2020/09/18 - 2020/09/18
76位(同エリア111件中)
SUR SHANGHAIさん
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- 旅行記929冊
- クチコミ6921件
- Q&A回答49件
- 6,109,074アクセス
- フォロワー235人
釜石鉱山は、岩手県釜石市と遠野市とに跨がる鉄鉱山。
江戸時代に発見された後、明治時代に開坑されてからは、150年に渡って鉄以外にも金・銀・銅・鉛・亜鉛も産出されてきたという歴史があります。
1993年以降、大規模な採掘は無くなったという事ですが、今でも研究などの用途で年間100トン程の採掘は続けられているんだそう。
1951年に設置された釜石鉱山株式会社の総合事務所は、今では旧釜石鉱山事務所として釜石鉱山全般の紹介をしているので、周辺に残る鉱山施設遺構などと併せて見学しに行ってみるといいですよ。
旧釜石鉱山事務所近くの山肌に残る銅や鉄鉱石の選鉱場の遺構も規模が大きく見応えあり。
旧釜石鉱山事務所前には駐車場もあって車でも行けますが、お勧めなのは最寄り駅のJR釜石線の陸中大橋駅から歩いて行くこと。
駅から事務所までは800mほどの距離で、緩~い上り坂を10分程度で行けますよ。
陸中大橋駅周りにも鉱石ホッパーがあるほか、上記の道筋には坑道トンネル、住宅跡地、病院跡地、高炉跡などもあり、説明パネルも出ています。
旧釜石鉱山事務所の入館料、休館日、イベントなどについては、次の釜石市HPの旧釜石鉱山事務所のページで見てみるといいと思います。
https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2019122700109/
坑内ツアーも行われているようで、≪かまいし情報ポータルサイト 縁とらんす≫の次のページには、2024年に行われたツアーの紹介もされています。
https://en-trance.jp/news/kamaishishinbun-news/41220.html
釜石鉱山を抱えている釜石市は近代製鉄業発祥の地でもある鉄の町。
これまでの訪問では、そんな釜石を代表する場所を訪れていたSUR SHANGHAI。
その一つ一つをこの旅行記内でご紹介して行くと冗長になるので、次の口コミでご覧ください。
●現存する日本最古の洋式高炉跡がある橋野高炉跡(橋野鉄鉱山 高炉跡)
https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/10212761
●鉄で栄えた釜石の歴史のほか、橋野高炉関連の展示もあり(釜石市立 鉄の博物館)
https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/11741408
●震災後、新たに火がともされた鉄のモニュメント(鉄のモニュメントと近代製鉄の父≪大島高任≫の銅像)
https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/11742289
表紙の画像は、釜石鉱山の鉄鉱石選鉱場だった遺構。遠目には壮大な古代遺跡のように見えます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
釜石鉱山の旧釜石鉱山事務所へ行ってみる!と決めたSUR SHANGHAIのこの日のスタートはJR釜石線の起点・終点になっている釜石駅。
『銀河鉄道の夜』で知られる宮沢賢治が沿線の花巻市出身なので、この路線の愛称は≪銀河ドリームライン釜石線≫。
釜石駅の駅舎の外壁も『銀河鉄道の夜』を連想させる絵柄で飾られています。
宮沢賢治は作品の中でエスペラント語をよく使用していたことから、釜石線各駅にはエスペラント語の愛称が付けられているので注意して見てみましょう。
ちなみに、釜石駅のエスペラント語愛称はLa Oceano(ラ・オツェアーノ)で、大洋を意味しています。
これは、釜石が太平洋に面した港町でもあるからでしょうね。釜石駅 駅
-
JR釜石線の釜石駅構内。
SUR SHANGHAIが乗る花巻駅行きがやって来た。
一両だけと言うのが健気。
今日行ってみる旧釜石鉱山事務所への最寄り駅は陸中大橋駅。
