支離滅裂な人口縮小論の真意は?

こんにちは。

来週頃にはそろそろ書店に並びはじめる最新の拙著は人口問題を正面から取り上げます

そこで今日は、いまだに人口削減を主張する人たちの真意はどこにあるのかを探りたいと思います。

DKosig/iStock

ほんとうに世界人口は多すぎるのか?

まず、次のグラフをご覧ください。

2007年に66億8000万人だった世界人口は、2017年までの10年間で8億5000万人も伸びて、75億3000万人になりました。

ちょうどこの投稿を書いている2022年11月の何日かに、ついに80億人を突破するとのことです。「こんなに急激に増えた人口を、地球は養っていけるのだろうか」と心配なさっていらっしゃる方も多いかもしれません。

たしかに、第二次世界大戦が終わってからの世界人口は一段と成長が加速しました。ですが、上のグラフで毎年の伸びを見るとほぼ直線上に並んでいます。つまり、毎年だいたい同じくらいの人数が加わっているわけです。

分母である総人口は伸びているのに毎年の増加分はほとんど同数ということは、もう成長率は徐々に鈍化していることを意味します。

そして、次のグラフはおそらく2080年前後に世界人口の成長率がマイナスに転換することを示しています。


いったいなぜ、そろそろ天井を打ってゆるやかな下降局面に入ろうとしている世界人口が多すぎて、さまざまな弊害を招く、極端な場合には人類が滅亡するだけではなく、ほかの動植物も住めない状態の地球を残してしまうといった危機感を煽る人たちがいるのでしょうか?

人口過剰論者は特定の国や地域の人口が過剰と見ている

私にはとても危険に思える風潮があります。

それは、「人口はすでに地球のキャパシティを超えている。これ以上増やせないのは当然だが、現状よりずっと縮小しなければ人類はあらゆる生物を道連れに無理心中をして、地球は生命のない星になるといった脅迫めいた主張の真意です。

一皮剥けば、もう豊かさを実現してしまった先進諸国が、これから同じように豊かになろうとする国にあなたたちまで豊かにするほどの資源は地球上にはありませんよと突っぱねているだけではないかという疑いが頭を離れません。

たとえば、次のグラフを見てみなさんはどう思われるでしょうか?

人口削減論者は、このグラフから「先進諸国はもう人口の定常状態を達成しているから、環境に余計な負荷をかけて破滅を招く危険は少ない。だが、新興国や発展途上国は、まだまだ人口成長が続いているから、資源の枯渇や環境破壊に向かわざるを得ない」と言います。

一見もっともらしく聞こえますし、もっと細かく発展途上国の人口ピラミッドを調べたりすると、ますますこうした主張が正しそうに思えてきます。

「うわぁ、こんなにどんどん子どもが生まれて、その子たちが年頃になってまた大勢子どもをつくったら、地球上は発展途上国の中でも貧しいサハラ以南のアフリカ諸国で生まれた人たちで溢れかえってしまうのではないか」と感じた方も多いでしょう。でも年齢層のピラミッドを見ると、生まれた子どもたちが乳幼児期、少年期にかなりたくさん亡くなってしまっているはずだとお気づきになりませんか?

発展途上国で出生率が高いのは乳幼児死亡率が高いから

現代でも発展途上国、とくにサハラ以南の最貧国と呼ばれるような国々では、乳幼児死亡率も少年期の死亡率も先進国よりはるかに高くて、ぶじ成人を迎えることのできる子どもたちが少ないのです。

そうすると、両親も子どもを少なく産んで、なるべく高い教育を身につけさせてやるという余裕のある姿勢で出産から子育ての時期を送ることができません

どうしても、なるべく早くから働いてもらいたいし、小人数の子どもでは一人前の仕事ができるまで育つかどうか心配なので、大勢の子どもを産んでおこうということになります。

上のグラフで0~4歳から5~9歳、そこから10~14歳、さらに15~19歳の各段階でかなりパーセンテージが下がっているのは、本格的に働き出す前に亡くなってしまう子どもたちがいかに多いかを示しているのです。

コンゴ民主共和国は、アフリカの中でもとくに貧困、飢え、風土病などによる幼少時の死亡率が高いところで、0~4歳児が男女合わせて人口の約20%、5~9歳児が約16%、10~14歳児が約14%と、15歳未満の子どもたちで人口の50%前後に達してしまいます。

