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| ̄\ ( ゜Д゜)< ココまで読んだ
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| |: ̄ ̄ ̄ ̄:| くパタン!
というか、ぶっちゃけ、ある程度の福利厚生が完備されてる企業で働けるのは、結局のところ白人(厳密には、ヒスパニック以外の白人)か、それなりに裕福な家系に生まれたアジア系、黒人系くらいだ。
日本で言うところのブラック企業は平気で存在していて、そこでは不法入国の黒人やアジア人、ヒスパニックが半ば奴隷的に働いている。それでも、現地に強制送還されるよりはよっぽど稼げるので文句を言わない。だから表面化しないだけ。日本でこの前、時給200円くらいで働かされていた中国人グループが保護された事件があったけど、そのレベルになって初めて発覚する。日本の「海外がー」厨は、その現実を見ない。
日本は移民の数が少ないから、海外では移民が行ってる仕事も、日本人が担当している。だからブラック企業の問題が顕在化しやすいだけ。もちろん、そのブラック企業は滅ぼすべきだし、問題解決に力を注ぐ必要がある。だが、「海外の労働環境はパラダイスである」という安易な情報を発信する人々は、正直、無責任としか言えない。その労働環境は、現代の奴隷たちによって成り立っているのは、どこの国も同じ。その奴隷が、日本では同じ国民であり、海外では移民たちというだけの話。
数年前に夢をあきらめないということというエントリを読んだ。
サッカーライターになりたい!と明確に意識したのは、大学生の頃だった。
金子達仁の「28年目のハーフタイム」、木村元彦の「悪者見参」などなど。
こうした作品に影響を受けまくって、「いつか、こういう作品を書いたる」と意気込んでいた。
何の根拠もなく、どこかには通ると思っていた。
無理だった。
マイナーな専門分野に特化した雑誌を作っている出版社にすべりこんで、そこで広告営業の仕事をした。
それでも、「ここで何年か頑張って営業→編集→スポーツライターだ」と思っていた。
当然、そんなに世の中は甘くなかった。
そうとばっかり思っていたら、なんと自分より後に入った新入社員が編集部に配属されたりした。
モチベーションを保つのが難しくなったが、当時の編集長が喫煙所でタバコを吸いながら
「次の異動でうちの編集部に呼んでやる」と言ってくれたので会社に残った。
でも、そんなタイミングで会社の経営陣が丸ごと入れ替わったので、そんな些末な異動の話は吹っ飛んだ。
さすがに限界だと思って、転職活動をして、なんとか編集の仕事ができる会社にすべりこんだ。
そこは、大企業の子会社で2chで「社畜www」と叩かれるような企業風土のところだった。
そんな雰囲気の会社で、2年半ほど「編集者」として働いた。先輩の編集部員や上司とはまったく“肌”が合わなかった。
逃げるように、今の会社に転職して、細々とWeb編集の仕事をしている。
それが俺の日常だった。今じゃサッカーより野球が好きなぐらいだ。
ある日、会社に見たことのある人間が入ってきた。それは前の会社にいた時、最初に入った会社の先輩が紹介してくれた
何回か一緒に昼飯にいったりして、サッカーの話をした。でも、その時は何も起きなかった。
しばらくして、その人は会社からはいなくなったが、仕事でチョコチョコ付き合いは続いていた。
そして、またある時、その人が「自分が企画したサッカー関連の同人誌にノーギャラだけど寄稿しないか?」と声をかけてくれた。
でも、今更俺に何が書けるというのだろう。
チャンピオンズリーグなんて、ここ数年結果しか知らない。Jのスタジアムにもほとんど足を運んだことがない。
戦術分析のサッカーブログなんて世の中に溢れかえっている。そんな中で何が書けるんだろう。
5,000字に満たない原稿だったが、スポーツライターを目指していたときの気持ちが蘇ってきて楽しかった。
掲載誌が送られてきて、他の寄稿者の原稿と比べてみると、異質すぎて浮きまくっているように思えた。
でも、サッカーについて思ったように書いた原稿が「読者」の目に触れることは純粋に嬉しかった。
6月4日。本田がPKを決めて、日本代表がW杯出場を決めた日。俺は試合を見るでもなく、普通に仕事していた。
大学生の時、2002年は鈴木隆行がゴールを決めた。あれからもう10年。あのときは2006年W杯には取材で行っていると思っていた。
送り主は、原稿を書くように誘ってくれた人だった。
「○○さんの書いた原稿、市販のサッカー雑誌の編集者が転載したい、と言っているんです」。
俺は「サッカーライター」にはなれなかった。でも、今度俺の書いた原稿がサッカー雑誌に載る。
それは「夢が叶った」なんて大層なものではない。
かたき討ち成し遂げてめでたしめでたしとか時代物じゃありふれた話じゃん?