釜石駅からは四つ目の駅ですが、本数が少ないうえに、快速のはまゆり号は陸中大橋駅には停まらないので要注意です。JR釜石線 乗り物
-
JR釜石線に乗って釜石駅から17分ほどで着いた陸中大橋駅。
車内もガラ~ンとしていたけど、この駅は無人駅でホームもずいぶん寂しい。
一両だけの車両が花巻方向を目指して過ぎ去って行った方向を見ると、トンネルの手前に何やら遺構のような建築物が。
ホームの端っこまで行って見てみよう!陸中大橋駅 駅
-
イチオシ
JR釜石線の陸中大橋駅ホームから見た、花巻行きの車両が消えて行ったトンネル方向。
右手に見える頑丈な構築物はホッパーと呼ばれる設備の遺構。
ホッパーは鉱山で採掘した鉱石を貨車に積み込むまでの保管設備。
使われていた頃は、ホッパーの下に貨車のための引き込み線が敷かれ、画像の奥にもう一つ見えているトンネルから貨車が出入りして活気があったんでしょうね。
今ではシンと静まって、当時の騒音や活気が感じられない陸中大橋駅周辺。 -
JR釜石線 陸中大橋駅のホームに立つ電柱に取り付けてあった駅名標。
いつから使われている物だろう。
全部ひらがなで書かれたその書体が可愛い。( ´∀` )
遠景の建物は、陸中大橋駅前にある釜石大橋郵便局。 -
JR釜石線 陸中大橋駅のホーム。
駅の外に出ようと、今度はホームを釜石方向に歩いて行くと、これも釜石鉱山の遺構の一つなんだろうなと思わせるコンクリート造りの構築物が。
う~ん、これもホッパーだったのかな。
今では釜石周辺の見どころの名が出た看板が設置されてあり、釜石鉱山の名も見えています。
一番手前に見えている仙人秘水というのは、釜石鉱山株式会社が製造販売している鉱泉水の名称。
この後行ってみた旧釜石鉱山事務所前の自販機でも販売されていました。
弱アルカリ性のクリアなお水をお試ししてみては? -
JR釜石線の陸中大橋駅のホームには、小さな待合室や駅名板、それに…、
-
…JR釜石線の愛称≪銀河ドリームライン釜石線≫の駅名板も。
上の方で、この路線の各駅にはエスペラント語の愛称が付けられている、と言ったとおり、陸中大橋駅のエスペラント語名は鉱石を意味するMinajo(ミナージョ)でした。
これは、釜石鉱山ゆかりの名付けでしょうね。
JR釜石線全駅のエスペラント名を知りたい方は、次の≪JR釜石線営業所管内 エスペラント愛称駅名一覧≫のページで見てみるといいですよ。
http://tossy.road.jp/jrklesn.html -
JR釜石線 陸中大橋駅のホーム。
ふと足元を見てみると、SL銀河のプレートが。
SL銀河は、2011年から2023年まで東日本大震災からの復興を支援するため、花巻駅~釜石駅間を運行していた蒸気機関車(SL)牽引による臨時快速列車。
この旅行記を書いている2024年には運行されていませんが、どんな列車だったのか詳しく知りたい方は次のウィキペディアの『SJ銀河』のページでどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/SL%E9%8A%80%E6%B2%B3
実はSUR SHANGHAIも、この2020年の7月に遠野駅~釜石駅間で乗ってみたんですが、その時の旅行記や口コミは未投稿です。 -
JR釜石線の陸中大橋駅ホームの待合室に出ていた時刻表。
●注: これは2020年9月中旬現在のものです。
帰りの釜石行きへの時刻表は調べて来たけど、一応ここでも確認。
本数が少ないからきちんと確かめておかないとね。 -
さて、ここでいよいよJR釜石線 陸中大橋駅の外へ。
線路を横切り、≪JR東日本 陸中大橋駅 Rikuchu Ōhashi≫と書かれたアーチをくぐって駅前に出た後は…、 -
…周辺も見るために、JR釜石線沿いにちょっと歩いてみたSUR SHANGHAI。
と、陸中大橋駅から100mほど行った場所にポツリとバス停があってビックリ。
「こんな場所にどこ行きのバスが?」と見てみると、釜石市役所や釜石港近くの東前と言う場所と、釜石市南近郊の上平田NT(ニュータウン)行き。
あとで岩手県交通のバスだと分かりました。
どちらも途中で釜石駅前を通るし、JR釜石線には無い時間帯の便もあるので時刻表も撮っておきました。
●注: これは2020年9月中旬現在の時刻表です。 -
陸中大橋駅近くのJR釜石線沿線。
こんな木の柵って何だか懐かしい。 -
さ、本題の旧釜石鉱山事務所に行くぞ!
