「自炊代行」を否定することは全てのビジネスを否定することではないか

古川 賢太郎

まず、玉井克哉氏の記事に対するコメントから始めたい。


『「自炊」(のかなりの部分)は著作権侵害とならない』としているのに、その「代行」が違法になる理由が理解出来ない。『しかし、「自炊代行」業者の行為がそれに留まるとは限りません。』以下の記述は「自炊代行サービス」とは全く関係がない。自炊代行業者が自炊依頼者の所有となるデータを複製するというのは、窃盗行為であり違法な複製行為であることは認めるが、それは自炊代行とは関係ない話ではないか。例えば、ある人は友人の家に遊びに行ったとき、友人が音楽プレーヤーにダウンロードしていた音楽データをこっそりコピーして、それを販売するというのと同じである。

つまり、玉井氏が「違法」として指摘しているのは自炊代行業者に限らない一般的な犯罪行為の類例を挙げているだけである。

では自炊「代行」サービス自体はどうなのであろうか?玉井氏が明言している様に「自炊」自体は違法ではないということである。ではその「代行」が何故いけないのだろうか?そもそも、「代行」というのはビジネスの根幹である。農業は消費者が自分で農産物を作るのを代行している。その流通業者は農家が消費者に農産物を販売する代行をしている。その様な代行行為がビジネスになるのは「比較優位」な生産性を持つことに集中する方が社会全体のアウトプットを拡大するからだ。自炊代行も同じことで、多くの消費者が自分の蔵書を自炊するために機材を揃えたり、時間をかけるよりも、他にやるべきあるいはやった方が社会のためになることがたくさんあるし、逆に代行業者は多くの自炊代行をすることによってこのサービスに「比較優位」を持つことができる。

自炊代行がビジネスになる理由は「蔵書のデジタル化」に消費者の強いニーズがあるが、個人がデジタル化設備を備えて自分でやるには「書籍自体」に対するニーズが弱いのではないだろうか?例えば多くの消費者が頻繁に自炊するほど出版業界が活発であれば、消費者は代行するよりも自前の設備を持った方が良い。毎日自動車で移動する必要がある人は、タクシーを使うよりも自家用車を購入するのと同じだ。だから、一つには飽きるほど本が売れる様になれば良いのだ。

だが、そんな出版活況がどうすれば出現するのかを考えると、それこそ電子書籍の流通であろう。というのも、多くの書物は「買うには高い」のだ。本の価格の多くは「印刷・製本原価」「流通経費」である。著作者の印税と編集者の取り分は2~3割程度であろう。電子書籍になれば今の価格の半分以下になるに違いない。同じ本なのに、本屋で1,000円のものが電子書籍で500円だとマズイという意見もあるかもしれないが、単行本で1,000円で文庫本で500円というのはザラだ。製本が違う本を「異体本」というが、好事家は全て揃えるわけだから本当に良い作品を提供しているのであれば、気にする必要はない。

「デジタルはコピーしやすいから著作者が本来得られる利益が失われる」というが、それならば著作者は全ての図書館を訴えるべきだ。少なくとも、貸し出し1回につき1冊分の印税を請求するべきだろう。コピーされる位で対価を支払おうと思われない作品が過度に保護される理由はないだろう。

著作者や出版社は「自炊代行」業者を駆逐するべく、出版流通形態の革命に乗り出すべきだ。自炊代行は電子書籍ビジネスの追い風になる。自炊代行業者が蓄積した電子化ニーズは出版社が電子書籍に乗り出すべき分野を知る重要なマーケティングデータになる。出版社は「自炊代行」業者を買収してその様なデータを収集するべきだろう。

ビジネスの常として「代替製品/サービス」を排斥すればするほどその業界が縮小していくものだ。iTunesによってデジタル配信が一気に進んだ音楽業界を見れば良い。活性化はすれど、縮小などいっさいしていないではないか。「自炊代行」自体が著作権者や出版業界にとって脅威であることには同意するが、それを電子書籍ビジネスの本格化に利用するべきだろうと思う。

古川賢太郎
ブログ:賢太郎の物書き修行

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