ただ、アフリカ大陸全体としてもコンゴ共和国ほど極端ではありませんが、非常に0~15歳児の全人口に占める比率が高くなっています

ご覧のとおり、アフリカ大陸では0~15歳児だけで全人口の41%を占めています。この子どもたちが全員成人して、それぞれが大勢の子どもをつくったら、いったい地球上の総人口はどこまで増えるのかと心配をする人が多いのもうなずけます。でも、次のような予測は、アフリカ大陸では幼少期だけではなく青年期にも亡くなる人たちがほかの地域と比べて多いことをきちんと計算に入れていないのではないかという気がします。

ほかのほとんどの地域で微増か微減にとどまる中で、広さに比べて極端に人口の少ないオセアニアの82%増はともかく、アフリカ大陸だけ人口が約4倍増するというのは、どうでしょうか。どこかに「アフリカの人々は、自分たちにとって何が経済合理性のある選択かわからないから、見境なく子供を産んでしまう」といった偏見があるような気がします。

これから人口大国になるのはアフリカ諸国だけか?

次は2つの人口予測を続けてご覧ください。2060年で人口順にトップ12ヵ国を並べるとどうなるかと、2100年には人口トップ10ヵ国がどう変わっているかを予測したグラフです。

2060年には12ヵ国のうち5ヵ国をアジアが占め、アフリカは4ヵ国となっています。2100年になると、枠が10に減ったにもかかわらず、そのうち5ヵ国をアフリカが占め、アジアは4ヵ国に減ります

もうひとつの特徴は、将来のアジアの人口大国は現在すでに人口1億5000万人以上の国ばかりなのに対して、アフリカ大陸ではウガンダのように現在は人口5000万人にも達していないのに、2100年には2億人を超えるという急成長が見こまれる国があることです。

名目的には君主制を維持していてもほとんど立憲君主制で、実態としては多数決で政治がおこなわれる国も多くなる中で、やはり数にはかなり大きな力が伴うようになっています。

また、アフリカがなかなか貧困を抜け出せないままで非常に大きな青年層の人口を抱えており、戦争でも起きると職にあぶれた若者たちが勇んで兵役に就くであろうといった事態も考えられます。

そうなると、欧米、中でもヨーロッパ大陸全体でナイジェリア1国にも人口では負けるようになる欧州諸国の人々が真剣にアフリカ諸国の人口制限を唱えるのは、無理からぬところかもしれません

アフリカ諸国がここまで貧困に苦しんでいるのは、ヨーロッパ諸国による植民地支配、とくに働き盛りの黒人たちを奴隷として北米大陸中心に売りつけるといった行為のおかげでもあるのですが、それは忘れてアフリカ大陸の人口増ばかりを問題としているようです。

実際には、アフリカ大陸の人口が先ほどご覧いただいたように今世紀中に4倍増するといった「予測」は、アフリカ諸国の人々の知的能力や、経済合理性にもとづく判断をする能力を明らかに過小評価した誤りだと思います。

アフリカ諸国でも人口転換は起きている

最大の問題は、アフリカ諸国の合計特殊出生率(ひとりの女性が生涯に何人子供を産むかという数値)が高いのは、やみくもな本能のせいだといった見方をしていることです。

先ほども書いたとおり、乳幼児期から少年期の死亡率が高い地域では、なるべく大勢子供を産んで、少しでも早くから働き始めてもらうのは、経済合理性のある家族形成なのです。

でも、だいぶ遅ればせとは言え、アフリカ諸国でも世界全体と同じように乳幼児死亡率は徐々に低下しています。そして、乳幼児死亡率が下がれば、大勢産んで早くから働いたりしてもらうより、小人数の子どもたちになるべく高い教育を授けたほうが両親にも得です。

多産で教育に時間もカネもかけられない状態から、少産で教育に時間とカネをかけられる状態に変化することを人口転換と呼んで、国民経済が豊かになるための前提条件の1つと見なす人口学者や開発経済学者が多いのです。

こうして、第二次世界大戦後の長い乳幼児死亡率低下期を経て、世界全体とサハラ以南のアフリカ諸国の合計特殊出生率は次のグラフのように低下しました。

世界全体で見ると、1960年代半ばには4~5人兄弟がザラだったのに、今では先進諸国で同一人口を維持するために必要な水準(人口置換水準)とされる2.07にあと一息まで下がっています。先進国以外では乳幼児死亡率も少年期死亡率もまだ先進国より高いので、2.4という数字はかなり人口置換水準に近いのではないでしょうか。

アフリカの場合出発点が高かったので、まだ高所得国を除くサハラ以南の平均値では5となっていますが、それでもゆるやかな下落傾向が続いているのはたしかです。80年強で人口が4倍増といった急激な人口増加は起きないでしょう。

