本文抜粋
『歪んだ正義 「普通の人」がなぜ過激化するのか』(毎日新聞出版)
「あなたは、自分や自分の家族が無差別殺人を犯す可能性があると思いますか」
そう聞かれて、「はい」と即答する人はほとんどいないだろう。
「そんな凶暴な人は、そもそも自分たちとは無縁の世界の住人だから」
もしあなたが咄嗟にそう感じたのなら、本書は一読する価値がある。
2年連続新聞協会賞を受賞し、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞した大治朋子氏(毎日新聞専門記者)が、テロリズムや過激化の問題の核心を突き止め、解決・防止策を提示する。
彼らに見られるのは自分の「正しさ」を確信した攻撃性だ。「自分は絶対に正しい」と思い込むと、人間の凶暴性が牙をむく。
人間は誰しも攻撃性を持つ。だがそれをエスカレートさせる人もいれば、そうはならない人もいる。その違いを生み出すものは何か。
本書は「普通の人」がさまざまな経緯を経て過激化へと突き進むにいたるその道のりを、いわば体系的に地図化しようという試みだ。過激性はどこから生まれ、どのように育つのか。そうしたプロセスを可能な限り「見える化」することで、個々人、あるいはその愛する人が過激化プロセスにあるのかどうか、あるとすればどの位置にいるのかを認識し、暗くて深い過激化トンネルへと落ちるのを防ぐ、もしくは落ちたとしてもそこから引き返すために手がかりとなりそうな情報をまとめている。
2017年夏から2年間、会社を休職してイスラエルの大学院で研究生活に入った。心理学を専門とするユダヤ人の教授らが口にしたのは、「テロリストの心の中を知りたければ、まず私たち自身の心を見つめることだ」という言葉だった。彼らは、ユダヤ人も含めてあらゆる人間がその攻撃性をエスカレートさせテロリストにすらなりうると断言した。
過激化やテロリズムの心理学的研究で世界を牽引してきたのは欧米もしくはイスラエル出身のユダヤ人だ。ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)よりずっと以前から現在にいたるまで脈々と続く反ユダヤの世界的潮流の中で、彼らは「普通の人」がいかにその思考を過激化させ、自分たちと異なる集団を排斥し、暴力をもって排除しようとするかを身をもって経験し、その心理メカニズムについての研究を重ねてきた。
こうした研究分野では米国が先駆者のようなイメージを抱く人も少なくないかもしれないが、米国で本格的な研究が始まったのは2001年の9・11同時多発テロ事件以降だ。しかも当初は9・11事件の「被害者」の心理ケアが中心で、「加害者」の過激化心理メカニズムを解き明かす研究はさらに時を待たねばならなかった。その調査が緒に就いたのは2000年代前半以降で、自国生まれのローンウルフによるテロリズムが拡大し、過激派組織に属さない個人がどのように「自己過激化(self-radicalization)」するのかという心理メカニズムの解明が喫緊の課題となってからだ。
歴史の浅いこの研究分野で、メカニズムを十分に解き明かす文献はまだほとんどない。日本の状況や課題に鑑がみても、過激化プロセスの「地図」を作り多くの人と情報共有することは大きな意義があると考えた。
その意味では、本書はジャーナリズムと学術的視座(アカデミズム)の両方、いわば「アカデミ・ジャーナリズム」(私の造語です)を私なりに実践してみた結果である。このため可能な限り参考文献を明記した。
[書き手]大治朋子(毎日新聞専門記者)
そう聞かれて、「はい」と即答する人はほとんどいないだろう。
「そんな凶暴な人は、そもそも自分たちとは無縁の世界の住人だから」
もしあなたが咄嗟にそう感じたのなら、本書は一読する価値がある。
2年連続新聞協会賞を受賞し、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞した大治朋子氏(毎日新聞専門記者)が、テロリズムや過激化の問題の核心を突き止め、解決・防止策を提示する。
「自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にする
コロナ禍に現れた「自粛警察」、過激化するソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上の中傷、急増するローンウルフ(一匹オオカミ)による無差別殺傷事件――。こうした攻撃者は実際に会うと拍子抜けするほど「普通の人」の顔をしていることが少なくない。だが自らの「正義」を語り始めるとその横顔は歪み始める。彼らに見られるのは自分の「正しさ」を確信した攻撃性だ。「自分は絶対に正しい」と思い込むと、人間の凶暴性が牙をむく。
人間は誰しも攻撃性を持つ。だがそれをエスカレートさせる人もいれば、そうはならない人もいる。その違いを生み出すものは何か。
本書は「普通の人」がさまざまな経緯を経て過激化へと突き進むにいたるその道のりを、いわば体系的に地図化しようという試みだ。過激性はどこから生まれ、どのように育つのか。そうしたプロセスを可能な限り「見える化」することで、個々人、あるいはその愛する人が過激化プロセスにあるのかどうか、あるとすればどの位置にいるのかを認識し、暗くて深い過激化トンネルへと落ちるのを防ぐ、もしくは落ちたとしてもそこから引き返すために手がかりとなりそうな情報をまとめている。
2017年夏から2年間、会社を休職してイスラエルの大学院で研究生活に入った。心理学を専門とするユダヤ人の教授らが口にしたのは、「テロリストの心の中を知りたければ、まず私たち自身の心を見つめることだ」という言葉だった。彼らは、ユダヤ人も含めてあらゆる人間がその攻撃性をエスカレートさせテロリストにすらなりうると断言した。
過激化やテロリズムの心理学的研究で世界を牽引してきたのは欧米もしくはイスラエル出身のユダヤ人だ。ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)よりずっと以前から現在にいたるまで脈々と続く反ユダヤの世界的潮流の中で、彼らは「普通の人」がいかにその思考を過激化させ、自分たちと異なる集団を排斥し、暴力をもって排除しようとするかを身をもって経験し、その心理メカニズムについての研究を重ねてきた。
緒についたばかりの過激化メカニズム研究
こうした研究分野では米国が先駆者のようなイメージを抱く人も少なくないかもしれないが、米国で本格的な研究が始まったのは2001年の9・11同時多発テロ事件以降だ。しかも当初は9・11事件の「被害者」の心理ケアが中心で、「加害者」の過激化心理メカニズムを解き明かす研究はさらに時を待たねばならなかった。その調査が緒に就いたのは2000年代前半以降で、自国生まれのローンウルフによるテロリズムが拡大し、過激派組織に属さない個人がどのように「自己過激化(self-radicalization)」するのかという心理メカニズムの解明が喫緊の課題となってからだ。
歴史の浅いこの研究分野で、メカニズムを十分に解き明かす文献はまだほとんどない。日本の状況や課題に鑑がみても、過激化プロセスの「地図」を作り多くの人と情報共有することは大きな意義があると考えた。
その意味では、本書はジャーナリズムと学術的視座(アカデミズム)の両方、いわば「アカデミ・ジャーナリズム」(私の造語です)を私なりに実践してみた結果である。このため可能な限り参考文献を明記した。
[書き手]大治朋子(毎日新聞専門記者)