水野敬也です。
これまで僕は「コミュニケーション」「仕事」「お金」「恋愛」「幸せ」……といった、主に「自己啓発」と呼ばれるジャンルの研究と実践を行い、本を作ってきました。
しかし、今から始めるこの企画は、これまでの活動を全否定するものになるかもしれません。
そして、全てのビジネス書の著者やコンサルタントたちは、間違いなくこの企画に対して二の足を踏むことになるでしょう。
しかし、誰も直視しない問題だからこそやる意味があるし、この問題から目を逸らしたまま今後の仕事を続けていくことはできないと考え、この企画を始めることにしました。
「真壁」について話します。
僕が真壁と出会ったのは2004年頃で、彼は僕に「会いたい」というメールを送ってきた初めての読者でした。当時、僕は最初の本を出したばかりで「読者」という存在に舞い上がり、会うことにしたのです。
彼との出会いは、今でも鮮明に覚えています。
恵比寿駅で待ち合わせた後、駅ビルの喫茶店に入ったのですが、彼は、
「奥、いいすか」
となぜか僕を押しのけて上座に座り、席に座るなりテーブルの上に両肘を乗せ、僕に向かってこう言いました。
「水野さんって、俺に似てるんすよ」
そして真壁は、自分が高校時代、いかにウィニングイレブンというゲームにハマってきたかという話を延々と、30分ほどしました。そして真壁はひとしきり自分の話をしたあとに、こう言いました。
「弟子的なものにしてください」
的なもの、というのが良く分かりませんでした。「弟子」でいいんじゃないかと思いました。しかし、話を聞くと、真壁は、完全な上下関係ではなく、あくまで斜め下くらいの位置で、色々教えてもらいたいというスタンスだったようです。
僕の感想としては、
「こんな男とはもう関わりたくない」
でした。
正直、身の危険すら感じました。
そこでやんわりと真壁の依頼を断ったのですが、その後も真壁は何かとメールを送ってきて、そして、たまたま彼が大学のサークルで映画を撮っており、かなり性能の良いビデオカメラを持っているということもあって、撮影が必要なときに呼んだりして、アシスタントのような形で使うようになったのです。
こういった関係が続いていくと、ときに酒を飲みながら朝まで夢を語ったり、出版前の僕を本を読んでもらい、感想を聞いたりするようにもなりました。
また、彼は脚本家になりたいという夢を持っており、脚本は僕の専門分野ではないのですが、仕事に対するスタンスや考え方に関しては色々なことを伝えてきました。
こうして、僕と真壁が出会ってから8年の月日が経ち、その間、真壁は僕の全著作を作る過程を間近で見続け、僕が研究・実践してきた仕事や人生の哲学を一番近くで学んだ結果、
今、彼は近所のビデオショップで週3日ほどアルバイトをしながら、日常生活のほとんどをドラゴンクエスト10に費やしています。
脚本家を目指している彼は、ここ1年間「メール」「ツイッター」「ドラクエのチャット」以外で文字を書いた記憶がないそうです。
一度、見るにみかねた僕が、表参道のロイヤルホストで2時間、膝を突き合わせて真壁と話し合ったことがありました。
「もし脚本家を目指すなら、まず書くことから始めなければならないぞ。もし自信が無くて書けないのだとしても、いつもノートとペンを持ち歩いて、たとえば電車の中や、ちょとした待ち時間も、文字を書くことだけを考えるんだよ」
すると、僕の想いが通じたのか、真壁はロイヤルホストで号泣し
「俺、やります。書きます」
と誓い、僕も真壁の真っ直ぐな気持ちを感じ、一緒に涙したのでした。このときの僕たちは真剣そのもので、テーブルの上の紙ナプキンが無くなるくらいまで涙を流したのでした。
そして、それから、1ヵ月後のことです。
真壁がドラゴンクエスト10にハマり始めたのは――。
僕は、真壁との8年間を通して、一つの、根本的な真理に辿り着こうとしています。
それは、人に、人を変える力は無いのではないか、ということです。
この考えを、もちろん、僕は信じたくありません。