…と、陸中大橋駅前に戻って来た。
手前の建物は、昔は駅の資材置き場だったのかな。
傍らには、今はほとんど見かけなくなった公衆電話ボックスが見えている。
奥の新しい建物は、さっき陸中大橋駅のホームからも見えた釜石大橋郵便局。
旧釜石鉱山事務所へは、あの脇を通る道を道なりに行けばいいはずだけど、郵便局の人にも確認しようっと! -
釜石大橋郵便局で旧釜石鉱山事務所への道を確かめてみたSUR SHANGHAI。
郵便局脇の道を道なりに行けばいいと確認できてホッ!
お客さんが誰もいない窓口の係の人は、怪訝そうな顔で、「一人だけで歩いて行くの?」って聞いて来たけど、「ウォーキングを兼ねてあちこち行くのが好きなんですよ~。」と言ったら納得したようだった。
で、これがその道の始まり。
あれ? ≪史蹟 釜石街道仙人峠登り口≫って書いてある。
後で調べてみたところ、釜石街道というのは釜石と遠野を結ぶ旧街道で、その途中にあるのが標高887mの仙人峠なんだそう。
釜石側の起点・終点がこの陸中大橋駅で、遠野側の起点・終点は仙人トンネル。
約6㎞の行程で、歩いて行き来できるそうです。
ここも歩いてみたいなぁ。 -
釜石大橋郵便局近くには民家が並んでいたけど、今も人が住んでいるのかどうか気配が無い。
このお宅も以前はお店を経営していたようなのにガラ~ン。
釜石鉱山が盛況だった頃には、この道も人通りが多くて繁盛していたに違いない。
そうそう、陸中大橋駅に到着後は、旧釜石鉱山事務所前に飲み物自販機があるのを見ただけで、気付いた限りでは商店も食堂も見かけませんでした。
ちょっとした飲み物くらいは事前に用意して行くと憂い無し。 -
釜石大橋郵便局を過ぎてすぐに、甲子川(かっしがわ)に架かる橋を通ったSUR SHANGHAI。
甲子川は仙人峠などを水源とする延長20.7㎞のほどの川で、最後は釜石湾に注いでいます。
この画像のように、川と言うより渓流と言った趣きですが、1857年に大島高任(おおしま・たかとう)が旧釜石鉱山事務所近くの大橋に初めて洋式高炉を築いたのは、鉄鉱石のほかにもこの甲子川の水流があったからなんだそう。
この後、旧釜石鉱山事務所までの道筋にも、何か所か甲子川に架かる細い橋が有りました。 -
釜石大橋郵便局そばの甲子川(かっしがわ)に架かる橋を過ぎた所で目にしたのは、釜石鉱山概観図のパネル。
釜石鉱山概観図の文字がレトロな篆書体(?)で出ています。
画像をクリックすると説明文も拡大表示されるので、必要な方はご覧ください。 -
上掲の釜石鉱山概観図パネルの後は、旧釜石鉱山事務所まではほんの数百m。
その道筋には、釜石鉱山が栄えていた頃の各種施設があった場所に、画像付き説明パネルが出ていました。
これは釜石鉱業所職員や家族のための購買会建物と、鉱山祭りの日の賑わいの画像。
今は建物はすっかり取り払われていましたが、その跡地は定期的に草刈りが行われているようでした。 -
旧釜石鉱山事務所への道筋で次に目に入ったのはこのトンネル。
ここには何も説明が出ていなかったんですが、約150年もの間掘り続けられた釜石鉱山の坑道の総延長は1000km以上あり、南北8km東西4kmの範囲に、何段にも層になった坑道が造られていたそうなので、これもその坑道への入口の一つだったのかも?