この人口定常化への歩みをもっと速めるために、少年少女、とくに少女の就学年数を増やすべきだという意見もあります。実際に、就学年数が長くなるほど合計特殊出生率が下がるという傾向は顕著です。

エチオピアの場合、12年以上学校に通うことのできた女子の合計特殊出生率はもう、先進諸国の人口置換水準を大きく割りこんでいます。ガーナもそれに近いところに来ています。

法律で12年間の義務教育を課し、その費用は無償とするといった制度づくりはそれほどむずかしいことではないかもしれません

ただ、現実に国と子どもを持つ世帯に、子どもが小遣い銭程度でも稼いで家計の負担を軽減してもらう必要がない程度の経済的余裕がなければ、なかなか就学年齢の子どもたち全員について12年間の就学を実現するのはむずかしいでしょう。

こうした目標を法律や制度で達成しようとすると、子どもたちのあいだで教育水準格差や世帯規模格差を拡げてしまう危険さえあります

あまりにもゆがんだ発想ですが、「きちんと法律で義務付けられた就学年数を消化しなかった少女たちは、経済成長に負担となるほどの子だくさんになりやすいから、なるべく劣悪な環境に放置して、自然淘汰を待つ」といった方針を取る政府も出てくるかもしれません。

政府ではなく、民間「慈善」団体として、どうもそうした強権的な人口抑制を狙っているとしか思えないことをしている人たちもいます

ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団は、再三にわたってインドやアフリカ最貧国の少女の保護者に低額のカネを渡して承諾をとって、不妊化成分が「混入した」ワクチンを打っていると、『ザ・リアル・アンソニー・ファウチ』の著者であるロバート・ケネディJrは追及しています。

ビル・ゲイツが「貧しい人々を救う道は人口削減以外にない」と公言しているのは、よく知られた事実です。

また、世界経済フォーラムも「二酸化炭素排出量をネットでゼロにする」という目標を実現するために、人口も現状より大幅に削減する必要があると唱えています

過去半世紀の二酸化炭素排出量増加と温暖化は無関係

地球は温暖化していて、その原因は人為的な二酸化炭素排出量の増加だ」という説には、論理的にも実証的にもなんの根拠もありません

まず、人間をはじめとする動物が吐く息の二酸化炭素も、化石燃料などを燃やして出てくる二酸化炭素も、植物にとっては太陽光のもとで水と化合させて、炭水化物として自分たちの体を育てるとともに、動物が生きるために不可欠の酸素として空中に吐き出しています

これはそれまで地球上に存在していた菌類などの生物の中から植物が生まれたと同時に始まったことであり、現在に至っても植物の光合成による二酸化炭素吸収能力が限界に近づいたという兆候はまったくありません

世界中の農家が温室栽培で室温を20~25度に保ち、室内の二酸化炭素含有量を1500ppm以上にしていますが、もちろんそのほうが豊かな収穫があるからこそ、わざわざ手間をかけて温室にしているわけです。

植物の二酸化炭素吸収能力が限界にきているとしたら、世界中で温室栽培をしている農家はまったくムダなことに費用と労力を注いでいることになります。

さらに、次の2枚のグラフによって、実証的にも「地球温暖化=人為的二酸化炭素元凶」説はかんたんに論破することができます。


まず上の世界平均気温の中央値グラフを見ると、たしかに1970年代半ば頃から現在までの半世紀はほぼ一貫して気温が上昇しています

ただ、その前の1940年代末から1970年代半ばまでは年ごとの変動は激しかったのですが、全体として気温が下がり気味だったのは明白です。

実際、当時気候問題を深刻に受け止めていた人のほとんどが地球温暖化ではなく地球寒冷化を心配していました

下の二酸化炭素排出量に眼を転ずると、1950年代から60年代初めまでがいちばん上昇カーブが急だったことを確認できます。この頃、人為的二酸化炭素排出量の伸び率は最高に達していたのです。なぜこの頃だったかと言うと、2つ大きな理由があります。

1つ目は、地上核実験が1963年に禁止されるまで、大気中での核実験がひんぱんに行われていて、そのたびに核爆発で生じる超高温によって、燃える元素の混じっているものがほとんど焼き尽くされ、二酸化炭素が発生していたことです。

