書評
『日本社会の歴史 上』(岩波書店)
網野善彦とゆっくり話したことはほとんどない。学者や文化人が多く集まる新聞社や出版関係の会などで挨拶をしたぐらいである。学生時代から顔見知りの間柄としては、これは会い方が少なすぎると自分でも思う。
しかし彼の仕事については違う。これからの文化の在り方とか思想性と創造性というような、少しむずかしい主題で話をしなければならないような時に、「私なりの理解ですが」と断りを前置きにして、しばしば彼の著作を紹介させて貰ったり、私なりに彼の史観を敷衍したりしている。
私が彼の著作にはじめて触れたのは一九八四(昭和五九)年の二月に出版された『日本中世の非農業民と天皇』(岩波書店)である。書店でこの本を手に取って序章の「津田左右吉と石母田正」を見て驚き、その晩半分ぐらいまで読み、これは心を落着けてしっかり理解しておかなければならない著作と考え、次の日に始めからメモを取って再読した。
私を打ったのは、彼が学者として、それまでの蓄積と生命をかけて自説を展開している息遣いであった。それを支えているのは紛れもなく自由の精神であり、また個別特殊性を実証的に究めることによってその内部に科学としての普遍性を発見しようとする情熱であった。
その年の終りに書評専門の新聞が「戦後史学のエポック・メーキング」という見出しで、この本を巡って永原慶二・三浦圭一・桜井好郎の三氏の鼎談を掲載していた。三人の碩学が彼の仕事の独創性を評価しながらも、同時に戸惑いをも隠していない様子が記憶に残った。幸いわが国には一応は言論の自由があったから、独創的な業績も独裁者の権力によって弾圧されたり、破門され罪に問われるというような事は起らなかった。それでも、ずいぶんあらぬ批判や攻撃が守旧派からあったらしい事を、ずっと後になって聞いた。
それから私は次々に発表され、やがて網野史学と呼ばれるようになった彼の仕事を読むようになっていった。『異形の王権』『海と列島の中世』などを順不同で思い出す。なかでも『無縁・公界・楽』は大変読みやすいので、読書の苦手なビジネス界の知人にも何冊か送って読むことを薦めたりした覚えがある。
こうした彼の仕事を通じての私の発見のなかに、歴史学と関連の深いいくつもの学問芸術の分野で、網野史学と共に自由度が拡がったという事がある。いつだったか詩人の荒川洋治が「アジールのさざ波」という短い文章で、網野史学は「中世社会に存在した数々の〝無縁〟の場所に注目し、当時の人々の自覚的〝自由〟の原理を照し出した」と述べ、国木田独歩の「山林に自由存す」という言葉を想起して、「明治の詩人も中世の世界に向けて窓をあけていたのかもしれないなどと思った」と書いていた。それで思い出したのだが、一昨年毎日出版文化賞を受けた大林太良の『銀河の道 虹の架け橋』を読んだ時、私は昔から虹と銀河が大陸や海を越えていろいろな民族に詩的感興を喚起して来たことを知ったのだった。窓を開けるといろいろな物が見えてくる。そうした事に気付くと、民俗学や歴史思想、哲学などの分野で活躍している谷川健一、宮田登、上山春平といった人たちの仕事も網野史学と響き合うことで、本来の輝きを強めたように私には思われてくるのだった。
こうした学問的なうねりのひとつの到達点として『日本社会の歴史』(岩波新書)があると私は思う。
これを読んだ時、私はずっと以前、丸山真男の『日本の思想』を読んだ際の喜びを想起したのである。目から鱗が落ちると言うのだろうか、こういった著作を読んだ後と前とでは世界が違ったように見えてくるのだ。新書という形式には啓蒙性、読みやすさが要求されるのだと思うけれども、本当に創造的な仕事は、啓蒙的になればなるほど真価を発揮するという典型が、この上中下三冊の『日本社会の歴史』に現れているように、私には思われるのである。
しかし彼の仕事については違う。これからの文化の在り方とか思想性と創造性というような、少しむずかしい主題で話をしなければならないような時に、「私なりの理解ですが」と断りを前置きにして、しばしば彼の著作を紹介させて貰ったり、私なりに彼の史観を敷衍したりしている。
私が彼の著作にはじめて触れたのは一九八四(昭和五九)年の二月に出版された『日本中世の非農業民と天皇』(岩波書店)である。書店でこの本を手に取って序章の「津田左右吉と石母田正」を見て驚き、その晩半分ぐらいまで読み、これは心を落着けてしっかり理解しておかなければならない著作と考え、次の日に始めからメモを取って再読した。
私を打ったのは、彼が学者として、それまでの蓄積と生命をかけて自説を展開している息遣いであった。それを支えているのは紛れもなく自由の精神であり、また個別特殊性を実証的に究めることによってその内部に科学としての普遍性を発見しようとする情熱であった。
その年の終りに書評専門の新聞が「戦後史学のエポック・メーキング」という見出しで、この本を巡って永原慶二・三浦圭一・桜井好郎の三氏の鼎談を掲載していた。三人の碩学が彼の仕事の独創性を評価しながらも、同時に戸惑いをも隠していない様子が記憶に残った。幸いわが国には一応は言論の自由があったから、独創的な業績も独裁者の権力によって弾圧されたり、破門され罪に問われるというような事は起らなかった。それでも、ずいぶんあらぬ批判や攻撃が守旧派からあったらしい事を、ずっと後になって聞いた。
それから私は次々に発表され、やがて網野史学と呼ばれるようになった彼の仕事を読むようになっていった。『異形の王権』『海と列島の中世』などを順不同で思い出す。なかでも『無縁・公界・楽』は大変読みやすいので、読書の苦手なビジネス界の知人にも何冊か送って読むことを薦めたりした覚えがある。
こうした彼の仕事を通じての私の発見のなかに、歴史学と関連の深いいくつもの学問芸術の分野で、網野史学と共に自由度が拡がったという事がある。いつだったか詩人の荒川洋治が「アジールのさざ波」という短い文章で、網野史学は「中世社会に存在した数々の〝無縁〟の場所に注目し、当時の人々の自覚的〝自由〟の原理を照し出した」と述べ、国木田独歩の「山林に自由存す」という言葉を想起して、「明治の詩人も中世の世界に向けて窓をあけていたのかもしれないなどと思った」と書いていた。それで思い出したのだが、一昨年毎日出版文化賞を受けた大林太良の『銀河の道 虹の架け橋』を読んだ時、私は昔から虹と銀河が大陸や海を越えていろいろな民族に詩的感興を喚起して来たことを知ったのだった。窓を開けるといろいろな物が見えてくる。そうした事に気付くと、民俗学や歴史思想、哲学などの分野で活躍している谷川健一、宮田登、上山春平といった人たちの仕事も網野史学と響き合うことで、本来の輝きを強めたように私には思われてくるのだった。
こうした学問的なうねりのひとつの到達点として『日本社会の歴史』(岩波新書)があると私は思う。
これを読んだ時、私はずっと以前、丸山真男の『日本の思想』を読んだ際の喜びを想起したのである。目から鱗が落ちると言うのだろうか、こういった著作を読んだ後と前とでは世界が違ったように見えてくるのだ。新書という形式には啓蒙性、読みやすさが要求されるのだと思うけれども、本当に創造的な仕事は、啓蒙的になればなるほど真価を発揮するという典型が、この上中下三冊の『日本社会の歴史』に現れているように、私には思われるのである。