なぜならそのことを認めてしまうと、そもそも実用書には何の意味もなくなってしまう。それはつまり、そのことに人生の全てを賭けている僕という人間に、もはや存在意義が無くなってしまうことを意味します。
しかし、ここで冷静に世の中を眺めてみると、多くのことが「人に人を変える力はない」ということを裏付けているような気がしてなりません。
たとえば、「優れた教育機関」というのは、本来であれば「人を最も成長させる機関」であるはずです。しかし現状の優れた教育機関というのは、人を成長させるのではなく、「最初から優秀な人を集めること」を目的としています。
もし、東京大学が「日本で最も人を成長させる機関」だとするならば、東京大学に入学しなくても、東京大学の授業だけを受け続ければ日本でトップクラス頭脳を持つ存在になれるはずです。
しかし、実際はそんなことは起き得ないでしょう。
そして東京大学が日本で一番すぐれた教育機関である理由は、現在の日本で最も優秀な学生(受験という意味において)を集めているという点です。そして優秀な学生は、そもそも優秀だから結果を出すことになります。こうして「東京大学」というブランドは守られ続けていくのです。
つまり、成功している教育機関において最も重要なのは
「勝馬に乗る」
ことであり、それは「教育=人を成長させる」ことと大いに矛盾しているのです。
しかし、 過去、人類の歴史において、「入学時に、人を選抜しない教育機関」が成功した例はありません。
でも。
それでも、僕は、人は人に影響を与えられると信じたい。
もし、それが、現時点では不可能だったとしても、そのことを徹底的に研究することで、新たな希望を見つけたいのです。
そこで僕は、この問題に、正面から取り組んでみることにしました。
真壁は、幾度となく変わろうと決意し、しかし結局変われずに、今はドラクエ10の世界を漂っています。
僕は、真壁と8年間過ごしてきたから分かるのですが、もはや、僕に、真壁を変える力はないでしょう。
しかし、だからといってすべてをあきらめるわけではなく、僕は、まずここで「真壁」という存在を徹底的に掘り下げたいと思います。そして、「なぜ真壁は変われないのか」ということを明らかにしたいと思います。
それこそが、「人はどうしたら変わることができるのか」という問いに対する解答を見つけることにつながるはずです。
いや、その解答を見つけるまで、僕はこの企画をやめるわけにはいかないのです。
なぜ真壁は変われないのか? 第1回 「真壁とドラクエ10」
水野
――という企画を始めたいと思うんだけど
真壁
「ええ、はい」
――とりあえず、これを読むことになる人たちは、真壁がどういう状況なのかっていうのを知らないから、そのあたりの話と、あと、今ハマってる「ドラクエ10」についても教えてもらっていいかな。
「水野さん、ちなみにドラクエはやったことあります?」
――うん。ドラクエ3までやったよ。
「3までってことは、『天空の花嫁』はやってないので?」
――やってないね。
「もったいない。最高傑作ですよ」
――……ていうか俺の話はいいから。今、真壁がやってる10はどういうやつなの?
「ああはい。ドラクエ10の最大の特徴は、オンラインゲームってことですね。オンラインゲームが流行ったのは2004年あたりで、その頃から気になってはいたんですけど、手を出したら廃人になるという直感はあって。韓国とかでゲームやりすぎで亡くなった人とかいたんですよね」
――それどういう状況なの?
「いや、ゲームが止められなくて、ご飯も食べられずに衰弱しちゃったみたいなんですよ」
――それ即身仏じゃないの。
「ある意味、伝説作っちゃった感じですよね。で、僕としても、オンラインゲームはハマっちゃうのが怖くてずっと手を出してなかったんですよ。ただ、やっぱり普通のRPGだと、レベルが99になるとやることがなくなるんですよね。でもオンラインゲームはキャラクターを育てきったあとも遊べる。だから一番楽しめるだろうなと」
――その気持ちの間で揺れ動いていたわけだ。
「はい」
――それが、何で、足を一歩前に踏み出しちゃったわけ?