恐々と中を覗き込んでも真っ暗で何も見えませんでした。
このトンネルを見て思い出したのは、以前行ったポーランドのヴィエリチカ岩塩坑。
坑道ツアーに参加して、9層(地下325m)あると言う坑道の3層目(地下130m)まで行ったけど、あの圧迫感は凄かった。
その様子を見てみたい方は、次の旅行記をご覧ください。
★ポーランド旅(7)ヴィエリチカ岩塩坑へ
https://4travel.jp/travelogue/10220000 -
次に目にしたのは、釜石鉱山田中製鐡所第3・第5高炉跡や、釜石鉱山専用汽車(社線)大橋駅の画像+説明パネル。
下段の画像の、何やら稼働している機械音がする建物近くに出ていたけど、この建物がその名残という事でいいのかな。
現在のこの建物は何の目的で使っているんだろう。 -
上掲の画像の大きな建物がある所からちょっと離れた場所にあったのは、日鉄鉱業株式会社釜石鉱業所の所長宅跡地。
二階建ての瓦葺きで、その瓦には日鉄鉱業株式会社の社章が付けられていたそうです。
今ではその跡地も緑地化された広場のようになって残っていました。 -
次に見かけた画像+説明パネルは、大橋社宅跡のもの。
旧釜石鉱山事務所へと向かう道に沿って、その跡地が続いていました。
社宅は、鉱夫用、職員用、幹部用に分けられていたようです。
数段の石段を上った所に、画像のような長屋式の社宅がいくつもいくつも並んでいたんでしょうね。
今はその社宅群はすべて取り払われていましたが、ここも跡地の草刈りは定期的に行われているようで、草茫々という感じではありませんでした。 -
旧釜石鉱山事務所へと向かう道に沿うように流れる甲子川(かっしがわ)には脇道へ入るための細い橋もいくつか架かっています。
これは加美野橋と言う橋。
この道に入って行ってみるのもおもしろそうだけど、SUR SHANGHAIは当初の目的通り旧釜石鉱山事務所へと向かいます。 -
大橋社宅跡の次にあったのは、釜石鉱業所病院の画像+説明パネル。
戦後まであった病院だそうですが、ここも今は建物は取り払われていて、基礎だけが残っていました。 -
道の行く手に見えて来た旧釜石鉱山事務所の看板。
画像奥には旧釜石鉱山事務所の建物と、選鉱場だった遺構の一部も見えています。
ここから先はフェンス内の敷地。
表紙に書いた情報の繰り返しになりますが、営業時間、休館日、入場料、イベントなどについては、次の釜石市HPの旧釜石鉱山事務所のページで見てみるといいと思います。
休館日は毎週の定休日のほか、数か月の冬季休館もあるのでご注意を。
https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2019122700109/
坑内ツアーも行われているようで、≪かまいし情報ポータルサイト 縁とらんす≫の次のページには、2024年に行われたツアーの紹介もされています。
https://en-trance.jp/news/kamaishishinbun-news/41220.html -
ゲート先に見えて来た旧釜石鉱山事務所の建物。
JR釜石線の陸中大橋駅から800mほどの距離なのでゆっくり歩いても10分あれば着くんですが、SUR SHANGHAIは途中あれこれ写真を撮ったり、説明パネルなども読みながら来たので20数分かかりました。
あれ?大勢の人がいる。何だろう?旧釜石鉱山事務所 名所・史跡
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…とさらに近寄って行ってみると、旧釜石鉱山事務所前の空き地で、地元の学校の校外学習が行われているような雰囲気。
旧釜石鉱山事務所 名所・史跡
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SUR SHANGHAIもちょっとだけ混じって見学してみたところ、ミニ製鉄体験授業のようでした。
