母さんがんばれ。愛してるよ
過去のことは怖くない。
それよりも周辺に照明と警報機をつけて、
夜間に人が出いりしにくいようにすることが重要だ。
まわりよりも治安がいい場所なら二度は遺棄されないだろう。
以下のうち5つ(またはそれ以上)で診断される。
1)自分が注目の的になっていない状況では楽しくない。
2)他人との交流は、しばしば不適切なほどに性的に誘惑的
または挑発的な行動によって特徴づけられる。
3)浅薄ですばやく変化する感情表出を示す。
4)自分への関心を引くために絶えず身体的外見を用いる。
5)過度に印象的だが内容の詳細がない話し方をする。
7)被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。
8)対人関係を実際以上に親密なものとみなす。
http://anond.hatelabo.jp/20091022233441
http://anond.hatelabo.jp/20091022233438
話題になっていないと死んじゃう人たちなんだなあ…
子どもは可愛くて親や夫が協力してくれたとしても、自分の意思でひとりになれない状態って言うのは本当にきついと子どもを抱えた姉を見てると感じる。
常に気を張ってなきゃいけないし。
こういう、ちょっと困ったとか、ちょっと嫌な気持ちになることとかってひとつひとつは些細なことでも積み重なるとすごく心の負担になるよなあって思った。
しかもひとつひとつは些細なことだから、人に言っても「たかがそんなことで?」みたいに重要性をわかってもらえないし、自分自身も「自分は恵まれてるのにこんな小さなことで落ち込んで」と許容できない自分を攻める方向に行きがち。
あなたはすごく真面目だし、よく頑張ってるよ。
ちょっとずつ辛いことが積み重なってしんどくなることは当たり前のことです。
どうか自分を責めないでください。
http://anond.hatelabo.jp/20091020194439
に対する嫌味?
欧米が子供を軽視しているということはないと思うけど。公私の区別がしっかりしていて、大人と子供の区別もはっきりさせているということでしょう。家族の中で子供は保護される存在としてしっかり定義されている。
赤さんは泣くのが仕事だからなあ。クライアントの意向もあるわけで。「泣かないでくれ」と交渉しようにも、「じゃあクライアントの利益はどうなるのさ」という話になってしまう。つーか俺としては、代わりに俺が泣いたっていいんだけども、現実としては、それはなかなか難しい。
とにかく、俺は赤さんに生まれないでよかったと、胸をなで下ろしています。(c)あれの人
神前結婚も騒がれると困りますよ。
あー、なるほど。そういうならわかる。元増田の嫁も始めっからそういう論法で言ってれば元増田も関係ない俺もそれなりに納得したのに。
欧米諸国も赤ん坊を結婚式に参席させないよ。結婚式は無礼講の宴会ではなく契約のセレモニーだからハプニング要素は排除する。神の儀式を重んじる意識は日本人の方が薄いのかも知れない。
外で嫌がらせを受けたり理不尽な言い掛かりを言われたりしても家で飼ってるヨウムの世話をしていると自然とそんな事も忘れる。
でも最近は俺が家の中で呟いてる独り言を覚えたのか何もないときによく「死ね・・・死ね・・・」と言う様になった。
あまりいい気分はしない。
植物にすればいいのに。
おまえらはしゃべらないからいいよ、とか思いつつ、
カリフラワーに毎朝水をやって、
成長の具合を確かめる時間が、一日のうちで一番リラックスできる。
最後は食うこともできるし。ペットは食えないでしょ?
じゃあ神の意志を元増田の妻がそれなりに尊重してるということは妄想ではなく始めからの文脈だったと認めてくれるんだね?
その上でなら、言うが、俺も神の意志なんか知らん。そもそもなに教かも知らんし。
ただどこの教でも「赤ん坊騒ぐのやだ」って価値観はないんじゃないかと思うんだよなあ。予想だよ? 知らんよ実際は。
そういうのって無宗教的な基準じゃないかと思うんだよな。そこの辺に奥さんの矛盾があるんじゃないの?っていう。知らんけどさ。
俺もその可能性を視野に入れていた。
http://anond.hatelabo.jp/20091022141906
「なぜ、私の夢を無視するの? 私は厳粛な結婚式をやりたいのよ」なんですね? じゃあ「何をもって『厳粛』とするか?」ってところから、始めないといかんのでは? 赤ん坊が泣くかどうかと厳粛かどうかは、実は関係ないんじゃないですか? 必要なのは元増田と奥さんが「厳かな雰囲気の中、常に注目される状態にあること」ですよね?
