書評
『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新聞出版)
民主主義のリハビリへ
トークイベントのなかで、影響を受けた書き手を訊かれて「高橋源一郎」と答えたら対談相手からも観客席からも満場一致で不思議な顔をされた。みんな、批評家や研究者の名前を想定していたのかもしれない。誰なら納得したんだろう。高橋源一郎の長い読者であれば一度は言及したくなるエッセイに、「失語症患者のリハビリテーション」(高橋『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』所収)というのがあって、学生時代の僕はこれとインタビュー「もうぼくはヴォネガットを読まない。」(三田格編『吾が魂のイロニー』所収)を二つセットにして、ことあるごとに読みかえしていたはずだから(当該頁がパカっと開いてしまう)、やっぱりずいぶん影響を受けてきたといっていいと思う。ともに一九八四年に発表。だいたい同じ内容が語られている。
知られるとおり、前者では、一〇代後半で逮捕・拘留に端を発する「失語症」体験と、一九七〇年代をとおして(二〇~二七歳)読むことや書くことから距離をおいた沈黙期、そののち読み書きを再開するにいたったいわば“ことばのリハビリ”、のプロセスが回顧される。プレ小説家時代だ。「ぼくがのぞんでいたのは、例えば、目の前にあるティー・カップについて正確にしゃべりたいというようなことだったのです」。
後者インタビューでは、それをつぎのように展開する――どうでもよいことだけど、二葉亭四迷の談話「余が言文一致の由来」の雰囲気にどこか似ている。
世界って少なくとも全体性についてはわからないけども部分についてはなんか言える。部分の集合は絶対全体じゃないんだけども、この部分に関しては納得行くっていうとこだけ集めて行かないと、最初から全体ってことじゃなくてね、少なくとも自分が全体行こうと思ったら部分の集合じゃないと全体にならない。
それで高橋は「部分」を作るところから再出発する。自分にとって疑いようのない確実な一行。一文。断片。それらを積み重ねていく。最終的に「全体」や「世界」に到達するかもしれないし、しないかもしれない。たぶんしない。ずっと進行形。そのベクトルだけが存在する。
初期小説群で採用した断章形式の自己解説になっていることは指摘するまでもない。と同時に、なにかの権威に正統性をゆだねきったことばや、躊躇なく、“大文字の政治”をとうとうと語れていた時代の心性、あるいは、既存のコードやフレームを共有して疑わぬジャンルの怠慢、そうしたあらゆる無自覚の態勢にむけた強烈な苛立ちと異議申し立てであったこともいまならよくわかる。
それから三〇年。いま高橋が『朝日新聞』の「論壇時評」で実践している言論活動も同じプリンシプルに貫かれる。本作『ぼくらの民主主義なんだぜ』は二〇一一年四月分から一五年三月分までの計四八本を完全収録。僕には一冊があの「部分の集合」を体現しているように見えるのだ。毎月一つずつ「部分」が追加される。その先にじんわり浮かびあがるのは「民主主義」の輪郭だ。「ぼくたちは、ぼくたちの「民主主義」を自分で作らなきゃならない」(あとがき)。輪郭はたえず更新される。どこまでも暫定的。連載がなお継続中だからというばかりではない。あらゆることばは修正や再構築の可能性に晒され続ける。そうあるべきだ。
くしくも大地震発生の翌月から連載は開始した。必然的に「震災」「原発」「復興」といった諸課題の進行をリアルタイムで観測し、考察していく場となる。テーマは徐々に広がる。「戦争」「記憶」「歴史認識」「誤報」「領土」「ヘイトスピーチ」「地方」「教育」「就活」「家族」「憲法」「選挙」「天皇制」……。この四年間、膨大な量の問題が湧き起こったり新たな局面をむかえたりした。ほんと、たくさん。
ときに偶発的な個人の関心を優先させるかたちで――個人を窓口としてしか時評は成立しえない――それらが主題に設定される。どれも論壇定番の話題だ。けれど、お仕着せのアングルで語ることはしない。大上段からぐるっと問題を絡めとらない。ここでも「部分」から。「素人」(11年6月分)の視点で吟味する。細分化した専門家のことばが尊重され横溢する時代だからこそ、「素人」の眼が隣に確保されなければならない。かくも「「ふつう」の人たちの感覚」(13年6月分)に寄りそった論壇時評がかつてあっただろうか。これだけ話題になる時評が。
