どうして正社員として高年収が無ければ結婚できないの?

江本 真弓

少子化問題に関して、
長岡 享氏の日本人女性が変わらない限り、日本の少子化は決して止まらない
本山 勝寛氏の小子化の原因は恋愛至上主義ではなかろうか
と男性の意見が続いた。

しかし自らの男性糾弾は棚に上げて言えば男性と女性がどちらに原因があるのかという戦いは不毛だ。なにしろこれは決着はついている。日本政府が現在打ち出している少子化対策の2本柱が、
・女性活用
・移民政策

もはや日本政府までもが、今後の日本の社会経済発展と少子化抑制の力として日本人男性を期待していない。


一方で、これは日本女性にとっては、悪くない話だ。
女性活用が進み経済力が出来れば、今まで以上に経済的理由で意に沿わない男性と無理に結婚する必要がなくなる。他方移民政策により他の価値観を持つ外国出身男性が日本国籍を持つ日本人となることで、男性選択肢が大きく広がる。世界ではモテモテの大和撫子日本女性だ。

もちろん私はバイリンガルとして欧米を見て移民問題の難しさを知っている。一棟収益ビル・マンションの経営の専門家として、日本の人口縮小による需要縮小は最悪のシナリオだ。だからこのような日本の将来は望んではいないが、政府同様不安が無視できない程に、日本は未だに少子化問題にまともに向き合えていない。

少子化問題の難しさは、経済理論や社会制度だけでは解決できないところにある。表面だけを見れば、「結婚しない独身男女の増加」と、「女性が子供を作らない・多く作らない風潮」の問題の相乗だが、どちらも経済理論や社会制度だけでは対処できない「個人領域」とされる部分の問題が大きい。

どうして正社員として高年収が無ければ結婚できないのか?
例えば若年層が結婚出来ない理由として、非正規雇用の増加と若年世代の収入の低下が挙げられるが、そもそも「正社員として高年収が無ければ結婚できない」という考え方はどこから来るのか不思議だ

欧米では大学に行かない労働者階級の方が、早くに結婚して早くに子供を作る傾向がある。日本でもヤンキーの結婚が早く、子だくさんも少なくない。昔から言われていることだが、アメリカでも地方都市の一般アメリカ人は共働きでようやく平均世帯年収を維持している。そのアメリカの平均世帯年収は、U.S. Census Bureau(アメリカ国勢調査局)のA正式発表による2012年のアメリカ世帯年収中間値は $51,371ドル(約521万円)繰り返すが夫婦共働きの世帯年収だ。解雇も多いから夫婦でおぎ合うのが普通だ。

正社員、高年収だけではない。容姿や性格その他何らかの要因を理由に、自分は「結婚できない」「親になれない」と言う若い男女が日本では妙に多い。その考え方が、どこからくるのか不思議だ。

確かに「正社員として高年収」かつ「容姿と性格が良い」となれば、恋愛市場では圧倒的有利な条件だが、客観的に周囲を見れば全てを備えた男女がどれだけいるだろうか?

このような個人の考え方に関する部分は、集団主義の日本では個人の領域としてアンタッチャブルだ。確かに「考え方」は一人一人の固有の問題だが、日本人全体がこれだけ上手く行っていないところを見ると、その特徴的な「考え方のクセ」を強いる心理的制約が日本の社会にはあると考える方が自然だ。

少なくともそう考えて原因を追究し、意識改革を断行して改善するのが欧米流だ。そして欧米では少子化問題も、日本ほど急激ではなくフランス等改善を見せている国も出ている。

どうして貴重な子供を育てている母親を温かく育ててあげられないのか?
もう一方の「日本で女性が子供を作れない・多く作れない」問題では、更に社会に加えられる心理的制約の問題も無視できない。

なにしろ日本では、若い女性が未熟ながらも子供を産んで頑張って育てても、ダメ母親として社会から苛められる。育児に絶望してSOSを出せずに心中自殺をする若い母親が相変わらず減らない。なにしろ赤ちゃんを連れて公共交通機関に乗るだけで、周囲から冷たい対応を受ける超非寛容社会の日本だ。団塊世代でさえ成熟して見えない総幼稚化日本で、「子供を産んだ母親」だけが、何かあればその未熟を「母親失格」として社会から非難される。そんな社会で、自己の成熟に自信がないまま無理に子供を産めば「ダメ母親」として苛められるのが分かっているから、成熟するまで待とうとすれば、いつの間にか出産適齢年齢を過ぎる。

確かに女性は出産年齢の制限があるから、伴侶となる男性は見つからなくとも子供だけは産んでおこうと言うシングルマザーは、欧米では少なくない。日本でもそれを望む女性は少なくないが、弱者苛めが大好きな非寛容日本社会では、シングルマザーのような社会弱者がどれだけ苛められるか分かっているから、シングルマザーの選択が難しい。
もちろんバカな母親を甘やかす必要もないが、母親を社会で育てようとは、日本の社会はならない。

目の前の子供を連れた母親とその子供を大切に扱おう
確かに数の優位で旧世代価値観を持つ団塊世代があまねく覆っている日本では、古い価値観も根強い。そこから生まれる心理的制約も強い。ただ若い世代も、草食系だ、ヲタクだ、ネットだ、自己啓発系だと、自分の世界にこもるばかりで、社会の制約と戦わないから、いつまでも旧世代価値観が残るのも仕方がない。

が、いい加減日本の一億総中流時代が終わっているのだから、そろそろ「正社員として高年収が無ければ結婚できない」という考えそのものに疑問を持ってもよいのではないだろうか。年収200万円の生活ではなく、年収200万円+200万円で世帯年収400万円と考えられるようになってもよいのではないだろうか。

容姿や性格その他条件がそろわなければ結婚出来ないという、旧社会に植え付けられた稚拙な発想からそろそろ卒業してもいいのではないだろうか。

「考え方のクセ」を変えるのは簡単ではないが、少子化が進行して子供が貴重なことが明らかになった日本なのだから、せめて子供を連れた母親への風当たりを和らげることは難しくないのではないだろうか。未熟な母でも社会に苛められないことがわかるだけで、どれだけの自分の成熟度に自信がない女性が出産意欲が持てることだろうか。

男性も女性も、少子化問題の改善を望む気持ちがあれば、まず目の前の小さな子供を連れた若い母親をもっと大切にしよう。公共の場で赤ちゃんを連れいている母親を見かけたら、優しく席を譲ろう。荷物を持ってあげよう。子供がぐずれば、一緒にあやしてあげよう。子供が可愛ければ褒めてあげよう。子供を持つ母親の奮闘に、もっと寛大な目で見守ろう。躾が足りないと感じるなら、批判ではなく教えてあげよう。例えそこで相手に感謝されなかったとしても、相手のためにした行動ならば、自分の行動に自信を持とう。そうしてまず、今いる子供と子供を育てている母親を大切に育てよう。まずそこからだ。

江本不動産運用アドバイザリー
代表 江本真弓

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