地元の学校の生徒たちにとっては、街の製鉄の歴史も学べるいい機会になっているんでしょうね。
釜石鉱山株式会社の総合事務所だった旧釜石鉱山事務所。
次の釜石鉱山株式会社のサイトで、釜石鉱山の歴史を見てみるといいですよ。
https://www.sennin-hisui.com/kozan/旧釜石鉱山事務所 名所・史跡
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1951年に竣工した旧釜石鉱山事務所は、釜石鉱山株式会社の総合事務所として2007年まで利用され、その翌年には日鉄鉱業株式会社所蔵の釜石鉱山関連資料とともに釜石市に寄贈されたという歴史あり。
今では鉱山の歴史を物語る貴重な資料を公開しています。
建物自体は、2013年に国の登録有形文化財に登録されたそうです。
これらの画像は、旧釜石鉱山事務所内の展示物の一部。
事務所だった頃の設備や備品、電話や交換機が展示されていたり、釜石鉱山や世界の鉱石を展示してある部屋、釜石鉱山の付属病院の診察室を再現した部屋のほか、資料室、釜石鉱山学園に関する展示などが見られました。旧釜石鉱山事務所 名所・史跡
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旧釜石鉱山事務所に出ていた、釜石鉱山関係者の紹介。
近代製鉄の父と呼ばれた大島高任(おおしま・たかとう)の説明も出ていました。
画像をクリックすると拡大表示されます。
表紙にも書きましたが、JR釜石駅前には鉄のモニュメントと共に、大島高任の銅像もあるので見て行くといいですよ。旧釜石鉱山事務所 名所・史跡
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旧釜石鉱山事務所近くには、≪史蹟 釜石鉄山大橋高炉跡≫があり、説明も出ています。
画像をクリックすると拡大表示されます。
これは上掲の画像で紹介されている大島高任(おおしま・たかとう)が1857年に初の洋式高炉を建造した場所。
同年12月1日には、日本で初めてここで連続出銑(高炉の中で精錬された鉄が融けた状態になったものを取出すこと)に成功。
このことから、12月1日は日本鉄鋼連盟によって1958年に≪鉄の日≫として制定されたそうです。 -
旧釜石鉱山事務所の裏手に行ってみると、鉱山の学校の説明パネルがあり、その跡地が広がっていました。
パネルに出ている校舎画像は、1938年に竣工した私立大橋尋常小学校のようですが、その前後にも歴史の変遷があるので説明をご覧ください。
画像をクリックすると拡大表示されます。
学校跡地向こうに、ダムのような構築物があるのが気になったSUR SHANGHAI。
ちょっと見に行ってみます。 -
ダムのような構築物を目指して前進して行ったところ、「熊に注意」の標識が。
それを見て、背筋がザワザワしたSUR SHANGHAIはここで諦めて戻ることに。
結局このダムのような物は何だったんだろうと後で地図検索してみたところ、向こう側にはメガソーラーが設置されているようです。 -
ダムのような構築物の隣の山から流れ落ちて来る滝もあった。
これは甲子川(かっしがわ)上流の滝。 -
いよいよ選鉱場だった遺構を見に行こう!とまた歩き始めた時に見かけたのは大橋山神社。
これも旧釜石鉱山事務所裏手にあります。
鉄鉱石をはじめとする鉱石が盛んに採掘されていた頃、山の神様を敬うと同時に作業員の安全を祈願した場所になるのでは。
鳥居も境内の建物も残っていましたが、崩壊の危険があるのかどうか立ち入り禁止になっていました。 -
大橋山神社からちょっと回り込んだ山の斜面に見えて来た巨大な遺構。
これが鉄鉱石の選鉱場だった場所か!と思ったら…、 -
…ここは銅鉱石の選鉱場だったという説明パネルが。
画像をクリックすると拡大表示されます。
釜石には、鉄鉱石のほかにも銅鉱石の有力な鉱床もあって、戦後には日本最大の銅鉱山だったとも知り、目からウロコ!