「論壇」は、政治や社会について考え、語り、時には批判し合うところだ。それは、この世界で 生きてゆかねばならないわたしたちにとって無縁であるはずがない。なのに、わたしたちは、時々、そこで使われることばが、あるいは、ジャーナリズムで使われることばが、どれほど真摯なものであっても、自分たちとは無関係であるように感じる。自分たちとは「遠い」ところで、話されているように感じるのである。(13年10月分)
いつしか「わたしたち」から遠く無縁の場所となってしまった論壇の議題(=「ことば」)を「わたしたち」の手元へと取り戻し、「わたしたち」自身の問題として正面から引き受け直していく、そのためのリハビリ・プロジェクトなのだ、これは。「信頼できる」(13年5月分)ことばや、「人任せ」(12年10月分)にしない思考を方々から掻き集めてくる。
だから、ピックアップの対象も月々の総合誌や思想誌の論説に限定されない。これまで論壇時評はお決まりの数誌を相手にしていればよかった(それらは論壇誌と呼ばれもした)。昭和初期以来ずっとそうだ。せいぜい経済誌や専門誌が加わる程度。総合誌と文化面をフォローしていれば動向の全容が把握できるという幻想がそれを許容してきた。が、そんなフィクションはとうに瓦解している。
高橋の時評は前任者の東浩紀の拡張路線をさらに突き進めるかたちで、ネット上の記事やYouTubeの投稿動画、Twitterのつぶやきも取りあげる。そう、論説と等価に。海外の新聞や各種文書、映画、展覧会、小説、テレビやラジオの発言、ひいてはファッションショーやヒップホップまでも貧欲に縫合していく。ジャンル不問のその手つきは、娯楽メディアの最前線(少女漫画やテレビゲーム、チャット)を次々と呑み込んできた彼の小説の自由闊達さと地続きにある。
たしかに、それらはおよそ論壇に似つかわしくない。だが、そもそも「論壇」とはなにか。問われれば、誰も指さすことができない。実体がないのだから当然だ。僕は『批評メディア論』にこう書いた。論壇時評は論壇の実在を前提として時評を展開する場ではなく、時評を遂行する、その営為によって論壇を言説的に存立させていく場なのだ、と。回りくどいだろうか。ようするに、時評には論壇の外延を伸縮する機能が期待されていた。最初から。なんだか詐欺めいた説明になってしまうけど、論壇時評の対象は論壇時評そのものによって産まれる。論壇時評で扱うものが論壇というしかないのだ。その指さしのミッションを高橋は正しく果たしている。多くの時評は慣例に倣うだけで、その任務を放棄してきた。なにーつ考えてはこなかった。
対象の拡散ぶりは時代の必然でもある。高橋が言明するとおり、「「論壇」ということばが、社会的なテーマについて議論をする場所、を意味するなら、2011年3月11日以降、この国のあらゆる場所が「論壇」になった」(11年4月分)のだ。とすれば、時評はーつーつの「場所」や「現場」(12年3月分)を紹介していくことがその役割になる。
社会の劇的な構造変動によって、たくさんのことばの耐用年限が一気に切れてしまった(というより、すでに切れていた事実が表面化した)。それでも死んだはずの古いことばたちは、いたる場所で現役ヅラしてのさばり続けているし、新しいことばもすぐに産まれてはこない。産まれてもそれとは気づかれにくい。「一から政治を語る自分のことばを作らねばならない」(13年4月分)。冒頭のエッセイで高橋はこういっていた。「何度でもーからやり直さなくちゃならない。何度でも、たった一行から、信頼できる一語からはじめる以外に方法なんかない」。「文学」の使命はここにある。
僕たちはつねに民主主義のリハビリの途上にいる。いや、「『正しい』民主主義を一度も持ったことなどないのかもしれない」(14年5月分)。いずれにせよ、そこへむけたベクトルを、各自が、「一から」、作るしかないのだ。きっと。
トリッパー 2015年夏季号
「小説トリッパー」は朝日新聞出版の季刊文芸誌です。3月、6月、9月、12月の年4回発行。書評ページの執筆陣には、鴻巣友季子さん、江南亜美子さん、倉本さおりさん、永江朗さんら、第一線のレビュアーをはじめ、朝日新聞の文芸記者や目利きの書店員が、季節ごとの話題作を余すところなく紹介しています。