「最終的には、『これをやることによって、ゲーム自体を卒業できる』と考えたんです」
――どういうことだろう?
「つまり、僕はオンラインゲームを我慢し続けていたら、いつかゲームをやりたいという気持ちが無くなると思ってたんですよ。でも無くならなかった。つまり、一度しゃぶりつくさなければその気持ちが無くなることはない、ということなんです。そこで、最後に、ゲームの最高峰である、ドラクエの、しかもオンラインゲームをやることによって、ゲームそのものを卒業することができるんじゃないかと思いました。それで卒業できれば、全体として見るとゲームに費やす時間は短くなるわけですから。費用対効果としてはそっちの方がいいわけです」
――それ、単にゲームやりたいやつの言い訳だろ。
「まあ。そうなんですけど、逆にいうと、そういうスキルを身に付けてしまっているのかもしれませんね」
――スキル?
「はい。罪悪感を無くすスキルというか、いわば僕は『免罪符』の日本銀行みたいなところがあるんですよ。免罪符をどんどん発行してしまえるというか。たとえば、ドラクエをオンラインでやるのが、ドラクエの生みの親である堀井雄二の夢だったんですよね。だったら、雄二の夢、俺がかなえたるか、みたいな。ある種の使命感に駆り立てられてる俺、みたいな状況になってきてるんですよね」
――……。
水野メモ
真壁は、間違った行動を取ることを正当化する技術を身に付けている
――ちなみに、真壁はドラクエ10をどういう流れで始めたの?
「それは、良い質問ですね」
――どうも。
「やはり僕としても、オンラインゲームを始めるのは怖いんです。一度始めたら戻ってこれないっていうことは分かってましたから。だからまず最初は、ドラクエのプレイ動画をユーチューブで見るところから始めました。その動画を何度も見ているうちに『楽しそうだな』っていう思いが高まって、ついにあふれ出したんですよね」
――……たとえば、部屋掃除が苦手な人に対して、まず机の上だけ、とかキッチンだけ、を掃除する、みたいな感じでハードルを低くして実行する方法があるんだけど、それの逆ってこと?
「はい」
――でも、真壁はそのこと知ってるわけだろ? 俺、君にそういう話をしたことあったよね。自分をコントロールする方法の一つとして、小さなフィニッシュをたくさん作って行動を快楽化していくという。
「ええ。でも、それが逆に、僕をドラクエに向かわせたっていう部分もあるんです」
――ちょっと意味が分からないんだけど。
「この流れでドラクエにハマる自分は、逆に、脚本執筆に『ハマる』ことだってできるわけでしょう? ひっくり返せばいいわけですから」
――そうやって考えて、免罪していったと。
「その通りです」
水野メモ
真壁の「免罪力」においてはこの「ひっくり返す」という考え方が良く使われる。これは、頑張れない自分、ダメな自分のすべてを正当化できる魔法の思考法であり、かつ、これを発表した場合、あまりにもバカすぎて周囲は笑ってしまうと考えられるので、それも真壁自身が安心することの温床になっていると考えられる。僕自身の経験で言えば、自分がダメなとき、ダメな自分を他の人にさらけ出すことで笑いに換え、日々の不安を取り除こうとしていたが、真壁の場合はダメな自分で笑いを取ることによって「俺はこのままでいい。だってウケてるから」という正当化につなげていっているのかもしれない。
水野メモ2
ここで「つなげる」というキーワードが出てきたが、どうも真壁と話していると「思考の連鎖」において何か重要なポイントが隠されているような気がしてならない。この点についての解明は今後の課題とする。
――で、ドラクエ10を実際にプレイしてみてどうなの?