銅の採掘を終了したのは1992年の事だったそうです。 -
銅鉱石の選鉱場だった場所からさらに回り込んで行くと、以前はシックナーだったらしき遺構が。
シックナーは円形の巨大なプール状の設備で、鉱工業などの施設から出る排水中の固体粒子を沈降させ、分離させる仕組みを持っています。 -
銅鉱石の選鉱場と鉄鉱石の選鉱場との間には、基礎部分だけになった桜山インクラインの遺構が。
インクラインは、傾斜面にレールを敷き、台車に積んだ貨物を上げ下げする装置で、説明パネルには使用されていた当時の画像が出ています。 -
イチオシ
桜山インクライン跡の次に、ついに目にした釜石鉱山の鉄鉱石選鉱場だった遺構。
遠目に見ると、荘厳な古代遺跡のようにも見えて言葉を失います。
上の方でご紹介した銅鉱石選鉱場の遺構と同じく、近づくことは出来ません。 -
鉄鉱石の選鉱場が盛んに稼働していた頃の画像も紹介されていた説明パネル。
今では当時の赤い屋根の建物は取り払われ、基礎だけになった姿で釜石鉱山の歴史の証人の一人として残っていました。 -
鉄鉱石の選鉱場近くには、資材置き場だったような倉庫群もあった。
今も使われているんだろうかと行ってみると…、 -
…人の気配もしない倉庫の窓は破れていて、ここも廃墟化しているようでした。
-
イチオシ
廃墟が並ぶ中、錆びた鉄色になったレンガの壁前の草花の緑がやけに鮮やか。
-
イチオシ
かつての釜石鉱山で使われていたらしき貨車や重機類が露天展示されている場所もあった。
つるはしをクロスさせたマークは、日鉄鉱業株式会社の社章。
焼けただれたようなレンガの壁は高炉のもの? -
さ、そろそろ陸中大橋駅に戻らないと。
JR釜石線は本数が少ないからね。
旧釜石鉱山事務所敷地へのゲートあたりで振り向くと、さっき見に行った銅鉱石選鉱場の遺構(画像奥右手)と鉄鉱石選鉱場の遺構(画像奥左手)が見えた。
左手に見えているのは、これもついさっき見に行った資材置き場だったらしき倉庫の廃墟。 -
陸中大橋駅へ戻って行く時に見つけた緑色の十字を描いた卵型の記念碑(?)。
これは、安全用品や安全標識を扱っている日本緑十字社のマーク?
それとも、かつて存在した医薬品メーカーのミドリ十字のもの?
「安全 十 第一」の標語の十字マークかな?
近づいて行ってみましたが、説明も碑文も見つからず分からずじまい。 -
陸中大橋駅へと戻る途中には、甲子川(かっしがわ)がきれいな渓流になっている場所もあった。
釜石駅近くで見る甲子川は、二級河川とは言え立派な幅の川だから、これが同じ川とは思えない。 -
陸中大橋駅へと戻って行く緩い下り坂の道筋。
左手に見える緩い段々の芝生地のように見えるのは、駅から旧釜石鉱山事務所へ行く時にも見た大橋社宅跡。
右手に見える設備は、トラックの計量所だったんじゃないかな。
最初に通った時には、大橋社宅跡地の方ばかりに目が行って、見落としていたな。 -
もうすぐ陸中大橋駅と言う場所で見つけた横道。
ちょっと行ってみたら、JR釜石線が見下ろせる場所があり、ちょうど釜石方向からやって来た車両が陸中大橋駅に入るのが見えた。
あ、これはラッキー!! (^◇^) -
イチオシ
陸中大橋駅を発車し、花巻方向へと走り出したJR釜石線の列車。
画像左上には、最初に陸中大橋駅ホームから見たホッパーの一部も見えています。
あ、お昼過ぎに来た時には一両だけだったけど、これは二両だ。
SUR SHANGHAIが立っている下にはJR釜石線のトンネルがあり、そこに車両が入って行くまでの様子がよく見えた。
運転手さんは、「何であんな所におばばが一人でいる? 跳び下りて来るなよ~!」と思っただろうな。(笑) -
花巻方面行きの列車が消えて行ったJR釜石線のトンネルと線路。
苔むしてツタが垂れ下がる様子は、これも古代遺跡のよう。 -
イチオシ
上掲の画像のトンネルとホッパーとの間には、何やら怪しげな遺構が。
これも貨車に鉱石を積むための設備の一部だったんだろうか。
画像手前のJR釜石線の線路とは別に、ホッパーの下にも引かれていたはずの引き込み線は撤去されたのか見当たらず。
草に埋もれてしまったかな? -
陸中大橋駅前に戻って来ると、着いた時には気付かなかったモニュメントがいくつか。
これは宮澤賢治の詩碑で、賢治が1925年の三陸旅行の際に綴った『峠』という作品が彫られています。
詩の途中に、
(鉄鉱床のダイナマイトだ
いまのあやしい呟きは!)
