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エレクトロニック・ボディ・ミュージック(EBM)特集 DAF/ディ・クルップス/フロント242にインタビュー

2024/12/18 17:54掲載
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DAF(Deutsch Amerikanischen Freundschaft)
DAF(Deutsch Amerikanischen Freundschaft)
エレクトロニック・ボディ・ミュージック(EBM)を特集した新しい本『Electronic Body Music』が海外で出版されました。これを記念して英ガーディアン紙は、シーンを代表するDAF(Deutsch Amerikanischen Freundschaft)ディ・クルップス(Die Krupps)フロント242(Front 242)のメンバーに取材して、EBMについて特集しています。

1978年のドイツでは、クラフトワーク(Kraftwerk)が地元の音楽シーンの王族のように扱われていると思うかもしれませんが、デュッセルドルフでは違っていました。ドイツのパンク・ロックの発祥の地であるRatinger Hofというクラブで育った新しい時代の子供たちにとっては、その逆だったという。

DAFのロベルト・ゲアル(Robert Görl)は「彼らはクールじゃなかった。自分たちは彼らとは正反対の存在だと考えていた」と語り、「退屈で、活気がなく、おもしろくない」というのが、かつて彼のバンド仲間であった故ガビ・デルガド=ロペス(Gabi Delgado-López)が、クラフトワークの音楽を評した言葉でした。

Ratinger Hof付近ではクラフトワークは非常に嫌われており、クラブに現れると暴力を振るう者もいたという。クラフトワークのヴォルフガング・フリューア(Wolfgang Flür)は、後に「クラフトワークを叩きのめせ!」と叫びながら、クラブで何度も蹴られたことを語っています。

DAFの当初の信条は「僕たちは何も真似しない。すべてが完全に新しいものでなければならない」というものだったとゲアルは振り返っています。彼らは、タフで力強く、性的で、強烈に肉体的な、エレクトロニック・ボディ・ミュージック(EBM)と呼ばれる新しいサウンドを創り出していきました。

EBMは当初、ドイツ・デュッセルドルフがDAF、Die Krupps、Der Plan、Liaisons Dangereusesなどを擁するホットスポットでしたが、ベルギーのフロント242やエセックスのニッツァー・エブ(Nitzer Ebb)も同じ方向に向かいました。

ディ・クルップスのユルゲン・エングラーは「この種の音楽には過去がなかった。それがクールだった。参照するものが何もないので、前例のないものを発明しなければならなかった」と振り返り、またフロント242のパトリック・コデニーズも「僕はシンセサイザーは孤児のようなものだと考えていた。そのマシンには過去がない。ギターを手に取れば、すぐにブルースなどへの系譜をたどることができるが、シンセサイザーにはそれがない。これらの孤児を使えば、どんな方向にも自由に進むことができた」と振り返っています。

一部のグループの美学は、黒い革の服や短く刈り込んだ髪型など、しばしば軍国主義的に見られる傾向があり、何度も問題になりました。

DAFのゲアルは「僕たちはしばしば親衛隊(SS)のようだと批判された。“君たちはナチスなのか?”とも聞かれた。そのクソさによく笑っていた。でも、僕たちは彼らに答えなかった。弁解したくなかったんだ。“僕たちが自分のやりたいことをやるだけだ”と彼らに言った。 多くのメディアやラジオ局は僕たちを避けた。 彼らにとっては、とても深刻な問題だった。“こんなことはしてはいけない”とね。でも僕たちは笑って、さらに挑発的になるように自分を駆り立てたんだ」

ゲアルは独自のアイデンティティを見出し、それを所有している感覚もあったとも語っています。

「ドイツ語で歌うことは重要だった。このような先進的な音楽がドイツ語で表現できるということは、僕たちにとって大きな意味があった。それまではイギリスとアメリカがモダンミュージックを独占していた。僕たちは彼らの支配を打ち破ったんだ」

このジャンルに関する新しい本『Electronic Body Music』でInvisible LimitsのThomas LudkeはEBMのことをこう表現しています。「デペッシュ・モードようだが、邪悪だ」

■『Electronic Body Music』商品ページ
https://www.elektronische-koerpermusik.de/