もう1つは、この頃それまで北米大陸にほぼ限定された現象だったクルマ社会化がヨーロッパ諸国にも及び、自動車の排気ガス中の二酸化炭素が激増したことです。

もし、大気の二酸化炭素含有量の多さが温暖化を招くとすれば、当然地球は温暖化していたはずですが、実際にはむしろ寒冷化していました

これは、太陽の黒点活動が1950年代半ばにピークアウトして、その後急速に沈滞したことによって空中の微粒子が輻射熱ではじき飛ばされることが少なくなったため、雲の形成が盛んになり、雲は太陽輻射熱を反射してしまうので寒冷化したと考えるべきでしょう。

惑星の気温を決定する最大の要因がアルベド比(あるいはアルベド値)と呼ばれる地表を覆う雲の地表面全体に対する比率であることは、気象学の基礎です。

その後1970年代末から2010年代までは一貫して太陽黒点活動が旺盛だったので、雲の形成が弱まり、太陽輻射熱を吸収する率が高まったため温暖化が進んだと思われます。

2019年末に始まった太陽黒点活動第25周期は大底の数値が過去4~5サイクルに比べて低く、これまでより空中に浮遊する微粒子を吹き飛ばす力の弱い周期になる可能性が高いと思います。

温暖化の破滅的な影響はいったいどこに?

さて、1970年代末から約半世紀にわたって温暖化が続いたわけですから、もし温暖化が脅威だとすれば、自然災害の頻発といった事象が起きているはずです。

人間は近い過去ほど鮮明に記憶しているものですから、なんとなく最近どんどん自然災害の規模が大きくなり、発生頻度も高まっていると思いこみがちです。

しかし、冷静にデータを見れば、自然災害はむしろ着実に規模も小さくなり、また発生頻度も下がっていることがわかります。

ご覧のとおり、1960年代までは非常に多くの犠牲者を出すことの多かった干魃と洪水の被害が1970年代以降は激減しています。

これについては、もちろん科学技術の発展や交通輸送網の発達によって、昔であればかなり大きな被害の出ていたはずの災害を予防したり、発生後の被害を抑制したりできるようになったことも、大いに貢献しています。

ですが、「もし人類が利用できる科学技術や交通網が昔のままだったとしたら、もっとはるかに多くの犠牲者が出ていたはずだ。だから、温暖化はやはり大きな脅威だという議論はおかしいと思います。

当然のことながら、人間は持っている道具や知識を最大限に使って危機を回避したり、勃発した災害の被害を最小化したりする動物であり、昔のままの状態だったとしたらどんなに大きな被害が出ていたかを想像することには、ほとんど意味がないからです。

ただ、犠牲者の多さにおいて2大災害と言うべき干魃と洪水の被害が激減したため、以前は比較的小さな自然災害と見られていた気候不順が非常に大きくクローズアップされ、その結果「最近の気候変動はとくに深刻だ」とお思いの方が多いのは、事実でしょう。

二酸化炭素排出量激増は新興国の責任か?

さて、そもそも二酸化炭素排出量が増えることは植物にとって主食が増えることですから、大いに歓迎すべきだと私は考えております。

また仮に、二酸化炭素排出が地球環境に害を及ぼす行為だったとしても、最近顕著になっている中国の膨大な二酸化炭素排出量を目の敵にするのは、お門違いでしょう。

たしかに、世界の国・地域別二酸化炭素排出量推移のグラフを見ますと、中国1国の排出量の多さが目立ちます

ただ、各国・各地域の人口1人当りでの二酸化炭素消費量データを見ると、印象は一変します。

ここで消費量と呼んでいるのは、毎年の二酸化炭素排出量の中から、輸出品を造るために排出した量を差し引き、輸入品を造るために諸外国が排出した二酸化炭素を足し込んだ数字です。つまり、自国民の生活を維持するために必要とした二酸化炭素の発生量です。

これを見ると、完全クルマ社会化した白人主体の旧大英帝国植民地群がニュージーランドを唯一の例外として圧倒的に高く次に一見日本と似た経済構造を持っているようですがエネルギー効率はずっと低い韓国の発生量が多いことがわかります。

先進諸国として非常に低いのは、電力の大半を原子力発電に依存するという危険な賭けをしているフランスと、ほぼ完全に製造業を捨ててしまったイギリスです。

製造業の基盤はしっかり維持しながら二酸化炭素発生量をアメリカの約6割に抑えているのが日本とドイツで、総合的なエネルギー効率においてトップ争いをしています。

ただ、ドイツの場合、エネルギー源として液化天然ガスより3~4割安く買える上に燃焼効率も高く二酸化炭素発生量も少ない、パイプライン経由でガス状のままロシアから送られてくる天然ガスへの依存度が高かったので、それがきびしくなった今後は疑問です。

