とんでもないリコール「禁じ手」論― もっと増やせ解職請求!

北村 隆司

名古屋市議会をリコールする動きについて、三重県議会議長は「河村市長は、禁じ手を使って自分の政治的主張を通そうとするばかりで、議会を説得する努力もしない。首長主導で議会の解散請求運動をすすめる動きは、法が想定していない事態だ。制度的な整備をして、首長が自分の目的を達成する為のリコールを規制する必要がある」と河村市長と直接請求制度を手厳しく批判しました。


同議長は続けて「市議会に、自らが代表を努める地域政党『減税日本』の候補者を議会の過半数以上を擁立し、議会を追認機関にしようとしている。絶対に容認してはならない」とも述べたと報道されています。

「市長の議会を説得する努力が足りない」と言いますが、名古屋市議会は激論の末、市長の提案の殆どを否決し、市長の主張に聞く耳を持たなかった筈です。川村市長の発言スタイルは賛否両論あるとは思いますが、市長に議会を説得する責任が有るとすれば、議会側も市長を説得する権利があるはずで、市長の努力不足だと一方的に責めるのは議会側の驕りとしか思えません。

市民が議員を選任する議会民主主義の日本で「市長派が議会の過半数を占める事は、議会を市長の追認機関にするもので絶対容認できない」などと発言する事は、有権者を冒涜するとんでもない発言です。

リコールは、公職者を有権者の請求によって解職する手続きに過ぎず、市長の持つ権限ではありません。直接民主制の具体化として地方自治法で認められた解職請求権を、「禁じ手」と言う議長の発言こそ、「禁句」と言うべきでしょう。

「自分の政治的主張を通そう」とする事は、政治家の権利であり、義務です。官僚と異なり、選挙と言う洗礼を受ける政治家は、その主張が有権者の支持を失えば落選するリスクを負っている以上、自分の政治的主張の理解を求めて全力を尽くすのは当たり前です。

首長がリコール運動を進める事は、法の認めた当然の権利で、河村氏がたまたま市長であると言う理由だけでその権利を制限する事は、民主主義の否定です。今回のリコール請求運動に対して、名古屋市議が超党派で激しく署名反対運動を行った事でも判る通り、リコール運動は身分に関係なく有権者に等しく認められた権利で、法の想定の有無とは無関係です。

ましてや「首長のリコール請求権を規制するなど、直接請求の制度的整備も必要だ」と言うに至っては、有権者の権利より自分の身分を優先する暴言と言えましょう。

日本の地方自治体の立法、行政の無駄は目に余ります。中でも、余りに多い議員数と多額の歳費は早急に改善する必要があります。少子、高齢化と財政難に悩む日本で、定数や歳費の削減に反対し続ける議員に緊張感を与える為に、もっとリコールを活用すべきです。

住民の立場を無視して、議員定員の削減や歳費の節減などの議会改革に反対し続けるのであれば、首長が代表を努める地域政党が候補者を立てて議会の改革に乗り出すのは当然です。

選挙の結果,首長が代表を努める地域政党が勝利を収めたとすれば、その議会は首長の追認機関ではなく、有権者の意見を反映したものです。「絶対に容認してはならない」のは三重県会議長の主張であって、「真摯な反省」が必要なのも、三重県会議長ではないでしょうか?

直接請求による議会解散は、政治の空白や膨大な費用を伴う危険もあります。その乱用を恐れた現行法は、リコールの成立には高いハードルを設けています。それにも拘らず46万を越える署名を集めた名古屋で、政令都市では初めてのリコールが成立しそうな事実は、有権者の議会に対する不満の高さを物語っているのであり、反省すべきは議会側の怠慢であって、市長側の行き過ぎではありません。

現状の地方議会の無駄の大きさと質の悪さを考えますと、リコール運動はまだまだ足りません。費用や政治空白を恐れるより、リコール運動を通じて有権者の政治に対する認識が高まる方が今の日本には大切な気がします。

この際リコール制度のハードルを下げてでも、解職請求を通じて地方議会の改革を促進する必要があるのではないでしょうか?

"); } else { document.write("
"); }

コメント

  1. 故郷求めて より:

    全くもっておっしゃる通り。

    おそらく、河村市長こそが大都市名古屋のサイレントマジョリティの支持を得たのであり、各市議は既得権益を守ろうとするノイジーマイノリティの部分代表に過ぎません。

    阿久根市の状況も似たようなものだと私は認識しています。

    多数者の独善も危険ではありますが、現況は行政に積極的に関わる特定利得者=少数者の独善でしょう。どちらを先に改めるべきかと言われれば、間違いなく現状の歪んだ状況です。

  2. taru77 より:

     これは全くおっしゃる通りです。河村氏は名古屋市民の手によって、市議会に対して圧倒的に優位な権力を持つ市長の座に選ばれたわけですから、そこまで「この人になら名古屋市の未来を託せる」という厚い信頼を得た人物が市民運動を牽引するのは、むしろ当然のことです。
     反対派がなぜこのような法律論に持ち込もうとするのかというと、無為に高給を貪る議員や、審議会の縮小による政治への影響力と報酬の低下を恐れる法学者たちは、市民と対話するのが面倒だし、「どうせ愚民どもには、我々の高度な思考は理解できまい」と決めつけているため、法律に訴えるという近道を取ろうとしているのでしょう。
     しかし、そういう対話というステージを省略し、法律を振りかざすことで大衆を黙らせようとする態度こそ、プラトンの「哲人政治」以来の、知識人という少数者による専制支配への道に他ならないといえるでしょう。

  3. st_uesugi より:

    そのとおりです。
    「民主主義の危機」とか騒いている連中は全く民主主義を理解していないわけです。

  4. takaakikauffman より:

    おっしゃるとうりです。