバル陣営のエージェントに遭遇しないかドキドキしながらやっている。
遭遇したら、もちろん駆け足で逃げるだろう。
挨拶なんてされたら、吃りながら「ど、どうも」なんて言って、やはり逃げてしまうだろう。
2chなんかを見てると、「遠征」だとか「車で」とか言っている。
俺はここ10年ほど旅行なんてしてないし、運転もペーパーゴールドだ。
こんな奴がIMGRESSをする意味があるのだろうか。
でも増田が生きてるくらいの間は「破綻した今のシステムが破綻した状態のままずっと続く」ってのが一番ありそう。
「この次はどうなるんだろう?」って考えるのは楽しいし、そういうことを真面目に考えることを仕事にしている人もいるが、個人のレベルで考える限りは「明日の世界なんて来ない。来るとしてもその頃には君も僕もいない」ってのが妥当そうだ。
コミュニティ主義かな。
社会ほどでかくない、マイルドヤンキーの価値観至上主義とでもいうか。
マイルドヤンキーはみているぞ。
TOKYOのTをロゴにするっていう発想自体は別に、悪くは無いと思うんですよ。
扇子や桜はわかりやすいモチーフだけど、それって凄く古典的で。
大正時代だったら良かったのかもしれないけど、今の日本人は洋服を着るし、東京はビルばっかだし。
かと言ってニューヨークのような、ザ・都会じゃないし、パリみたいに整ってるわけでもない。
「1964」から進化した「今の東京」を具体的なモチーフで表すのって至難の技。
海外から見た具体的でナウい日本文化といえば、アニメ、漫画、ファッション?
さすがにそれをモチーフにしちゃったらそれこそ国民に怒られる。
個人的には「円」って今も昔も日本っぽいよね、と思ってるけどそのへんはおいておいて、
で、東京。東京ってなんか、すっごい独特な場所だと思うんです。
海外の人たちの反応を聞く限りでは、他の国にはないような何とも言えない変な場所。
高層ビル群があるかと思えば、路地裏には小汚い定食屋が並んでて、
大きなデパートが並んでるのに、突然神社やお寺が現れて。場所によっては屋上に鳥居があったりして。
スクランブル交差点があって、うるさいモニターの下で演奏してる人達がいて、ちょっと歩けば広い公園があって。
日本人からしてみれば何てことはない日常の景色を外国人が珍しそうに写真撮ってて。
なんかそういう今っぽいカオス感が「TOKYO」ってものの中に内包されてる気がしてて
東京でもとうきょうでもトーキョーでもなくTOKYOだよなあ、みたいな。
だからまあ「TOKYOのTをモチーフにロゴを制作する」っていうのはアリだと私は思います。
欧文書体って一杯あるけど、その歴史みたいなのはすんごく奥深くてですね。
日本語と違ってとても幾何学的な字体なので、読みやすさ・美しさ・強さ、あらゆる観点で計算されつくしていて。
今から新しいフォントを作ったところで、昔からある伝統的な書体には何をどうしたって敵わない。
で、選ばれたのがDidotとBodoni。というか、「モダン・ローマン体」と呼ばれる種類の書体。
佐野氏が「これを元にしました」とか言っちゃうから話がややこしくなるんだろうけども、
DidotやBodoniを元にした書体なんかそりゃもう大量にあるし、
世の中の活字は手書きのものを除いてしまえば漏れなく「元ネタ」がある。
(遡りまくった先にあるのが2000年前にローマに建てられた「トラヤヌス帝の碑文」と呼ばれる石碑に書かれたTrajan)
美術というよりは数学みたいなもので、美しく伝統的な書体を元にしつつ、
その時代や使用目的に最適化された書体を「新たに作り上げている」のですね。
で、今回はそれがオリンピックのロゴであったと。言うことですね。
蛇足なんだろうけど、好みだけで言えばあのエンブレムは別に好きでもなんでもないです。
円を意識して右下に下げたセリフの片割れ、あってもなくても私には円には見えないし。
黒のインパクト強すぎだし。9分割が逆に気持ち悪いような気もするし。
パラリンピックと並べれば、まあアリかなあ、ぐらいの。これから先の展開に期待というかんじです。
私も招致の時の桜のマークは好きでした。あれを使えばいいとは言わないけど。
長々と失礼致しました。
働き出したら女と仕事のことだけ考えてろ。
現物株なら確かにそうだが、信用取引とかするとそうでもなくなる
次は何が来るんだろうって疑問は全く不思議じゃないんだが
増田は、大切な人を他人に紹介するときに、(辞書的に考えて)妙な言い方になることはないか?