「いやあ、面白いですね」
――まあ、それはそうなんだろうけど。でも、何十時間、何百時間とプレイしていったら怖くならないの?
「そこなんですけど、僕、オンラインゲームやってみて気づいたことがあるんですよ。それは、ある意味でパチンコに近いっていうか」
――依存しちゃうっていうこと?
「それはそうなんですけど、たぶん水野さんの言う依存って、ゲーム性に依存してるってことだと思うんですよね。楽しいからまた何度も繰り返しちゃうっていう。でも、僕が気づいたのはそれとはちょっと違ってて。僕もパチスロ屋に通い詰めてた時期があるんですけど、まあ、こう言っちゃなんですけど、パチスロ屋ってダメな人が多いんですよ。すると、そこに行くと安心してる自分がいるんですよね。『ああ、自分がダメだと思ってたけど、たくさんいるじゃん』みたいな。その安心感がオンラインゲームにもあるんですよね」
――でも、そこから抜け出たら怖くならない? パチスロ屋だって、ずっと営業してるわけじゃないんだし。
「そうなんですよ。だから、またすぐにゲームを始めちゃうんですよね。これはたとえるなら、真冬に露天風呂に入ってて、そこから出るには寒い通路を通らないといけないから、それが嫌ですぐに湯船に戻っちゃうみたいなことだと思います。それを繰り返すと『のぼせ』ますよね。それがゲームにハマってる状態だと思うんです」
――なるほど。だったらそこを抜け出すには、外の冷たい空気に耐える力が必要だってことだ。
「そうですね。ただ、僕はもうゲームそのものには飽きてるんですよ」
――ん? じゃあもうドラクエはやってないってこと?
「いえ、バリバリやってます」
――は?
「いや、僕、今、ドラクエの中で恋してるんですよ」
(続く)
※ 「ウケる日記」は来週火曜日更新です。
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これまで僕は「コミュニケーション」「仕事」「お金」「恋愛」「幸せ」……といった、主に「自己啓発」と呼ばれるジャンルの研究と実践を行い、本を作ってきました。
しかし、今から始めるこの企画は、これまでの活動を全否定するものになるかもしれません。
そして、全てのビジネス書の著者やコンサルタントたちは、間違いなくこの企画に対して二の足を踏むことになるでしょう。
しかし、誰も直視しない問題だからこそやる意味があるし、この問題から目を逸らしたまま今後の仕事を続けていくことはできないと考え、この企画を始めることにしました。
「真壁」について話します。
僕が真壁と出会ったのは2004年頃で、彼は僕に「会いたい」というメールを送ってきた初めての読者でした。当時、僕は最初の本を出したばかりで「読者」という存在に舞い上がり、会うことにしたのです。
彼との出会いは、今でも鮮明に覚えています。
恵比寿駅で待ち合わせた後、駅ビルの喫茶店に入ったのですが、彼は、
「奥、いいすか」
となぜか僕を押しのけて上座に座り、席に座るなりテーブルの上に両肘を乗せ、僕に向かってこう言いました。
「水野さんって、俺に似てるんすよ」
そして真壁は、自分が高校時代、いかにウィニングイレブンというゲームにハマってきたかという話を延々と、30分ほどしました。そして真壁はひとしきり自分の話をしたあとに、こう言いました。
「弟子的なものにしてください」
的なもの、というのが良く分かりませんでした。「弟子」でいいんじゃないかと思いました。しかし、話を聞くと、真壁は、完全な上下関係ではなく、あくまで斜め下くらいの位置で、色々教えてもらいたいというスタンスだったようです。
僕の感想としては、
「こんな男とはもう関わりたくない」
でした。
正直、身の危険すら感じました。