「復讐」をテーマにした場合「する」「しない」どっちでも話は転がせるだから、どっちの結末にするかは作者の考えとか、話の作りやすさとかによるんじゃない。
復讐したい人が復讐成し遂げてハッピーエンドって一話完結ならいいけど、長めのストーリーものでそれやると読者からすりゃオチが読めるという状況なわけで、そうなると間の展開がどんなに盛り上がっても、オチがわかってる
しかも作る側としては殺して終わりのワンパターンで展開の幅がそんなにない(せいぜい、苦しめ方のバリエーションがあるくらい)から作りづらい、それなら「どういう理屈で復讐をやめるのか」という見方があるほうがまだ自分なりの展開に持って行けるから作りやすいという考えがあるのかもしれないね。
http://www.unixuser.org/~euske/doc/varitext/
新山 祐介
この論文では UNIX と女子高生の数学的同値性を証明する。 高度に発達した離散的コミュニティでは、 そこで使用される言語=表象はおよそ一般的な話し言葉とは著しく異なったものに対応させられる。 本論文ではまず UNIX コミュニティにおける言語と女子高生コミュニティにおける言語の相似性を提示する。 つぎにこのような言語体系をうみだす環境の認知心理学的類似性について考察し、 UNIX が女子高生と数学的に等価であることを示す。また両者の今後の展開についても予測をおこなう。
くっそわろたwwww
都会なら、普通のマッサージ店も夜中にやってるところがあるよ。田舎なら無いかもしれないけど。
まあ、我慢しておけ。変に素人に任せたら、金の無駄どころか逆に酷くなる。まあ、マッサージ店でもピンキリあるから、確実に良くなるとはいえないけど。
中国の物を使っている人が中国人を叩いてはいけないというのなら、中国人のものを使ってるチベット人は、どれだけ弾圧されても文句を言ってはいけないってことだよね。
凄い。なんというレイシスト。在特会でもなかなか言わないぜ、こんな酷いこと……これが日本の左翼か……ナチス以上のトンデモ思考だ。人間とは思えん。
2000年頃は確かに「ただの市井人が公に情報を発信」しはじめちゃったころだよね。
それ以前はちゃんとした人しかいなかったのに。
その通り。そして、日本人の歴史修正主義を批判する人は、日本やドイツ以外の国が、その状態に陥ることがないと何故か思い込んでいる。
中国や韓国が軍国主義に陥り、日本に侵攻し、日本人を慰安婦として連れ去る可能性を一切考慮していない。まるで原発の安全厨である。
法律上、居住者が入居したときの規約(保証人不要など)を、会社側が勝手に変えることは出来なかったような気がする。例え管理会社自身が変わってもね。弁護士の無料相談所とかに確認してみたら?
http://anond.hatelabo.jp/20130609002540
あの頃の個人サイトというのは全て手作り。作るにはそれなりの知識が必要とされた。
残念ながら全てが素晴らしいサイトだったとは到底言えない。そりゃそうだ。
しかしただの市井人が公に情報を発信できる。これは革命だったんだよ。
最初はただの日記だった。それを世界中の人が閲覧する。やがて巨人が現れた。
既存のメディアには乗らないニッチな分野の膨大なデータや検証を発信する人々だ。
これらWebならではの極上の情報は瞬く間にこの世界の最上段に祭り上げられた。
今Facebook中毒になってる人には分かりやすい感覚かもしれないが、
あの当時はその対象が全世界の不特定多数だったということだよ。
今のコミュニケーションツールと違うのは、相手が知らない人ばかりだったってこと。
知らない人といきなり腹を割った話をする。意気投合する。
こんな素晴らしい出会いにはもちろん影がある。「荒らし」という存在だ。
今の匿名掲示板のコピペ・AA爆撃とは浸透力が違う純粋な悪意の攻撃が当時の荒らしという存在だった。
今は光が弱まっただけ影も弱々しくなった。こんな状況はやはり、健全だとは思う。
しかし何かを発信したい人は発信するべきだ。影をくらませるだけの光を発すべきだ。