例えば知り合いに、なんでも喋れる親友を「腐れ縁でして(笑)もう呼び捨てっすよ(笑)」と紹介したとする。
そこで「親しき中にも礼儀あり!!腐れ縁なんて言っちゃいけません!!呼び捨てで呼んじゃだめ!!」なんて言われたら
「は?」て思うだろ。
人の呼び方を字義通りにいちいち捉えて、運用するなんざ対外的なマナーくらいなもんだ。
そんないちいち想像広げなくて良いんだよ。
専業主婦って、家政婦やお手伝いさん扱いすると物凄くキレるんだよ。
本来気を休める場所(家)で、色々我慢して盆暮れ正月も働いてくれてんだよ。給料も発生しないのに。
お母さん自身も「同等もしくはそれ以上の働き」だと秘かに思いながら、自分で自分を褒めてやりながら毎日頑張ってんだよ。
それでも友達に「うちの旦那」とは言わず「主人」呼びを通すのは、対外的なマナーもあるが主婦としてのプライドもあるんじゃないかなぁ。
謙虚(と感謝)を込めて「主人」として夫をキッチリ立てるってのがお母さんの、妻としてのプライドなんだよ多分。(対等な者同士でも謙虚さと感謝は成り立つだろ?)
増田はそれをズタズタにしちゃったんだよ。お母さん、手塩にかけて育てた子供に言われて相当傷ついたと思うぞ。
まぁ自分は自分の母親しか知らんし、増田のお母さんになったことがないから憶測でしかないけどな。
とりあえず「ごめん」と言ったところで、お母さんの心には届かない。
普段、お母さんにありがとうって言ってるか?
仲間さんの時も思ったけど、堀北ちゃんみたいな日本でもトップレベルだろう美人が
JJIと結婚するとショックというか本当にいいのかと問い詰めたくなる
始めたくなったんだけど
はてなidは複数アカウント禁止だしサブ垢でもいいかと思ったんだけど捨てアドじゃ作れないし
Twitterでもやるかと思ったらなんでか知らんがはじめてすぐに凍結された
どうしたらええの
資本主義が終わるのなら共産主義が来ることになっていたが、今そう思ってる人はまずいないだろうな。
個人的に資本主義が終わるなら次に来るのは「破綻した資本主義」で、その次には「破綻したが死亡はしてないので破綻した状態で続く資本主義」が来ると思うよ。
ふざけてるわけじゃなく、「**が終わったら次は@@が来る」って発想そのものが、端的に言えばマルクスの歴史観に毒されてると思う。
彼女がほしい → みてくれの改善(痩せる、食べ過ぎない)、話の引き出しを増やす、出会いを大切に、人に興味を持つ、楽しませる → 具体案及び付き合うまでのプロセスが想像できない)
絵が上手くなりたい → 練習する、イメージの保持を大切に、同人誌だしたいね
仕事が出来るようになりたい(来年から) → 資格の勉強をする、実地的な訓練も行う
旅行がしたい → お金をためる 時間つくる(外食やめる、本の衝動買いをやめる)
ちょっとでもいいから不労所得がほしい → 思いつかない 元手がいるのでは
英語が話せる、ちゃんと読めるようになりたい → 触れられれば触れるくらいでいいや