そこでやんわりと真壁の依頼を断ったのですが、その後も真壁は何かとメールを送ってきて、そして、たまたま彼が大学のサークルで映画を撮っており、かなり性能の良いビデオカメラを持っているということもあって、撮影が必要なときに呼んだりして、アシスタントのような形で使うようになったのです。
こういった関係が続いていくと、ときに酒を飲みながら朝まで夢を語ったり、出版前の僕を本を読んでもらい、感想を聞いたりするようにもなりました。
また、彼は脚本家になりたいという夢を持っており、脚本は僕の専門分野ではないのですが、仕事に対するスタンスや考え方に関しては色々なことを伝えてきました。
こうして、僕と真壁が出会ってから8年の月日が経ち、その間、真壁は僕の全著作を作る過程を間近で見続け、僕が研究・実践してきた仕事や人生の哲学を一番近くで学んだ結果、
今、彼は近所のビデオショップで週3日ほどアルバイトをしながら、日常生活のほとんどをドラゴンクエスト10に費やしています。
脚本家を目指している彼は、ここ1年間「メール」「ツイッター」「ドラクエのチャット」以外で文字を書いた記憶がないそうです。
一度、見るにみかねた僕が、表参道のロイヤルホストで2時間、膝を突き合わせて真壁と話し合ったことがありました。
「もし脚本家を目指すなら、まず書くことから始めなければならないぞ。もし自信が無くて書けないのだとしても、いつもノートとペンを持ち歩いて、たとえば電車の中や、ちょとした待ち時間も、文字を書くことだけを考えるんだよ」
すると、僕の想いが通じたのか、真壁はロイヤルホストで号泣し
「俺、やります。書きます」
と誓い、僕も真壁の真っ直ぐな気持ちを感じ、一緒に涙したのでした。このときの僕たちは真剣そのもので、テーブルの上の紙ナプキンが無くなるくらいまで涙を流したのでした。
そして、それから、1ヵ月後のことです。
真壁がドラゴンクエスト10にハマり始めたのは――。
僕は、真壁との8年間を通して、一つの、根本的な真理に辿り着こうとしています。
それは、人に、人を変える力は無いのではないか、ということです。
この考えを、もちろん、僕は信じたくありません。
なぜならそのことを認めてしまうと、そもそも実用書には何の意味もなくなってしまう。それはつまり、そのことに人生の全てを賭けている僕という人間に、もはや存在意義が無くなってしまうことを意味します。
しかし、ここで冷静に世の中を眺めてみると、多くのことが「人に人を変える力はない」ということを裏付けているような気がしてなりません。
たとえば、「優れた教育機関」というのは、本来であれば「人を最も成長させる機関」であるはずです。しかし現状の優れた教育機関というのは、人を成長させるのではなく、「最初から優秀な人を集めること」を目的としています。
もし、東京大学が「日本で最も人を成長させる機関」だとするならば、東京大学に入学しなくても、東京大学の授業だけを受け続ければ日本でトップクラス頭脳を持つ存在になれるはずです。
しかし、実際はそんなことは起き得ないでしょう。
そして東京大学が日本で一番すぐれた教育機関である理由は、現在の日本で最も優秀な学生(受験という意味において)を集めているという点です。そして優秀な学生は、そもそも優秀だから結果を出すことになります。こうして「東京大学」というブランドは守られ続けていくのです。
つまり、成功している教育機関において最も重要なのは
「勝馬に乗る」
ことであり、それは「教育=人を成長させる」ことと大いに矛盾しているのです。
しかし、 過去、人類の歴史において、「入学時に、人を選抜しない教育機関」が成功した例はありません。
でも。
それでも、僕は、人は人に影響を与えられると信じたい。
もし、それが、現時点では不可能だったとしても、そのことを徹底的に研究することで、新たな希望を見つけたいのです。
そこで僕は、この問題に、正面から取り組んでみることにしました。
