多くの婦女子諸兄には処女というのは特別意味のこもったワードらしくこのことについて書かれたブログやら何やらというのはまま見かける。
そしてそこに頻出するのが処女厨という言葉。もしこの単語が出てきたならば大体のところどんな主張を仰っているのかその想像はつく。
往々にしてこんな感じだろう。「処女を勝手に神聖視するな、処女をモノ扱いするな、処女厨こわい、きもい」
いつもならば眉を仰角30度くらいに吊り上げ一文字に結んだ口許からぐぬぬとでも漏らして終わりなのだが、今日ははっきりと言いたい。相手に処女を望むことの何がそんなにどうじてなにゆえ問題なのだ?
花も恥じらうご処女様と宮沢賢治よろしく欲にまみえむ童貞様が心も体も心身ともに結ばれ幸せそのものセカチューばりのプラトニックラブIT'S A BEAUTIFUL WORLD。
実に美しいじゃないか。
しかして正すべきのなにものもないこの世界に土足で押し入り踏み荒らしていくのが勝手に処女厨などとカテゴライズしたあげく遥かお天道様をも下す高みから見下ろしたもうたる輩だ。
彼等彼女等によれば女性に対して処女性を求める人物というのは分類学上の処女厨という範疇に収まり、それはもうおもわず目ン玉ひん向いてしまうくらいにリンカーンもビックリなご高配を賜る栄誉に預かるわけなのだ。
曰く、処女厨とは女性に対してワガママな妄想を抱いたあげくその自分本意な欲望を押し付けてくる怖くてキモい存在なのだそうな。
で、この処女厨ってなんなんだ?
ネット上には確かに非処女は肉便器とのご高説を垂れる手合いがいるが、ああいった連中のことだろうか。
ならば話が早い、あれは処女厨ではなくただ全方位に対してヘイトを撒き散らすのが目的の集団か、処女厨を隠れ蓑にした膜厨のどちらか、もしくはその両方を兼ね備えた人達だ。
まずヘイト集団は便所の落書きそのものだ、まともに相手をするのはバカと暇人だけでいい。
問題は自称処女厨の処女にあらずんば人にあらずなどとのたまう膜厨共だ。
まあこいつらの主張はごくシンプルで膜が有るか無いかの一点にのみことの是非が集約されている。膜があればよし、膜がなければわるし。
この単純明快な理論だがどう見てもおかしい。普通におかしい。ちょっとあたまおかしい。
突っ込むまでもなくこいつらはただの膜好きだ、論ずるに値しない。
まあ実際にはおお真面目に膜が云々と書き立ててる奴などそうはいないのだが、こいつらの言う所を噛み砕いてやればそういうことなのだ。
とここで対になるのが精神的処女厨という言葉なのだが、これこそが言いたかったことの一つだったりする。
精神的処女厨とは女性に対して膜の有無ではなく、それが初恋であることを求める人間のことだ。というか俺のことだ。
断言するが肉体的処女厨なんてのは2chを中心としたネタに過ぎない。
あえて矛盾点をしこたま抱え、通る道理のない所を無理やり通してしまう。
無茶な理論だと分かっているからこそムキになって反論してくる相手の存在が心地よく、横暴に振る舞えば振る舞うほど快感を覚えることのできる、そんな趣味の悪いお遊びだ。
そして冒頭に戻るが大抵の場合が処女厨と言われればこの肉体的処女厨のことを指している。いいかこんな奴はいない、存在しないんだ。
確かに処女膜という記号に萌えて燃えるやつはいるだろう、しかしそいつらは非処女を忌避しているわけではない。
ましてや肉便器肉便器などと呪文を唱え据え膳食わぬどころか膳には唾棄するべしというような信条をもったやつらでは決してないのだ。
詰まるところ相手が処女だと聞いて喜ぶような輩はいても膜がないからといって、それのみを理由にボールをストライクゾーンから一つも二つも外してしまうような輩はいないのである。
肉体的処女厨というのはたけのこ厨、きのこ厨と同じお遊びの産物に過ぎない。
では熱意と情熱をもって処女に対しそのほとばしるリビとーを思うがままに開放している彼等の言は全てがお遊戯なのかと言われればそうではない、
一分に真実の叫びが混じっており、それを担っているのが精神的処女厨というわけだ。
異性への好意、その最初の相手が自分であることを求める、つまり初恋でなければ許せないというのが精神的処女厨であることは先程述べたが、
逆に肉体的には無理矢理にレイプされていようが知らぬ内にネットペニスとやらに貫かれていようがそこに心理的な同意がなければ全くの無問題である。
なんのことはない運命の赤い糸とは言わないが好きになるのならそれが最初の恋であってほしいという叶わぬ夢であること間違いなしの想いなのだがただそれだけのことである。
で、これのどこにカースト制度ばりの侮蔑を投げかけられる要素があるというのだろうか?
例えば特定の相手ができたとすればその相手には精神的な処女性を求めたいとただそれだけだ。俺はでかい乳にそそられるだとか、貧乳こそ正義だとかそんな好みの話である。
別に精神的"非"処女の方々を蔑んでいるだとか嘲っているだとかそんなことは一切ない。
けれど、にも関わらず、しかるにだ、なぜだか勝手に虚空の存在である処女厨とやらにカテゴライズされた挙句、ご丁寧に被害者面して散々ディスられ、いつのまにやら上下が逆転しもうちょっと大人になられたら如何でしょうかと諭されるのである。
被害妄想?そうであればよいのだが彼等彼女等が指すところの処女厨というのには確かに俺が含まれている、実際にはそれがいもしない肉体的処女厨に向けられた言であってもだ。
大体個人の好みの問題になぜ割って入ってくるんだ?そんなに憎いのか?否定も肯定もされていないというのが嫌なのか?そこに有るというただそれだけがそんなに許しがたいことなのか?処女厨という架空の藁人形を編みあげてひたすら釘で打ち据えるのがそんなに楽しいのか?
膜厨とか初めて聞いたわ… 主張の内容は分かったし、精神的処女厨なあなたの気持ちも伝わってきたが だったらなおさら 相手に処女を望むことの何がそんなにどうじてなにゆえ問題な...
俺的には、そういう考えしている人がいたって構わないけどな。 ライバルが減るから大いに歓迎するよ。 今の世の中、 初恋が自分に巡ってくるなんてことが 小学・中学・高校生なら...