問題の中国はと言いますと、1人当りの発生量では先進諸国中でもっとも少ないフランスとほぼ同量しか発生させていません。

こうした状態を見ると、二酸化炭素排出量ゼロという目標はすでに資源大量消費で高成長を求める段階を終えてしまった先進諸国が、後発国には同じ手段で速く豊かになろうとすることを妨害する、まことに身勝手な主張のように見えて仕方がありません。

私は中国の政治・経済・社会については非常に批判的に見ていますが、この件に関するかぎり、先進国とくに西欧諸国が中国の資源浪費を非難するのは、滑稽です。自分だけ蜘蛛の糸をたどって極楽浄土にたどり着くために、下から付いてくる連中を振り落とそうとしたカンダタそっくりではないでしょうか。

最大のエネルギー消費量が覇権国を創ってきた

この印象は、次の2段組グラフでますます高まります。

こちらは国民1人当りではなく、国全体としての二酸化炭素排出量です。そして、どちらもグラフ自体はまったく同じ国々の同じ曲線を描いたものですが、特徴的な2つの年号でシェアを付記しています。

上段の1790年のシェアを見ると、ほぼ丸2世紀にわたって圧倒的な覇権国として君臨したイギリスがエネルギー消費量で隔絶したトップだった時代がいかに長かったかがわかります。ここではやっとわずか0.02%のシェアでカナダが第2位として浮上した年に注目しました。

下段では、やっとイギリスに挑戦する次代の覇権国候補がアメリカとドイツに絞られた南北戦争直前の1859年に焦点を当てました。

南北戦争中はなんとか2位争いを続けていたドイツは、主要エネルギー源の石炭から石油への転換に完全に乗り遅れ、経済覇権を握ることなく終わりました。

ただ、アメリカの世紀と言われた20世紀全体を通じても、アメリカが二酸化炭素排出量で50%超のシェアを確保した年は2~3年しかなく、先代のイギリスに比べて脆弱な基盤に立った覇権国であったことがわかります。

1950年代末からの日本は、世界最速で製造業大国化を達成したのですが、1960~80年代にかけて二酸化炭素排出量のシェアは10%強でほとんど増えていません

それだけ、エネルギー効率の高い工業化に成功したということでもあり、サービス業の成長に適した土壌を持っているということでもあると思います。

2010年代に排出量トップの座をアメリカから奪った中国が次の覇権国になるかというと、もう資源に頼らないサービス業が経済全体を牽引する世の中になっていることでもあり、それは無理でしょう。

ただ、「二酸化炭素排出量が多すぎるから、中国は化石燃料依存度を下げよと欧米諸国が主張するのは、自分たちがすでに通り過ぎた成長段階を中国には経験させてやらないという意図が見え透いています

窒素肥料全廃まで言い出した根拠は?

オランダで突如農民一揆とも言うべき激しい反政府運動が起きてやっと注目を浴びていますが、世界経済フォーラムとEU諸国は、化石燃料全廃に加えて、化学肥料の中でももっとも重要な窒素肥料の全廃まで目標に掲げています

今まで、なぜ「二酸化炭素排出量の削減」などというデメリットばかりが目立ち、ちっともメリットの見えない目標を掲げるのか、真意を測りかねていました。

ですが、植物にとって主食とも言える二酸化炭素排出量を激減させ、副食の中でもっとも栄養価の高い窒素肥料まで全廃させる気だとわかって、ようやく意図がつかめてきました

たんに新興国の製造業主導の富裕化を妨害するだけではなく、発展途上国、最貧国などで大規模な飢饉を惹き起こそうとしているのでしょう。

もし、それが目的なら窒素肥料全廃の威力はすさまじいものがあります。

現在地球上に生息している人口の半分近くが、窒素肥料の恩恵による農作物増産がなければこの世に生を享けられなかったか、いつかどこかで飢え死にしていたかもしれなかったのです。

目標は地球人口の半減なのでしょうか? もっとずっと大きな人口削減をおこなって、未来永劫にわたってヨーロッパと北米の白人が人類全体中の多数派でいられるようになるまで大量死を招き続けるつもりなのではないでしょうか

近々刊行の最新の拙著では、この問題に正面から取り組んでおります。ぜひお読みください。

増田先生の新刊「人類9割削減計画」が11/18に発売されます。ぜひご覧ください。

増田悦佐先生の新刊が11/18に発売されます。

 


編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2022年11月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。

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