真壁は、幾度となく変わろうと決意し、しかし結局変われずに、今はドラクエ10の世界を漂っています。
僕は、真壁と8年間過ごしてきたから分かるのですが、もはや、僕に、真壁を変える力はないでしょう。
しかし、だからといってすべてをあきらめるわけではなく、僕は、まずここで「真壁」という存在を徹底的に掘り下げたいと思います。そして、「なぜ真壁は変われないのか」ということを明らかにしたいと思います。
それこそが、「人はどうしたら変わることができるのか」という問いに対する解答を見つけることにつながるはずです。
いや、その解答を見つけるまで、僕はこの企画をやめるわけにはいかないのです。
なぜ真壁は変われないのか? 第1回 「真壁とドラクエ10」
水野
――という企画を始めたいと思うんだけど
真壁
「ええ、はい」
――とりあえず、これを読むことになる人たちは、真壁がどういう状況なのかっていうのを知らないから、そのあたりの話と、あと、今ハマってる「ドラクエ10」についても教えてもらっていいかな。
「水野さん、ちなみにドラクエはやったことあります?」
――うん。ドラクエ3までやったよ。
「3までってことは、『天空の花嫁』はやってないので?」
――やってないね。
「もったいない。最高傑作ですよ」
――……ていうか俺の話はいいから。今、真壁がやってる10はどういうやつなの?
「ああはい。ドラクエ10の最大の特徴は、オンラインゲームってことですね。オンラインゲームが流行ったのは2004年あたりで、その頃から気になってはいたんですけど、手を出したら廃人になるという直感はあって。韓国とかでゲームやりすぎで亡くなった人とかいたんですよね」
――それどういう状況なの?
「いや、ゲームが止められなくて、ご飯も食べられずに衰弱しちゃったみたいなんですよ」
――それ即身仏じゃないの。
「ある意味、伝説作っちゃった感じですよね。で、僕としても、オンラインゲームはハマっちゃうのが怖くてずっと手を出してなかったんですよ。ただ、やっぱり普通のRPGだと、レベルが99になるとやることがなくなるんですよね。でもオンラインゲームはキャラクターを育てきったあとも遊べる。だから一番楽しめるだろうなと」
――その気持ちの間で揺れ動いていたわけだ。
「はい」
――それが、何で、足を一歩前に踏み出しちゃったわけ?
「最終的には、『これをやることによって、ゲーム自体を卒業できる』と考えたんです」
――どういうことだろう?
「つまり、僕はオンラインゲームを我慢し続けていたら、いつかゲームをやりたいという気持ちが無くなると思ってたんですよ。でも無くならなかった。つまり、一度しゃぶりつくさなければその気持ちが無くなることはない、ということなんです。そこで、最後に、ゲームの最高峰である、ドラクエの、しかもオンラインゲームをやることによって、ゲームそのものを卒業することができるんじゃないかと思いました。それで卒業できれば、全体として見るとゲームに費やす時間は短くなるわけですから。費用対効果としてはそっちの方がいいわけです」
――それ、単にゲームやりたいやつの言い訳だろ。
「まあ。そうなんですけど、逆にいうと、そういうスキルを身に付けてしまっているのかもしれませんね」
――スキル?
「はい。罪悪感を無くすスキルというか、いわば僕は『免罪符』の日本銀行みたいなところがあるんですよ。免罪符をどんどん発行してしまえるというか。たとえば、ドラクエをオンラインでやるのが、ドラクエの生みの親である堀井雄二の夢だったんですよね。だったら、雄二の夢、俺がかなえたるか、みたいな。ある種の使命感に駆り立てられてる俺、みたいな状況になってきてるんですよね」
――……。
水野メモ
真壁は、間違った行動を取ることを正当化する技術を身に付けている
――ちなみに、真壁はドラクエ10をどういう流れで始めたの?