という一節が有ります。
賢治は上記の旅の終わりに、釜石から当時の鉱山鉄道に乗ったり、徒歩で仙人峠を越えたという事なので、その時に釜石鉱山の鉄鉱石採掘のためのダイナマイト爆発音を聞いていたのでは? -
陸中大橋駅前にあった鉱物モニュメント。
上段の画像の鉱石は、釜石鉱山にちなんだ磁鉄鉱。
じゃ、もう一つは? …と言うと、これは白色石灰石。
釜石鉱山では白色石灰石も産出していたそうなんですが、2001年には採掘事業から撤退していたんだそう。
釜石鉱山は鉄だけではなかったというのを、最後の最後にまた一つ教えられました。 -
戻って来たJR釜石線の陸中大橋駅。
お昼過ぎに着いてから、4時間足らずの旧釜石鉱山事務所訪問の小旅だったけど、たくさん歩けたし、いろいろ見学出来て大満足。
今度は誰かと一緒に来てみよう。
普段から歩きたがらない旦那だと来たがらないかな。 -
あ、釜石に戻るJR釜石線の車両がやって来た。
時間通りの運行、お疲れ様~。
帰り道もよろしくです~! ヾ(*´∀`*)ノ
これで旧釜石鉱山事務所訪問旅はおしまいです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 横浜臨海公園さん 2024/12/06 07:12:43
- 陸中大橋
- SUR SHANGHAIさま、おはようございます。
何時も旅行記を興味深く拝見させて頂いております。
陸中大橋ですが、何時か訪れてみたいと思いながら、中々実現出来ずに過ごしている所です。
鉄道省としての陸中大橋駅開業は大東亜戦争中で、当時は花巻方面への線路が未開通だった事から、物資輸送の為に、釜石→宮古→盛岡→首都圏と大回りを余儀無くされ、盛岡-宮古-釜石間は、深夜も貨物輸送を行う24時間運転を実施しても、輸送不足が深刻な状態だったそうです。
ところで、小生、本州内で列車利用時に車窓から熊を見かけたのは、釜石線、山田線、只見線の3線で、SUR SHANGHAIさまが陸中山田駅で下車し熊に遭遇しなかったのは、運がよかったと思います。
陸中山田駅、貨車がびっしり止まり、車窓から見かけた駅周辺も人で混雑していた40年前とは隔世の感がしてなりません。
横浜臨海公園
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2024/12/06 19:52:31
- Re: 陸中大橋
- ご無沙汰しております。
書き込みありがとうございました。
岩手県はかつては≪日本のチベット≫とも呼ばれた土地柄のようですし、沿岸部の縦貫鉄道もずいぶん後になってから竣工したのですよね。
そんな岩手県の鉄道事情とも併せ、旧釜石鉱山事務所が訪問できたのは大きな収穫でした。
ここ数年、あちこちで熊の出没事件が相次いでいますから、この旧釜石鉱山事務所訪問時によく出遭わなかったものと、後から思い返しゾッとしました。
横浜臨海公園様もお気をつけて旅をお続けください。
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旅行記グループ 廃鉱山、廃墟、廃駅、ゴースト・タウン、ミステリー・スポット
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