赤ん坊が泣きだしても、俺は絶対に、そちらに気を取られたりしないと、誓ってあげてはいかがでしょう。
奥さんにとっては、披露宴はお披露目だけど、結婚式は二人が永遠の誓いをする神聖なものであり、二人が誓い合うことがメインなのであって、ゲストは二の次なわけです。なぜ、ゲストに遠慮しなくてはならないのかわからない。主役である自分たちが一番輝けばいい瞬間なのにと思ってるわけです。
奥さんが、なぜ、「二人だけの式」を拒んだのかは、ちと、わかりかねますが。たぶん、観客としての親戚が必要なわけです。赤ん坊は観客になってくれないからいらない。
で、元増田としては「お祝いに来てください」と招待しておいて、「自分たちの観客にならない人は入場お断り」なんて言えないと言ってるわけです。
奥さんにわかってもらわなくてはならないことの一つ目は「結婚式の招待客は、ピアノの発表会の招待客ではない」ということです。そりゃあ、クラッシックのコンサートに出演するときに、親戚といえども赤ん坊連れで来るなんて言ってきたら、お断りしたくなるでしょう。自分が主役なんですから、主役のことをそっちのけにする客はいらないでしょう。でも、結婚式の招待客が見届けたいものは、二人の晴れ舞台ではなく、二人が今後お互いの力を合わせて生きていく決心をするところ、です。
その厳かな場において、赤ん坊の泣き声くらい、どうということはない。泣きたければ泣かせておけばいいではないか。二人の厳粛な気持ちはいささかもゆるがない。そう約束する。ってセンではいかがでしょうか?
そして、奥さんにわかってもらわなくてはならないことの二つ目は「こういったことはたびたび起こる」ということです。まったく別の生活環境で大きくなってきているのですから、何か大事なことを決めようとするたびに、こういった揉め事が起こります。お互いに自分の気持ちに気づき、譲歩できることは譲歩し、出来ないことは形を変えられないか考え、ギリギリまで我慢することになります。それが、他人と暮らすということです。
元増田は自分の妹を信じてやれますね? では、「万一、妹の子供が泣いても、室内から退場しなかったら、式場の人に外に連れ出してもらうよう頼んでおくから、妹を信じて、普通に出席させてやってくれ」ということで、奥さんの了承は得られるのではないでしょうか?
妹さんには「出来るだけ静かに進行させたい」という奥さんの希望だけを伝えておけばいいと思います。それでわかるでしょう。
200910222344追記
ymScottさん。
彼女の言い分
(中略)
泣いたらすぐに出られる所に座ってもらいたい。
僕の言い分
(中略)
もし本当に泣いてしまって、(現実的には考えにくいが)妹がそれを放置する様なことがあれば、
当然式場の担当者に外に誘導してもらう。
妥協部分は、最初からお互いの言い分の中に含まれていますよ。「妹さんの子供が泣いたら、すぐ外に出てもらう」でファイナルアンサーです。最初から。
なのに、なぜ、元増田が、ここで一致しているということに気づけないかというと、元増田はあくまでも「妹の自由意志に基づいて」ということにこだわっているからです。
私は奥さんのことを、ことさらひどく書いたつもりがないんで、いったい、なんで「これはひどい」タグが付いてるんだかわからないので、もし、お時間がおありなら、ぜひ、説明していただきたいところです。
ただ、私は「元増田を説得する」というコンセプトで書きましたから、元増田の視点からモノを見るようにはしています。そこが気に入らなかったのでしたら、これはもう、立場の違いということで、ご了承いただきたいですね。
元増田の解釈する家族の範囲と彼女の考える家族の範囲の違いってのが、問題の根底にあるような気がする。
元増田にとっては妹も妹の娘(つまりは甥(姪)っ子)も家族なんだけど、彼女にとっては彼女自身と元増田(加えるなら、双方の両親)以外は、親族ではあっても家族ではないんじゃないだろうか。