「それは、良い質問ですね」
――どうも。
「やはり僕としても、オンラインゲームを始めるのは怖いんです。一度始めたら戻ってこれないっていうことは分かってましたから。だからまず最初は、ドラクエのプレイ動画をユーチューブで見るところから始めました。その動画を何度も見ているうちに『楽しそうだな』っていう思いが高まって、ついにあふれ出したんですよね」
――……たとえば、部屋掃除が苦手な人に対して、まず机の上だけ、とかキッチンだけ、を掃除する、みたいな感じでハードルを低くして実行する方法があるんだけど、それの逆ってこと?
「はい」
――でも、真壁はそのこと知ってるわけだろ? 俺、君にそういう話をしたことあったよね。自分をコントロールする方法の一つとして、小さなフィニッシュをたくさん作って行動を快楽化していくという。
「ええ。でも、それが逆に、僕をドラクエに向かわせたっていう部分もあるんです」
――ちょっと意味が分からないんだけど。
「この流れでドラクエにハマる自分は、逆に、脚本執筆に『ハマる』ことだってできるわけでしょう? ひっくり返せばいいわけですから」
――そうやって考えて、免罪していったと。
「その通りです」
水野メモ
真壁の「免罪力」においてはこの「ひっくり返す」という考え方が良く使われる。これは、頑張れない自分、ダメな自分のすべてを正当化できる魔法の思考法であり、かつ、これを発表した場合、あまりにもバカすぎて周囲は笑ってしまうと考えられるので、それも真壁自身が安心することの温床になっていると考えられる。僕自身の経験で言えば、自分がダメなとき、ダメな自分を他の人にさらけ出すことで笑いに換え、日々の不安を取り除こうとしていたが、真壁の場合はダメな自分で笑いを取ることによって「俺はこのままでいい。だってウケてるから」という正当化につなげていっているのかもしれない。
水野メモ2
ここで「つなげる」というキーワードが出てきたが、どうも真壁と話していると「思考の連鎖」において何か重要なポイントが隠されているような気がしてならない。この点についての解明は今後の課題とする。
――で、ドラクエ10を実際にプレイしてみてどうなの?
「いやあ、面白いですね」
――まあ、それはそうなんだろうけど。でも、何十時間、何百時間とプレイしていったら怖くならないの?
「そこなんですけど、僕、オンラインゲームやってみて気づいたことがあるんですよ。それは、ある意味でパチンコに近いっていうか」
――依存しちゃうっていうこと?
「それはそうなんですけど、たぶん水野さんの言う依存って、ゲーム性に依存してるってことだと思うんですよね。楽しいからまた何度も繰り返しちゃうっていう。でも、僕が気づいたのはそれとはちょっと違ってて。僕もパチスロ屋に通い詰めてた時期があるんですけど、まあ、こう言っちゃなんですけど、パチスロ屋ってダメな人が多いんですよ。すると、そこに行くと安心してる自分がいるんですよね。『ああ、自分がダメだと思ってたけど、たくさんいるじゃん』みたいな。その安心感がオンラインゲームにもあるんですよね」
――でも、そこから抜け出たら怖くならない? パチスロ屋だって、ずっと営業してるわけじゃないんだし。
「そうなんですよ。だから、またすぐにゲームを始めちゃうんですよね。これはたとえるなら、真冬に露天風呂に入ってて、そこから出るには寒い通路を通らないといけないから、それが嫌ですぐに湯船に戻っちゃうみたいなことだと思います。それを繰り返すと『のぼせ』ますよね。それがゲームにハマってる状態だと思うんです」
――なるほど。だったらそこを抜け出すには、外の冷たい空気に耐える力が必要だってことだ。
「そうですね。ただ、僕はもうゲームそのものには飽きてるんですよ」
――ん? じゃあもうドラクエはやってないってこと?
「いえ、バリバリやってます」
――は?
「いや、僕、今、ドラクエの中で恋してるんですよ」
(続く)
※ 「ウケる日記」は来週火曜日更新です。
水野敬也関連作品
電子書籍(iOS)